fc2ブログ
2020-08-04(Tue)

楽健法リトリートin高野山 2020年8月16日(日)〜22日(土)

無量光院の合宿は中止になりました。
新型コロナに対する警戒心から、人数の制限など、
対応できない条件を会場側が要求してきましたので、
潔く中止にしました。



2020年8月16〜22日 一週間 楽健法リトリートin高野山・無量光院 ご案内 


楽健法リトリートin高野山・無量光院 のご案内

2020年8月16日(日曜日)〜22日(土曜日)

会場 高野山 無量光院 〒648‐0211 和歌山県伊都郡高野町高野山611
電話 0736-56-2104

 

内容 楽健法の集中学習 楽健寺の天然酵母パンワークショップ 
    楽健法は連日午前中と午後に全12回実施します。
    
対象 初心者 中級者 全参加された方は初心者は初伝授与 
   初伝を終えて一年以上各地で受講中の方は中伝授与 允許料金は不要です。

経費 宿泊費6泊 と 受講料 楽健法実技 12回共 合計180,000円  交通費は各自負担のこと     
  短期参加・一回午前中だけ、一日だけ、二日間、などの短期参加もできますので、お問い合わせください。

● 一回だけの当日楽健法体験受講料 宿泊なし昼食込み10000円。  
● 2泊3日、3泊4日などの受講料 宿泊あり1日3食込み30000円

参加申し込みは 郵便番号・住所・氏名・電話番号 を記載してメールでお送りください。

受付しました、という返事を確認しましたら参加費をお振り込みください。

振込先 郵便振替 (01020-8-71142 東光寺) まで。

振込が確認されて、正式の受理受付完了となります。
領収書は原則として発行しませんので、振込領収書を保存してください。

無量光院で前泊希望の方は(0736-56-2104)へ直接お問い合わせください。
http://muryokoin.net

楽健法リトリート in 高野山・無量光院 参加者へのご案内
2020年8月16日(日)〜22日(土)

<タイムテーブル:2019年のタイムテーブルを臨時の日にち訂正しました。
予定詳細は変更になる場合があります>


8月16日(日)
12:00 高野山・無量光院受付開始・部屋割 (*昼食は済ませてきてください )
13:15~16:15 広間集合・宥厳先生の挨拶とお話 
       ①楽健法 の解説と実習
16:30~17:00 入浴(前半組)
17:00 夕食
18:00~19:00 入浴(後半組)と休憩
19:15~21:30 ②楽健法実習
22:00 就寝

8月17日(月)
05:30 起床
06:00~7:30 朝の勤行(本堂)(*自由参加)
08:00 朝食
09:15 玄関前集合:奥の院参拝(ガイドとバス付き)奥の院(集印可)+街探索
12:00 昼食@西室院
13:15~16:15  ③楽健法実習 
16:30~17:00 入浴(前半組)
17:00 夕食
18:00~19:00 入浴(後半組)と休憩
19:15~21:30 ④楽健法実習 
22:00 就寝

8月18日(火)
05:30 起床
06:00~7:30 朝の勤行(本堂)
08:00 朝食
09:15~11:45 楽健寺の天然酵母パン講義と実習
12:00 昼食
13:15~16:15  ⑤楽健法実習 
16:30~17:00 入浴(前半組)
17:00 夕食
18:00~19:00 入浴(後半組)と休憩
19:15~21:30 ⑥楽健法実習
22:00 就寝

8月19日(水)
05:30 起床
06:00~7:30 朝の勤行(本堂)
08:00 朝食
09:15~11:45 ⑦楽健法実習 
12:00 昼食
13:15~16:15  ⑧楽健法実習 
16:30~17:00 入浴(前半組)
17:00 夕食
18:00~19:00 入浴(後半組)と休憩
19:15~21:30 ⑨楽健法実習 
22:00 就寝

8月20日(木)
05:30 起床
06:00~7:30 朝の勤行(本堂)
08:00 朝食
09:15~11:45 ⑩楽健法実習 
12:00 昼食
13:15~16:15  ⑪楽健法実習 
16:30~17:00 入浴(前半組)
17:00 夕食
18:00~19:00 入浴(後半組)と休憩
19:15~21:30  ●講義  
22:00 就寝

8月21日(金)
05:30 起床
06:00~7:30 朝の勤行(本堂)
08:00 朝食
09:15~11:45  ●講義 
12:00 昼食
13:15~16:15  ⑫楽健法実習 
16:30~17:00 入浴(前半組)
17:00 夕食
18:00~19:00 入浴(後半組)と休憩
19:15~21:30 一人芝居 がらんどうは歌う 公演
22:00 就寝

8月22日(土)
05:30 起床
06:00~7:30~ 朝の勤行(本堂)
08:00 朝食 
 (*朝食後、荷物は朝のうちにまとめて部屋から広間へすべて持参すること)
09:15 修了式允許授与
12:00 昼食 
13:00 現地解散




お問い合わせ メール 
電話 
事務局  高橋トーマス流美 090-6549-3577
東光寺 山内宥厳  090-4301-0228
無量光院への問合 0736-56-2104

*部屋割りとお風呂
参加者は、お部屋に数名づつの相部屋になります。
参加当日に受付であなたの部屋番号をお伝えします。
宿坊のお風呂が小さいため、夕食と夜の実習の前後に、お部屋ごとに別れて15分程度で順番に入っていただくことになります。


*服装と気候
通常高野山は、山の下よりも7度〜10度ほど気温が低く、高野山の宿坊には冷房はなく例年扇風機を使用しています。
実習の時は、通常。肘の隠れる衣類が理想ですが、適宜半袖を着用してください。朝晩は涼しく、もちろん長袖は必要です。
また、奥の院には蚊が多いので、参拝の際は長袖長ズボンがオススメです。薄い羽織ものはあると便利です。

*食事
宿坊にお任せの精進料理です。

*洗濯
歩いて15分のコインランドリーを進められました。流しが混み合うのでお寺からは歓迎はされないですが、部屋でこっそり手洗いして干すのが精一杯のようです。)

*パン種づくり実習
18日の午前の部で、パン種作りの実習があります。その時に作ったパン種を最終日に各自お持ち帰りいただきます。
楽健寺の天然酵母パンと他のパンとの違いなど、醗酵食品についての勉強をします。
車で来られる方、ホームベーカリを持参出来る方はお持ちください。

宥厳和尚の伝説の一人芝居「がらんどうは歌う」の公演も企画しています。




Rakkenho Intensive Training Retreat in Koya-san
高野山無量光院 楽健法集中合宿8/16〜22

      
Rakkenho Intensive Training Retreat in Koya-san

Date: Sunday August 16th to Saturday August 22nd, 2020

Place: Muryoko-in Temple (Koyasan 611, Koya-cho, Ito-gun, Wakayama-ken)

Homepage : http://muryokoin.net

Qualifications: Beginners are given certification of Shoden (Level 1)
Intermediate level are given certification of Chuden (Level 2) at the end of the retreat.

Indian, Chinese and Japanese participants and other nationalities who would like to master and practice Rakkenho

Fee: JPY 180,000

Programme: 12 Rakkenho sessions(twice per day) , workshop for making Rakken-ji natural yeast bread, lectures on health & well-being
and a performance etc.

Lead Teacher: Yugen Yamanouchi, with qualified Rakkenho teachers and other lectures

Contact:
Tokoji, Yugen Yamanouchi 090-4301-0228 yugenytokoji@gmail.com

Nara Rakkenho Asscociation
Rumi Takahashi-Thomas 090-6549-3577 narayogaretreat@gmail.com


cf.Rakkenho Sutra
2019-11-27(Wed)

楽健法リスト・各地の楽健法セラピスト案内


楽健法 各地の教室案内 
最新情報 ● 順次追加しています。

楽健法を学びたい、体験したい方は各地の先生に直接ご連絡ください。



牛久市 陶板浴 清龍
還元陶板浴 虎杖伝説の里 清龍
茨城県牛久市さくら台2-10-21
TEL 029-878-3711

月1回 開催日不定期
講師・小林君子  
070-3141-1177

つくば市  カピオまたはつくば交流センター
月1回  開催日不定期 問合せ、参加ご希望のかたは電話お待ちしています。
講師・戸塚恭子
090-2655-4712



楽健法本部 
以下は宥厳先生から直接学べる教室
〒633-0053 奈良県桜井市谷381-1 東光寺 毎月第4日曜日定期講習会
問合せ 山内宥厳 0744-44-2388  090-4301-0228

第21期2020年楽健法セラピスト養成講座 募集中
東京楽健法研究会水道橋教室 講師山内宥厳

広島楽健法研究会 福山教室
月3回教室開催 募集中 工藤和子先生 問合せ 084-955-4859
毎月第3土曜日の週の(木曜日) 講師 山内宥厳

東京品川薬日本堂文化教室 講師・山内宥厳   里美まこ 西澤真由美                             
第3土曜日の全日の金曜日
15:00~17:45
問合せ 薬日本堂漢方スクール 03-3280-2005

奈良楽健法研究会 
初伝コース受講生募集中
毎月第1土曜 第4木曜 講師 山内宥厳
奈良町 松前旅館
問合せ 髙橋トーマス流美 090-6549-3577
mailto:narayogaretreat@gmail.com





沖縄市胡屋

橋本美香 080-9851-8999
 bikou8999@icloud.com




東京都中野区 

野方楽健法研究会

会場 野方地域センター・他
講師 子松志乃子
問合せ 090-3546-1260
mejiro626@gmail. com
楽健法指導、施術も行なっています。




相模原楽健法研究会

講師 小菅一江 ・靖子
○踏み合い会
毎月 最終の日曜日
13:30〜16:00
Facebookでお知らせしています。

○楽健法指導 / 施術、出張承ります。
お気軽にお問い合わせください 。

住所 〒252-0244
神奈川県相模原市中央区田名5669
電話 090-3430-1400
E-Mail
rakken1006@gmail.com




☆  岩手 盛岡     

セラピスト教師      
太田代 文子  090-2365-9446




☆  宮城 石巻

福田  順子 090-9424-4545




☆ 宮城 古川

場所 古川南部コミュニティセンター
日時 第一、第三金曜日 13;00〜16:00
講師 千葉 美代子 090-2361-9407




埼玉楽健法研究会
〈戸田教室〉
毎月第3金曜日10:00〜13:00
講師 里見まこ
出張でも楽健法の指導、及び施術を行なっておりますので、お気軽にお問い合わせください。
◎お問い合わせ
mako-13jayajaga@ezweb.ne.jp
090-4421-3716



さぽせるlabo 調布・楽健法友の会
代表 ましのまりこ
TEL 090‐6049-2400(通常留守番電話になっています。折り返しますのでメッセージをお願いします。)
Mail:info@saposeru.com
URL: http://saposeru.com (スケジュールはこちら)
ブログ:http://saposeru.com/blog
楽健法教室、踏み合い会は調布駅近くの文化会館で行っています。
サロンは京王線調布駅から10分、布田駅より徒歩3分




伊勢原踏み合い会

大庭宏樹
090-6114-9658
https://ameblo.jp/hirorolog/



楽健法sou

東京都国分寺市
神戸恵美子 (かんべえみこ)

👣楽健法施術、教室、出張承ります。

👣国立市谷保 古民家やぼろじにて
毎月第3月曜日踏み合い会開催してます。

お電話、メールにてお問い合わせください。

TEL:080-5542-5840

MAIL:
k.emiko.0222@gmail.com

ブログ:
https://rakkenhou-sou.hatenablog.jp/



楽健の家
大阪 茨木高槻
田野 直子
090-9860-0114
mail rakkennoie@gmail.com



東京楽健法研究会
●水道橋教室 山内宥厳先生講師
○三田(田町)教室
○金町教室 
○松戸教室 
○大府教室(愛知県)
   講師 西澤真由美
*楽健法指導、楽健法施術、
(グループ、個人、出張)
*楽健寺天然酵母パン教室
  
◎お問い合わせ
rakken.tokyo@gmail.com
080-6610-3787
(西澤真由美)


松戸楽健法
(千葉県松戸市)
(施術、教室承ります)
    講師 仲村有美

お問い合わせ
osomechan46.47
@gmal.com




東京都豊島区南池袋
指導 溝口美伊
電話番号 09011057774
東京都豊島区南池袋
施療でなく、楽健法の教室のみとなります。




千葉県船橋市田喜野井
吉田由佳
090-6674-7186



柏 楽健法(千葉県柏市)
  講師 吉本佳江
(楽健法教室、施療 承り ます)
お問い合わせ
yoipu.emn0406@gmail.com



楽健法さつきの里
郵便番号 335ー0021
住所 埼玉県戸田市新曽2532ー4
携帯電話番号
07014220831
訪問楽健法施術 斉藤久恵




楽健法 ときはなし / まごころ堂
山野元樹 / 山野麻湖

楽健法施術、教室、出張も承ります。お気軽にお問い合わせ下さい。

和歌山市駿河町45旭ビルディング2F

◎お問い合わせ
(山野元樹)
090-8522-7972
tokihanashi@gmail.com
(山野麻湖)
090-9884-7287
yama-ko.0601@i.softbank.jp




広島市佐伯区
中尾 佳那惠
080-4554-8946




京都教室 ふみふみ楽健法
よしもと ふみ (本部公認教師)
サロン: コミュニティ・スペース花の駅(京都市北区鷹峯)
出張教室・施術等、京都外でも承ります。

電話 090-1715-2311
e-mail: fumi.skywalker@gmail.com

facebook "ふみふみ楽健法"
https://www.facebook.com/fumifumiohana/?ref=bookmarks

ブログ "ふみふみ楽健法だよりfrom京都"
http://fumifumirakkenho.blog.fc2.com/




癒し館:多幸浴
施術者:工藤忠生
電話:090-1871-0322
店舗:0974-22-6255
〒879-7111
大分県豊後大野市三重町赤嶺2116-1
営業:12時〜19時
定休日:毎週水曜日
(出張施術有ります)




出雲楽健法道場
出雲市今市町北本町5-4-6  本田ひづる  
0853-23-3586  
090-5260-5234
楽健法の教室  施療




福岡県那珂川市
〒811-1215
福岡県那珂川市松原1-8-610
後藤 乃恵
☎︎090-3192-3215




広島県山県郡北広島町
吉永真弓
090ー9738ー0233

楽健法施術 と教室をしています。
教室は 第1.3土曜日 10:00〜12:30




Rakkenho Los Angeles 
Michiyo Masubuchi

楽健法教室、施術 , 出張もします。
楽健寺天然酵母パン教室行っています。
パン種販売もしていますので
問い合わせはEmail下さい。
mailto:rakkenhodehappy@gmail.com




山梨県

新井 由己(あらい よしみ)
050-5243-8020

〒407-0051
山梨県韮崎市円野町上円井1885

〒401-0302
山梨県南都留郡富士河口湖町小立1104

山梨を拠点に全国で活動しています。
連絡はメールのほうが確実です。
mailto:bonoborian@gmail.com




彌勒庵
〒939-2321
富山市八尾町小長谷5911-48
藤井 こずえ
電話 080-3047-2888
楽健法施術と個人指導をしています。
お電話もしくは、ショートメールにてご連絡ください。




131-0046 墨田区京島1-1-2-311号
佐藤さなえ
080-5402-8290



石巻楽健法研究会 代表 阿部裕美子
宮城県石巻市垂水町2−2−2 JR石巻線 万石浦駅から徒歩3分
 090-5233-3033
楽健法施療します。楽健法の個人レッスンもあり。

楽健法教室も開催します。(不定期)
みやぎ生協アイトピアホールにて
◎毎月第1水曜日
10時〜15時
楽健寺天然酵母パンランチあり
◎毎月第3水曜日
10時〜12時

入門コース初伝コースの教室を開催しております🙇‍♀️




神戸楽健法研究会 代表 中野 隆生
個人の健康相談 楽健法施療 講座の出張講師 神戸本部での講習会を開催します。
651-1301 神戸市北区藤原台北町4-11-11
080-5712-7946
電話でお問い合わせください。




三重楽健法研究会
●金剛座寺  住職;染川智勇(そめかわちゆう)
〒519-2177
三重県多気郡多気町神坂169
電話FAX;0598-37-2873
Email;kongozaji@renge.net
住職直通;090-6041-0193(緊急以外はSNSでご連絡ください)
★楽健法★




ロータスエイト 阿部珠実の楽健法WS
http://www.lotus8.co.jp/workshop/information/rakkennhou/




宇都宮市横川市民センター 2階和室  講師 藤澤あこ
13時30分から16時30分位まで
不定期で月に2回 問い合わせ先 藤澤 あこ 090-4248-4684
お一人でも参加できます



大分豊後高田楽健法教室 遠藤愛子 080-1798-4189
◆楽健寺の天然酵母パンも製造販売しています◆
教室も施術もあります。
電話でお問い合わせください。




【楽健法学びの会すぎなみ】 講師 伊禮敦子
毎月最終土曜日13時~16時(定員12名まで)
 Studio Haru (個人のお宅なのでHPとかには出ていません、住所未公表)
 JR中央線西荻窪下車、西友の中を通って徒歩5分
(連絡先)090-4595-4372(昼間電話に出られないことが多いです)
     atsu-i53780127@doomo.ne.jp
  ※参加ご希望多数の場合、会場のスペースの関係で人数制限があります。
   また都合により日程が変更されることもありますのでお問合せ下さい。
 



楽健寺大阪教室 
JR桜宮駅下車5分 毎月第3土曜日
問合せ 06-7173-3878 090-1899-9227 山内幸子




松江 教室 周藤久美枝 085-221-0243




米子 教室 西山三千子 090-9464-1149




出雲 教室 岸本節子  090-8608-9316




松江上乃木 大谷怜美  090-7171-7546



仙台 教室 井上かずえ 090-2270-3603




福岡県 柳川 教室 森 眞理  080-3945-3152




名古屋教室 斎木圭子  080-6946-3788




町田市忠生 村澤昭子   070-5595-0094




新居浜教室 野口千恵美 090-7783-6035






楽健法本部ホームページ
2019-09-27(Fri)

東光寺奉納 観・音 Sisters 音楽と舞踊 特別講座 ヴォイス・ヨーガ 案内 

        東光寺の催しもの案内

第一部 ヴォイスヨーガと
    コヒーランス 〜 ハートの呼吸・ハートの声 

第二部 Shreeとwacoによる音楽と舞踊 詩の朗読





日時 2019年11月9日(土)
第一部
18:00〜19:30 ワークショップ・ヴォイスヨーガと
    コヒーランス 〜 ハートの呼吸・ハートの声
講師 Shreeとwaco 
どなたでも受講できます 受講料 1500円

第二部
19:50〜21:45 Shreeとwacoによる音楽と舞踊 詩の朗読 他
先着順35名まで 入場料 2500円 予約の上当日会場にて精算

会場 磐余山 東光寺本堂 〒633-0053 奈良県桜井市谷381−1
申込電話とファックス 0744-46-2410 メール yugenytokoji@gmail.com

駐車場はありますが、台数が限られますのでお電話で予約してください。
 






観・音 Sisters
01.jpg             
旧知の顔見知りだった、Shreeとwacoが、今年4月に台湾の舞踏フェスティバルにて、声と舞の即興デュオの、
スリリングで深い面白すぎるセッションを表出させ急接近。
 互いの世界観、価値観の一致を見出し、6月より天女人 ( てんまど )と言う女性ばかりの舞台企画を共にする。
二人の共有する宇宙観、この世界は幻想、私と言う存在も幻想、ただあるのは、無限の意識のエネルギーのみ。
 その目覚めに常にある事。そこにある、歓喜と静寂を、互いの表現方法で紡ぎ、共鳴させる。
 そして観るひととまた、共振する。

その事がこの世の安寧と、至福へと向かう方向性に繋がっていくと信じて
それぞれの本質の自由と解放の扉をノックする音になると信じて

                    kan - non

       観 ・ 音 sisters というユニットを始動しました。

 具体的にライブの内容は、Shreeのドゥルパド古典インド声楽、オリジナル曲、即興ボイス& タンプーラ、オートハープなどの演奏。
wacoの即興舞、オリジナル曲のギター弾き語り、自作の詩の朗読& Shreeのボイス、演奏、伴奏。

また、wacoのコヒーランスとShreeのヴォイスヨーガを取り入れたワークショップ『ハートの呼吸・ハートの声』は、心臓・呼吸・ヴォイス・ハートチャクラにフォーカスした、無限宇宙へと繋がり広がるパワフルなワーク。

熟年二人の長いキャリアに裏付けされた、安定感と、即興に精通した遊び心、深い祈りに根ざした真摯な探求の世界

是非体験していただきたいです。

【演者プロフィール1】

Shree:北インド古典音楽ドゥルパド声楽家・魂のうた
    日本ドゥルパド協会代表
02.jpg


’87年、初めてのインド旅行。以来四半世紀間もっとも多くの時間をインドで過ごし、サントゥール・タブラ・パカーワジ・声楽などの北インド古典音楽、サンスクリット語、ハタ・ヨーガ、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想に親しむ。

’92年より、北インドの古楽であるドゥルパド声楽を、ベナレス・ヒンドゥー大学のリトウィック・サンニャル教授に師事。声楽の第一の師として現在にいたるまで指導を受けている。
’97年、天空オーケストラのイギリスツアーにヴォーカリストとして参加、グラストンベリー・フェスティバルに出演。

近年はドゥルパド界ダーガル流派の声楽の巨匠故ウスタッド・ジア・ファリドウッディーン・ダーガル、その甥のルドラ・ヴィーナーの演奏家ウスタッド・モヒ・バハウッディーン・ダーガル、グンデーチャ・ブラザーズの指導も時々仰ぐ。

南インドの瞑想の聖地ティルヴァンナーマライに10年ほど暮らす。

2013年春より生活の中心を日本にシフト。
2016年、ドゥルパド声楽のマスター、Pt. リトウィック・サンニャル師をインドより招聘、グルクール・ドゥルパド・キャンプ主催。
2018年、インドのヴァラナシにて第44回ドゥルパド・メーラーに出演。
ドゥルパドを志す仲間たちと日本ドゥルパド協会を立ち上げる。

日本及びインドその他の国々にて、ドゥルパド声楽のライブや各種ヴォイスワークショップ、四半世紀に及ぶインドの旅からやって来た「魂のうた」やキールタン、 ドゥルパド声楽教室、ユニットBhogiYogi Nirvana Express、BhogiYogi Ananda Express などで活躍。
2019年、女性演者のみのユニット「天女人」、2人ユニット「観・音 Sisters」を、即興舞・朗読・歌のwacoと立ち上げ、さらなるヴォイスの可能性に挑戦。

CD:『サンキールタン』2007年
   『観・自・在 ~ ハートスートラ』2019年 新リリース
学歴:’81年 大阪大学文学部美学科卒

HP: http://norishree.com/Shree/shree.html



【演者プロフィール2】

waco :即興舞踊手 ・シンガーソングライター・詩の朗読パフォーマー

05.jpg



山口県下関に産まれ育つ
81年上京小劇団在籍の後、83年劇団「 レ・キャンズ 」に入団 2年在籍中、渋谷ジャンジャン、新宿シアターtopsなどで公演。
その頃、自由な即興の身体表現のグループの稽古場に通うようになり、路上パフォーマンスを開始。同時に大野一雄氏のスタジオに稽古に通う。

後の師匠となる古川杏と出会う。86年彼女の立ち上げた「 ダンスバターTOKIO 」に参加。
同年イタリア公演。
87年 「 レンタボディ 」西ベルリン長期公演。
88年 「 中国の探偵 」ドイツ3都市公演。
89年 「 リッツホテルよりも大きなダイアモンド 」PARCO劇場公演。

古川杏の渡欧により、ソロとなる。
91年下関に帰郷、山口、広島の即興演奏家とのセッションライブを数々展開する。
92年、ふじえだむりまる氏と出会う。後に、彼のグループ フィジカルポエッツの一員となる
96年、女ばかりの舞台企画、「天女人 (てんまど )」 開始。京都 永運院、下関 赤間神宮などで公演。
98年 突然なんの脈略も無く、うたうたが降りてくる。同時にそれまで聴いた事も無い歌声もやって来る。
うたうたに背中を押され、歌ライブと言う新たな表現に足を踏み込む。

09年 宮崎へ移住
同年11月 全国的詩の朗読トーナメント「 詩のボクシング 」にて全国優勝
詩の朗読パフォーマンスをライブ展開開始。
ソロ活動は、即興舞踊、自作の歌のギター弾き語り、詩の朗読の waco,s バラエティーとしてライブ展開。
17年よりシタール奏者南沢靖浩氏とのデュオ「奏舞読歌 」 シリーズ展開。
19年6月、長いブランクの後、Shree、たいち利枝と共に「 天女人 」再開

Shreeと二人のユニット
観・音sisters 始動

コヒーランス心臓呼吸との出会いに深く感銘し、ワークショップを19年4月台北にて開始。
また、Shreeのヴォイスヨーガとコヒーランスの共同ワークショップも開始。

自作のうたや詩は、すべてのいのちはひとつながりで離れがたく上も下もなく、そしてかけがえのない輝く無限の光。これからの変化の時代に自由と自立の当たり前のこの世に向けてのメッセージと祈りである。


98年 マキシシングルCD「 うた 」
03年 マキシシングルCD「 道 」
06年 シングルCD「 生々流転 」
10年 シングルCD「百人目の愛 」
19年 シングルCD「最高MAXありがとうしあわせ 」
いずれも自主リリース


【ワークショップの紹介】

『ハートの呼吸・ハートの声』


日常様々な思考で忙しい頭に集中している意識を心臓に集中させ、

あたかも心臓が息を吸い吐いているように心臓を中心に深い呼吸をします。

心臓に感謝のエネルギーを満たし、ハートをにっこりさせます。

感謝のエネルギーは、難しい事では無く、ホッとしたり、とても嬉しかったり、しあわせだなぁありがたいな〜と感じた時の実感を心臓に満たします。
その感謝のエネルギーを、自身の身体から地域へ日本へと拡げ、地球全体へ拡げ、空へ宇宙へと拡げます。
宇宙とひとつに感謝のエネルギーで溶け合います。
これが、コヒーランス心臓呼吸です。
このコヒーランス状態になってから、ヴォイスヨーガに入って行きます。
純粋自然な声をハートセンターから発声するインドのドゥルパド声楽に加え、声を気の動きとして扱うヴォイスヨーガを行います。
声を出すひと、声を受けて即興で動くひとに分かれて、ヴォイスとボディの共振を体験した後、
最後に輪になり、手を取り、エネルギーを循環させます。
「 呼吸・声・ハート」をテーマにその二つがパワフルに融合、大いなる癒しを通して繋がるワークショップです。
最近の科学的検証によると、心臓は脳波の60倍の電磁波を放っており、感情を脳とシンクロさせて司っていて、ポジティブな感情を身体全体に行き渡せ、また、周りに影響させることが解って来ています。

そして自分自身が、生まれて初めて発した様な素の声に出会う事で、私達が本来、何物にも囚われない自由な愛の存在であることを体感し、共鳴共振する。

そんな私達の源への帰還に繋がるワークショップです。


【コンタクト】

お問い合わせ他、
ライブ・イベント出演、ワークショップ指導など、
ご依頼ありましたら、waco または Shree にお声がけくださいませ。
まずは感謝を込めてご依頼内容を検討させていただきます。
公演することが決定いたしましたならば、
心を浄め、毎回気持ち新たに真摯につとめさせていただきます。
ご依頼お待ちしております。


また、姉妹ユニット『天女人(てんまど)』は、観・音 Sisters をベースに即興舞のたいち利枝をオリジナルメンバーに加え、その時々の魅力的な天女人衆にも参加していただく、女性のみの演者で成り立つ演奏構成です。
天女人にも出演依頼いただけましたら幸いです。
フェイスブック:https://www.facebook.com/tenmadoladies/




《 連絡先 》

1)佐野真紀子(waco)
住所:〒889-3311 宮崎県 串間市 市木2807
電話: 090-7133-8137
メールアドレス:123go10@i.softbank.jp
フェイスブック:https://www.facebook.com/sano.makiko


2)桂真理子(Shree)
住所:〒663-8006 兵庫県西宮市段上町6丁目11-8
電話:080 9543 9123




2019-07-04(Thu)

健康百話 東大阪市庁内報「はばたき」に掲載

健康百話は、私のパン作りの紹介記事が、1981年に朝日新聞の全国版に紹介されてから、市の主催で保険所などで、楽健法を講座したりするようになって、市の職員が対象の東大阪市庁内報「はばたき」に連載を依頼されて、三年間毎月一回の連載をしたものです。
ささめやゆき さんに書いた内容を電話で朗読すると、挿絵を毎月すぐに描いてくださいました。


健康百話  その1   さわやかな朝
 仕事をしながら窓の外をながめると、夏がそこまでやってきていて、街路樹の新緑が陽光を浴びて浜辺の貝のようにきらきらと、まぶしく息ずいています。緑風がはなやかな娘のようにやってきて、机の上に広げた書類を持っていってしまう。飛んでいった紙切れを追っかけてひろってきて、苦笑しながら二度と飛びたたないように、文鎮で押えておく。
 いまはオフィスにはエアコンが完備していて、窓を開けることがなくなり、こんな光景が見られなくなりました。むしむししたり、汗をかくことも、寒さにふるえることもなくなって過しいいようですが、人間のからだは人工の環境においそれと順応できなくて、いろんな不調がでてきます。肩こり頭痛・神経痛・生理痛に不順・根気が続かない。など不定愁訴がいっぱい起きてきます。そういう時、便秘をしていないかどうかを考えてみましょう。何日も便秘なのに、そのことに無頓着で、頭痛や肩こりを訴える人がいます。
 便秘は万病の元といえます。朝すこし早く目を覚まして排便をしてから職場に向うことが毎日を気持よく生きる基本となる習慣を身につけましょう。朝起きるとコップ一杯の水を、かみしめるようにゆっくり飲みましょう。次に両手の人差指のつけ根をよくもみほぐしましょう。トイレに入ってからでも結構です。そして、両手の人差指と中指でこめかみをぐっと押します。アラ不思議。気持よく通じがつきます。朝・お腹がすっかり軽くなるほどうんこを出すと、一日明るい笑顔で過ごせることでしょう。なにかいいことでも?と問う人がいるにちがいありません。休み時間に新緑をじっくりと、あるいはぼんやり見つめたりして目の疲れもほぐして、今日一日がんばりましょう。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その2   白 い 歯

 自然が乏しくなって、私達のまわりはコンクリートとガラスやプラスチックにとり囲まれ、土を踏むことが、ほとんどなくなってしまいました。コンクリートのなかで1メートル四方ほどの土に植えられ、何のためか毎年無残に枝を払われて、作りもののような形をした街路樹を見て痛ましい思いがするのは私だけでしょうか。
 水も汚れ、合成洗剤の追放を叫んでも川は汚れるばかり。わたしたちは合成洗剤を完全に除去できているかどうか分らない水を飲んでいます。そればかりか、自分の口のなかへ合成洗剤を直接流しこんで、じゃぶじゃぶ、がらがらとやっています。
 そんなバカな!とおっしゃるかも知れませんが、歯磨きのチューブがどこの家庭にもあって、ほとんどの人が毎朝使っていますが、あれには合成洗剤が3%から5%含まれていて、かなり有害です。
 歯みがきは何もつけないでブラシだけで時間を多めにかけて磨くのが正解です。良質の自然塩を使って磨くのも良いでしょう。
 成人の歯は象牙色をしているのが良く、まっ白な歯は合成洗剤と漂白剤のためで、吸収しやすい口のなかでそんなものを使うなどは、もっての他です。
 歯は健康に必要な菌をいつも飼育していて、食べものをよく噛むことで、食物と混ぜ合せ消化の助けをしているのです。食後に磨いた方がよいのはそのためです。
 いつも歯ブラシを1本持って歩いて、昼食後もよく磨きましょう。歯を磨いて、天を仰いでガラガラとうがいを何度もすると、首の運動にもなって疲れがとれます。ついでに左右へゆっくりと頭をまわして、真うしろを見るつもりで動かします。ポキポキ音がするようでは、疲れがたまっている証拠です。
 首に限らず、からだに異常を感じるところには、両手を熱くなるまで摩擦して、じっと掌をそこへ当ててみましょう。10分も手を当てるとスッと軽くなります。手当をするということばはこのことから来ていて、医療の出発点なのです。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その3   悠 々 と

 チューリップそっくりの緑色の花が咲く、ゆりの木を知っていますか。
 別名をはんてん木とも言って、五月のさわやかな風のころに花をつけるのですが、この花には蜜蜂が溺れ死にするほどたっぷりと蜜がたくわえられています。
 きわめて成長の速い樹で私の家の横で3年前に植えた1mほどの苗木が、今年は2階のベランダから背くらべしなければならない程大きく育ちました。
 北米原産で、アメリカではイエローポプラという名で親しまれ、秋の黄葉の美しい樹で、大きいのは60mにも育つということです。
 葉の形が日本人の着る半天に似ているところから、はんてん木ともいうのですが巨木になると樹皮がさざ波のように美しくなります。
 悠々とした姿は、見る人の心も広々と押しひろげてくれて、思わず深呼吸をしながら見惚れてしまいます。
 人間も大きな心を持って悠々とした生き方ができると、他人にもいい感化を与えて健康な生活の輪が大きくなります。
 病気がちの人は、心もちいさく、閉され、自信を失って消極的になります。
 上役の前や、人前で話すとき心臓がどきどきするような人や、心臓病を持っている人は、心臓を強化し、自信たっぷりに悠々と、ゆりの木になったつもりで大きく生きるよう心がけましょう。
 左右の掌の中心をよく片方の手でもんでみましょう。
 親指の付根は合谷(ごうこく)というツボで、ここを指で絶えずゆるめてやりますと、心臓が強くなります。
 階段を昇ったりして動悸が激しい時や、心臓の発作で手が冷たい時、掌を根気よく押してやりますと、たちまち治るからふしぎです。
 健康管理はふだんのちょっとした努力のつみ重ねで大事に至らずにすむものです。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その4   緑と共に

 大地にしっかりと根を張った樹木は、人間の生命にくらべると何十倍もの年月を生きることができます。
 屋久島の原生林で数千年も生きてきた屋久杉を伐採する計画を知って、反対運動が起きたのは、この間のことですが、地球の砂漠化が大変な勢いで進んでいて毎年、日本列島ほどの面積の緑が失われています。
 チベットの古謡に「人殺さねば食を得ず、寺廻らねば罪消えず、人殺しつつ寺廻る、行くのだ今日も、南無阿弥陀仏(オーマニペメフム)」というのがありますが、人類は自然に対する殺し屋の様相をさらに深めていて、悲しい限りです。
 この報いを誰が受けとることになるか考えるまでもないことでしょう。
 東海道新幹線に乗って西下してくると、大阪に近づくにつれて緑が乏しくなってきます。このイラストを画いてくれている鎌倉在住の「ささめやゆき」さんが始めて、東大阪へ来られた時の第一声が「凄いところですね」でした。狭い道にひしめくブリキの牛の群と、緑の無い灰色の街のことを言っているのです。
 環境にしろ食事にしろ、緑が少なくなることは不健康の始まりなのです。緑は健康の根なのです。緑は食卓にも乏しくなり、おかげで野菜の嫌いな青少年が増加しています。
 多くの人々は栄養価が高ければ良い食事だと考えて偏った食事を摂っています。身長は昔にくらべて伸びましたが、質的に得たものは何もなく、虫歯だらけの子供に育ち、小学生から成人病が多発し、長じては非行、家庭内、学校内暴力を生む原因となっています。
 死亡率第一位にのしあがって来た癌にならないためにも、緑を中心に、季節の旬に即した食生活を樹立する必要があります。
 人間の根はお腹です。根をしっかりさせるため、毎日寝床で、おへそを中心に時計の方向にお腹を百回以上やさしくマッサージしてやりましょう。根まわしです。一生涯の健康法の基本として続けてください。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その5   噛む健康法

 今年は天候不順もいいところで梅雨期も終ったはずの頃から始まったようで、全国で多くの方が水害の難に遭って亡くなられました。
 降雨量が予想を大きく上廻ったのが災害の原因などという説をとなえる人もいますが、本来、自然は人間に雨量や風速や地震などについて、何一つ約束を交わしているわけではありません。
 絶対安全な生き方を保証されている生命あるものなど、この世に存在するはずはないのです。
 にもかかわらず、人間は安全を何かに求めてやまないのです。
 自然の猛威から身を守るためには、自然のしくみについてよく知り、自然に逆らわないこと、自然と人間とが、共に一個の自然として溶けあって生きることが大切です。
 山を開発して宅地をどんどんふやせば、どういう結果を迎えることになるか知らないわけではないのに、樹木を伐採し山を崩してそこに平然とくらしているのが現実です。
 健康管理についても同じような多くの間違いをおかしています。
 癌が死亡原因のトップになりましたが、これはからだのなかで自然の制御を失っているからで、文明と科学の名のもとに、自然そのものであるからだを、きわめて人工的な環境に押しこんでいる当然の帰結です。
 健康を維持するために、私達は自然な生き方に近づくよう努力を惜しんではなりません。
 危険な食品、ことにインスタント食品、コーラやジュース類、食品添加物を沢山使った加工食品などは、からだの制御機能を損なう原因になります。
 食品は、家庭で料理する(Cook)もので、選択(Choose)するものではありません。
 そして量を少なく(腹八分目・インドでは腹六分といいます)していつもの五倍は噛みましょう。
 観察していますと、たいていの人は口に入れたものを六回ぐらいしか噛んでいません。
 よく噛むことは、あらゆる健康法にまさります。
 口の機能は食品を送りこむベルトコンベアーではありませんし、胃袋はゴミ袋ではありませんね。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その6   無知こそ罪悪

 世の中にはグルマン(食通のこと)と称する人々がいて、美味しいもの談義に花を咲かせたり、書物を著わしたりしますが、美味しいものを追い求めるだけの、口のいやしいのは真のグルマンではありません。
 好きなものを大食らいして、脂ぎって腹がつき出している人を、重役タイプなどと表現する人もいるようですが、食に節度のない、怠けものの、病気の巣みたいな気の毒な人に過ぎないのです。
 食通といえば何といってもブリア・サヴァランの“美味礼賛”という本が必読の書としてあげられますが、サヴァランのこの本は、健康に関する学問の書であり、格調の高い文学の書でもあります。
 この本のなかで、食通とは食に対して節度を心得ていることを条件としてあげていますが、珍らしい食物を沢山得意気にあげつらうのを食通みたいに思っている日本人は反省の必要があります。
 昔、権力争いで殿様を暗殺するのに、栄養の高い食品をしこたま食べさせて、口実をもうけては外へ出ることを許さないようにしていると、運動不足と栄養過多でやがて病気になって死に至った……という話がありますが、現代の日本人は、みんなこの哀れな殿様にそっくりです。
 現代人は多く資産をもち、高栄養なものを多く摂り、背は高く、太ってさえいれば満足していて、やせていると病気ではないのかと心配しますが、たいていの場合これはあべこべです。
 与えることは良いことで奪うことは罪悪だという考え方で、医師も家族もやたらと病人に薬を多く与え、はやく良くなるように栄養のあるものをしっかり食べやと看病して、病気をますますこじらせて、殺してしまったりします。
 病気になってものを食べるのは人間だけで、動物は回復するまで断食します。
 人間も断食が正解ですが、ほとんどは無知のため与えて治そうとして失敗するのです。
 無知こそ、最高の罪悪です。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その7   やわらかいこころ

 悲しいことですが、人間には他人の幸福を羨やみ、ねたましく思い、他人の不幸は喜こんでながめる傾向があります。
 火事と喧嘩は大きいほど面白いとか、対岸の火事とか言って、わが身のことでなければ、痛くも痒くもないばかりか、面白がっています。
 生存競争とか弱肉強食ということばは、野性の生物界の輪廻をいい表わしたもので、これは自然の摂理に他ならないのです。
 強い動物が弱い動物を倒して食うことは悪ではありません。
 そのようにして生きる権利を自然が与えているのです。
 人間同士が生存競争したり、そのことを弱肉強食などというのはまちがっています。
 他人を不幸に追いこんで平然としている人間は弱肉強食の摂理に生きているのではなく、罪をおかしているのです。
 人間はとかく同じ方向に進む仲間の足をひっぱりたがります。
 自動車に乗っているとき狭い道で、対向車がこちらの通過を待ってくれていると、どちらも手をあげて礼を交わしますが、このマナーのよいドライバーが、同じ方向に走ると、追い抜かせまいと実に意地わるくなったりします。
 果物やケーキを出された時、大きい方へ手を出したがるのも同じ心理です。
 子供ならいたし方もなくこれを教育してゆくのは大人の仕事の筈ですが、現在の大人が、その資格をもっていないのは困ったことです。
 自己中心に物事をみつめるのは、それ自体が病気です。
 いずれ身体に病気として変調が現われることになります。
 大自然の意志は、絶えず物事を良くしよう、浄化しようという方向に働いていて、それに逆らうと淘汰されるのです。
 人間は手を取りあって生きることが、大自然の意志に叶うことなのです。
 自己中心とは、かたさであり不健康。
 思いやりの心は、健康で抵抗力が強いのです。
 食物もそうですが、なにごとも節度を知って、むさぼらないことが健康な生活です。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その8   「田園の幸福」について

 ゆりのき、またの名を=はんてん木=という樹のことを前に書きましたが、アメリカではイエローポプラといって秋になるとそれは見事な黄葉に変わります。
 アメリカ大陸のイエローポプラは、私の友人が取材してきた写真が、二年程前にアサヒグラフに特集されたのをご覧になった方もいらっしゃると思いますが、それは、写真で見ただけでもうっとりするような、美しいながめです。
 ゆりのきは、花言葉が「田園の幸福」です。
 日本人は、昔から、春には桜の花見、秋には紅葉狩りと、自然が織りなす美しいながめを楽しんできましたが、秋の紅葉期は、樹木の一年の営みの実りの姿でもあります。
 街路樹でも紅葉する樹木が沢山あり、銀杏、ナンキンハゼ、楓、などなどあり、ゆりのきも、大阪の街路樹に、数年前から進出してきて、最近なにかと話題の多い三越の前の堺筋には、「田園の幸福」が、ずらりと並んでいて、頼もしい限りです。御堂筋の銀杏も、黄葉が美しかったのですが、十数年前から、都会の黄葉樹は、悲しいかな、黄葉をしないうちに枯葉に変わってしまいます。
 黄葉期には、葉は樹液の糖分などをたっぷり吸ってつややかに黄葉するのですが、近頃は力尽きて、人間で言えば中年を迎えた年代で枯死してしまうのです。
 わが家のゆりのきも、例外ではなく、うっとりする美しい紅葉期を素通りして、枯葉に変わってしまうのです。
 田園の幸福が、田園の悲哀になるような、胸の痛む現象です。
 何かが、自然に、良くない影響を与えていることは確かで、昭和一ケタ生まれの人たちの死亡率がとても高いと言われている現象とダブって、私には、異変の成りゆきが見えてきます。
 注意深く、大地と人間との関係を観察していますと、大地に起きている異変は、いつも人間の生活、健康状態に、そのまま現われていることに気がつきます。
 大地から緑が減少すると、人間は飢えにさらされ、今、その悲惨な姿が、アフリカなどで現実に起きているのですが、日本の都会の樹々が、紅葉期を素通りして、無残に枯れてゆく姿が、我々に、何を教えようとしているのか、本気で考えなくてはなりません。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その9   「身土不二(しんどふじ)」について

 お正月には、お屠蘇にお節料理で、冬の季節の根菜類である、ごぼう、れんこん、人参、里芋、くわい、大根などを料理します。
 重箱に重ねて、主婦も炊事から解放され、普段の洋服を、和服に着かえたりして、この料理で正月休みをゆっくりと過ごすのです。
 こうした季節の産物を、旬のものといいますが、四季折々に、私達に恵まれる食物は、気温などに左右され易い、からだのコントロールに役立っています。
 夏にとれる、トマトやきゅうり、西瓜などは、からだを冷やす役割を果たし、冬の産物は、からだを暖める作用をもっています。
 秋にとれる柿は、夏の間の不摂生で疲労をした腸を整え、排便を促してくれます。こういう、巧みにしくまれた、自然の恵みが果たしてくれる役割を、身土不二の原則というのです。
 暑い国の人は、果物や野菜が多く、寒い国の人は、肉類を多く摂る食生活を送っています。
 この原則を無視すると、人間は、健康をやぶられ、病気になります。
 日本人は、今、著しく、この身土不二の原則を無視して暮らしています。
 ビニールハウスで、夏の野菜であるトマトやきゅうりなど、また、輸入の夏の果物が年中食べられます。
 好きな時に好きなものを食べられていいではないかと思うのは、無知な人間の考え方で、そんな考えを持つのは、日本人とアメリカ人くらいのものでしょう。
 こざかしい人間の考え方などは、自然の大きな原則の前ではほとんどナンセンスで、日本が医療大国になって、病人が増えつづけているのは、身土不二の原則の支配によるものです。
 暑い時には暑がるのが良く、寒い時にはふるえるのが良いのです。
 夏も冬も、快適なエアコン付きの暮らしは、ますます、人間の生理を狂わせます。こうした、大きな自然のはからいを無視した上に、食品添加物や、農薬づけの食品を食べつづけているのですから、健康でいられたら、そのほうが不思議なのです。
 いま、十代未満の子供たちは、四十歳で50%の人が死亡すると、政府機関のコンピューターがはじきだしているそうですが、お節料理を食べながら、今年の食と暮らしについて、考えを新たにしてください。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その10  器械と梅干

 春になると、真っ先につぼみをふくらませて、風流の先駆けとして、私達の目を楽しませてくれるのが梅です。
 梅はまた良きもの、めでたいものの代表として、松、竹とともにトリオとなって親しまれています。
 果実はいうまでもなく梅干となり、梅酒としても大いに愛用されます。
 梅エキスは、薬として常用すると、実に力強い味方になってくれるものです。
 毎日、梅干を必ず一個食べるということを実行しましょう。
 こんな簡単なことが、容易に続けられないようでは落第です。
 毎日一個の梅干や、小豆粒ほどのエキスが、風邪をひかない躰を作りあげ、便も気持ちよく送りだしてくれて、さわやかな一日を約束してくれます。
 医療大国といわれる日本は、大きな病院が建ち並び、何千万円もする高価な器械が所狭しと威を誇っていますが、あれらの器械は、薬づけにする為に病名を教えてはくれますが、何一つ健康に寄与していないのは確かで、毎日一粒の梅干のほうが、はるかに大きな価値をもっています。
 梅干は、そのことを考えただけで唾液が湧いてきますが、病院は、どんなに高価な器械を設置してあるからといって、心惹かれもしないし、覗く気もしないのは私だけでしょうか。
 とかく栄養価の高いものを、とばかり考えるクセのついた日本人は、梅干のような素朴健康食品を軽視しがちですが、どんな病気になったとしても、やはり、器械より梅干のほうが、はるかに優っていて頼りになることは確かです。
 梅干を大一個、醤油を小さじ一杯の割で用意し、梅干はすりつぶし、醤油を加え、これにショウガの絞り汁を少々加えたものを作っておき、熱い番茶をそそぎ入れて熱いうちに飲みます。
 風邪の初期、疲労回復に抜群です。
 醤油は良質の天然のものを使いましょう。
 普段の一寸した知恵の実行で、医者も器械も梅梅(バイバイ)ですね。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その11  副作用について

 何気なしに、一寸疲れるとか、風邪をひいたとかで病院へ行ったら、何だかむずかしい病名を付けられてしこたま薬をくれることがあります。
 日本人は薬好きと言われていますが、服用するのが好きなのではなくて、薬を製造して売るのが好きというのが本当のところです。
 このごろは薬の副作用について多くの人が知っており、病院でもらった薬をきちんと、全部飲んでいるのは、よほど無神経な人だといってもいいくらいです。病院を一種の社交場みたいに利用していて、家ですることのない老人たちが、いろいろ医師に分かりにくいことを訴えては困らし、医師も困った顔をして付き合い、たくさんの薬を手わたす結果になります。
 しかしこの薬は保健制度に売りつけたのであって老人個人にではありません。
 自分で身銭を切らない薬は、どうしても飲もうという気にならないのは人情というものです。老人たちは互いに医者がよいを楽しんでいて、顔なじみの老人が病院に来なくなると、あの人は病気になったのかしら、このごろ来ないわね、などと話し合ってるという笑話があります。薬は病院にとって不可欠かもしれませんが、患者にとってはかならずしも不可欠のものではなく、ときには有害なものといえるでしょう。
 人間の身体には、自然に病気を治してしまうすばらしい働きがあって、これを自然治癒力といいます。
 薬はこの治癒力の手助けができればいいわけですが逆に治癒力の妨げになっている面がより大きいのが実情です。そんなに薬を飲みつづけながら、まだ生命を維持している、というような病人をみると、人間の生命力の強さに逆におどろくほどです。人体は、たくみに造られた大自然そのもので、いつもその働きは浄化に向かっています。
 よほどのことがない限り自然のしくみは、人間の生命を守る方向に働いていて私達はその自然の大きな恵み、はからいを信じて生活を送りたいものです。
 何でもないのに医者にかかって薬に付き合ったばかりに、とり返しのつかないようなことになっては、たまったものではありません。賢明な医師にめぐりあえる前に、まず自分が賢明になりましょう。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その12  木の芽時から 東光寺掲載済み

 桜の花が咲く季節になると、猫はねずみをとるのを忘れ、春眠暁を覚えずという、けだるい心地よい日々がやってきます。
 健康でぴちぴちしている若人にとっては行楽に心はずむ季節でしょうが、この季節になると、おびえる毎日を送らねばならない不幸な人も大勢います。
 木の芽時といって、植物も成長が盛んになり、若葉がいっせいに芽を吹くのですが、地上の生きとし生けるもの全てに活力が内から湧きあがってくるのです。
 病気もまた、この季節に勢いをつけてくるから、まことにふしぎです。
 若人が気にするにきびや吹き出ものも激しくなります。喘息もちの人にとっても、つらい息苦しさが増してきて、転々と寝られない夜を送ることになりがちです。全国の病院のベット数の三分の一を占めているといわれる精神障害の人々も、この季節はひとしお不安定な毎日になるのです。
 季節の転移が、生命に与える影響はふしぎという他ありません。活力を覚える季節には、身体をよく動かすことが必要です。寒さから解放されたら、筋肉は動きだそうとして、自ら解放を求めているのです。冬のちぢこまった生活ぶりを変えずにいると、病気が勢いを強くするのです。
 慢性病といわれるものは現代の医学の方法で治らないものを指していますが、治らないことが前提となっている医学で治そうと考えるのは、矛盾もいいところです。治らない病気などというのは、本来存在しないのです。治し方を知らないということを治らないと言っているにすぎないのです。
 木の芽時には、木の芽時にふさわしいくらし方があります。現代人はあまりにも怠けものになりすぎたのです。すこし、私と一緒にふしぎな体操を朝夕やってみましょう。
 両足をすこし広げて立ちます。ゆっくり息を整えます。両手を真上にあげます。右手は親指を握り、左手は掌を広げたまま、ゆっくり息を吸いながら踵をあげてゆきます。息を吐きながらゆっくり踵を下ろします。慣れるにしたがって息をより長く、動作をよりゆっくりします。毎日続けていると活力が増してくるからふしぎです。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その13  時間(カーラ)について *東光寺掲載済み*

 この連載も早や一めぐりして新年度の二年目に入りました。あなたは健康百話で読んだものを何か一つぐらい続けていられて成果をそれなりにあげていられることと思います。健康法によって成果をあげるコツは続けて根気よくやるということにつきるのです。
 病気がちの人のひとつの特徴は、いろいろな健康法や健康食品といわれるものに飢えていて、新しいニュースにすぐとびつくことです。ほんの二、三回やってみてこれは駄目だ、効かないという結論に到達するのも、きわめて早いのがこうした人たちの第二の特徴です。健康法というのは、それ自体にふしぎな力があるのではなく、それを根気よく続けることによって、自らの身体のもっている生命力が強く働くようになるのですから、短期間に病気がパッと治るような健康法などはないといっていいのです。
 あなたは夜具にはクッションにふとんを重ねて、ふわふわした寝床で寝転んでいるのではありませんか。
 ふわっとしたふとんなどは身体が休まらず、背骨が曲った状態ですから、疲れもとれません。私は1cm厚のベニヤ板に毛布一枚をしいて寝ています。こんな寝床に寝るだけで、病気が治ってしまう人も大勢います。痛くてつらいと思ったりするのは、ほんの二、三日でそれを過ぎると、こんなに気持ちの良い寝床は他にないと思うようになります。これは西式健康法の一つですが、下に敷くふとんはせんべいぶとんが良いので、朝になって疲労がとれない人は、ぜひやってみて下さい。病気の人の特徴には、疑いぶかいこともあります。“本当かなあ”となんでも疑ったり、否定したりして信じないのです。病気が治ったり、健康が増進するためには時間が必要です。時間というものを重視する考え方はアーユルヴェーダなどにあって、カーラといいます。何カーラでこの病気は治るというふうに考えます。アーユルヴェーダはインドの医学のことです。
 足のおやゆびをぐるぐるまわして頭をスカットさせましょう。小ゆびをよくまわすと後頭部によく効きます。頭がすっきりしたらもう一度、生活をふりかえってみて下さいね。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その14  祈りについて

 ジャンク・フードという言葉をご存じでしょうか。
 がらくた食品という意味ですが、日本の店頭で売られている食品は、半分以上ジャンク・フードです。
 インスタント食品、缶ジュース、コーラの類などはジャンク・フードのチャンピオンです。
 しかし、多くの日本人が一日の食生活の大部分をジャンク・フードですませてしまっています。
 日本中どこへ行っても自動販売器の見られない街はなく、暗い街灯の下や、販売器のわずかな明りの下に井戸端会議のように集まって、なにか話しこんでいる若者をよくみかけます。
 販売器というのは、私は本能的に嫌いでほとんど使用したことがありません。
 不健康のシンボルだと考えています。
 どこへでもポイと捨てられる空缶は街をゴミの山にして、どこの都市も頭を痛めています。
 あなたの家庭では、食前に合掌して「頂きます」という習慣がありますか。
 ジャンク・フードでなく、まごころのこもった手料理を出されると、感謝の心をこめて「頂きます」と抵抗なしにいえますが、ジャンク・フードを出されると、「イタダキマス」と片仮名になりそうですね。
 もちろんジャンク・フードでも「頂きます」と手を合わせる気持を持ちたいものですが、そんな気持を持てない人間をジャンク・フードが作りあげていることはたしかです。
 私は、食前に「オーム、シャンテ、シャンテ、シャンテ、ヒー」とお祈りをしてから頂きます。
 これは、世界の平和をお祈りする印度のことばですが、お祈りをしていると、自分が生かされて存在していることに気付くようになるものです。
 拝むのではなく祈りの心をもちたいのです。
 背筋をしゃんと伸ばして正座します。合掌してかるく目を閉じて、合掌した両手の肘は心臓よりも上にあげて、このお祈りのことばを心のなかで五十回以上となえてみましょう。
 合掌するのはすぐれた健康法なのです。
 手に入れた食べ物を当然の権利のように思って食べるのは病気の原因につながります。
 食前のお祈りをして健康な毎日を送るためのこころをやしないましょう。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その15  日本食について  tkd掲載済み2000/1

 アメリカでは、いま日本食ブームだといわれています。ジャンク・フード(がらくた食品)の元祖の国で日本食が流行しているのは、加工食品を中心にしたインスタントな有害食品が長く続いて、その結果がマイナスの形で現われてきたことに気づきつつあるからです。
 アメリカでは、いまごろ肥満しているのは無知な人だということになっていて、すこし意識の高い人々は、日本食、つまり玄米菜食などをして、スリムであることをほこりにしています。
 ところで、アメリカの人々が日本食と言う時には、現在の日本人の主たる食事のことではなく、少なくとも半世紀前の日本人の食事をさしていて、それが身土不二の原則にのっとった菜食中心の食事などです。
 肉食中心、砂糖をふんだんに使った食品、自動販売器で手軽に求められるようなジャンク・フードは、すなわちアメリカ食といってよく、現代の日本人の食生活は何十年か遅れてアメリカを追いかけているのです。
 癌で死亡した人が十七万人を超えたという日本人の生活の底辺には、目新しい食品に何の抵抗もなく平気でとびつく日本人の伝統や食習慣軽視の考え方があります。
 玄米ごはん、お豆腐、味噌汁、漬物、梅干など一汁一菜といわれるような粗末な食事に、いまアメリカの多くの人々が、ほんとうの生命の拠りどころを見い出しているのです。
 追いつめられてしまうまで、何が大切か気づかないし、気づいた時にはすでに手遅れになっているのでは癌の死亡率が高くなるのは当然ですね。
 日本食というのは安全第一の食品でどこにも無理がないのです。
 病院のロビーや公立の学校にまで自動販売器で缶コーラや缶ジュースが売られているような日本ですから、そのうちにほんとうの日本食を学びにアメリカへ行かねばならない時代がくるかも知れません。
 ジャンク・フードや化学調味料をふんだんに使って舌をマヒさせ、うまいうまいと舌つづみをうつようないまの日本人食を追放して、ほんものの日本食、伝統食で健康なくらしを確立したいものです。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その16  天  鼓   tkd掲載済み

 淀める水には毒ありと思え、という古くからの言い伝えがあります。
 私達の生命のもとである淀川という名は、京都の伏見区に賀茂川、桂川、宇治川、木津川の合流点に淀町があり、中世には京都の外港として栄えた町の名から淀川と呼ぶのでしょうが、いまも淀川の流れはゆっくりとしている、淀める水の川という気がしないでもありません。
 人間のこころとからだも、流れているものであって、淀むとたちまち駄目な人間になります。
 こころが淀まないためには絶えず本を読み、思索にふけることが大切です。
 黄山谷という人のことばに「士大夫三日書を読まざれば、理義胸中に交わらず、面貌憎むべく、そのことばには味がない」というのがありますがこころにも食物が絶えず必要なのです。
 からだの食物は勿論のことですが、食べてからだのなかに淀ませず、必要なものを吸収して、さっさと排出する流れがなくては病気になるのです。
 人間のからだは清流に保っておくべきで、淀める下水道にしてはなりません。
 心身医学ということばがいま流行していますが、いまごろになってやっと病気の原因にはバイ菌などの他にこころにも原因があるらしいなどと本気で考え始めるとは、現代医学も幼稚なものです。
 こころとからだの関係について深いことが、はやく解るといいですね。
 からだとこころをコントロールするひとつの健康法を今月はやってみましょう。
 これは、精神的な病気、頭痛、イライラなどによく効果をあらわします。
 効果があらわれると全身がすっきりしますから、全身をコントロールするすぐれた健康法です。
 まず、両手の人差指を中指の上にのせます。
 そして、両方の掌で耳をかたく押えて重ねた指で、頭のうしろを叩くように、はじいてやります。
 頭のなかで、大きな太鼓の音が始まりましたか。
 この太鼓の音を「天鼓」というのですが、二十四回叩いて聞いてみましょう。
 あなたの頭のなかから、天鼓のリズムがすばらしい流れを巻き起こして心身を清浄にしてくれるのです。
 毎日必ず一度は実行して下さい。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その17  大きな目 tkjd掲載済み

 最近また食品添加物のことがマスコミにとりあげられています。
 食添と略されていますが、日本は世界で最も多種類にわたる食添が認可されています。
 総数三三四品目もありますが、八月末に新たに十一品目を増やす方針が出され、多くの消費者団体などが、これに反対を表明しています。
 食添の目的は保存、着色、着香、甘味料、酸化防止、増量、製造時間の短縮など、さまざまな目的で使用され、わが国の食品の60%以上が食添を使った加工食品という現状なのです。
 これらの食添のなかには発ガン性の危険を指摘されているものもあり、毒性の強いものが多いのです。
 八月八日には、わが楽健寺のパン工房にも東京から松島トモ子さんがスタッフと取材にやってきました。
 楽健寺では、天然酵母パンという食添もパンイーストも使わない安全でおいしいパンを作っているのと、パンには実に一三二品目もの食添が許可されているのでその事情を取材にこられたのです。パンや菓子用の添加物一三二品目を一覧表にして並べてみると、息がつまるほど薬品の名前が並びます。
 松島トモ子さんの大きな目がさらに大きくなって、この一覧表をながめていました。
 びっくり仰天ですね。
 アフタヌーンショーで放映されたのでごらんいただいた方も読者のなかにいらっしゃることでしょう。
 食品というのは、もちろん食添なしで作れるものが多いのですが、ほんものは日持ちがわるく、どうしてもコストが高くつくし、流通のシステムからも、まったく食添なしの食品ばかりでは食生活を維持できなくなってしまうでしょうから、私たちは生命を維持するために、ひとり一年間に四キロもの、生命をちぢめるような食品に含まれた食添をせっせと食べているのですね。なんと悲しい胃袋たちでしょう。
 この十一品目もが一度にまとめて認可されて、さて一年経つと、ガンの死亡率がどの程度増えるのか、因果関係は明確でなくても、食添の増加率とくらべて注目して数字の推移を見守ってみようと思っています。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その18  種 ま き tkjd掲載済み

 八月の末まで十日間ほどネパールへ健康法普及のボランティアに行ってきました。
 今回は、首都のカトマンズからタクシーをやとってポカラという街を経て、おしゃかさまのお生まれになったインド平原の北のどんづまりにあるルンビニへ参拝してきました。二日間、約七〇〇キロの旅でした。
 ヒマラヤ山系を背にインド平原に近づくと、タライ地帯という広大なジャングルのなかを横切りますが、タライのジャングルでは樹木の立ち枯れがひどく目につきました。
 虎や象のたくさんいる亜熱帯のとても暑いところですが、ジャングルの樹を間伐して、用材や燃料にするため、風通しが良くなって、保水ができなくなり、残った樹木も立ち枯れて行くのです。
 カトマンズでは、八日間お寺に泊って楽健法の指導と病気の人たちに食箋を作ってあげたりしました。
 食箋というのは、その病気が快方にむかうための食事の献立を考えてあげることです。
 ネパールのごく普通の人たち約五〇人に接しましたが健康状態がきわめてわるいのにおどろきました。
 日本人なみのまず普通の健康状態のひとは二人しかいませんでした。
 ネパールの人たちは、開国三十余年にして、文明開化の波をもろにかぶり、ジャンク・フードの流入などに加え、健康についての問題意識もまだまだで、これはたいへんなことだ、という実感をもちました。
 毎日五時間楽健法と講話を約二十名の人に特訓しマスターしてもらいました。
 健康についての関心は高く、とても熱心で、今までこうした面での指導者がいなかったことに彼等が気がつき、今後、勉強を重ねて健康法を広めてゆくということを約束してもらいました。
 人間があのタライのジャングルのようになってはたまりませんね。
 健康法については、まず関心を持ち、自分や家族の生活の在り方を再検討して、何かに気がつくことが大切です。
 でなければ、どんな健康法も猫に小判というところです。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その19(12)  目 玉 体 操  東光寺だより掲載済み

 暑い暑いと騒いだ今年の夏も秋の扇となって、もうストーブを欲しがる季節です。
 都会は冷暖房完備のビルやら車のくらしで、自然の寒暖を、もろに肌に感じることがまことに少ないのは、昔にくらべて、ありがたいことだと思っている人も少なくありません。
 健康に関していえば、人工のエアコンの快適さは、マイナス要因だとしか思えません。
 講演を頼まれて、冷房の効いた部屋で三時間ちかく話していますと、今年は右足裏に痛みが走って困りました。むし暑くても、外へでるとほっと生きかえった気持になります。
 暖房はそんな苦痛を与えられることはないのですが冷房から暖房までの期間が、次第に短かくなっていて都会では、夏と冬の二季しかないようにさえ思える昨今です。
 過保護もいいところですね。
 人間のからだが、自然の寒暖に慣らされるのではなく、いまでは人工の寒暖に慣らさなくてはいけないのは不自然です。
 自然のもつバイオリズムを無視していてはからだに故障がおきるのは自然のなりゆきというものですね。
 しかし、ビルからのがれて生活できないのが現代人の宿命でもありましょう。
 そのワクのなかで健康を維持する涙ぐましい努力をしなくてはなりません。
 日本人は近視が多く、メガネとカメラは日本人のシンボルのように外国人がみているそうですが、視力もからだの好不調と深い関係があります。
 目が疲れると不定愁訴があらわれます。
 緑内障、白内障、近視、老眼などを治す目の運動をやってみましょう。
 いっぱい上を見て、素早く下をみます。これを21回、できるだけ右を見て、素早く左へ。これも21回、左まわりに大きく、ぐるぐると21回。次は下から上へ21回、左か右へ21回、右まわりに21回、目玉の運動をします。
 これを一日に三回以上必ずやりましょう。
 私は、ここ一ヵ月余の実験で、右眼の乱視がよくなり、老眼がかなり回復して助かっています。
 泣きごとを並べる前に努力することですね。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その20  宿 便 幻 想

 このところ、宿便という言葉が新聞広告にまで、でかでかと大文字で目につくようになりました。
 人間の腸のなかに生まれる前からの胎便などが排出されないまま、こびりついて、これがさまざまな病気をひきおこす原因となっている。だから宿便さえ出すと病気が治るというので、宿便を出すために、インドの○○草を食べようというような宣伝だとか、断食によって宿便を出そうというわけです。たしかに断食をしていますと、まっ黒な臭いのきつい大便が大量にでてきて、それをきっかけかのように病気が回復することが多いのです。そして、この便をみて、腸のなかに長い間とどまっていた宿便であると考えるのも無理からぬことです。この宿便といわれている便は断食やら、極度の小食を実行している時に腸のなかで形成される大便のことで、普段の食生活とまったく違った食生活を送ると、当然大便の色とか形にも変化が起きるわけです。何十年にもわたって古い大便が排出されずに腸壁にこびりついていると考えるのは間違いなく幻想にしかすぎません。胃腸科の専門病院で腸の手術をしても、死体を解剖しても、腸の中はきれいな粘膜にすぎないのです。
 断食などをして、臭い便が大量にでると病気が快癒するため、これを宿便だと称して宿便をだすということに汲々としている人たちが大勢いますが、断食療法にとって、宿便がでたかどうかなどということはナンセンスで断食そのものが、老廃物を追いだす手段として有効なのだという考えに立たねばなりません。
 宿便というものがあるという幻想をもとに、これを出そうとして必要以上の無理をすることは厳にいましめられるべきです。
 からだに栄養をとり入れるわりには老廃物を出すことに無関心な現代人にとって、宿便幻想はそれなりの効用をはたしているともいえますが、生きものは小さなトゲ一本ささっても、これをたくみに追放するからだのしくみがいつも働いているのです。
 こうしたしくみをホメオスタシス(恒常性保持)といいますが、世に広まった宿便幻想に科学のメスがいま必要な時かもしれません。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その21  移ろいやすいもの

 頌春! —今年も健康でありますように—
 「何ゆえ、私は移ろいやすいのです?おお、ジュピターよ」と美がたずねた。
 「移ろいやすいものだけを美しくしたのだ」と神は答えた。
                          (高橋健二訳)
 というゲーテの詩があります。
 人間は必ずしも詩のなかの美に価しないかも知れませんが、移ろいやすさを敏感に感じる心が美に他ならないのですね。
 万葉の昔から、この移ろいやすいものを非情なものとしてだけではなく、美しいものとして、日本人は詩歌に歌ってきました。
 小学生の頃、お正月になると桐の木の白い鼻緒の高下駄を競ってはいて、えらくなったような気分を抱きながら、凸凹の土の道路を歩いたものですが、いまでは想い出のなかの正月の一コマにしか過ぎません。
 子どもから青年時代にかけては、いつもなにかを待っていて、その時間はなかなかやって来ないものですが、ある年齢から一週間や一ヵ月、あるいは一年もあっという間に過ぎ去ります。
 移ろいやすいものを、からだで感じとる年齢というのがあるのですね。
 時間の経過を、健康のおとろえとして自覚するようになってくるのが移ろいやすいもの、老いの始まりです。
 この移ろいやすい時を、できるだけ長く保たせるのは、健康だと思われるかも知れませんが、健康な人間こそ、時は早く過ぎ去り、病気になると時はながく、時間をもて余すのです。
 お正月の時間をもて余して食べてばかりいませんでしたか。
 食べすぎの整腸に玄米スープを食べてみましょう。
 玄米をカップ一。
 少量のゴマ油でこんがりといためます。
 キツネ色になったら七倍の水を加え、よく火を通します。
 出来上るころ、塩をすこし効かせます。
 やわらかくなった玄米はウラごししてスープと一緒にしてかきまわし、召し上って下さい。
 おいしくて病気でおとろえている人も元気になりますよ。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その22  入 浴 圏

 今年は、寒波がことのほか厳しいようです。
 私は、八月につづいて、この正月も二十日間ほどネパールへ行っていました。
 ネパールでは、大きなホテルを除いては、風呂はありません。十二月から二月ぐらいまでネパールもインドも冬です。北インドに接した、おしゃかさまのお生まれになったルンビニというところは、夏はインドでも最も暑いところです。
 カトマンズは標高 一,三三〇mの高地ですから寒くてもルンビニのあたりは常夏ではないだろうかと考えていたのですが、行ってみると、八月には早々に逃げだしたルンビニも朝夕は寒くてふるえるほどでした。
 推理や想像ではものは言えないなと痛感しました。
 私がカトマンズで泊っていたのはお寺ですが、お風呂はなくてシャワーだけです。15lほどのお湯がでてしまうとおしまいです。
 我々、日本人には昼間はあたたかいとはいえ、とてもこのシャワーをあびる気分になどなれません。
 土地の人々はかじかむような寒気のなかで、水道や川の水で沐浴して平然としていますからおどろきです。
 それにくらべると日本人は軟弱もいいところです。
 ネパールへ訪れる多くの外国人のなかで、いつでも最初にくたばるのは日本人です、と現地の旅行社の人が笑いながら話してくれました。
 この旅行中、私は行水を一度しただけでした。
 バンコクのホテルで、たっぷりの湯につかった時はしみじみ日本人として生まれ育ってきたことを実感しました。ところで、世界には入浴圏、沐浴圏、シャワー圏、無浴圏などと、土地や民族によって分類が可能だな、と思いますが、そのうち調べましょう。
 寒い時はなんといっても風呂に限りますが、この風呂も水道の水をはったサラ湯はからだによくないのです。自然塩を一にぎり入れましょう。
 あるいは、庭にイチジクやビワの樹があれば、葉をキザンで木綿袋にたっぷり入れてやります。他にドクダミ、ハコベなどの野草ならなんでも、また、ミカン好きなら皮を、あるいはリンゴの皮でも残しておいて、風呂に用います。
 それらのミックスもまたよろしい、からだに良い薬湯、温泉に早変わりです。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その23  空腹感の大切さ

 科学文明がめざましく発展して、昭和一ケタ生まれや十年代生まれの人間にはとてもついていけないものが増えてきています。
 自覚としては、まだ二十代の感覚がこころもからだも支配しているのに、たとえばマイコンの操作などというものは、四十代の人間には高校生や大学生の人たちにとても太刀打ちできるものではないのです。
 コンピューターなどは、三十を過ぎるともうダメだ、などという声もあります。
 日本で自殺の最も多い世代は昭和一ケタだそうですが、この世代は時代の変かや進歩をながめて通りすぎるには近すぎ、わがものにするにはすでに遠いという狭間の世代なのだと思います。
 テレビは受容だけの一方通行ですが、マイコンははたして能動性(働きかけられる)のものでしょうか。
 私はテレビを見ることのない生活を送っていて、その分能動的に他のことをこなしています。
 手紙を書かずに電話ですましてしまったり、歩けばいいのに車や自転車なしでは駅へも風呂へも行けない日本人は変な人種にちがいありません。
 明治生まれの人間の良さは、自分の手足で何事もこなしながら生きてきた、地についた存在感をもっているからです。
 根っ子が大地、自然につながっているからです。
 テレビとマイコンでコンクリートの部屋のなかで育ついまの子どもたちがどんな世界観をもって育つのか予想もつきませんが、自分の頭でものを考えなくてもすむように育てられていることはたしかです。
 腹をへらすという経験をもった人がめったにいないのがいまの世の中ですが、自分を深くみつめるためには空腹になるのが最良の方法です。
 とかく、からだの不調、病気の原因は食べすぎにあります。
 疲れがとれないひとは、腹もへっていないのに次の食事を摂っているようなひとに多いのです。
 忙しくて食べないのではなく、健康法として朝食を抜いてみてはいかがでしょうか。
 朝食抜きには、いろいろ意見がありますが、やってみるとそのほうが、はるかに健康によいことは自明です。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その24  呼 吸 か ら

 人間というものは多くの矛盾をそのままにして平然としているふしぎな生き物です。
 科学者や哲学者は真理は一つだと昔からいいあらわしていて、多くの人がこれを信じていますが、本当にそうでしょうか。
 犯罪について裁かれる時その人が真犯人か否か、などということに関しては、真実、事実は一つしかありませんが、神学や哲学や科学の分野では、唯一の真理などというものは、むしろ少ないのではないかと思います。
 立場によって真理は異ってくるのです。
 真理であるかどうかは、そのひとにとって有効であるかどうか、ということとかかわっています。
 医療や健康法も、万人に有効というのはきわめてまれです。
 程度の問題もあり、やりすぎてはいけないし、足りなくては効果がない、ということもあります。
 食養生についても、玄米食をすすめてあげたら、かえって悪化したとうらまれることもあります。
 しかし、そこであきらめず、もう一押ししたら玄米食が有効であったかも知れませんが断定はできません。
 そいう意味では健康に関しては、先人の知恵から学び、自分で確立する他はないのです。
 しかし、日本人の現状はきわめて自覚に乏しく、病気になったら、医者に責任をもたせる形で解決をはかろうとしています。
 私の一家は放っておいたら治るというのを原則にしていて食生活は無造作に気をつけてくらしています。
 医療の技術よりも、はるかに、からだ自体のはたらきを信じているからです。
 疲れや不調を覚えると、楽健法をやったり、呼吸法で治しています。
 呼吸法だけでも身につけるとどれだけ予防医学に役立つか、はかり知れないものがあります。
 ゆっくり四つ数えて息を吸います。四つ数える間止めます。四つ数えながら吐きます。四つ数える間吸わずに止めます。
 このくり返しです。
 寝床に入ってからでもいいし、正座でもあぐらでもかまいません。背筋をしゃんとのばし背骨で息をしていると思いながらやるのが大事なコツです。
 どこでもいつでもやれますから始めてみて下さい。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その25  浄化のムドラー(印契)

 前回の呼吸法をやってみられましたか。
 呼吸法というのは上達するにつれて、間隔を長くしてゆくのです。
 呼吸のことはインドではプラーナといいますが、プラーナはまた生命そのものを意味します。
 ヨーガと呼吸法は一体のもので、さまざまなポーズ(アーサナ)をとりながら息を吐いたり、吸ったり、止めたりしているわけで、からだ全体での呼吸です。
 体操も同じだと思われるかも知れませんが、体操の場合の呼吸は単なる生体の反応としての呼吸がほとんどです。ヨーガは、意識しながら呼吸をするだけでなく、からだのすみずみまで、はっきり自覚しながらやるのが特徴です。
 犬や猫をみていて関心するのは、動作を起こすと、まず、大きく背骨を伸ばすというアーサナをやっています。頭の方から尾の方へ波のように背骨をしならせ、スキッとした顔をして歩いて行くのは人間も見習わねばならぬところです。
 吐く、止息、吸う、止息をゆっくり七つ数えてやれるまで努力をしてみましょう。呼吸法で大事なのは息を吐ききってしまうことです。出しきると新鮮な空気が否応なく、からだ一杯入ってきます。
 今年は、弘法大師の入定一一五〇年で映画までやっています。
 真言密教では、さまざまな拝み方をしますが、坊様が手に印相を結ぶのをごらんになった方も多いと思います。ムドラーといいますが、便秘の方には、ぜひ覚えてもらいたい楽健寺秘伝のムドラーを公開します。
 このムドラーは呼吸法をしたり瞑想をする時、またトイレに座ってからも即効力があって排便が難なくできるというふしぎな印契です。
 まず、合掌します。
 次に手の指先をつけたまま掌をはなし、指と指の間も均等にはなします。
 次に中指と薬指の二本を曲げて、なかに入れます。
 中指と薬指は背中あわせになりましたか。
 さて、中指と薬指の背中のくっついているのを大きくはなします。
 親指、人差指、小指は指先がくっついていますね。
 この三本指をぐっと力を入れて押しあってみましょう。中指と薬指は掌にさわるようもっと曲げます。
 背筋を伸して、これで便秘しらずになりますよ。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その26  超 能 力

 世はあげてテクノロジー(科学技術)全盛かのようにみえますが、科学文明が行き詰まってきたことを、科学者の立場から認めざるを得ない時代になってきました。日本の科学者には、まだ数少ないですが、アメリカやヨーロッパでは、宗教、ことに仏教などの東洋思想の中に目先のテクノロジーでは知ることもできない大きな広がり、可能性を見出している科学者がたくさんいます。
 ニューサイエンスといわれてます。
 仏教書ブームとか密教ブームなどといわれるのも、三人に一人は癌で死ぬような時代になって、医学は全く有効性を持っていないことに人々がいやでも気付き始めたからです。
 人間というのは現代医学の概念で考えられている人間よりも、はるかにすばらしい能力をもっています。
 人間は自分が思っている通りのものになることができるので、たとえ暮らしは低くとも、高い思いを持ち続けたいものです。
 善い意志を持って生きる人間には、いつも自分が幸運だという自覚がありますし、悪いサイクルに落ち込むことはありません。
 病気で苦しんでいる人は思いを転換する瞬間に良くなることが多く、私と話している間に顔色が良くなって元気になる人も少なくありません。
 本当かなァ、なんて思っているうちはだめで、こんな文を読んだら、確かにそうだなァ、と感心する感受性と直感力、想像力、やわらかい思考(こころ)力の持主になりたいものです。超能力というのは、人間のこころが身体に対して引き起こす、あたりまえの変化から始まるのです。
 あたりまえと書きましたが、現代人は癌は治らなくてあたりまえ、慢性病も治らないのがあたりまえと思い込んでいます。
 こういうネガティブ(否定的・消極的)なこころを前提にしていて病気が治るはずはありません。
 必ず治る、らくらく治るという可能性を前提として生活を送りたいものです。
 これは、あらゆる仕事にも通じます。
 人間はひとつのことに専門家になれるだけでなく、全てのことに専門家になれる、そういう超能力を誰もが持っているのです。
 まさか、などと思うようなあなたはネガティブなただの人ですよ。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その27  原 点

 “衣食足りて礼節を知る”とは古人の言い慣らわしてきた言葉ですが、現代人を観察すると、衣食どころか、ものが氾濫するにつれて、人間は節度を失っていることに気がつきます。
 ものが豊かになると、欲望が充たされて、満足し感謝するのではなく、もっと持っている人を羨望し、奪ってでも手に入れようと努力します。
 一人ひとりの人間がそうであるだけでなく、国家も、権力を握った支配者は、必ず他を支配したい欲望を抱いていて、これをかくそうとはしていません。
 人間というのは、基本的には同じ志向を秘めているようです。
 私たち、平和をほんとうに望んでいるかに見える善良な小市民も、やはり飽くことのない欲望を満足させるために、必要以上にわが身を苦しめています。
 私が始めて、背広をオーダーしたのは三十歳を過ぎてからです。
 二十代には姉のお古の背広の右前の服などを平気で着て暮らしていました。
 なけなしの金を工面して、母が私を喜ばせようと、たまに着るものを買って帰ると、怒ってつっ返したものです。
 生活苦から本当に脱するために、何が必要かを考えてもらいたかったからです。
 私は着るものなど、一つあれば十分なのだと、いまもって考えています。
 とんだ貧乏物語のようですが、貧乏はそこから脱することを私に教えたのではなく、常に自分の心の中で反省することを教えてくれたのでした。
 貧しさが何故、人間に反省することを教えるのか。
 貧しさは、人生をきちんと見ることを、自分の目で見ることを、いわば世の中の仮借のなさを思い知らされずに済まないから、教えられるのでしょう。
 もっとも大切なこと、原点について学ばざるを得ないのです。
 常々、健康とは自分をコントロールできることだと考えていますが、ものを持ちすぎた人間、さらに欲望をもやしていく人間には、人生をコントロールできないのです。
 あり余るものを持って癌に死んでも満足なのでしょうか。
 食べるものがなくて、飢餓のなかで死んでゆく人たちに比べて、本当にそれでも幸福だったといえるのでしょうか。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その28  手

 社会が発展するにつれて個人の生活空間が密室化してきて、人間関係が疎遠になり、親子や夫婦の間でも対話が乏しくなります。
 働けど働けど、なお、わが暮らし楽にならざり、じっと手を見る……とは石川啄木の溜息のような詩ですが、現代人は楽な暮らしのなかで、孤独のあまり、じっと手を見るということになるでしょうか。
 手は家族や仕事の仲間、世界の人々と結びあって生きていきたいものですが、核家族化の進んだ現代ではコンクリートの壁のなかで結ぶべきあたたかい手を心のどこかに求めて人々が生活しているように思われます。
 三木清もじっと手をみつめると孤独の感じは一層迫ってくる、というようなことを人生論のなかで書いていたと思いますが、淋しさにやり切れない時、せっぱつまった時には、人間は左右の手を自然に合わせたり、組み合わせたりするものです。
 自分の手のあたたかさを左右の手がおたがいに感じあう時、孤独なこころのなかに、自分のいのちの原点を素直に感じて、ふたたび意欲が湧いてきます。
 手は他人を害するためにではなく、幸福を与えるために働いているというのが本当の役割でしょう。
 手は健康かどうかのシンボルでもあります。
 掌の色や冷感度によって健康状態を知ることができます。
 親指で他人の掌をなぞると、内臓を病んでいる人などは病気の程度を知ることができます。
 病気になると握力が弱くなり、手の指や掌の丘に冷たいという自覚が生じます。逆に手をまんべんなく鍛えてやれば、内臓まで強くなってくるのです。
 両手の指を組み合わせて指の付け根をまさつするように、ゆっくりと前に手首をまわしてみましょう。
 こんどは逆まわしで、手前の方に手首をまわします。
 指の付け根があたたかくなってきます。
 指輪をはずしてやった方がいいでしょう。
 こうした簡単な机の前でできるちいさな運動を決しておろそかにはできません。肩こり、便秘、頭痛、冷え症など、多くの不定愁訴が解消してしまうのです。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その29  夏の終わりに

 一握りの玄米を、パンを焼いている私の工房の前の石ころだらけの土の上に、毎日まいています。
 玄米は発芽するか、という実験ではなくて、雀と遊ぶためにです。
 パンを切ったあとのパンくずも一緒にまいています。
 薄いパン皮の小片は蟻が持ち帰ります。
 ああ、ヨットのようだ!というだれかの詩がおもわず浮かんでくるほほえましいながめです。
 雀は五羽から七羽、ひよどりはつがいで、鳩は一羽でやってきます。
 雀はいつもどこかで私が玄米やパンくずを持ちだしてくるのを、交替で見張っているにちがいありません。
 しばらくするとまいおりてきます。
 私が軒下で立っているのを知らずにまいおりてきて、あわてて再上昇するのもいるし、私がいても二メートルくらいまで用心もせず、平然とやってくる悟りを開いた雀もいます。
 私は小鳥たちの姿をみながら、しがらみの中で、自由に動けなかった、そしていまもって開示されていない自分の人生を知らず知らずふり返っているのです。
 一年前に詩展をやったら二十五篇の私の詩を読んでくれたある娘さんは「先生はネクラですね」と感想をいいました。だれが言いだしたことばか、根暗のつもりでしょうが、言い当てられて妙という感じです。
 いま、昭和一ケタの自殺が多いとか。三十年前は十代の自殺がトップだったそうで、つまりは同じ連中が、いま決行しているのだなぁ、などと暗いことを思うのです。
 苦労して生きた人間の値打ちは、その苦労によって人生を正しく見る(開示)目をもち、他人に対する思いやりが、自分をいじめにかかる人間に対してさえ、持てることにあると私は考えています。
 みんなお互いに世界的なスケールのなかでさえも足を引っ張りあいすぎていますね。
“お達者でいてください”世の中でもっとも美しいことばだと空海が言ったそうですが、自分の身の不幸をなげいてばかりいるのではなく、この気持ちを他人に対して心から持っている人、そんな健康な人になりたいものですね。
                        楽健寺住職 山内宥厳



 健康百話  その30  足 を 練 る

 私が最も気に入っている健康法は楽健法です。
 昔、ある所で学んだ健康法なのですが、誰も広めようとする人がいないので、楽健寺の名前をのっけて楽健法と呼ぶようにして、普及に努めてきたわけです。
 ありがたいことに、友人の経営する出版社が立派な本にまでしてくれて、一気に全国に広まりました。
 その本のイラストレーションを描いてくださったのが、この健康百話のイラストを描いてくれている、ささめやゆき先生です。
 健康法とは、らくらくと健康をものにできる、という意味と、やって実に楽しく健やかであるということですが、人間同志がお互いに足でからだを踏みあうことから、単にからだだけでなく、心が通いあうのが、何よりも嬉しいのです。
 病は気からと昔からいわれますが、他人とこころが通じあわないとき、心にわだかまりや怨恨が生じて病気になることがほとんどないのです。医学でいう病因たるバイキンなどは心のおとろえた人間に対して猛威をふるうわけです。
 病人の生活の根元をたどってゆくとそこに必ずつき当たります。つまり、愛を求める心の現われが病気といってもいいのです。
 そういう意味で病気は逆に、人間にとって救いであるともいえます。
 楽健法では、足のつけ根と腕のつけ根をふたりでよく踏み合うのです。
 人間のからだは手足のつけ根の筋肉の疲労から、ここが固くなり、血液や体液の流れが不調になってくるのです。手足のつけ根を根気よく足でゆっくり踏み、練るようにほぐしてもらうことほど気持ちのよいものはありません。
 そして、踏んであげている人は、足をくり返し練るように運動させるため、足がほかほかとあたたまってきて、施すことにより自分が健康を得られるのです。
 青竹踏みでは、竹はお礼も言いませんが、人間同志ではお互いに感謝の心をもてるわけです。
 よく練れた人といいますが、足をみると人間としての器の大きさが分かるほどです。
 疲れたあなたの友人やつれあいの手足のつけ根をかるく踏んであげて、足を練り、人間を練りましょう。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その31  SF健康法

 世に健康法というのは数えきれないほど沢山あります。健康法というのは、無病長生の法にちがいありませんが、健康法の大家などというのが百歳をこえて生きている例はまず聞いたことがありません。
 昔は人生五十年といいましたが、この人生五十年という考え方は昔の中国人の人生観だと思われます。
 老後が非生産的な人生。
 青少年も学習中で非生産的な人生だとすると、人生は三十年ほどの期間を世につくすことができるということになります。
 平均寿命が八十歳余に伸びても、健康法の大家や医師がこれをこえられるかどうか怪しいものです。
 人生の質という面から考えると人生五十年、決して短かくない人もいれば、ただ長く生きているだけ、という人生も考えられます。
 昔から一生の食扶持は決まっているといわれますが、男性の寿命が女性より短いのは、女性より大食からで、ラットで実験しても、好きなだけ食べさせると、オスは二年、メスは四年の寿命。オスにメスと同じ食糧を与えると、四年生きるということです。
 健康と長生きには、自己をコントロールすることができるかどうか、ということがなによりの条件だといえます。
 そのためには、自己の健康度に対する自覚が必要ですが、現代人に最も欠けているのが、己を知るという、つまり、自覚です。
 自分を相対化できない人には、健康法はSFにしか過ぎません。
 しかし、こと健康に限ってだけ自己を相対化できるというのも困ったことで、相対化は人生全般に対して行われることが、健康な心身の獲得であるといえるでしょう。狭く、小さくまとまって生きるという生活にはまらないように、胸はってどんと人生にぶつかりたいものです。
 額に太陽を受けているつもりで暮らす人には、老後などというものはなく、生涯生産的な人生が送れるのです。
 かつがれたかなと思う時は、眉につばをつけたり、頬をつねったりしますが、眉の筋肉をつまんでぱっと放してみましょう。
 目のまわり、顔の筋肉をつまんで放すのは、視力の回復、しわの消去に役立つSF(SPECIALFACE)健康法です。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その32  明 暗

 最近の世相はことのほか暗いとか、近頃の若い者はといって嘆くのは年の故でしょうか。
 古代のギリシャの哲学者ですら、昔に比べると世の中が悪くなったと人心の荒廃を嘆いたりしています。
 昔にくらべるというのは自分が若かりし頃にくらべてという意味です。
 四十九歳まで生きた夏目漱石も世相の暗くなってきたことをどこかに記述していますが、わずかの生涯の時間の間に、世の中はそんなに暗く暗くと歩みつづけているのでしょうか。
 昔はほんとうに良かったのでしょうか、という疑問を持って反問するのは若人の権利かも知れません。
 そんな暗いと嘆く世相を営々と積み上げてきたのは、暗さと嘆く当の大人たちだからです。
 和歌山県のある町で、出納係の人が二十九億円もの金を使いこんだことが話題になっていますがピーナツどころの比ではありませんね。同じ和歌山で、天神崎保全市民協議会が自然を保護する運動を展開していて、全国の志ある人々から目標二億円の浄財を募ってがんばっています。昭和51年から58年までに集った金額が九千六百五十二万円余です。
 この浄財で乱開発される予定だった土地を買い上げて子孫に美しい自然を残そうというのです。
 和歌山県からの補助金二五〇〇万円、田辺市から五〇〇万円ということです。
 ごく最近送っていただいた資料をながめながら、人間の営みの種々相に考えこみます。
 この運動は明るいニュースでしょうか、暗いのでしょうか。
 このような自然保護や健康なくらしを守るための仕事は本来、誰の役目でしょうかね。
 もう年末です。今年は怪人二十一面相にふりまわされましたが、来年から現実を暗く感じる精神状況から抜け出して、未来に光を感じるようになりたいものですね。
 未来に手を触れてみて、からだをすっきりさせましょう。直立し、ゆっくり呼吸します。
 心が落ちついたら、掌を上に向けて高くあげます。
 手の甲をじっとみつめます。手に神経を集中します。
 右足からゆっくり、大きく足踏みを始めます。
 足踏みを十四回やって終わります。若返って、ぐちを言わなくなりますよ。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その33  牛

 今年のエトは牛ですが、子どものころ、ごはんを食べたあとすぐ横になると牛になる、と親から叱られたものです。
 角がはえるという地方もあるようですが、行儀をしつけるためにいわれたタブーです。
 広島では牛は坊主の生まれ変わりなどというそうで、坊さんというのは食っては寝ていたのでしょうか。
 牛が人間に生まれ変わるというのは枚方などにもあり、各地でいわれているようです。牛が坊主の生まれ変わりという諺は牛が肉食しないからだそうです。
 現代の日本の坊さんで牛のように年中精進している人は少ないでしょうね。
 インドでは、ことに牛が大切にされていますが、輪廻転生を信ずるインドの人々の思想と深い関係があるでしょう。
 インドでは牛の糞は乾かして燃料にしますし、牛から摂った牛乳を牛糞の燃料で沸かして料理する図などは、何か愉快に感じますね。
 生駒山上の暗峠の農家で牛小屋を見せてもらったことがありますが、そこの牛たちは子牛の時からつながれたままで、外に出したことがない、というのを聞かされてショックを受けたことがあります。
 考えてみると、ニワトリもケージ(かご)飼いされているのは、ふり向くこともできない狭い空間で一生を送るわけですから、二十世紀の文明社会での家畜たちは気の毒です。
 乳を出すマシン、卵を生むマシンとして扱われているわけです。
 私たちだってウサギ小屋に住んでいると外国人から評されるのですから五十歩百歩ですね。
 日本人の住居を見て、あまりの狭さにショックを受ける外国人もいることでしょう。
 私は昔、喘息を患った故か、狭い空間が嫌いです。
 こじんまりとまとまるということには何事によらず嫌悪を感じるのです。
 閉じこめられたり、つながれたりしている全ての生き物を解き放ちたい、そんな願望をつよく心のなかに秘めています。
 一九九九年には、この世の終末が来るとか、とかく世紀末的思想がはびこりがちですが、健康なからだを維持し、自分の存在がまわりの人々に光明を与えるような明るい心をもって、牛の歩みのようにゆうゆうと生きたいものですね。
                        楽健寺住職 山内宥厳



健康百話  その34〔最終回〕  青 い 鳥

 健康を志向するのは、幸福でありたいという、人間だれしもが持つ願望のあらわれですが、はたして幸福の青い鳥はあなたの掌にのっかってくれるでしょうか。
 宮沢賢治は、この世にひとりでも不幸な人間がいる限り自分は幸福とは言えないと考えていたそうです。
 私は、この正月にこんな詩を書きました。

  坩  堝

 高圧釜のなかの、玄米一粒のように、人間も 坩堝に身をゆだねているだけのことだが、
 淀んだ心に、ちいさな灯を点滅させるため くり返される正月。

 何かに耐えて生きてきた 人の世の流れ工合をふり返ってみる、エアポケット。

 だがあそこには正月はやって来ない。

 陽はじりじりと全てを焼き、満目砂漠と化した大地に、折れ釘のような人間の群れ。

 ランドサットの目も、あり余る物を持て余している国の、
 余りものの慈善も そこには届くことはない。

 雲も湧かず、陽はさんさんと根元から焼きつくしている。

 飢餓の民が、もう欲しがることもやめた手をのばす時、
 あの大きい空ろな目は見るだろう。
 巨大都市の窓ガラスを破って、吹きすさぶ風にのった彼等の砂が、
 ビルの空間を埋めていくさまを。

 アフリカの飢餓の民のニュースが、贅沢なくらしを楽しむ日本人の心を、どれほどゆさぶったか分りませんが、日本人のくらしは、きわめて不健康です。
 この豊かさの裏側で、何かが、日本人を「根元から焼きつくそう」としているように思われてなりません。
 この浮足だったくらしを足が地についた堅実なものへと転換しなければ、明日はわが身かも知れないのです。
 健康とは病気しないというていの次元のものではないことを肝に銘じたいものです。
 永らくご愛読ありがとうございました。
                                     合掌
                         楽健寺住職 山内宥厳

 
2019-06-09(Sun)

別府鉄輪温泉で2泊3日の楽健法と楽健寺の天然酵母パン講習会合宿

二人ヨーガ楽健法は、山内宥厳先生が考案した、二人組になってお互いを踏み合うことで全身の循環を良くしていく健康法です。様々な不調が楽健法を行うことで改善していきます。「一家に一人セラピストを!」を合言葉に、医者にかからず健康な暮らしを目指して本部奈良のみに留まらず、東京、島根、高野山、インドなど、各地で教室を開催しています。
今回は、創始者の山内宥厳先生をお呼びして、大分別府の鉄輪温泉宿での3日間集中講座です。

62158429_1286520458169483_2570695152523804672_o.jpg


概要:楽健法3日間集中講習会 2泊3日
日程:令和元年8月29日(木)~31日(土) 
  29日(木) 12:00~16:00 楽健法実習 (会場:かんなわゆの香) 
18:00~20:00 楽健寺天然酵母パンの講習 (会場:蒸士茶楼)
   30日(金) 10:00~11:30 楽健法講義  
         13:00~16:00 楽健法実習
   31日(土) 10:00~11:30 楽健法講義 
         13:00~16:00 楽健法実習
会場:楽健法「かんなわ ゆの香」(大分県別府市鉄輪御幸4組)
   天然酵母パン講習会「蒸士茶楼」(大分県別府市鉄輪風呂本5組)
対象: 一般の方 (初心者 中級者)
定員: 30名 
講習費: ◆大人一名33,000円(3日間参加、宿泊無) 
(3日間の講習費、29日夕食、30日昼食、31日昼食が含まれます)
     ◆日帰り参加 一日11,000円(食事付き)※3日間参加者優先
     ◆宿泊者は次の料金が別途必要となります。
      宿泊料 4500円×2泊=9,000円 
      (上記料金は先着15名まで。トイレ付き7250円の部屋別途有)
      ※部屋は素泊まり相部屋、トイレ共同となります。
      ※30日の夕食は、別途3,000円必要
      ※朝食は希望者 宿泊料が5,500円になります。(7250円の部屋は朝食付き7900円です。)
     ◆早期申込割引について
      宿泊者割引 先着10名 講習費5,000円引き 7月15日まで
      早期申込割・ペア申込割 先着10名 講習費3,000円引き 7月15日まで

  交通費は各自負担のこと。 一日だけ、二日間、などの
短期参加もできますので、お問い合わせください。ただし、3日間参加者優先。
     ◆パンの講習会のみ 7,000円 (希望者酵母持ち帰りできます。別途2,000円)
※予約後のキャンセルは、キャンセル料が発生します。(講習費、宿泊費共に)
 ・~10日前 500円 ・10日前~3日前 30%
  ・2日前 50%    ・前日、当日 100%

持ち物:動きやすい服装、フェイスタオル2枚、ヨガマット(お持ちの方)
    〈パンの講習会〉筆記用具 
お問合せ:大分楽健法研究会・クレージー伊勢屋 遠藤愛子  tel: 080-1798-4189
<注意事項とお知らせ>

*宿泊について
宿泊は、「かんなわ ゆの香」旧館和室 一泊素泊まり4,500円 (朝食は+1,000円)
http://www.kannawa-yunoka.com/
参加者は、お部屋に4人ずつの相部屋になります。トイレ共同。
 参加当日に受付であなたの部屋番号をお伝えします。
 鉄輪名物地獄蒸しの窯を宿泊者は利用できます。(宿泊日7:00~22:00)
 前泊をご希望の方はお問合せ下さい。 
 宿の夕食は別途6500円必要です。
 新館トイレ付 一泊素泊まり7,250円のお部屋へ変更することが可能です(早期宿泊割の方以外)
こちらも2名以上の相部屋となります。

*タイムテーブル 
29日 12:00~16:00楽健法講習会 
   16:00~18:00 宿泊者チェックイン 会場移動 蒸士茶楼にて夕食
   18:00~20:00 楽健寺天然酵母パンの講習会
30日 6:00~10:00 朝食自由行動 (徒歩で行ける鉄輪蒸し湯などお勧め!)
   10:00~11:30 宥厳先生講義
   11:30~13:00 昼食 お弁当を準備いたします。 
   13:00~16:00 楽健法講習会
   18:00~   蒸士茶楼にて夕食・交流会  別途3,000円必要
31日 6:00~10:00 朝食自由行動 (7:00~地獄蒸しも可能、徒歩圏内にいろんな温泉あります!)
   10:00~11:30 宥厳先生講義
   11:30~13:00 昼食 お弁当を準備いたします。 
   13:00~16:00 楽健法講習会  解散

※蒸士茶楼は、鉄輪の地獄蒸し(温泉の蒸気を利用した蒸し窯)を利用した本格低温スチーム専門の料理屋です。マクロビ、薬膳、精進料理など様々な料理に対応可能。20年ホテルの料理長を務めたシェフの本格料理をお楽しみいただけます。
※このスケジュールはおおよそのもので変更する場合があります
※宿の関係で、楽健法会場は16:30までの利用です。講習会後は、速やかにご退出ください。

*持ち物と服装
・全身を踏まれるので、動きやすい服装でお越しください。
・フェイスタオル2枚、
・ヨガマット(お持ちの方)
・パンの講習会では、ホームベーカリーを使って行います。お持ちの方は持参頂くと作り方などのアドバイスも出来ます。パン種を希望の方は、容器をお持ちください。
*食事
29日の夕食、30日、31日の昼食は、こちらで準備しております。不要な場合はお知らせください。
 30日の夕食は、先生方との交流会を兼ねた食事会を開催いたします。別途3,000円必要。
 宿泊者の朝食は、別途1,000円で利用できます。必要な方はお知らせください。要予約

*参加申し込み
参加申し込みは 郵便番号・住所・氏名・電話番号 を記載してメールでお送りください。
受付しました、と返事を確認しましたらメールに記載された参加費をお振り込みください。
✉peanuts.aiko.619@hotmail.co.jp


振込が確認されて、正式の受理受付完了となります。
領収書は原則として発行しませんので、振込領収書を保存してください。


会場へのアクセス
かんなわ ゆの香 大分県別府市鉄輪御幸4組
〈車でのアクセス〉大分自動車道 別府I.C利用 I.Cを出て右折、車で5分
         または、国道10号から湯布院方面に山側に上り、5分程度
〈電車・バスでのアクセス〉
1、 別府駅からバスで鉄輪行きに乗っていただき、20分程度 鉄輪バスターミナルで下車。徒歩1分(すぐ横です)
2、 福岡天神バスターミナル・福岡空港から別府行き高速バスに乗車して、鉄輪口バス停下車。徒歩5分。
〈大分空港から空港バス〉
1、 空港バス(鉄輪温泉行き)鉄輪温泉バス停下車。徒歩7分程度です。
2、 空港バス(エアライナー:大分行き)別府国際観光港下車。タクシーで8分。


かんなわゆの香 から 蒸士茶楼までは、徒歩で5分程度。
2019-05-21(Tue)

東光寺 7月の一人芝居 二本立て公演

東光寺 7月の一人芝居 二本立て公演

2019年7月13日土曜日 開場18:00 開演18:30

会場 東光寺本堂 〒633-0053 奈良県桜井市谷381−1 駐車できます。

参加費 2500円 電話かメールで予約してください。

電話:090-4301-0228 メール:yugenytokoji@gmail.com

第1部 インド舞踊 里見まこ と 
     東しのぶの一人芝居「鬼語り}
     音楽・効果 山内宥厳

第2部 山内宥厳の一人芝居「がらんどうは歌う」
     ピアノ演奏 西澤真由美
     照明 中野隆生


東しのぶ
1976年1月22日生まれ。
大学卒業と共に、奈良出身の松村武・八嶋智人らが旗揚げした劇団カムカムミニキーナに入団。母方の実家の姓である「市子嶋」を用い、「市子嶋しのぶ」と名乗る。
以降、舞台、声優、映像などの仕事を結婚による退団まで続ける。
2011年から2016年まで熊本に移住したことをきっかけに、また演劇のプロデュースや俳優業をゆっくりとしたペースで再開。現在は身体施術の自宅サロンを持ち、砂浴やヘナのイベントの開催の他、
東しのぶの本名で「鬼語り」中心に都内で公演を行う。
「鬼語りについて」
自身の身体施術と演劇の境界線が限りなく曖昧なこの演劇は、ひとり語りのモノローグであると共に、観る人それぞれが自分自身を見つめ自分の中の不要な執着を手放すためのセッションでもある。

里見まこ
【インド四大古典舞踊バラタナティヤムの紹介】
インド舞踊は4000年もの歴史を誇る世界最古の民族舞踊です。しかも単なる踊りではなく、かつては人と神との交流手段として発達しました。
インド舞踊は宗教と深いかかわりがあったため、踊り手は寺院に直属していました。
バラタナティヤムは南インドのタミル地方を中心に発展した舞踊です。古くはデーヴァダーシーと呼ばれるヒンドゥー教の巫女的立場の女性によって伝承され、一度は衰退しましたが、20世紀に入ってから舞台芸術として踊られる現在の様式になりました。
豊かな表現と、両膝をひし形に開いた中腰の姿勢から繰り出される、リズミカルで力強いフットワークが特徴です。ヒンドゥー教寺院に観られる彫像のような姿態や、左右対称の幾何学的な踊りは陰陽のバランスをとり、瞑想の形の一つとも言われています。動の中に静、静の中に動が存在するバラタナティヤムは日本の伝統芸能とも共通するものがあります。

【里見まこプロフィール】
1990年より国内でバラタナティヤムの基礎を8年間学び渡印。バラタナティヤム発祥の地である南インド、チェンナイにて故・ウマ・スンダラム女史、ニーラ・スーカニア・スリニヴァサン女史、ショーバナ・バルチャンドラ女史より理論と技術を学ぶ。毎年渡印を重ね2000年に行った舞台ソロデビューをかわきりにインド、日本各地でリサイタルを行い、バラタナティヤムを紹介している。その他、バラタナティヤムの舞踊劇やインド各地のフォークダンスなどにも意欲的に挑戦し発表している。また日本の神話「古事記」をバラタナティヤムで表現したオリジナル作品を日本各地とインドで発表した。この美しい舞踊劇は多くのインド人の心にも感動と衝撃を与えた。他に、ジャズや雅楽とバラタナティヤムとのコラボ公演では行好評を博した。
現在、「プラーナ」インド古典舞踊研究会主宰。「よみうりカルチャー浦和」「よみうり文化センター大森」講師。戸田市、蕨市、さいたま市の教室で、インド古典舞踊とヨーガの指導に努めている。

1.ナティアンジャリ (ラーガン;マーリカ ターラン;マーリカ)
Sri V. P. Dhananjayan によって1968年にコンポーズされたナティアンジャリは、旋律と拍子が次々に変化するマーリカという構成で作られた美しい曲です。ガネーシャ神、サラスヴァティ女神、ビシュヌ神、シヴァ神、ヒンドゥー教の教祖グルたちを讃えたシュローカも踊られます。

2.ナゲンドラ ハラヤ (ラーガン;ラーガマーリカ、ターラン;カンダチャープ)
この曲は、宇宙の五大要素「地・水・火・風・空」を表すシヴァ・パンチャーラクシャランという詩から引用されています。
シヴァ神の美しさと偉大さを称え「私たちは幸運・富・繁栄・幸福を授ける貴方に祈りひれ伏します。愛をこめてナ・マ・シ・ヴァ・ヤの5文字を唱えるとシヴァ神の心を見るでしょう。不純なもの、心配、疑念は破壊されます。」と歌われています。


がらんどうは歌う 参照ページ





2019-05-21(Tue)

Rakkenho Intensive Training Retreat in Koya-san 14th ~20th August 2019

<Rakkenho Intensive Training Retreat in Koya-san 14th ~20th August 2019>


Date: Wednesday 14th to Thursday 20th August, 2019, 6 nights

Place: Mount Koya, Muryokoin Temple (611 Koya-cho, Ito-gun, Wakayama-ken, 642-0211,Japan)

Website:https://www.muryokoin.org/int/

Qualifications: Beginners are given certification of Level 1
Intermediate levels are given certifications accordingly at the end of the retreat.

Participants: anybody who would like to master and practice Rakkenho

Fee: JPY 180,000 (*please contact us for the discount fee for the participants from abroad)

Programme: 12 Rakkenho sessions , workshop for making Rakken-ji natural yeast bread, lectures on health & well-being
and art performance etc.

Lead Teacher: Yugen Yamanouchi, with qualified Rakkenho teachers

Contact:
Tokoji : Yugen Yamanouchi 090-4301-0228  
contact mailto:yugenytokoji@gmail.com

Nara Rakkenho Asscociation : Rumi Takahashi-Thomas 090-6549-3577


Timetable (tbc)
August 14th(Wed)
12:00  Reception at Muryokoi, Koyasan(*Please finish your lunch in advance.)
13:15〜16:15  Master’s greeting and talk, short Rakkenho session
16:30〜17:00 Bath time(The first half group)
17:00  Dinner
18:00〜19:00 Bath time(the second half group) & rest
19:15〜21:30  Orientation+ short Rakkenho session
22:00 Bed time

August 15th(Thu)
05:30  Getting up
06:00〜7:30  Morning service(*Optional )
08:00 Breakfast
09:15  Visiting Okunoin for worship + town walk
12:00  Lunch
13:15〜16:15   Rakkenho session
16:30〜17:00 Bath time(The first half group)
17:00  Dinner
18:00〜19:00 Bath time(the second half group) & rest
19:15〜21:30  Touch treatment + Rakkenho session
22:00 Bed time

August 16th (Fri)〜19th (Mon)
05:30  Getting up
06:00〜7:30  Morning service(*Optional )
08:00  Breakfast
09:15〜11:45  Bread Making workshop(16th) or Rakkenho 
12:00  Lunch
13:15〜16:15   Rakkenho session or Master’s talk
16:30〜17:00 Bath time(The first half group)
17:00  Dinner
18:00〜19:00 Bath time(the second half group) & rest
19:15〜21:30  Rakkenho session or Performance
22:00 Bed time


August 20th(Tue)
05:30  Getting up
06:00〜7:30  Morning service(*Optional )
08:00    Breakfast
 (*Please wrap up your luggage in the morning to bring it down at the front door)
09:15 Closing ceremony
12:00 Lunch 
13:00 Breakup

Contact : Rumi Takahashi-Thomas  090-6549-3577
Yugen Yamanouchi 090-4301-0228
Muryokoin 0736-56-2104
2019-05-09(Thu)

インドでの講習会

リシケシのニケタンヨーガアシュラムでの楽健法講習会は日本から18名が参加、インドからは約50人が受講されて、日本はまだ肌寒い4月23日から一週間、真夏日のリシケシで開催し、無事終わりました。
2019-02-17(Sun)

広島楽健法研究会セラピスト養成講座受講生募集

広島楽健法研究会 代表 工藤和子先生

受講生5名募集しています。
少人数制で楽健法の基本をマスター
楽健法セラピスト養成コース(受講月3回一年コース)が始まります。
https://www.begin.or.jp/~ytokoji/rakkenho/hukuyama/fukuyama.html

お問い合わせ 
会  場  福山市向陽町一丁目26-1  第3向陽マンション401
申し込みは 電話 084-955-4859 携帯 090-9465-0057  福山教室 工藤まで 




2018-12-19(Wed)

楽健法リシケシ集中合宿 4月21日〜4月30日 参加者募集

<楽健法リシケシ集中合宿 RRR>
Rakkenho Retreat in Rishikesh Committee (略)RRR

1月15日締め切りで満席になっていましたが、一人余分に席が取れましたのですぐお申し込みくだされば参加出来ます。締め切り2月25日まで

48405425_376232949796680_4731967161667420160_n.jpg


昨年のバンガロールの集中合宿に続き、インドからの要望でリシケシのアシュラムで楽健法の集中合宿を開催することになりました。
インド国内ではすでに募集が始まっています。
予定の飛行機が混んでいるようで、人数は 10名限定 ですが日本からの参加者を募ります。

航空券予約とアシュラムの宿泊手配のため、2019年1月15日(必須)で申し込みは締め切ります。

日程:2019年4月21日(日)〜4月30日(火)
場所:ヨーガニケタン・アシュラム @ インド・リシケシ
住所:Yoga Niketan Ashram in Rishikesh
Yoga Niketan Trust, P.O SHIVANANDA NAGAR, MUNI-KI-TETI,RISHIKESH
(UTTARAKHAND) PIN 249192
website:http://www.yoganiketanashram.org/index.php

参加費用:往復航空旅券、デリーホテル一泊、国内便、アシュラムまでの交通費、楽健法講習受講料、アシュラム宿泊費、食費 全て込み 一括払い込み
伊丹空港発組 25万円 費用は若干変動する可能性があります。
成田空港発組 上記に準ず

参加ご希望の方は、住所氏名電話番号を記載して1月15日までにメールでお申し込みください。
返信にて手続きなど、詳細を返事いたします。

振込先 郵便振替 (01020-8-71142 東光寺) メールで参加確認後お振り込みください。

企 画:Rakkenho Retreat in Rishikesh Committee (略)RRR
責任者:Jyoti Mundra + Jyoti Sanwal 現地世話人です。
主 催:楽健法研究会 〒633-0053  奈良県桜井市谷381−1東光寺

問合せは
日本連絡先:090-4301-0228 山内 宥厳
事 務 局 : 090-6549-3577 髙橋トーマス流美
 
メールで問合せ 楽健法本部メール

日程表
インド航空
往路
4/21(日) 伊丹/成田 07:50/09:10 NH2176
成田/デリー11:30/16:50 AI307
4/22(月) デリー/デラドゥーン 17:20/18:30 AI9610
復路
4/29(月) デラドゥーン/デリー 19:00/20:20 AI9160
4/29(月) デリー/関空 23:15/12:40+1 AI314(4/30着) 

往路はデリー空港のそばのホテルに一泊し、デラドゥーンからアシュラムまでは、ミニバスの送迎があります。

<合宿タイムテーブル>変更の可能性があります。

4月22日(月)アシュラム泊 

4月23日(火) =====================================
オリエンテーション 06:00 – 08:00
夕食・就寝 08:00 –

4月24日(水)=====================================
ハタヨーガ (希望者のみ 無料)    06:30 – 08:00
朝食 08:15–09:15
楽健法実習① 09:30 – 12:30
昼食・午睡 12:30 – 02:00
楽健法実習② 02:15 – 05:30
お茶休憩            04:00 – 04:30
宥厳先生お話 06:00 – 08:00
夕食・就寝 08:00 –

4月25日(木) =====================================
ハタヨーガ (希望者のみ 無料) 06:30 – 08:00
朝食 08:15–09:15
楽健法実習③ 09:30 – 12:30
昼食・午睡 12:30 – 02:00
楽健法実習④ 02:15 – 05:30
ガンガーアラティ(ガンジス川への祈祷) 05:45 – 07:45
夕食・就寝 08:00 –

4月26日(金)=====================================
ハタヨーガ (希望者のみ 無料) 06:30 – 08:00
朝食 08:15–09:15
楽健法実習⑤ 09:30 – 12:30
昼食・午睡 12:30 – 02:00
楽健法実習⑥ 02:15 – 05:30
お茶休憩 04:00 – 04:30
楽健法実習⑦ 06:00 – 08:00
夕食・就寝 08:00 –

4月27日(土) =====================================
ハタヨーガ (希望者のみ 無料) 06:30 – 08:00
朝食 08:15–09:15
楽健法実習⑧ 09:30 – 12:30
昼食・午睡 12:30 – 02:00
楽健法実習⑨ 02:15 – 05:30
お茶休憩 04:00 – 04:30
楽健法実習⑩ 06:00 – 08:00
夕食・就寝 08:00 –

4月28日(日)=====================================
ハタヨーガ (希望者のみ 無料) 06:30 – 08:00
朝食 08:15–09:15
楽健法実習11 09:30 – 12:30
昼食・午睡 12:30 – 02:00
楽健法実習12 02:15 – 05:30
お茶休憩 04:00 – 04:30
宥厳先生質疑応答 06:00 – 08:00
夕食・就寝 08:00 –


4月29日(月)=====================================
ハタヨーガ (希望者のみ 無料) 06:30 – 08:00
朝食 08:15–09:15
楽健法ミニ実習 09:15 – 11:00
クロージングセレモニー 11:15– 01:15
昼食  01:15 - 02:30
リシケシを出発 03:00 -



2018-12-11(Tue)

他国坊主と国侍のこと

 以下はFaceBookでコメントに書いたものですが、ここに記録しておきます。

 他国坊主と国侍なんていい方がありますが、他所からやってくると国侍が口さがないのですね。三年間ぐらい観察期間で近付いて来ないのが田舎ですね。よく観察されていることにびっくりすることがあります。僕はすれ違う人には丁寧に挨拶することを心掛けていますが、東光寺を訪問してくる地元の人はまずいないですね。TVや新聞雑誌などで何度も取り上げられて来ましたが、当地の人とはあまり関わりが生まれません。30年経っても他国坊主のままみたいです。やってくるのは他国の人がほとんどです。日本人の特性かも知れないですね。

 寺に入るなら檀家がなくて自然環境に恵まれている都市に近い所などという贅沢な想像をしていたら、格好のお寺と御縁が出来て1991年に東光寺に入りました。楽健法と楽健寺の天然酵母パンを布教する寺として、檀家は作らないことにして、何度か希望する人もありましたが、お参りはさせてもらいますが、檀家としてお引き受け致しません、ということでやって来ました。今年は年末になって三つもTVの取材が入り、パンの注文の電話が殺到して来ましたが、増産で仕事をこなしたりしないで、先着順で送ることにしていますので二ヶ月待ちなんていうご迷惑をお掛けしています。ノウハウは公開していますので注文しないでご自分で作ってください、という布教の仕方です。

Rabbit-pose_3.jpg
2018-12-07(Fri)

わが死生観

我が死生感
                 山 内 宥 厳

 死ぬことについて、私は恐いとか死にたくないとかは思いもしないが、死に方については注文がひとつあって、これだけは自分の権利として確実にもっていたいのである。
 それは病院に入れられて点滴や人工呼吸などを施されながら死ぬことだけは絶対に拒否したいということである。
 つまりは入院は絶対にしないということを貫きたいわけだが、現代の日本では、そのような死に方の権利をだれも認めてはいないというのが、現実である。
 まんがいち旅の途上に見知らぬ町で不意に倒れたりしたら、いかなることになるだろうか。
 どのような健康観や人生観をもっていても、最後を意に染まぬ医療にゆだねざるをえないとしたら、人間の尊厳を守る自由などというものは日本には存在しないということになる。
 現代医学は進歩したいいもので、信頼するに足るものであると信じて疑わないひとが入院して納得ずくなら、いかなる医療を受けてもそれは結構だが、
長年健康法や自然食を実践しながら現代医学を批判したりしているひとが、
ある状況になると病院に入って典型的な現代医療を受けながら死んでいくのをみると、自然志向も健康法もみんな無きにひとしかったのではないかといわざるを得ないわけである。

 しかし、私はそのことを責めたりはできないししようとも思わない。
 日本の社会はそこからはずれて生きるには、まことに困難な社会に作り上げられてしまっているという不可避な事情があって、自宅で家族にみとられながら畳の上で大往生ということは、昔語りになってしまったのである。
 家族構成からして、もはや自宅で介護を受けられる条件をそなえているひとはまれである。
 家族はみんな多忙で、老人や病人は、病院にしか生きる場所は残されていないのが実状なのである。
 自宅で死にたいというようなことをいっても、それを可能にするような能力は家族にまずないというのが現実である。
 思想というのは現実に即してこそ生かせるのであって、病院忌避の思想などはたんなる願望にしかすぎないのである。

 私は震災の仮設住宅で孤独死した老人の報道などを目にするたびに、病院での終末医療をやめてくれと訴えても絶対止めてくれずに、ベッドから逃れようとして信じられないほどの力でなんども飛び跳ねていたあわれなわが従姉妹のことを思いだし、彼女は孤独死したひとたちをどんなにか羨ましがるだろうかと思わずにはいられない。

 孤独死したひとたちが医療を受けることが出來たら助かっていたかも知れないという考え方ももちろんできるが、あのような目に合わずに死ねた人は幸せではないかとすら思いたくなるような医療が現にやられているのである。

  ついせんだって私の尊敬していた中川米造先生が肝臓癌をわずらって亡くなられたが、報道によると、最後まで管理されたくはないと退院されて自宅で療養されていたということであった。
 なるほど中川先生らしく普段の医療にたいする思想を全うされたのだと、 なんだかほっとした気持ちにさせられたのである。
 尊厳死を主張する尊厳死協会なるものもできていて、最後のときにはゆるやかな医療を実践してもらうことを主張しているが、尊厳というのは初診時に医者のまえに座ったときからあるわけで、死の数日前になって初めて尊厳が生じてくるものではない。

 医者がまだまだのぞみがあるのでやったほうがいいといえば、素人の家族が絶対にやめろなんてことをいっても通らないのである。
 医者にしてもさっきまで一生懸命やっていた治療をはいそうですかなどといって中止などできるはずはないのである。
 尊厳死協会の考えは甘いというべきであろう。
 いま東光寺へきてからなじみになった近所の老婦人が半年まえに倒れて、
意識不明のまま点滴で生かされているが、3カ月経ったときから転院を強いられ、遠くの病院では見舞いにもゆけないし、83歳のご主人には連れて帰っても面倒をみられるはずはなし、点滴をするからこんなことになるんだと、
病院に交渉したら、入院した直後に点滴をことわってくれたらしなかったのにいわなかったではないか、いまさらここで止められません、そちらの責任だといわれたそうで、たらいまわしの遠い病院に現在入っている。

 他の病気の併発かなにかで死ぬのを待っている現状で、点滴をやめたら尊厳死ではなく、殺人になってしまうという悲惨な現状である。こういう事例はたくさんあることだろうが、死というのは自分で選択しようがない自然の成りゆきなのである。
 さて医療問題と死というのはきわめて肉体上の苦痛を介した問題であるが、
死については、もうひとつの側面、精神と霊魂とのことがきわめておおきな問題である。宗教は魂の救済を目的としておこなわれる。ひとが死にたいして恐怖心を抱くのは大昔からのことで、釈迦もキリストも生まれて教えを説いたが、死の恐怖を取り除くような説明はなかなかないのである。
 死にたくないという気持ちは、極楽や天国へいけますといってくれたぐらいでは、からだが納得しないのである。来生というものがあって、一時的に肉体の衣を脱いでまた転生する、などということを聞かされても、やっぱりいまがいいと思うのが肉体の持ち主というものである。
 仏教では四苦八苦という。人生は苦の上になりたっていて、生まれて存在すること事態が苦であると説くのである。人生が苦であるならこれが終わる死は楽しみであるとはいわなくて、完結時の死も苦だという。
 生老病死という仏教の教えはじつに暗いのである。

 四苦の生は生まれることの苦であるならば、あなたは生まれたときの苦を記憶しているだろうか。生みの苦しみという母親の苦ならわかるが本人には生まれてくる苦などというものはないのである。
 死が苦であるというのも、死を経験して帰ってきたことのない人間にはわからないことである。だから仏教でいう生老病死の四語のうち生死は人間の想像力のなかでのものであって、観念的概念であるといってもいいのである。

 生という一字のなかに生の煩雑さ、老、病、死、すべてが包含されているのである。苦ということばは痛みを伴うようなイメージがあって、死の苦といえば苦しみながら死んでいくように受けとるむきがおおいと思うが、仏教での苦ということばは現実の苦痛や苦悩よりはもっと形而上的な哲学的な苦の意味である。

 考えることをしない人間には仏教でいう苦など存在しない。
 私は死というものは人間の精神と肉体が最大の愉悦を経験できる瞬間であろうとずっと考えていて、それを妨げて肉体に雑念を呼び戻して妨害するのが終末医療に違いないと思うので、医者の死にたいするお節介は許せないのである。

 本来西洋医学は死を拒否することで成り立っていて、よき人生(生死)を助力するようにはできていないのである。

 臓器移植を志向する治療などにその考え方は端的にあらわれている。移植ではなく臓器の回復にちからをつくすことのみが治療の名に値する。
 移植は治療ではなく移植改造である。

 死の目に見えている苦の様相から安楽死などというが、安楽は苦につづいてすべてのひとにかならず訪れる。苦らしく見えるのは死への旅のイニシェーションなのである。
 死のまぎわに苦しそうに傍観者には見えていても、本人の魂には愉悦の旅が始まっていて、肉体の苦はそのまま魂の苦ではないのである。
 魂にはメスも注射もいらない。医者もあやしげな宗教家も不要である。
 死は懸命に生きた人生への報償として、導いてくれるものがかならずやってくるのである。
 医者も坊主もお節介はするなかれ。
 見守るだけでいいのである。

IMG_9192.jpeg


2018-11-04(Sun)

楽健法と楽健寺の天然酵母パンの話 

 楽健法と楽健寺の天然酵母パンの話 
                     山内宥厳
 
 楽健法を覚えると人は優しくなります。
 私たち一人ひとりは社会的存在ですが、生涯を通じて、個人の行動範囲は限られているものです。
 誰もが自分の狭い行動範囲のなかで、ほぼ決まった顔ぶれの人と交わりながら毎日を生きていると言えます。
 自宅から電車や車で学校や職場へ行き帰りして他人と接しています。
 ひとり住まいの人もいれば、数名の家族が共に暮らしている人もいますが、だれでも学校や職場で接する人の数はそんなに多くはないでしょう。どんな職業の人でも自分が個人的に接触して会話を交わしたり、まして楽健法を互いに出来る人の数はごく少数です。
 生涯を通じて、同僚や友だちと言えるような人間関係は生涯を通じてそれほど多くは持っていないのが普通です。
 しかし私が、楽健法を広めようと始めてから約半世紀の経験から言えば、講習会を通じて知り合った人たちは、それまでの人間関係の有り様や他者の見方が変わってくることに気づきます。
 楽健法は簡易な健康法であると同時に、誰もが優しさをもった人間であることなど、いろんなことに気づかせてくれるのです。

 楽健寺の天然酵母パンも自分で作っていればものの見方を変えてくれます。
 ひとはそれしか知らなければ、それが最高と思うほかないのであって、ケミカルイ−ストを使ってパンを作ることを、パン作りの当然の方法と思ってやっているひとは、いいパンを作るために、どんな粉を使うかとか、いろんな野菜を使ってみるとか、いろいろ工夫はされるようだが、パンのほんとうの旨味は、醗酵による熟成のみが醸しだすのだということを知らないのだから、せいぜい材料の持味の差ぐらいの味しか作りだせないのである。
 これは文化というものがひとたび定着して、生活様式のなかに溶け込んでしまうと、それ以外の方法などは、忘れ去られてしまうので、古き良きものではなくて、悪しき新しきものが生活を支配していても、そのことに何の疑念も抱かなくなるのです。
 パンを作るひとは多く、パンの作り方の本も沢山出版されているけれども、パンイ−ストそのものの質を問題にしたり、パンを醗酵食品と呼称しながら、実はインスタント醗酵であることのデメリットについて触れるひとはきわめて少ないのです。
 そのパンがうまいか否かは、どんな材料を使ったかなどということよりもどのような醗酵をさせて作られているか、ということを、観察することが必要なんです。
 インスタントイ−ストで作ったパンは、それがケミカルイ−ストであれ、市販の天然酵母のイ−ストであれ、品質は醗酵食品でなくて似たり寄ったりなのです。
 後者の方が安全度が高いということは間違いないでしょうが、即席パンであるということは変わりません。完熟した醗酵食品としてのパンをぜひ自分で作りましょう。
 楽健寺の天然酵母パンを作っていると人は優しくなります。
2018-10-27(Sat)

Rakken-hou Sutra・Das Sutra zur angenehmen Gesundheitspflege

Rakken-hou Sutra --- Das Sutra zur angenehmen Gesundheitspflege
山内宥厳 ( YAMANOUCHI Yuugen, Erzpriester von Toukou-Tempel in Iware-Berg )

Vorwort (Das steht eingentlich im japnischen Original als Nachwort [跋] im letzten Teil des Textes.) Dieses Rakken-hou Sutra wurde als ein neues Text geschrieben, um hilfreich die Rakken-hou zu lehren, und ist kein althergebrachtes indisches Sutra vom esoterischen Buddhismus.
Die Rakken-hou, d.h. die angenehme Gesundheitspflege, wie sie "Zweier Yoga" genannt ist, ist eine altruistische Methode von Yoga.
Der Geber, dessen Atem mit dem des Nehmers verbindend, drückt so langsam und so sanft mit einer Fußsohle die Gliedmaßendes Nehmers, dass der wenige Schmerzen fühlt. Der Geber und der Nehmer wechseln miteinander die Rolle. Die menschliche Wärme und körperliche Berührung der beiden können sich ihr Herz öffnen, was eine angenehme Unterhaltung der Familie ermöglicht, die manchmal fehlen würde. Durch die Applikation der Rakken-hou wird man sich von chronischen oder psychischen Krankheiten erholen, bevor man es bemerkt. Man könnte sogar das Wunder von der Übung des Opfers erleben, dass es sich selbst glücklich macht, die anderen glücklich zu
machen. Wenn wir anerkennen die Tatsache, dass wir nur dadurch leben können, uns miteinander zu unterstützen, dann finden wir die Freude der Dankbarkeit in unserem Herzen.
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ------------------------------------- - Nun, so habe ich gehört:
Einmal predigte Buddha im sogenannten Yuschibaka-sho die Rakken-hou. An einem milden Frühlingstag lehrte Buddha, mitten unter der Menge der Bodhisattwas sitzend und vor ihnen Kendappa liegen lassend, die Lehre und die Praktik der Rakken-hou. Zuerst stand Buddha auf, zeigte auf sein Fuß, und dann fragte sie:
"Kendappa und alle Bodhisattwas, wie findet ihr meine und deine Fußsohlen? Ist nur der Erdboden, den sie berühren? Wenn ihr meint, dass wir unsere Füße nur darum haben, um auf dem Erdboden zu gehen, dann kennt ihr nicht den Weg, den Dharma-Weg, wenn ihr ihm auch folgt. Der Weg verbinden nicht nur Plätze, sondern auch Herzen der Menschen und das Wesen aller Lebewesen. Wenn ihr dem Weg folgen wollt, braucht ihr den gesunden Leib und vor allem die starken Füße. Ohne starke Füße könnt ihr nicht weit gehen. Wenn ihr auch starke Füße und einen völlig gesunden Leib habt, fehlt es aber noch etwas, damit ihr durch die Wüste an einen fernen Ort
geht, um dort viele Menschen und Lebewesen zu retten. Darum braucht ihr auch ein retten
wollt. Damit könnt ihr erst richtig starke Füße haben.
Die Füße haben Licht. Wenn ihr sehnt, Rakken-hou zu lernen, und mit diesem Sehnen euere Warmherzigkeit, alle Lebewesen zu retten, verbindet, strahlen euere Füße und ändern die Finsternis zum Licht. Wer die Rakken-hou ausübt, soll Glänzender Rakken Bodhisattwa genannt werden. In welche Richtung ihr, nach Osten oder Westen, nach Norden oder Süden gehen mögt, viele Menschen kommen überall zu euren glänzenden Füßen. Da wären Reiche und viele Arme, Gesunde-Stärke und Kranke-Schwäche. Und wären auch fast Sterbende, die trotzdem den Glänzenden Rakken Bodhisattwa um Hilfe bitten. Bodhisattwas, wie könnt ihr diesen Leuten Licht bringen, wenn ihr sie seht?
Könnt ihr die Leute retten, die an einer körperlichen oder seelischen Krankheit leiden, nur unter ihnen sitzend und den Weg der Wahrheit predigende? Es ist zu schwer, sie nur mit den Worten der Wahrheit zu retten. Bodhisattwas, ihr musst mit eueren geistigen Augen meine Lehre erlernen, und rettet alle Lebewesen!"

So predigte Buddha. Dann rief er Kendappa und ließ ihn auf der Rakken-Mandara-Matte
liegen. Kendappa gehorchte seinem Meister und
lag auf der linken Seite, seinen Kopf nach Norden richtend, sein linkes Bein gerade machend und sein rechtes Bein biegend, und grüßte Buddha, seine Hände faltend. In diesem Moment verbreitete sich der himmlische Duft und die herrliche Musik klang gleichzeitig.
Buddha nickte lächelnd, stand an den Füßen von Kendappa und sagte:
"Nun werde ich euch die Rakken-hou lehren. Von alters her gibt es in unserem Land Yoga. Aber Yoga ist eine Selbsthilfe-Methode, die für die noch nicht erweckten Leute zu schwierig ist, um ihre Kranheit zu heilen. Als Heilkunde gibt es auch Handheilen, Diät, Fasten und Ayurveda. Obwohl sie alle wirkungsvoll sind, sind sie für normale Menschen doch zu anstrengend, um die Wurzel der Krankheit auszurotten. Viele kranke Menschen klagen, was für ein Karma, das sie so schwer quält, sie in ihrem vorigen Leben hätten. Jedoch stammen die meisten Krankheiten aus der Unkenntnis über das geistige Leben, aus dem Mangel an Reflexion über sich selbst und aus der Unwissenheit über die Diät. Die Rakken-hou ist eine der besten und leichtesten Methoden, den Leib zu reinigen, die Energie zu ordnen, die durch die geistigen Gifte hervorgerufenen Krankheiten zu heilen und die langjährig angehäufte Müdigkeit zu beseitigen."
Buddha sagte weiter:
"Bei dem Ausüben der Rakken-hou müsst ihr mit der linken Seite des Leibes anfangen und danach zur rechten Seite übergehen."
Buddha begann mit seiner ehrenwerten großen linken Fußsohle die Wurzel des Schenkels von Kendappa zu drücken. Dabei strahlten Buddhas Fußsohlen, und deren Licht gießte in die Augen der Bodhisattwas und öffnete ihre geistigen Augen. Sie merkten, dass Kendappas Schenkel plötzlich weich wurde. Kendappas Kreuzschmerzen, die aus seiner langjährigen Zazen-Übung stammten, wurden sofort geheilt. Er fühlte die heilige Kraft von Buddhas Füßen in sich einfließen und durch seinen ganzen Körper umfließen. Er konnte die Tränen der Freude nicht aushalten. Buddha sagte: "Ich nenne die Wurzel des Schenkels, die ich jetzt drücke, Teiyou(羝羊). Das ist die Leitung des Lebens, die das Körperzentrum mit dem Fußzentrum verbindet. Sobald diese Körperteile auf der beiden, linken und rechten Seite gelockert werden, beginnen der Blutstrom und die Körperflüssigkeit lebhaft zu fließen. Dadurch wird man aus der Illusion geweckt und bekommt Kraft, geistig zu streben."
Dann ließ Buddha, die Beine von Kendappa wie zuvor lassend, nur seinen Oberkörper auf dem Rücken liegen und drückte mit dem Fuß den noch inneren Teil vom linken Teiyou. Kendappa fühlte zuerst brennende Schmerzen, aber die änderten sich merkwürdigerweise zur angenehmen Empfindung, als ob die heilige Energie in seinen Körper wiederkehrte. Buddha sagte:
"Ich nenne diesen Teil 'Gudou (愚童,[gu-dou])'. Sobald er gelockert wird, werden die Leber und die Nieren kräftig, und bei den Frauen wird die Menstruation in Ordnung gebracht. Sie bekommen gesunde Kinder und merken den Sinn ihres eigenen Seins."
Dann ließ Buddha den ganzen Körper von Kendappa auf dem Rücken liegen und drückte mit dem Fuß Kendappas Schenkel von der Leistengegend bis zum Knie abwärts. Buddha sagte:
"Diesen Teil nenne ich 'Youdou(嬰童,[You-dou])'", und drückte Youdou, "Wie ein neugeborenes Kind, wenn diesen Teil drückend ist, werden der Magen und Darm belebt, wird die Sehkraft wieder gut, und dann wird das Gemüt aufrichtig." Sobald Buddha aufhörte, den Youdou zu drücken, merkte der schon alterssichtig gewordene Kendappa, dass er Buddhas glänzendes Antlitz klarer als je sehen konnte. Er

erkannte sehr dankbar das Wunder an, dass er den erwürdigen Meister kennenlernte und von ihm über die Rakken-hou belehrt wurde.
Dann drückte Buddha mit dem Fuß auf der oben aufgefalteten linken Arm des Kendappas von linken Burst über Achselhöhle bis Fingerspitze abwärts. Buddha sagte;
"Diesen Teil nenne ich 'Yuiun(唯蘊,[Yui-un])'. Wenn Yuiun aufgelöst wird, müssen dann das Gesehene und das Gedanken mit Verhalten aufeinander bezogen werden. Und der Leiden des Herzes und auch Lungenkrankheit sollen sicher leicht geheilt werden ."
Dann ließ Buddha Kendappa auf den Bauch liegen. Mit dem rechten Fuß drückte Buddha von dem Kendappas Gesäß bis in der Nähe der Knierückseite. Buddha sagte:
"Das Gesäß nenne ich 'Daidschou(大乗,[Dai-dschou])' und von der Oberschenkelregion bis die Knierückseite 'Batsugou(抜業,[Batsu-gou])'. An jeder Muskelende im allen Teil gibt es Anschwellung. Anschwellung bedeutet ein zusammengehaltetene harte Schwellen des Muskelteil, dessen Maße zunehmmend wird, dann der Muskel schrumpft, die Blutfluss behindert, die Körpersäfte verringern, die Kälte hineinkommen, schließlich sollte man daraus krank sein. Um Krankheiten zu beseitigen sollte man nicht außer Körperleitung gut durchgehen lassen. Das ist nicht schwierige Übung. Die Anschwellung der Gesäßbacke wird speziell erkalten. Solcher harte Teil muss gelockert werden, die schwierige schlechte Gewohnheit abzubrechen. Sorgfertig soll man dort drücken."
Dann Buddha stiegt auf beiden Kendappas Sohlen auf und sagte:
"Dieses Teil nenne ich 'Kakuschin(覚心,[Kaku-schin]). Fußsohlen vergleicht ein Art gegenseitiges Hirn, so soll man erkennen. Der in die Praxis umsetzender Fuß vergleicht immer mit Gehirn, sollte man deshalb den Fuß pflegen. Kakuschin ist ein Körperteil, doch verkörpert ein Ganzen des Körpers und auch umgekehrt, darüber muss man tief denken. Sollte man Kakuschin hoch schätzen und dort sorgfertig drücken und Lebenskraft umgeben lassen, damit die Richtigkeit zu widmen streben."
Dann Buddha antrat mit der heiligen Sohlen die Kendappas Achsel von unterseite. Da Kendappa abgemagert und groß war, konnte seine Arm auf der Matte nicht in Berührung gekommen werden. Buddha sagte:
"Dieser Gebiet nenne ich 'Gokumu(極無,[Goku-mu])'. Berührte der Arm nicht auf der Matte, müsste man Magensenkung leiden. Das zeigt, der Körper noch steif zu sein, daher fleißig viele Praxis erforderlich zu sein. Damit soll man mit Vorsicht die Rakken-hou durchführen und die Gemütsverfassung zur Einheit von Körper und Geist erfahren.", und drückte mit der Sohlen den Gokumu sanftig, das Koumyou-Schingon(Mantra von Licht) rezitierend, und dann wurde Kendappas Arm auch locker und schrittweise auf der Matte zusammengekommen. Alle
Bodhisattwas beobachteten alles sich überzeugend.
Dann positionierte Buddha bei der Oberseite des Kendappas Kopfes und anlegte mit seiner linken Sohle auf der linken Schulterwurzel von Kendappas und drückte bis Buddhas Ferse etwa zu Matten berührend. Buddha sagte:
"Dieser Teil nenne ich 'Himitsu(秘密 ,[Hi-mitsu])'. Dort erscheinen verschiedene Vorzeichen der Ungesundheit. Steife Schultern bedeutet eine Mitteilung der noch nicht kommenden Leiden, wie auch Verstopfung dieselbe. Sollte man sie nicht missachten und das Himitsu auflösen."

Als nächstes ritt Buddha auf der Kendappas Rückseite sitzend und drückte mit seiner etwa zum Gebet faltende Handfläche an der beide Seite Rückgrat laufende Muskel des Kendappas von oben nach unten. Buddha sagte:
"Hier soll ich 'Ichidou(一道,[Ichi-dou])' nennen. Das Gleichgewicht zwischen Rückgrat und Muskeln verlierend, müsste man verschidene Krankheiten erleiden können. Die Einstellung der ganzen Körperteile ist dafür, dieses Ichidou harmonisch in Ordnung zu bringen. Die Handberührung des Ichdou bewirkt Liebe wahrzunehmen und läßt das Gefühl der Dankbarkeit hervorquellen, das zwischen Himmel und Erde belebende menschliches Dasein schätzt."
Buddha stand auf und setzte sich auf seinen Platz zurück, und dann schaute mit dem liebesvollen lächelnden Antlitz an alle Bodhisattowas um, die sich durch Nacherleben, wie sie als ob selber direkt von Tathagata den Rakken-hou bekämmen, zusammen Kendappa in Buddhas Segen eingehüllten wurden. Buddha sagte:
"Wäre jemand an einer Krankheit früh gestorben, entsprecht er/sie die Essenz der Therapie nicht zu verstehen. Sollte man wissen, dass es keine unheilbare Krankheit gibt. Das Mittel der zu verdankenden Methode ist als aller erste wichtig. Vor allem muss man negative Gedanken verlassen und Possibilitäten vertrauen. Mit Vertrauen soll die Rakken-hou geübt wird.
Die Rakken-hou ist eine einfache Praktik und hat doch ganz tiefe Prinzip. Sie ist abhängiger Yoga, also Zweier Yoga. Sorgfertig muss man diese plaktizieren, um alle Leute zu retten. Wenn sie Tag für Tag geübt wird, dann werden die Beine glänzend sein, und nach Osten, Westen, Süden und Norden, nach allen Richtung kann man ohne Mühe zu Fuß gehen, um die menschliche Welt nach das Lichtermeer der Buddhaschaft und von einander unterstützendem reinem Land zu verändern, so das eine Unvermeidlichkeit zu sein. Nicht nur wer dieses gegeben wird, der heilen und Frieden bekommen soll, sondern auch wer dieses gibt, der durch die mit dem Fuß gebende Almosen-Übung die Lehre des Buddhas erkennen und mit gutem Lebensmut aktivieren soll, die beides zusammen gute Taten ansammeln."
Noch weiter sagte Buddha in der Form 'Ge'(偈) Gatha-Gedicht;
"Wer die Rakken-hou erlernen und ausüben,
in dem die Krankheit heilen und die Leute heilen,
und die Furchtlosigkeit geben und die Liebe wahrnehmen lassen.
Auch wenn ein krankender dennoch die Rakken-hou erlernt und ausübt, um anderen zu heilen, dann es ist sicher, dass der selbst sich heilen musste.
Anderen zu helfen und zu heilen, ist gleich selbst zu helfen und zu heilen. Wer die Rakken-hou erlernen und ausüben, dann der ein glänzende sein wird."
Himmel Teile (Rückenlage), Erde Teile (Bauchlage)

'Teiyou'(羝羊 , Innere-hinten Oberschenkelwurzel)
"Lass der Annehmer mit dem Kopf nach Norden liegen.
Mit dem Kopfkissen,
die linke Seite des Körpers nach unten legen lassen,
das linke Bein aufrichtig auszustrecken, das rechte Bein zu beugen.
Der Operateur steht beim Bein des Annhemer mit breit Schrittweite,
mit der linken Sohle des Operateurs von auf der Teiyou-Oberschenkelwurzel hinunter zu drücken.
Pro auf einem Atemzug, ein Druck.
Langsame loszulösen."
'Gudou'(愚童, Innere-vorne Oberschenkelwurzel)
"Lass der Annehmer die Beine vorig bleiben,
nur obere Körperhälfte nach oben zuzuwenden.
Der Operateurs steht mit dem rechten Fuß bei der rechten Ferse des Annehmers,
mit der linken Sohle des Operateurs von auf der Gudou-Oberschenkelwurzel hinunter zu drücken. Besonderes an der Oberschenkelwurzelzu lockern,
genug zu drücken.
Auch andere Seite in gleicher Weise zu drücken."
'Youdou'(嬰童)
"Lass den Annehmer auf dem Rücken liegen.
Der Operateur steht bei der Beine des Annehmers, mit der rechte Sohle von auf der Youdou-Oberschenkel von Leistengegend bis Kniescheibe hinunter zu drücken.
Langsam und tiefe auf der Leistengegend zu drücken,
Soll man pro ein Druck mit einer Phrase des 'Koumyou-Schingon' Mantra des Lichtes summen. Auch andere Seite in gleicher Weise zu drücken."
'Yuiun'(唯蘊)
"Lass der Annehmer rücklings liegen,
beide offene Hände oben biegend.
Der Operateur steht mit rechten Fuß beim rechte Handgelenk des Annehmers, mit der linen Sohle von Burst über Achselhöhle
bis Fingerspitze abwechselnd langsam zu drücken.
Auch andere Seite in gleicher Weise zu drücken."
'Daidschou'(大乗)
"Lass der Annehmer bäuchlings bleiben.
Der Operateur steht zwischen der unteren Beine des Annehmers, mit der rechten Sohle
von Gesäß bis Fuß des Annehmers,
also von 'Batsugou'
bis 'Daidschou' hinunter zu drücken.
Für steifen Teile sorgfältig mehrmals drücken zu müssen.

Auch anderen Seite in gleicher Weise zu drücken."
'Von Batsugou nach Daidschou'(抜業から大乗)
"Der Operateur steht Aussenseite des linken Beins des Annehmers, mit der linken Sohle von 'Batsugou' bis 'Daidschou', also
von Gesäß bis Fuß des Annehmers, hinunter zu drücken.
Vor allem für Rückenschmerzen sorgfältig an 'Daidschou',
an der steifen Teile aufmerksam entspannen zu sollen.
Dann auch anderen Seite in gleicher Weise zu tun."
'Kakuschin'(覚心)
"Lass der Annehmer bäuchlings.
Der Operateur drückt auf der beiden Sohle 'kakuschin' des Annehmers, Auch wenn wegen Arbeitsüberlastung, hat keine Zeit, aber
die Sohle zeigt geheime Punkt für Harmonie des ganzen Körpers auf. Unvernachlässig täglich zu drücken, streben zu sein.
Mit dem Rücken zu Annehmer steht der Operateur,
mit dem Ferse hoch und nieder zu drücken."
'Gokumu'(極無)(1)
"Lass der Annehmer bäuchlings,
beide biegende offene Hände oben liegen.
Der Operateur steht beim linken Handgelenk des Annehmers. Mit der rechten Sohle auf 'Gokumu' sanft zu drücken.
Von Schulter bis Finger auf den Arm hinunter zu treten. Auch anderen Seite in gleicher Weise zu drücken."
'Gokumu'(極無)(2)
"Lass der Annehmer dasselbe Körperhaltung bleiben,
nur Gesicht nach rechts zuzuwenden.
Der Operateur steht
bei dem linken Kopfseite und oben Schluter des Annehmers,
mit der linken Sohle
auf den linken Schulter 'Gokumu' des Annehmers zu drücken, harmonisierender Atem mit dem Annehmer, beim Ausatmen zu drücken. Auch anderen Seite in gliecher Weise zu drücken."
'Ichidou'(一道)
"Lass der Annehmer bäuchlings liegen.
Der Operateur reitet auf dem obere Rückseite der Annehmers Körperhälfte und kniet,
die beiden Hände lassen etwa zum Gebet falten,
an der beide Seite des Rückgrats
von oben nach unten mit seinem Gewicht

langsam hinunter zu pressen.
Sollten Annehmer und Operateur miteinander Atem-Schritt halten lassen."
"Auch Operateur und auch Annehmer sollen beides
mit dem Gefühl der Dankbarkeit,
mit dem Gefuhl der Mitleid-Liebe,
die Rakken-hou zu beenden.
Sollte die Hände zum Gebet zu falten,
das Koumyou-Schingon(Mantra von Licht) rezitierend, das Licht ein- und ausstrahlen zu lassen."
Buddha predigte das Sutra fertig und zuwendete seine rechte Handfläche nach Bodhisattwas, sogleich den ganzen Körper der Bodhisattwas leuchtend sind, dann alle erleuchteten. Sie alle beugten sich vor der Buddhas Füße tief. Und dann alle jede Boddhisattwas fingen zur eigene Heimat zurück zu gehen an, um weltweit die Rakken-hou zu verbreiten.
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -----------
KouMyou-Schingon (光明真言, nach Wikipedia '真言')
(Shingon-Schule) on abokya beiroshanō makabodara mani handoma jinbara harabaritaya un (オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン)
(skr.) oṃ amogha vairocana mahā-mudrā maṇi-padma-jvāla pravartaya hūṃ (オーン アモーガ ヴァイローチャナ マハームドラー マニパドマジュヴァーラ プラヴァルタヤ フーン)
Sokusai-Schingon (息災真言, Wohlauf-Mantra、延命菩薩真言, nach Wikipedia '真言') on ton bazarayuku
(オン・トン・バザラ・ユク)
(skr.) oṃ ṭuṃ vajra yuḥ
(オーン トゥン ヴァジュラ ユフ)
Yakushi-Nyorai Schingon (薬師如来真言, nach Wikipedia 'Shingon(Mantra)') on baiseizei baiseizei baiseija-sanborigyatei sowaka (オン・バイセイゼイ・バイセイゼイ・バイセイジャ・サンボリギャテイ・ソワカ)
(skr.) oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye bhaiṣajya-samudgate svāhā (オーン・バイシャジェー・バイシャジェー・バイシャジャサムガテー・スヴァーハー)
Rakken Hackku Dschizou-kyou(楽健八句地蔵経)
南無地蔵尊 足裏抜業 Verehren Schutzbhodisattwa Fußsohlenmeisterhafte Arbeit 心身佛界 一心同佛 Leib und Seele im Buddhaswelt Jede Seele gleich Buddha 現世楽健 華開楽土 Diesseits Rakken-Gesund Zum aufblühenden Paradies 楽楽楽楽 萬人笑顔 Ohne Anstrengung bequem und gemütlich
Alle Menschen lächelndes Gesicht

Rezitierte jede Phrase solches Mantras oder Sutras pro eine Bewegung im Herz während der Rakken- hou Arbeit, wird das heilige Gefühl des Opertateurs sich verdoppelt und die Wirkung noch mehr erhöht.
( Original: https://www.begin.or.jp/~ytokoji/rakkenho/rakkensutras/japaneserakkenhosutra.pdf ) ( Übersetzung: NPO Energie Therapie Institut (ETI), 14.Okt.2018, Version 1.0)
( Bemerkung: Es tut uns leid, dass dieser Version vielleicht auf Deutsch mangelhaftig sein. )






2018-10-04(Thu)

11月8日(木)山内宥厳講演と楽健法講座 パンニャ・メッタ蓮華会ヨーガの集い・2018

≪第9回≫パンニャ・メッタ蓮華会ヨーガの集い・2018

11月8日(木) ~行田ベルヴィ・アイトピア~
 ヨーガを実践している皆様が一同に会し、健康と平和を祈願し、実践する「祈りのヨーガ」の集いです。今回は特別講師として20年ぶりに「楽健法」の創始者・山内宥厳先生をお招きすることになりました。楽しいお話と実践の中で幸せな時間を共有しましょう。折角の機会です。
大勢の皆様のご参加をお待ちしています。 

○プログラム
10:00      開場               (3F・ガレリア)
10:15      開会 挨拶  

10:30~11:30 「楽健法の世界観」  
          講師 山内宥厳先生(奈良・東光寺住職、楽健法研究会代表)
  
11:50~12:30  ランチタイム           (3F・バール)
12:45~13:20  インド旅行説明会
13:30~16:15  二人ヨーガ(楽健法)実践     (3F・ガレリア)
16:20      閉会

 
※楽健法とは・・・誰でも取り組めるわかりやすい健康法です。元気で自立し生きていく手段として、
また、ご家族、友人に施してあげることで即、自分の健康法になるのも特徴です。

○会場    ベルヴィ・アイトピア  行田市持田2792-1 ☎ 048-553-3770
       (交通手段)◎熊谷駅南口から送迎バス有(往9:20発、復16:30発)
             ◎自家用車…国道125号線沿い、17号バイパス持田IC至近
○日時    2018年11月8日(木)午前10時~午後4時20分
○定員    100名(定員になり次第〆切ります)
○申込〆切  10月20日(土)
○参加費   会員 2000円  会員外 3000円  (昼食代含む)    
○持ち物   ヨーガマット又はバスタオル、動きやすい服装、フェイスタオル(1枚)

※キャンセルの場合は講師又は事務局までご連絡下さい。11/6以降のキャンセルは返金できません。
○お問い合わせ   特定非営利活動法人パンニャ・メッタ蓮華会
           〒360-0111 熊谷市押切310  ☎048-536-2230(事務局)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        <パンニャ・メッタ蓮華会ヨーガの集い参加申込書>
会員  2000円
会員外 3000円   
<氏名>           (教室名)          
                        (会員外の方は紹介者名をご記入下さい)
(   )送迎バス希望              ※参加費を添えてお申込み下さい
                                       受付(   /               )
2018-08-20(Mon)

楽健法・高野山西室院での9月合宿案内

高野山 西室院 9月21〜23日 
楽健法講習会 合宿ご案内


Frog-pose_2.jpg

         南海高野線20日午後運転再開へ
09月19日 16時45分
台風21号の影響で運休が続いていた▽南海電鉄高野線の高野下駅と極楽橋駅の間と▽極楽橋駅と高野山駅を結ぶ「高野山ケーブル」について、南海電鉄では、当初、今月22日に運転を再開するとしていましたが、復旧作業が進んだため予定を早め、20日の午後から運転を再開することになりました。
南海高野線は、▽下り線が午後3時54分に橋本駅を出発する列車から、▽上り線が午後5時9分に極楽橋駅を出発する列車から運転を再開し、高野山ケーブルは、上下線とも午後4時59分から運転を再開するということです。

以下のお知らせは上記に変更されました。
高野山合宿に出席する、代行バスの必要がなくなりました。

9月21〜23日の高野山楽健法合宿に参加されるみなさまへ
(台風被害による交通事情の重要なお知らせあり)
こんにちは。
いよいよ高野山合宿が数日後に迫ってまいりましたので、詳細をご案内します。ブログにアップされていたタイムテーブルから、若干のお食事の時間等変更がございますが、集合と解散の時間は同じです。
また、すでにご存知の方もおられると思いますが、南海高野線の一部(橋本〜極楽橋間)が先日の台風21号による倒木の被害で、目下不通です。
9月22日以降に再開か?という話も聞かれますが、お寺に確認しても、定かなところはわからないそうで、少なくとも初日の21日までに復旧の見通しはないようです。
南海高野線でお越しの予定の方は、以下のような手はずで会場までいらして下さい。
http://www.nankai.co.jp/libra…/pdf/201809typhoon_businfo.pdf
①南海高野線で「高野山駅」まで、通常通り切符を買ってください。
②橋本駅で下車してください。(高野下駅まで行かないよう注意!)
③橋本駅から高野山駅まで代行のバスが2台ピストン運行しています。何時発という確約がありません。
橋本駅から高野山駅までは、通常南海線だと42分程度ですが、バスの場合は、平常時で約1時間20分、混雑時で1時間40分だそうです。不確定なバスの乗り継ぎを考えて、お時間に余裕を持っていらしてください。
あまりにバスがこない場合に、運良くタクシーがあれば、通常の切符でタクシーをご利用いただくこともできるそうです。
(乗れるバスがある時には、タクシーは利用できません。)タクシーの場合には、西室院まで送っていただける可能性もありますので、運転手さんに尋ねてみてください。
④バスは高野山駅で、また橋本駅に向かって戻りますので、高野山駅からは南海りんかいバスをご利用ください。
バスは「一心口」下車ですが、こちらも1時間に2本程度しかございませんので、バスを逃して運良くタクシーが捕まれば、
数人で乗り合わせて西室院まで来ていただくのもよいかと思います。タクシーだと2000円くらいとのこと。
http://www.rinkan.co.jp/comm…/…/koyasan/route/koya_rosen.pdf
http://www.rinkan.co.jp/…/pdf/koy…/timetable/koyasan_sta.pdf
また、数人でレンタカーで直接、西室院までお越しいただくのも確かだと思います。駐車場はございます。
それ以外の注意事項、お知らせは下記の通りです。
*高野山は標高が高いため、山の下よりも8~10度程度気温が低く、朝晩冷えますので、上着をお持ちください。
また奥の院のエリアは、木々が多いため蚊も多いので、その際も上着の持参をお勧めいたします。
*タオルは、実習の際に顔の下に引くフェイスタオルのほか、入浴の際のバスタオルをお持ちください。
また、朝の勤行の代わりにヨーガ行法に参加予定の方は、ヨーガマット、もしくは大判のバスタオルの持参をお勧めします。(畳のお部屋です)
*実習の際に身につける衣類で、シャリシャリと滑りやすい素材は、踏みにくいので避けてください。
*鳥獣戯画風イラストの楽健法 Tシャツ(長袖3000円、半袖2500円)の販売もございます。
以上です。
不明点等ございましたら、お気軽にご連絡ください。
楽健法研究会
高橋トーマス流美
090-6549-3577

 今年は8月の一週間合宿に続いて、9月21日〜23日2泊3日の合宿です。
 高野山の霊地で、奥の院や壇上伽藍の参拝もし、楽健法を学びます。



下の写真は8月の一週間の合宿 8月17日奥ノ院での記念写真です。
9月の合宿にも奥ノ院の参拝をします。


koyasangroupoic.jpg





 持参する物は、楽健法実習時に使う枕カバーにするタオル、下に敷く大判のバスタオル(もしくはヨーガマット)、踏まれるときに使う柔らかめのパンツ、長袖のTシャツ、あとは筆記具など。 

問合せ、参加申し込みはメールでyugenytokoji@gmail.comまで。 

参加受付の返事がありましたら、以下にお振り込みください。
参加費 宿泊費とも 43200円
郵便振替:(00950-6-311038 奈良ヨーガリトリート)

                        
9月21日金曜日
13:00 高野山・西室院へ集合 (参拝バス・ガイド料、拝観料1000円を別途集金)
13:30 宥厳先生の挨拶とお話 
14:00〜17:00 簡単な楽健法の注意点など解説 楽健法実習 
17:00〜18:00 休憩と入浴 (前半組)
18:00〜19:00 夕食
20:00〜21:30 宥厳先生の講義とサマディタッチトリートメント実習
21:40〜23:00  入浴(後半組)・就寝

9 月22日土曜日
05:00 起床
06:00 朝の勤行(本堂)もしくは朝のヨーガ行法(講堂)*2
07:30 朝食
08:30 玄関前集合:奥の院参拝(ガイドとバス付き)奥の院(集印可)・金剛峯寺 壇上伽藍
13:00 昼食 西室院にて
14:00〜17:00 宥厳先生のお話 楽健法実習 
17:00 入浴(前半組)
18:00 夕食
20:00 楽健法実習 40分で交代する実習 
21:40〜23:00 入浴(後半組)

9月23日日曜日
05:00 起床
06:00 朝の勤行(本堂)もしくは朝のヨーガ行法(講堂)*2
07:30 朝食
08:30 部屋から荷物を引き上げて講堂に集合
09:00 宥厳先生のお話と楽健法実習
12:00 昼食
12:40 講堂に集合 閉会式
13:00 現地解散       以上



問合せ
東京楽健法研究会・西澤真由美 080-6610-3787 
楽健法研究会本部・髙橋トーマス流美 090-6549-3577


〒633-0053 奈良県桜井市谷381-1 
楽健法研究会本部 磐余山東光寺山内宥厳 090-4301-0228 
fax 0744-46-2410 tel 0744-44-2388
申し込み・お問い合わせ メール 



リンク

楽健法のページ

Rabbit-pose_3.jpg
2018-08-02(Thu)

八月楽健法高野山西室院合宿の参加者への案内 


楽健法夏期合宿 高野山・西室院 参加者へのご案内
2018年8月10日〜16日

<注意事項とお知らせ>

*タイムテーブル
 ネットで既報の予定表は検討して変更しました。気候、お食事の時間、日帰り、部分参加の方の帰宅の終バスの時間などを考慮に入れてのことです。
 朝食以降の部分参加の方、朝の実習は9:00ではなく8:30からの開始になりますので、ご注意ください。

*部屋割り
参加者は、基本14畳のお部屋に5人づつの相部屋になります。
参加当日に受付であなたの部屋番号をお伝えします。

*服装と気候
通常高野山は、山の下よりも7度〜10度ほど気温が低く、高野山の宿坊には冷房はなく例年扇風機を使用しています。今年は異例の暑さのため、念のため半袖の衣類もお持ちください。実習の時は、通常。肘の隠れる衣類が理想ですが、適宜半袖を着用してください。朝晩は涼しく、もちろん長袖は必要です。
また、奥の院には蚊が多いので、参拝の際は長袖長ズボンがオススメです。薄い羽織ものはあると便利です。
楽健法の半袖Tシャツ(2500円)の販売もあります。

*食事
楽健法は代謝を高める行法です。基本は素食が望ましく、朝昼の食事は軽めに、夜のお膳も観光客の食事より若干量を控えてお願いしています。合宿を修行と捉えて、腹八分の食事に慣れることをおすすめしますが、心配な方は補助食品やおやつなど各自ご準備ください。高野山にもお店はありますが、お土産屋やコンビニが中心です。

*洗濯
洗濯機を1台用意しています。実習のある大広間の廊下に、物干し台も用意しています。各自ハンガーなどご持参いただければ、洗濯は可能です。枕カバー・シーツ・浴衣は各自お部屋で提供されますが、替えが必要な方は、使用済みのものを大広間にご持参いただき、各自新しいものと交換してください。

*パン種づくり実習
12日の午前の部で、パン種作りの実習があります。その時に作ったパン種を最終日に各自お持ち帰りいただきます。
楽健寺の天然酵母パンと他のパンとの違いなど、醗酵食品についての勉強をします。

*得がたい西室院のお守りのお勧め
以前、奥の院の御廟の中に生えていた樹齢700年以上の杉の木が嵐のために倒壊したことがありました。その際、西室院前ご住職がその杉を頂ける幸運に恵まれ、御廟の杉の欠片を高野紙に包んだお守りを、西室院オリジナルでひとつひとつ手作りで製作し祈祷されています。

<タイムテーブル>

8月10日金曜日
12:00 高野山・西室院へ集合・受付 (*昼食は済ませてきてください )
13:30〜16:30 宥厳先生の挨拶とお話 楽健法の解説と実習 
17:00 夕食
18:30〜20:30 講義 休憩と入浴 (前半組)
21:00〜23:00  入浴・就寝

8月11日土曜日
05:00 起床
05:30〜/ 06:30〜 朝の勤行(本堂)各30分 (*参加不参加は自由)
07:00 朝食
08:30 玄関前集合:奥の院参拝(ガイドとバス付き)奥の院(集印可)
12:00 昼食@西室院
13:30〜16:30  楽健法実習 
17:00 夕食
18:30〜20:30 楽健法実習 
21:00〜23:00 入浴・就寝

8月12日日曜日〜15日水曜日
05:00 起床
05:30〜/ 06:30〜 朝の勤行(本堂)各30分
07:00 朝食
08:30〜11:30 パン講座(12日) or楽健法実習
12:00 昼食
13:30〜16:30  楽健法実習 
17:00 夕食
18:30〜20:30 楽健法実習 or 講義(13日) or パフォーマンス(15日)
21:00〜23:00 入浴・就寝

8月16日木曜日
05:00 起床
05:30〜/ 06:30〜 朝の勤行(本堂)各30分
07:00 朝食 
 (*朝食後、荷物は朝のうちにまとめて部屋から広間へすべて持参すること)
08:30 修了式允許授与
12:00 昼食 
13:00 現地解散

お問い合わせ メール 
電話 
高橋トーマス流美 090-6549-3577
東光寺 山内宥厳 090-4301-0228
西室院への問合せは 0736-56-1234 まで

※ 9月の高野山合宿はこちら

2018-07-30(Mon)

岩堀純子さんの詩の朗読

2018-06-05(Tue)

麺麭(パン)の思想  

 パンを作りながら深めてきた思索のあとをまとめてあった文章です。
 読んで感想をいただけると嬉しいです。


『麺麭の思想 その1』

 天然酵母パンを世に送りだすようになってから、いつの間にか40数年がたった。
一九七四年(昭和49年)の春、パン屋など、一度も見たことも覗いたこともない私の工房にでっかいパン釜が現われた。このパン工房は、それまでは木工所で、私は絵画の額縁をここで作ってなりわいとしていたのである。
その数年前から私は楽健法と食養、ヨ−ガや瞑想などいろんな健康法を実行して十年来の喘息を克服し、主として玄米菜食をしていたが、玄米を美味しいと思うほど、まだ玄米食に馴染んではいなかった。 子供の頃から、パンとさつまいもは、ひどく胸焼けがして口にはしなかったので、パンとは全く無縁の暮らしであった。

 人間ながい一生の間には、いつどんなことがおっぱじまるか分かったものではない。
 その頃週に三日ぐらいは、大鋸屑を酵母で醗酵させ、砂風呂のように穴を掘って、ほかほかと温かい醗酵した大鋸屑のなかに、首だけだして埋めてもらう、酵素風呂へ通っていた。この酵素風呂にゆっくり入ったあとで楽健法をやると、鬼に金棒とでもいうほど、筋肉が楽にゆるむ。病気を直すというのは、筋肉の硬さをほぐし、循環を良くしてしまえばいいわけである。

この考えにたって、病人に酵素風呂の後で楽健法を施してみると、面白いように効果があがる。これに食養が加わると、医者も薬も不用といっていいほどである。後に楽健法と命名して、世に知られるようになった健康法を、そこでいろんな病気で苦しんでいた人々に、奉仕活動として試みさせて頂いたわけである。

 楽健法は、他力で他人に踏んでもらうから、だれにもさして抵抗はないが、食養はそのひとの思想や、人生観の問題で、玄米菜食などということになると、なかなか抵抗は大きいひとが多いものだ。玄米と聞いただけで、眉をしかめるひとも少なくない。

 ある日そういう話をしていたら、そこの経営者が、どんな病気でも直ってしまうおいしいパンを作れますよと、世間話をしながら口にしたものである。玄米などよりずっと美味で、消化はよく、腹持ちもよく、胸焼けなどしないばかりか、便秘もじきに直るという。

 まことに耳寄りな話だから、私が作ってみようかという気になったのも当然かもしれない。
 それまで、パンとはなんであるかなどということは考えたこともなかったし、どんなふうに作られ売られているかということなども、まったく視界の外にあって、あのようなまずい胸焼けするようなものを買って食ってるひとを見ると、半ば軽蔑していたぐらいであった。

 そんな人間が突然パンを作るなどと言い出したものだから、まわりはびっくりしたに違いない。数日の間に家庭用の電気オ−ブンから、パン作りの道具一式が台所に輝いたことはいうまでもない。これから私が作ろうとしているのは、いわゆる天然酵母パンというもので、市販のパン屋さんが売っているイ−ストによるパンとは、全くクオリティの違う醗酵食品である、などということに気付いて愕然とし、現代の食品のさまざまな問題点が見えるようになってくるのはまだすこし先のことだが、私は台所で、実験室のなかの科学者のように、天然酵母の醗酵と取組みはじめたのである。

 一九七二年のことで、世は高度成長期のまっ盛り、まだ自然食品などというのは、一般に関心など薄く、有害食品を並べた大形ス−パが各地に広がり始めた頃である。

 パンというものはおいそれと定義しがたい多様な存在で、じつにいろんな作り方があって、時代により、地域により、風土によって、異なるものである。しいて定義すれば、穀物の粉を水で混ねて、火で焼いたものというべきか。醗酵させたパンと、無醗酵パンとに分類することができ、大方のパンの本には、現代のパンイ−ストを使ったパンは、醗酵パンのなかにいれてあって、何の疑問もだれも抱かずにそう思っているが、私が天然酵母パンと取り組んで、まず気付いた最初の問題点、疑問は、パンイ−ストを使った現代のパンは、厳密に醗酵学的な定義からいえば、醗酵食品とはいえないのではないか、ということであった。

パンイ−ストはまたの名をインスタントイ−ストともいい、酵母がある条件のもとで、炭酸ガスをだす、そのガスを小麦粉のグルテンに包んで膨らませる、膨らし薬の役割を担っているに過ぎないということに気が付いたわけである。あれらのパンは模造醗酵食品ではないかということだった。
                        

麺麭の思想 その2
                     
 食品に黴が生えることはだれでも一応知っていて、黴が生えてきたら食品に変敗がはじまり、食べられないということは常識だが、パンにももちろん黴が生える。現代のケミカルイ−ストで作られたパンは、防腐剤を使っていてもあまり日持ちしない。

もちろん防腐剤の使用量を増やせば、黴が生えないようにできるが、そんなことは人間にとって危険きわまりないことで、防腐剤など食品添加物の許容量は厳しく決められている。
 市販のパンは夏場だとその日のうちに食べてしまうべきで、三日もはもたない。
 パンは足の早い食べ物だと思っていて間違いはない。しかし、天然酵母パンはけっして足のはやい食品ではなくて、日持ちがきわめていい。夏場でも一週間は黴がやってこない。 

天然酵母パンを試行錯誤しながら作りだして、はじめに気付いた不思議が、なぜ市販のパンは足が早く、天然酵母パンは日持ちがいいかということであった。

 もちろん天然酵母パンには、一切の食品添加物など用いたりはしない。私の作るパンはリンゴ、長芋、人参、玄米ごはん、砂糖、塩、小麦粉、水のみで、これをジュ−ス状にして味噌よりやや柔らかく調整し、醗酵させるやり方で、これをパン種とよんでいる。醗酵のスタ−タ−は、いつも前回のパン種を一定量残して次回に加えていくのである。

 パン種は、32〜3°Cで一晩醗酵させる。朝パン工房へ行くと、パン種はぶくぶくと泡をだして、顔を近づけると、プ−ンとアルコ−ルのいい匂いがして、酔っ払うかと思われるほどである。これはパン種に使った材料の糖分を酵母が分解して、アルコ−ル醗酵している証拠で、美味い日本酒のようなアルコ−ルの匂いがしないで、酸っぱいような匂いがしていたりすると、酵母の醗酵としては失敗でパンも美味しくない。

出来上がったパンも酸っぱくなる。始めの頃は、どうしても酸味の強いパンになって、なかなかいいアルコ−ル醗酵にならなかったものである。

 こうしてよく醗酵したパン種をもとに、ドウ(パン生地)を捏ねる。このドウをまた醗酵させる。醗酵時間は2時間10分以上かける。これを第一次醗酵というが、この作業がケミカルイ−ストだと、添加物を使わないと四五分かかり、醗酵補助剤を使うと、時間は好きなように短縮できるのだ。30分でも、15分でも、最短7分まで
短縮が可能なのである。

 この醗酵時間という言い方がそもそも問題であって、天然酵母パンの2時間10分以上というのは、酵母という微生物が、与えられた栄養物(培養基)を分解して、まったく別の化合物に変化させている時間なので、この行程を経て、酵母そのものも爆発的に数を増やし、高蛋白質の栄養食品と育っていくのである。

 ケミカルイ−ストの場合は、使った材料が時間をかけた醗酵によって、別の化合物に変化するというプロセスが、手抜きされて、単に酵母がだす炭酸ガスを借用して、水で捏ねた小麦粉を膨らませ、それを焼いてパンと称していってるわけだ。

 天然酵母パンになかなか黴が生えず、市販のパンにすぐ黴が生える理由は、じつはこの醗酵が本物であるか、膨らますために炭酸ガスを利用するだけのインスタント醗酵であるかというこの差に秘密がある。
 醗酵とは定義すれば、使用した材料を微生物のはたらきによりまったく別の化合物に変化させること、であって、小麦粉を水で捏ねて膨らませパンのかたちに焼きあげることではないのである。

 ケミカルイ−ストのパンにすぐ黴がつくのは、酵母が材料を膨らませただけで、分解して別の化合物に変化させていないためで、じつは黴も酵母も同じ栄養を培養基として育つため、天然酵母パンのように醗酵が十分に行なわれた場合は、黴が生えるための培養基を酵母が分解してしまって黴のための栄養が残っていないからである。

 醗酵によって材料を別の化合物に変えていくことを、醗酵がすすむというわけで、いい味わいに醗酵してくることを熟成するともいう。こうして熟成させた、ふかい味わいとフレ−バ−(かおり)をもったパンをこそ天然酵母パンというのである。

 ケミカルイ−ストではこの味わいは絶対にでてこない。天然とは自然の営みによるパンということで、自然にものが育つには、必要な時間を必要としているので、人為的に自然の営みを短縮などすると、いいものはつくれないのである。はたしてこれはパンだけの問題であろうか。         


麺麭の思想  その3

 最近は自然食品店などへ行くと、天然酵母パンという名で売られているパンが目につくようになった。
 また天然酵母パン用の乾燥イ−ストなども市販されていて、家庭で天然酵母パンをつくるひとも増えてきている。
 市販されている天然酵母イ−ストを使って、かなり大がかりのパンの製造をしている組織や、会社もあるようだ。

 しかし、ラベルに天然酵母パンと書いてあっても、みんな同じような質をもったパンではないので、醗酵食品の定義として私が前回に書いたように、(使用した材料を微生物の働きによりまったく別の化合物に変化させること)という天然酵母パンの理想的な作り方からいえば、落第のパンのほうが多いというのが現実である。

 市販されている天然酵母パンイ−ストというのは、イ−ストを添加物や化学薬品を使わずにマッシュポテトなどで、自然食品のニ−ズに合うよううに製造してあるというだけのことで、パン作りの方法はケミカルイ−ストと同様にインスタントイ−ストであることに、変わりはないのである。

 これらのイ−ストではパン生地は45分でふくらみはピ−クにたっする。私のやっている材料全部が醗酵の培養基になるような方法だと130分という時間がどうしても必要でこの時間をかけてはじめてパンのうまみが熟成されるのである。

 時々そうしたインスタント天然酵母パンというものを、どこかで買ってもってきてくれるひとがいて食べてみるけれども、私の焼いているパンとは、まるで味も香りも異質のもので、とても口にはいるようなパンにはなっていない。しかし普通のパン屋さんのケミカルイ−ストのパンをいつも食べているひとにとっては、それよりもおいしく食べられるようである。

 ひとはそれしか知らなければ、それが最高と思うほかないのであって、ケミカルイ−ストを使ってパンを作ることを、パン作りの当然の方法と思ってやっているひとは、いいパンを作るために、どんな粉を使うかとか、いろんな野菜を使ってみるとか、いろいろ工夫はされるようだが、パンのほんとうの旨味は、醗酵による熟成のみが醸しだすのだということを知らないのだから、せいぜい材料の持味の差ぐらいの味しか作りだせないのである。

 これは文化というものがひとたび定着して、生活様式のなかに溶け込んでしまうと、それ以外の方法などは、忘れ去られてしまうので、古き良きものではなくて、悪しき新しきものが生活を支配していても、そのことに何の疑念も抱かなくなるのだ。

 パンを作るひとは多く、パンの作り方の本も沢山出版されているけれども、パンイ−ストそのものの質を問題にしたり、パンを醗酵食品と呼称しながら、実はインスタント醗酵であることのデメリットについて触れるひとは皆無である。
 そのパンがうまいか否かはどんな材料を使ったかなどということよりもどのような醗酵をさせて作られているか、ということを、観察することが大切である。

 インスタントイ−ストで作ったパンは、それがケミカルイ−ストであれ、天然酵母のイ−ストであれ、似たり寄ったりなのである。
 後者の方が安全度が高いということは、間違いないが、即席パンであるということはほんもの志向でパンを作り続けてきた私には、物足りないことおびただしい。

 私の独断だと思うひともいるかも知れないが、醗酵食品は完熟させて、はじめて醗酵食品としての質的な価値をかくとくする。

 未熟な醗酵食品は完成品ではなく、中途半端なものであることを忘れてはならない。醗酵食品が完熟するには時間が必要で、たとえば醤油だと、約2年半ぐらいはかかる。しかし、醤油のメ−カ−によってはそんなに時間をかけることはできない。
 大手になるほど、はやく商品化したいので、3か月ぐらい醗酵させると出荷するようになる。
 完熟していない醗酵食品には、未熟な成分が残っていて、これに黴がつくことになる。
 そこで、防腐剤の出番となるわけである。

 よく、主婦たちの会話のなかに、この醤油は黴が生えるから、添加物のはいっていないいい醤油だわ、などというひとがいるが、これは間違いで、まだ完熟していない未熟な醤油である証拠なのである。しかし企業にとっては、時間をかけるということは、金をかけるということに他ならない。金のかかったものは、売値が高くならざるを得ない。

 自然食品店などで売られている醤油などが、ス−パ−で売られている大手のものに比べて値段が高いのには、そのような背景があることを消費者も知っておく必要がある。
                       

麺麭の思想 その4

 パンの思想というテーマでこの文章を綴ってきたが、現代のパンイーストによるパン作りの方法論、思想は、ただパンにかぎらず今日の食品産業、農業から、工業、医学、にいたるまで現代科学の思想、方法論の上に成り立っている。科学的な思想方法論は二十世紀の人間生活の土台を強固にかためて、それなくしては今日の先進諸国の発展は約束されなかったろう。

 しかしこの発展の陰には、非常なまでのおおきな犠牲が払われてきたのである。
 科学は、根源的に大切なものにたいして、思考を深めてきたのではなく、目先の方法論や技術の発展に汲々としてきた。
 人間のくらしのありかたが、本来如何にあるべきかという考察などなしに、いきなり先進技術や新しい食文化などを旧来のくらしのなかに持ち込むと、一時は何かが良い方へ変わったかに見えても本質は生活を根底から破壊してしまっていることが多々ある。

 そういう例は枚挙に遑がないが、いま日本中のこどもたちを苦しめているアトピー性皮膚炎にしても、その一例である。
 アトピーという言葉は《なんだかよくわからない》という意味のギリシャ語だそうだが、アトピー性皮膚炎は、敗戦後の日本の食生活の急変の結果もたらされた病気であることは間違いない。

 戦後の日本人は西洋人の食生活に比して、肉食の不足、牛乳の不足が叫ばれて、高蛋白質、高カロリーの食品を摂取することを盛んに奨励されて、肉食大好き、牛乳、卵大好き、野菜大嫌い人間を大量生産してきた。アトピー性皮膚炎はまさにその真っ只中に育った世代と、その二代目世代の不幸な産物である。明治生まれ、大正生まれ、昭和一桁から戦争中に生まれた世代には、アトピー性皮膚炎はほとんどない。

 ちなみにインド、ネパール、スリランカのこどもたちには、アトピー性皮膚炎などという病気はほとんど見られない。
 世界中の国について、アトピー性皮膚炎の有無を調査したら、なにがアトピーをもたらしたかということは、たちまちはっきりするに違いない。アトピー性皮膚炎は、多様な生活の変化によるストレスと、とりわけ動物性蛋白質の過剰によって、筋肉の硬化を招き、血液と体液の循環が阻害されて、強い便秘を伴って、不浄物を十分に排泄できなくなり、皮膚から、湿疹として不浄物を排出しているのである。

 私は楽健法という健康法を長年提唱し、その普及に努めてきたがそこで出会った多くのアトピー性皮膚炎のこどもたちは、例外なく上記の状態を示していて、筋肉をゆるめてやり、食生活を意識的に変えると、短時日で回復する。

 どうしてこれをアトピーなどと名付けて平気で首をひねっていられるのか、現代医学の無知蒙昧とでもいおうか、不思議極まる不幸な眺めである。
 食生活がおおくの病気の引き金になるということは知っているが、東洋医学の食の考え方やアーユルヴェーダ医学の食の考え方と、現代の西洋医学的立場の食の考え方は大巾に異なり、われわれの栄養学は、栄養はおおく摂るほど良い、という大原則に
のっとっている。食べなければ病気になると考える。

 高栄養のものを、バランス良く食べたら健康で、白人にも互して遜色のない身体を作り得ると奨励しつづけていまだやまないのが現実である。これは、欲望充足を優先するという考え方で、多く食べて、他人よりより大きく、早く大きくな〜れという思想である。
 佛教の教える食べ方では、腹六分目などというが、セーブすることよりも、与えることと、与えられること、を優先する日本のような社会では、物も胃袋もつねに満タンにせずには納得しないのである。

 食べたいだけ食べて、やりたいことをやり、病気にでもなれば、そこは都合よく医者が引き受けて治してくれる。
 基本的にそんな考え方で暮らしている日本人に、粗食で小食などということを説いても、食生活についての東洋医学的な考察などは無視されて一笑に付される。

 癌による死亡が年々増えていっても、こどもの成人病が増えていっても、原因は顕微鏡のなかに発見すべきことがらで、環境も含む食生活など問題とはしない。これは医師であれ患者であれ、ほぼ同程度の意識しかもっていない。
 いろんな病気の特効薬を研究するが、おなじような環境に暮らしていても、病気にかからない人とかかる人との差はどこにあるのか、などという方面には、目を向けない。

 第三文明が叫ばれるようになって久しいが、真の科学思想の夜明けはまだまだ遠い。
                      

麺麭の思想 その5

 健康を追及することは平和を追及することである。健康は幸福の大きな要素であり、だからこそ人間は健康を追い求める。人間がなにを幸福とするかは、時代により国により人によっても異なるが、世俗的な唯物的な経済力さえ充実させれば幸福が手には
いるという考え方が、永年人間を支配してきた。

 幸福とは望むものを手にいれて満足することだが、心を満足させる条件は、ピンからキリまで無数にあって、人間は容易に満足感を抱かない。
 欲望は海のように広く深くて、はてしがないのである。人類というもの全体が、総じて持つ欲望というものもあり、国家の持つ野心、欲望というものもある。人間の行為とはいつもこの欲望の満足のためにおこなわれる。

 欲望充足の最大の悪事が、侵略戦争である。

 侵略は会社を乗っとるどころの騒ぎではなくて、するほうもされる側も多大の犠牲者がでて、ながい目で見れば、得るところの物よりも、失ったもののほうがはるかに大きいのだが、時の為政者は野心のために常に虚しい権力をふるう。過日、日本は侵略をしたのではない、などと発言して首を切られた大臣などは、とくに不勉強で認識が甘いというようなことではなくて、時の為政者というものの歴史の認識は、つねにその程度のもので、いつでも蛮勇をふるって、そっちの方へ国民をいざないかねない危険性を、常に孕んでいると認識すべきである。

 昨日いっていたことが、明日にはひっくりかえるのは、日本の政治の常態であって、朝鮮を始めとするアジアの人達が、日本を信用しないのは、そのような日本人の本質を誤たず見抜いているからである。

 責任を取らないで、なしくずしにことをすましてしまおうとするのが、日本流のやりかたで、その分、他人の責任を追及するのもきわめて手ぬるい。言葉をすりかえたり置きかえることで、不条理もまかり通るのが日本の社会である。最近では湾岸戦争のときに多国籍軍ということばを、さかんに使った。
 multinational forcesという英語の訳だが、連合軍という従来のThe allied Forcesではなく、多国籍軍というこのような言葉
に置き換えて使うことで、世界の国の湾岸戦争協力をやりやすい方向に導こうという、世論操作の目的が感じられる。高校生が親に物をねだるとき、だれでも持っている!といういいかたをよくするが、多国籍という言葉は、みんながそこに入っているよ、という含みを感じさせる言葉で、まことに名訳である。

 頭のいい官僚の訳語だと思うが、為政者が自分の目的を達成するためには、庶民の知恵などでは及びもつかない深読みをしているので、鵜呑みにしていてはいけない。

 やったことを認めないという、政治家の資質は、国会の証人尋問などを見ると明白だが、権益のためにはおおいに努力し、責任を取ることに関しては口をつぐむという、日本人の体質、またそれらを許してきた国民性にも問題がある。

 南京虐殺にしてもそうだが、日本には当時の兵隊として南京で虐殺に参加した人が、大勢まだ元気でいるはずだが、「私は南京でこのようなことをした」とたとえ匿名にしろ告発する人が現れないのはなにゆえであろうか。

 数年前のことだが、鞄やハンドバックの縫製職人をしている老人が、楽健法を受けに私のところに来たことがある。
 いつも体調が勝れなくて、半病人なのだが病院へいってもとくに病名がつくわけではなく、医者も元気を取り戻すような治療はしてくれない。いろいろと薬はくれるけれども、効果はないという状態だった。

 この老人は自分がこのような病気になるのは、あのときの罰があたっているのだろうか。といって話し出した。
「自分はそのときはたち過ぎで、南京事件のときの兵隊でした。いっぱいわるいことをしました。クーニャンをたくさんみんなで強姦しました。やりほうだいだった。そしてたくさん殺しました。
 どうしてあんなことが平気で出来たんだか、思い出したくはないけれども、いまだにうなされるのです。

 からだがこんなふうになったのはたたりをうけているのです」
 小柄な四十数キロの体重しかないものしずかなその老人は、そういいながら罪の呵責におののいていた。このような苦悩を抱えながら、自分の健康や幸福を追及する権利があるのだろうか?
 この老人はそう自責にかられるというのである。
 
 政府が、侵略によって犯させたこのような罪を、個人がつぐなう道は、あるのだろうか。いわんや、事件そのものをでっちあげだなどと口にする政治家などが跡を絶たないようでは、日本人は怨恨という借財を背負ったまま、未来永劫にわたって救われない。
 
 素直であることが健康と幸福、平和への道である。
                       


麺麭の思想 その6 点滴天敵論

 最近は人間の臨終のありかたが、いろいろ論議されるようになった。かつては日本人は畳の上で往生するということが、人生の良い終りかたで、死の理想的な姿であった。
 今日では自宅で死を迎えられる幸運な人はすくなくなり、大多数の人々は病院で死を迎える時代になった。
 しかし自宅で死を迎えるのにくらべて、病院で治療を受けるのは何倍もの苦痛を覚悟しなくてはならない。
 死に臨んで如何なる医療を受けるか、ということは患者にとってはまことに深刻な問題である。この問題を考えるとき、三つの立場があるといえる。病院と患者とその家族である。

 なかでも最も困難な立場に立たされるのは、患者本人で、患者の希望や意志は、どうかすると医師からも家族からも無視される。 強い立場にあるのはいうまでもなく病院で、家族も患者も、どのような治療を望むかというようなことに関して、ほとんど発言権を持っていない。

 人間はだれでも苦痛は避けたいという強い願望がある。病気によっては強い苦痛が生じたときに、これを薬によって軽減させてくれたら、医療というものの有り難さを経験することになるが、病院というところは、患者本位の有り難い医療のみに専念してくれるところではない。

 病院は採算を度外視して、病人を救う人道的な立場をとるのではなく、経営が成り立つために、患者にとってその治療が必要であるかどうかに関係なく、一定の治療行為を患者に与える。

 患者をベッドに寝かせて静かにほっといてはくれない。のべつ幕なしに検査をやり、休むことなく点滴を施す。
 患者にとっては、執拗に繰り返される検査やそのための採血、点滴をはじめ、マカロニ人間などといわれるほど、身体のあちこちに管を差し込まれたりして、痛ましい限りではあるが、患者がこれをいくら嫌がったとしても、中止してくれるなどということはまず望めない。

 家族が要望しても、ほとんど要れられることはない。私自身も身内の付添いをして、医師と激しくやりあった苦い経験があるが、まったく相手にしてくれず、臨終間近い患者を挟んで、そんなにいうならこのまま連れて帰ってください。ただし死亡しても絶対に死亡診断書は書きませんから、と脅迫されたことがある。

 患者の死の二日前のできごとであった。

 尊厳死などということを望むひとが増えたということは、過剰で過激なまさに暴力的な医療からの逃避の願望の現れだが、尊厳死などということを、死の直前になって主張するのは、考え方が甘すぎる。

 尊厳は病院の門をくぐったときから、初診で医師の前に座ったときから、主張されるべきことがらである。経営中心主義の病院には、尊厳などは初めから存在しないと知るべきで、ひとたび入院したら、点滴と検査漬けの医療が待ち受けていることは、覚悟しているべきであろう。
 ほとんどの患者に点滴を行うのは、どこの病院でも見られる光景である。どのような病気のどのような容態の患者に点滴が必要なのか、などということは、全く考慮のほかで、入院患者には点滴をするものであると経営方針として決定している病院のほうが多いかと思う。

 私はここ二十年来、病院の異常とも思える点滴のやり方に疑問を抱き、アーユルヴェーダ研究会でも幾度もこの問題を取り上げてきた。
 点滴を本当に必要とする容態というのは、脱水症状を起こしているとか、食物をまったく自力で摂れないとか、ごく少数の患者しかいないはずで、自分で小便ができ、自分で食物を食べられる病人に、点滴などはナンセンスなのだ。

 人間の身体は、神様は口から食物を摂るように作ってくれているが、血液に直接ものを入れるようには設計してはいない。まして体温よりもかなり低い温度の液体を、冷房の効いた病室で血管に流し込まれたりしたら、身体はたちまちバランスを崩すことになる。

 点滴は自然治癒力を失わせる最大の要因だと考えるべきである。

 まだかなり元気なお年寄りが、入院したかと思うと、十日もしないうちに死んだりするのは、ほとんど点滴によって、急激にバランスを崩してしまう故だと、私は想像しているが、病院ではすべて疾病の故にしてしまうことはいうまでもない。

 点滴をほとんどの患者に行うのは、患者にそれが必要不可欠だからではなく、病院の売上げに必要不可欠だから、ということを患者として、病院の門をくぐる人は、よく心得ておくべきである。
 病人にとって、必要にしてかつ十分というような医療になったとき、病院での尊厳ははじめて存在するといえるのである。     



麺麭の思想 その7 点滴天敵論
                        
 点滴は人類の天敵である。などといえば吃驚するひとが多いかも知れないが、良いということを前提や建前にして実は誤ったことをしているとしたら、こんな恐ろしいことはない。前提が間違っていれば、間違った結果がもたらされるのは論理的に必然ともいえる。

 私が点滴の怖さに気付いたのは、勿論自分が体験したことによる。昭和四十一年の秋に小さな交通事故を自分で起こした。
 雨の降っていた夕暮れ、ちょうどライトをつけたくなる暗さで、狭い二車線車道の対向車もライトを照らして、前方の見通しが悪いなかを走っていたとき、肩を組んで道路の真中を酔って歩いているらしい、三人組の男たちの姿がすぐ目のさきの、私のライトに不意に浮かんだので急ブレーキを踏んだところ、車は反対車線の対向車のトラックの前を横切って、民家のガレージのコーナーに突っ込んでしまったのであった。

 このときトラックと正面衝突にならなかったので命拾いをしたわけだが、ハンドルで腹部を打ったためにお腹を押さえ込んでうなっていて動けなかった。だれかが救急車を呼んでくれて、近くの救急病院に運ばれた。

 腹部のレントゲンを撮ったあと、ベッドに寝かされると、それ以上診察もしないうちに看護婦はいきなり点滴注射をセットしてやりはじめたので、「どうして点滴注射などするのか、そんな必要はないと思うが」と質問したところ「決まりになっていますので」と涼しい感じでかわされさっさと姿を消した。

 こうして私の人生でたった一度きりのたった一夜きりの入院生活体験が開始された。
 点滴が始まって十五分ほどたつと、からだが冷え始めて猛烈に尿意を催して我慢できなくなったので、看護婦を呼んでトイレに行きたいので点滴をはずして欲しいというと、すぐにはずしてくれたので、はずすやいなや便所に駆け込んで、しこたま放尿してきた。

 また点滴が再開されて、十五分ほどたつとさっき出したばかりなのに、また我慢ができなくなり、看護婦を呼んではずしてもらい、便所に駆け込んだ。こうして一回の点滴注射が終わるまでに数回トイレに通ったのであったが、あげくには看護婦が
「またですか」 と露骨にいやな顔を見せるようになった。

 「点滴のせいですよこれは、やめてもらえませんか」 というと「勝手にやめるわけにはいきません、病院の決まりですから」という。
 そういいつつ、点滴液が空になると、また新しいのを運んできて、取り付ける。
 ぼくは元来我慢強い男だが、満タンになった膀胱は我慢して耐えるわけにはいかず、十五分ごとに看護婦を呼んでは、便所に通った。
 ベッドに横たわって次第に増してくる冷えをじっと怺えながら考えたことは、点滴によってこんなにも身体が冷え、小便がひんぱんに出るようなことを続けることは、治療というよりは一種の拷問ではないか、ということである。もし体力の乏しい老人などにこんなことを続けたら、生態バランスがたちまち崩れてしまい容態が急激に悪変するのではないかという自問自答であった。

 さほど重体とは思えない老人が入院するやいなや、数日のうちに死亡したりする事例によく出会わすが、あれらは、点滴注射による生態バランスの破壊によるものではないか、という疑問が自分の現に起きているこの冷えと頻繁な尿意を考察することで、次第に確信に変わってきたといえる。

 私は腹痛もじきに治まり、こんなことでここに捕まってしまえばろくなことにはならないと思ったので、朝になるとさっそく退院する決心をした。看護婦は何度目かの点滴を取替え、私はやはり何度かトイレに通いながら朝を待ちかねた。十時過ぎた頃だったか医師がやってきて 「山内さん、あなたに大変なことが起こっておりますよ」 という。
 「いったい何が起こっているのですかと聞くと「背骨がつぶれていて、このぶんでは下半身不随になってると考えられます。歩けないでしょう」という。
 「冗談じゃない。昨夜からもう十回以上もおしっこにトイレへ歩いていきました。もうどこも異常など感じないので、すぐに退院いたします」というと、信じられないという顔をしている。

 医師はすぐに手術でも始めたいような勢いだったのである。まさに我慢の限界に達していた私は、自分で点滴をはずして、さっさと支払いを済ませ退院することにした。
 医師はそれ以上なにも言わなかった。

 言える道理もなかったろう。数か月経ってから市役所の保険課から、一枚のハガキが届いた。それには、あなたは十月にあの病院に入院されましたが、その時、脳の手術を受けましたかという問い合わせだった。
 返信用のハガキもない、電話番号も記していないそのハガキを私は立腹のあまり無視してしまった。


麺麭の思想その8 点滴天敵論

 点滴というものをわたしがはじめて知ったのは、まだ子供だった昭和十年代の半ば頃のことで、大人の会話を小耳に挟んでそれがリンゲルと呼ばれる大がかりな注射であって、病人が病院でそれをやられるようになると「あの人もそう長くは持たないみたいみたいですね」という会話が、井戸端会議の大人たちの間に交されるようになるものであった。

 医院や病院などというものは、わが家のような貧しい家庭ではほとんど無縁の存在で、わたしなども医者や病院は金持ちの行くところであって、わが家はそんなところには無関係だと思って成長してきた。父は喘息持ちであったが、医者に通う姿などついぞ見たことはなく、発作が起きるとエフェドリンの注射を自分で打っていたのを覚えている。

 わたしの医者にかかった体験は、魚の骨を咽喉に引っ掛けて、飯をまるごとかためて飲み込んでもとれずに苦しむので、母が私を背負って医院に連れていき、アーンと口を開けて舌を金属のつけたい箆(へら)で押さえられて、平たいピンセット状の道具で、あっという間に抜いてもらったのが二回あるきりで、爾来、魚の骨のあるものは敬遠するので、母は魚を骨抜きにしてからわが食前に供してくれるようになた。

勿論のことだが、私の出産は自宅において産婆さんにとりあげられたので、魚の骨抜きが西洋医学初体験というわけである。

 多くの人がちょっとした身体の変調で医院や病院の門を手軽にくぐるのは、めったなことでは医者の門をくぐらない当時の生活をいまだに保っている人間から見ると、奇異の一語につきるだろう。明治生まれの母親たちには子供の風邪による熱ぐらいで、およそ慌てるなどということがなかったのかも知れない。

 第一に医者というところは、大金の掛かるところで、おいそれとは門をくぐるわけにはいかなかった、貧乏人の子沢山の貧しい暮らしぶりだったのである。そのぶん生活のなかに民間療法などがいろいろ生活の知恵として生きていてた。私の母などは呪術に長けていたので、私が熱を出しても枕元でいつも呪文を数分唱えるだけであったが、かならず翌朝には効果がてきめんに現われたものである。

 健康保険が完備して、医療費を患者が支払わずに済むようになったということが、患者にとって病気をしないような生活の在り方に対する自覚を失わせた最大の要因であろう。欲しいままな生活を送って、病気になると都合の悪いところだけを医療が解決してくれる思い込んでいるような暮らしをし、病院に通っても自分の治療費が幾らかかったかということにすら無関心で済ませられるのである。

 医療者の側も患者が保険証さえ持ってくれば、患者から支払いがえられるかどうかなどという懸念はなく、どちらも親方日の丸の感じで対応している。

 この健康保険制度こそ今や諸悪の根源という様相を呈していて、使い放題、取り放題という感覚の医療がまかり通っているのである。もし医療費を自費で払うものと仮定すれば、今日の高額医療を受けられるような経済力を持っている人はざらにはいないだろうし、患者も予防医学にもっと関心を高めざるを得なくなる。

 病院のすべてのベッドに点滴がぶら下がっているような風景を、異常だとも感じない現代医療は、親方日の丸なのだからとらなくては損という露骨な風景で、点滴はどのような容態になった患者に必要とするかという、基礎的な医学知識をも無視したものであることを、ほとんど問う人もいないのが現実である。

 まれに病院に見舞にでも行くと、若い元気そうな男性が、点滴のホースを身につけたまま、片手に点滴液のガラス器具をぶらさげた鉄棒を持って、廊下や待合室で煙草を吸ったりしているのを見かけるが、あれらが点滴治療を必要とする病人なのかと、首をかしげざるを得ない。
 こんな異常な風景がなんの懸念も持たれずに見過ごされたり、大量の薬が投与され続けながら少しも治癒しないでいることにも疑問を感じず、長期にわたって医療を受けるほどますます病状が悪化の一途をたどっても、なおやり続けるだけという目にあっている患者をみると、医学の進歩などという幻想の餌食にされて、病院に金を貢いでいるだけと言わざるを得ない。

 医療科学技術はもちろん進歩することが望ましいが、医療の思想も深められ、人間らしく扱われる医療でなくてはならないのはいうまでもないことである。
 利益追及の病院経営であっては、患者にとっては病気の回復よりもリスクのほうが大きい。いざ自分が病気になったとき、そのような病院しか周りに見い出せない救いのない現実に恐怖を覚えているのは私だけだろうか。 




麺麭の思想 その9
                        
 人間はいろんな立場、いろんな角度からものを見ることができるし、その能力ももっているはずだが、近代以来の教育制度のなかで培われた現代人は自由に自分の目でものを見ることを放棄しているひとが多い。
 専門家というものは自分の分野には通暁して、さすがに専門家でなくてはこなせない得難い存在ではあるが、専門馬鹿ということばもあって、自分の専門以外については、まったく関知しないということも多い。

 私が長年にわたっていろいろ教えをうけたアーユルヴェーダ研究会会長の衛生学者・丸山博先生は、反可通をこしらえてはいけないということと、素人の意見によく耳を傾けなくてはいけない、とことあるごとに口にされる。

 人間はその時点で自分の信じていることを、最高で唯一無二のものだと思い込みがちなのである。
 ましてや、最高学府で学んで来た学問に関して、自ら疑問を呈するという批判精神を抱くひとは多くはない。

 医学の場合は、開業医であれ病院勤務の医師であれ、現代医学のシステムは、それが所得につながり、儲けにもつながっているのだから、自分のメシの種になるものを、批判的にみることなどほとんど有り得ないのだ。現代の教育は与えられたものに、疑問も持たず抵抗も覚えない人間に仕上げることのほうに良く成果をあげているようだ。

 現代の学校教育のシステムだけで育った人間には、批判精神の涵養などを期待することなどどだい無理な要求かも知れない。時代に即した、生きることに巧みな人間を作りあげることにひとびとは汲々としている。

 批判精神を旺盛にもった人間は、先天的に自由人なのかも知れない。
 体制のなかで、巧みに泳いで生きるには、批判精神などは邪魔なものでしかないのだろう。

 人類が育てあげてきた文明の成果というものになんの疑念も抱かず、それを批判的に口にする、勇気ある人間は社会的に制裁を受けることにもなりかねない。
 私がアーユルヴェーダ研究会で、何度か点滴天敵論についての発表をおこなったときにある元病院長は、「我々は大勢の医師から看護師をかかえており、多大の経費がいるのです。そのためにも点滴はあなたのいうように本当に必要な患者だけ、という
わけにはいかないのです」と発言されたことがあった。

 まことに率直な発言で、現代医学のなかで患者のおかれている状況をよく言い表している。
 文明を持った人類は、それを常に人類の幸福のためにもちいてきたとは限らない。
 文明の利器とは常に凶器であるという側面をもっているということだ。だれのための医療であるのかという原則はここには生きておらず、患者の為の医療という観点が、全く欠落したところで医療が行われているのである。

 この院長の発言は率直であるだけに私にはいっそう怖いものである。

 いまの日本では西洋医学が怖ければ、漢方があるよというわけにはいかないのだ。
 日本には、厳密には西洋医学以外の選択肢はないのである。   
 どのような健康観や思想の持ち主であっても、あそこに入れられてしまえば、それまでなのではないか。与えられる治療に対して注文などはだれもつけられない。末期の医療ではホスピス病院などもなくはないが、望む病院にいつでも入れるわけではない。
 手近の一般病院に入るしか無い。

 病院では自分の思想や信念を放棄して病院のシステムに従う以外はないのが、末期をひかえた現代人の運命である。偶然によってのみ、現代の日本人は畳の上で大往生をとげられるわけである。病院での死は不幸だというのではない。

 核家族化した現代の状況では家庭内看護は望む方が無理というものだ。
 だがもはや延命の希望もなく、死を家族も本人も望んだとしても、点滴をはずしてくれと希望しても、一切無視されて、治療そのものが苦痛でしかないのに、死に至るまでやりつずけるという治療は現実には次第に過去のものになろうとしつつあるようだ。

 私は長年にわたって健康問題にかかわってき、さまざまな現代医学批判をもつ健康思想の持ち主と接してきたが、病気になったら余儀なく入院して、西洋医学のラジカルな手段による治療をしか選べないとしたら、なんと虚しいことだろうかと言わねばならない。

 ほとんどのベッドで点滴をしているような病院を選ぶなと、私はいつも訴えているわけである。
 しかし私のこのような問題提起は、医師たちのみならずたいていの人は顧みない。
 進んだ医学の恩恵に浴しているという錯誤は抜きがたいものがある。
 多くの死の現場の痛ましさを目にしていても、明日はわが身という実感に乏しい。
 原爆ですら使った立場の人間はそれを正当化する。
 苦痛を与える立場の人間には、悲惨の実態は見えてこないものなのである。     



 麺麭の思想  その10

 阪神大震災が、不意を襲って、五千人を越えるひとが、生命を奪われた。心から御冥福をお祈りいたします。
 倒壊した家屋は五万を越える大災害でした。壊滅した自宅からかろうじて逃れ得て、避難所に日々を送る人びとの姿をテレビで見るにつけ、戦災にあった日のまだ煙っている焼け跡の匂いと、すこしでも町から遠いところへ避難しようと、市中から数キロ離れた田舎の道の大木の下で野宿した夜のことをまざまざと思い出しました。

 徳島市の中心部は前夜の空襲で起きた火災の延焼がまだ続いていて、空が赤く染まっているのに、両親と子供五人の一家で、ものも言わずに目をこらしました。七月三日の暑い時期でしたが、その空を見ながら、震えがとまりませんでした。

 戦争と天災とを比較するのは当を得ないかも知れませんが、戦争は明らかに人災であって、避け得ないものではありません。
 地震は避け得ないもので、まさかの時の用意を普段から心がける以外に、方法はないのですが、絶対大丈夫などという人間の判断というものは、なんの気休めにもならない、ということを、こんどの地震は告げています。

 予想をはるかに上回る地震だったからという言い方でしか、解釈しようがないのでしょうが、人智というものは万能ではないという
自覚を謙虚にもつことが、自然のエネルギーに対応する人智の在り方ではないでしょうか。

 この地震が原発の直下だったとしたら、本当に大丈夫だったのか、と思うのは私だけではないでしょう。

 何百年か何十年に一回のことに、そんなに神経質にはなれないのが、人間の性かもしれませんが、大地というものが、こんなにも激しい大きなエネルギーを持った巨大な生き物であること。その表皮の上に寄生虫のようにしがみついて生きているのが人間であることを思い知らされたのです。

 しかしこの地球上には、あちこちでいまなお戦争があり、今回の地震にも増して大きな破壊が日常的に行われていることも忘れてはいけないでしょう。

 人智が及ぶにもかかわらず、悲劇を繰り返すのが戦争と言えるし、天変地異の災害は人智の及ぶ所にあらずというべきかも知れません。テレビだけで見ていた被災地をこの目で直接見てきましたが、家屋の倒壊ぶり、現代建築のま新しいビルにも、おおきな被害の及んでいるのを見ると、地震学者や建築家の地震に対する設計思想を甘かったなどと軽々に口に出来ない思いを持ちました。

 なにが起こってもびくともしないなどというものが、果たして人間に作れるのだろうかと、考えるほうが、正解だろうと思います。

 地震は頑丈なものほど、うまく壊すといえるのです。柔構造、柔らかさこそが、あのような破壊力に対する抵抗力です。
 先日来、地震に対する原発の強さは、一般のビルなどの十倍の強さなどと発言しているのを何度も耳にしていましたが、二三日前のテレビで発言していた学者は、原発は三倍の強さを持ってるから大丈夫だと言っていて、耳を疑いました。

 丈夫さは支払った金額に比例するのかも知れませんが十倍と聞かされていたのが、急に三倍になったりするのでは、なんとも心細くなりました。人智の及ばないことが突発したら保証の限りではありません。 そう言っているのだと解釈すべきなのでしょう。形あるものは必ず滅す、と古人は言い伝えてきましたが、不滅は有り得ないのです。

 自然は惜しみなく与え残酷に奪うものです。

 最近、共生などということばを口にするひとが多くなりましたが、他の生き物と共生するだけでなく、いかなる人種とも、共生すべきなのは言うまでもなく、地震とも共生する術を身につけなくてはなりません。

 気に入らないものを、悪しきものとして排斥する考え方では、人間は自然に適応できません。無理無体に従えることは、なにごとにおいても不可能だと、謙虚に真面目に考えるべきなのです。

 病気もまた自然の働きかけであり、地震のようなものです。
 病気の治りにくいひとは、考え方も、からだもとかく固くて、融通がきかないひとが多いものです。
 からだとこころの柔構造をもって、病気と共生し、食に意を払って生活すれば、やがて健康を取り戻すものです。
 病気は予防することが治療より容易であっても、人間はその努力をなかなか払おうとしないのです。               



 麺麭の思想 その11

 悠久の刻の流れのなかで、自覚をもった一個の人間がこの世に存在する時間は、ほんの瞬きにも似たわずかの時間である、とは古来からものを考える芦である人間の多くが認識してきたことである。
 
 いのちを与えられた生き物は死は必然である。生きるとは死にいたるまでの過程のことである。
 いかに生き、いかに病み、いかに老い、いかに死ぬか。この問題についてどの程度の思考と認識をもつかによって、生き方、病
気に対する対応の仕方がかわってくる。時代とその思想がその時代に生きる人間の生活の在り方を決定する。

 その時代の持っているコスモロジーの具現化がその時代に生きる人間の生活である
。時代の思想が常にわれわれを支配しているので、医療をうけるとは、いまの思想を容認し受け入れるということに他ならない。

 ひとつの文化がどのような体系を生み出したかによって、そこでひとびとが享受する生活の在り方が異なってくる。

 仏教の教えとは、人間が自らを如何に認識するべきかというコスモロジーを説いた宗教であって、人間がどこから来てどこへ行くのか、なにが人びとを苦しめている根本原因なのか、を考察するところから始まる。 

 インドのアーユルヴェーダは、現代のインドのなかで西洋医学よりも多く用いられている医学であるが、仏教はアーユルヴェーダの影響を強くうけて成立したとも言われている。

 アーユルヴェーダの宇宙観は、インドの思想の包括されたものと言ってよく、仏教にもヒンズー教にも、共通しているところがほとんどといっていい。インドで古来いろんな学派がいろいろ異を唱えて論争していても、インド人の宇宙観そのものに大きな違いがあるわけではない。

 人生の究極の目的も涅槃に入るということでアーユルヴェーダも宗教も共通している。
 涅槃とはいったい何かということが、われわれには言いがたい。
 仏教の国でありながら、日本人は涅槃に入ることを究極の目的とするようなコスモロジーの持ち主では決してない。

 日本人は究極的には唯物思想の持ち主で、涅槃などというものを目的にして、家や家族を放棄するような生活に入るような人間なぞ皆無である。豊かな生活を享受しつつそのなかで涅槃に入るのだ、というひとには事欠かないかもしれない。

 涅槃とは、人間にたいする自然の働きかけにたいしてその意に逆らわないということに徹する精神を獲得することと言えるかもしれない。あらゆる煩悩をはなれて天命に従うというこころは、西洋思想からは程遠い。

 科学思想というものは、人間が自然を支配し得るという立場に立つ。自然は常に不思議な平衡感覚を有っていて、失ったものや、失いかけたものを復元しよ、という働きを常にもっている。
 
 そのことを認識するか、全く問題にしないかが洋の東西のコスモロジーの差である。
 人間の肉体の働きはひとつの大自然で、常に良好にバランスを保とうという働きがある。この働きに逆らうのが反自然な生き方で、生を破る原因となる。自然がいかに生類の生命を守るかを教えるのが、アーユルヴェーダ医学である。

 スシュルタ本集という古典にして今もってアーユルヴェーダ医科大学の重要な教科書である医学書には、「順調なる季節には、草も水も保険に適し、之を用ふる人は生気・寿命・体力・勢力及活力を得。季節不順なるも亦運命の然らしむる所なり。実に寒暑・風・雨・其宜しきを得ざれば百草並に水は害を受く。是等を用ふるがために緒病起こり又は悪役発生すべし。
 故に百草及飲料水は無害なるものを用ふること肝要なり」( 大地原誠玄・訳) などということが記述されていて、インドのアーユルヴェーダ医師を志す学生は、こうした自然観をしっかり叩き込まれて医師として育っていくのである。

 そんなことは現代医学の学生でも分っているというひともあるかも知れないが、インドで学んで知るということは、それを行うひとになるということで、頭では知っているが手はまったく別のことをやっていることとは、質がちがうということを知る必要がある。

 涅槃とは悟るということであり、悟りは知行一致ということで、思想と行動とが一致していることなのだ。

 アーユルヴェーダを学ぶのは、インド思想が育んできた人間の幸福への原理を知って実行する人間となることであり、すべてのひとにそのことを教える人間になることである。
 いま日本の医学界でも、アーユルヴェーダが研究されつつあるが、西洋医学が不得手とする治療薬や治療法を求めるだけの研究対象であってはならないのは自明の理であろう。   



麺麭の思想  その12
            
 自然というものはやわらかい。そしてやさしい。日本人にとって自然は山であり川であり大地に豊かに生える樹々や植物のイメージであろう。荒れる海や、砂漠や、まして揺れる大地など荒々しい自然のイメージは日本人はあまり抱かないだろう。

 反対に人工的なもの、コンクリートで作られた堤防や、堰堤、ダムなどは自然の破壊だというイメージが強く、日本だけでなく、世界中で自然は破壊され続けているという思いはたいていの日本人が抱いている。

 熱帯雨林や、日本の照葉樹林が人間に無残に壊されていってるということについては関心も高く、反対運動もする。
 自然を守るとはあるがままにあらしめよ、ということが原則かも知れないが、いまや自然は人間が保護することなしには、守れなくなっているといえる。

 自然界に存在するものを天恵として人間が利用することは、破壊ではない。たとえばその土地に暮らすひとが山にはいって、山菜を根絶やしにしない程度に採集するなどというのは破壊にはならないばかりか自然を守ることにもつながる。

 しかし都会から大勢の人びとがおしかけてきてむしり取っていったりすると破壊にならぬとはいえない。
 海で魚をとるのも近代的なおおがかりの漁法でとり続けると魚を絶滅させるかも知れないし、年々漁獲高は減少し魚も小形しか獲れなくなった、という漁民の嘆きをよく耳にもする。

 山は削られ、海は埋め立てられ、海岸も川も護岸と称してコンクリートの岸壁と変じ、白砂青松の国土は自然破壊されたという痛ましさなしにはみられない風景が多くなってきた。

 しかしこうした環境の変化は目に見えてだれにでもわかるが、それに等しいおおきな変化が生活のなかに押し寄せ、生活環境のなかで起こっていると、見えにくく気づかない。 

 とくに医療のなかに、山を削るに等しいような不自然な治療があっても、ひとびとはそれが医学の進歩の恩恵だぐらいにしか思わない。自然を破壊するとは、ただ密林や山や海岸などの自然風土だけに留まらず、その環境のなかに生きる人間もまた自然破壊の対象たるを免れない。

 現代医学も人間という自然体を切り削り、あるいは改造し得る医療技術や、人工臓器もいろいろ開発し、自然の作用では決して起こらないようなことも沢山可能にした。

 検査の段階で使われるレントゲンの放射線にしろ、癌治療に使うコバルトの放射にしても成功すれば有効であり、やりすぎると原爆の被災同様の被爆を受けて、白血病を併発する危険性ももつ諸刃の剣である。

 検査を受けるために人間ドックに入院したのに、その段階で死に至ったひとも何人か知っているが、河口堰をこしらえて、しじみが全滅してしまった川の話を聞かされるように、やりきれないことだ。

 しかし新しい技術が成功したうまい話はマスコミでも大いに報道されるが、マイナスのデータはめったに表向きにされないので、臓器移植の問題にしても、成否についての判断材料はあまり与えられず、苦しんでいる患者の救済の急務が叫ばれて臓器移
植の必要性のみが表に現れてくることになる。臓器移植とそれにともなう脳死の判断の問題などは、反自然の医療の代表格である。

 私は病気が治癒するというのは、患部が元に復することだと常々考えていて、悪化した患部を切除してしまったり、代替え臓器移植の医療には賛成しない。

 世界には多くの自然で簡便な医療が埋もれており、アーユルヴェーダや漢方の治療のように、人体というひとつの宇宙を極力損なわずに、病気から健康へと導く医療術が現に行われ、そこでは患者が西洋医学で耐えなくてはならないような苦痛や副作用なしに、救われていってるという事実がある。

 西洋医学は富を背景にした、繁栄のなかの途上の医学であって、進歩した完成された医学では決してないということを知らねばならない。

 医療技術が進むということは、金に糸目をつけず新しいアイデアにチャレンジし、患者を試み、さらに富を生もうとすることであって、やりたいのは医療者側であって、患者はもっと簡単に治癒するかも知れない病気なのに過重な医療を受けているかも知れないのだ。

 治療の原則は、数学ではないが、必要にしてかつ充分という範囲であって欲しい。
 たぶん日本人がアーユルヴェーダや漢方のみで治療を受けると、治療されてるという感じが乏しいかも知れない。病気は地震や台風かも知れぬが、戦争ではないということをわれわれも現代医学も知らず、常に不毛な戦いにあけくれしているのだ。
 もっと自然をと医療にも暮らしにも望みたい。     



麺麭の思想 その13  混濁する世界

 世界は多様ではあるが、多様さのなかで相似の部分が広がってきているのが現代の世界の特徴だろう。どこかの国を一言で特徴づけるような説明は、気候風土の分類ででもないかぎりほとんど不可能に近くなった。

 人間の欲求や営みは現代文明の枠のなかで地域差を越えて平均化してきている。
 先進諸国の豊かに見えるものを手に入れたがり、固有の文化を維持することでは満足しなくなってくる。 

 すべての地域が先進諸国に習おうとし、その方向を志向する 固有の文明は次第に影が薄くなり、内面性の豊かな伝統的な生活は貧しさなのだと思いこむようになり、日本のような百年にして巨大に成長をとげた国は格好のお手本になって後進諸国の追い
つくべき目標となる。

 明治維新から今日まで日本人は西洋文明を固有の日本文化よりすぐれたものと捉えそれに追いつくことを目標にしてきた。 いまや経済の成長率が世界のトップに立つといわれるようになって、西洋やアメリカ並みの豊かな世界を獲得しているかのようにいわれているが、日本人の大方の生活の実質は借財による夢の先買いである。

 天文学的数字ともいうべき多額の国債を発行せずには維持出来ないような予算を組む国家から、黒字であるほど融資を多額に受けてさらに肥大化を計る企業、ローンを組んでマイホームから車、電化製品はいうにおよばず、生活の細部までカードローンの融資に依存する庶民生活が、豊かさといわれている生活の実態であって、借財を土台にして発展しようという計算で、豊かさというものがもたらすはずの、富の蓄積による生活のゆとりなどはほとんどないのが実態である。

 借金もまた借財という名の立派な財産ではあるが、これは安定した暮らしがずっとつづくという楽観的幻想によって成立している。借財による生活ほど自由からほど遠いものはない。世界のちょっとした異変やつまずきで借金地獄へ落ちかねない。

 バブルがはじけたというが、バブルというのは借財という土台のうえになりたっている日本人のくらしそのものだ。阪神大震災でローンで買ったばかりの家を失った多くのひとびとの嘆きが何度も報じられたが、無残な、まさに泡沫のごとき結末で、なにもかも失っても借金だけはチャラにはならないのである。

 かなり昔に大阪の阿倍野で猟銃を持って銀行に押し入ったやくざがいた。銀行員を人質にして警察官と銃撃戦をやったあげく射殺された事件であったが、この男は人質を盾にしながら、銀行員のひとりに銀行の金を持たせて借金をしている債権者に返済に行かせていたと報じられたことがあって、他人の生命を平然と奪うこんな無謀な男も、借金の地獄がそれほど怖いものかと、つくづく驚いたことを覚えている。

 犯罪に走る人の多くは、借金を苦にして自滅への道を歩みはじめる。借金を背負って幸福を先買いすることはできない。
 マイホームを求める人は仮に三千万円の家をローンで契約すると実際に支払うのはその倍額にもなることを何処かへ棚上げしてものを考えている。支払うべき金利も含めての総額が買ったものの値段である。

 ほとんどの医療機関も借財を抱えての経営で、医は仁術とか聖職などというきれいごとでは、この借財を背負った病院経営は乗りきっていけないので、唯一の収入源たる患者は、経営理念優先の過剰な医療の対象にならざるを得なくなる。 

 いまや世界中が金利を追って血眼になり、湾岸戦争のテレビニュースを見ていても、アメリカの迎撃ロケットがイラクのロケットを撃墜したというニュースの合間にすかさずドルの値段が上下するのが報じられたりして、戦争ですら投資の要素としか考えていない連中が世界を支配しているかに思えて、それを逐一すぐさま報道するテレビにも腹立たしく、救いがたい気持ちにさせられたものである。

 世界中の資本がいまや金利を追っかけてのサバイバルゲームである。
 バブルがはじけて多くの会社が倒産したが、倒産に追い込まれそうな時は、たいていの経営者はあらゆる伝手を頼りに借りまくって、被害をさらに大きくしてから倒産に至ることが多い。

 これらはとことん悪化させてはじめて病気に気づく病人みたいなものだ。
 幸福を金利のつく金で先買いするのが当然のようになっている現代の日本人は、金利を追うゲームの達人である政治家や資本家にマインドコントロールされているのである。

 マイナスの立場に立たされたとき、自分の暮らしの土台がどんなものであったかに気がつく。
 発展とか成長とかいうかけ声に踊らされて目先の利益や安っぽい幸福に目が眩み、堅実さを失った生活をおくってはならない。
 明日は約束されているとはいえない。人間は天地の狭間に拘束をうけつつも自由に生きることを欲する自然の子である。
 金利に生涯を束縛されるようなくらしと縁を切って内面生活を豊富にし、手ぐすねひいている連中の鼻を明かしてやろうではないか。 



麺麭の思想 その14  混濁する世界

 日本人は熱しやすく覚めやすい民族であろうか。根気づよく粘りづよい民族であろうか。
 確固たる思想や宗教をもち、地についた生活を愛し、堅実に生きていくのであろうか。

 新しい物にはすぐに飛びつき、父祖伝来の風習などは惜しげなく捨てて顧みない、初物好きの柔軟きわまりない民族とはいえないだろうか。耳に入ってくる風聞にはすぐになびいて、自分もそのように考えていると思うのでないだろうか。時代の風潮とか流行には敏感だがそもそも自分の頭でものを考える習慣をお持ちであろうか。

 オウム真理教の事件以来、日本の既成宗教が若者の心を惹きつけるものを持っていないからカルト宗教にひっぱっていかれるのだとか、大本山を持つ既成教団は現代人のこころを捉えるような努力をしていないという意見がたびたびでてきた。

 そのような意見に対してテレビで瀬戸内寂聴も「確かに若者の欲求にこたえるようなものを既成宗教はもっていない、恥ずかしいことだが…」という言い方をしていたが、私はそれを見てあれ!とすくなからずおどろいた。

 既成教団への批判は以前からあって、オウムの事件が起こってから急に批判の声がでてきたわけのものではないが、それらの意見や批判は既成教団の宗教家よ、しっかりしてわれわれを指導してもらいたいという要求から出される意見ではないのである。

 宗教に魅力がないから宗教に向かってこないのではなく、日本人は宗教的な欲求を本当は持っていないというべきで、仏教的にいえば菩提心を起こすひとというのは、小数派なのだ。

 宗教家というものは、菩提心を起こすべく布教すべきであってその努力が不足しているとでもいうのだろうか。
 とんでもない話である。世界の三大宗教はいうに及ばず、真摯に道を求めて深められてきた宗教は現代人がパソコンの性能をでも比べるように、ちょっとのぞいてみたら総てが分かってしまうような低次元の仕掛けをもったものではない。
 求めて来るものには充分に応えるべき豊かなものを持って待ちうけているのである。

 宗教は本来布教すればよいというものではなく、仏教では出家を求めてきても、それに相応しい魂を持った人間であるかどうかよく見極めてから弟子になることを許可するのが本来の姿で、出家を強制するなどという馬鹿馬鹿しいことなど有り得ないのである。

 布教は出家の勧めではなく、人間の本然の姿に気づかず、四苦八苦している衆生にその地獄から抜け出るすべ、苦のありのままの様相、実相を見極める目と心を開くための法理を教えること、法施することなのである。

 求めてこないひとのところへまで押しかけて行って折伏するなどというおせっかいは、仏教にとっては邪道もいいところであろう。
求めていって辿り着いた先の師〈グル〉が、もし邪悪きわまる低劣な魂の卑しい人間であったとしても、怨憎会苦という修行の場を与えられた自分のカルマ(業)だと思って受け入れるほかないと考えるのが、宗教を求めるということなのであって、安全無害でピースフルな宗教などというものには、そう簡単に巡り会えるものではない。

 宗教というものは手軽ノ学べるカルチュア教室ではないのである。ここ百年前後に輩出した各種の新興宗教を信仰して、私財を擲った信者を身近に知っている人も多いことだろう。

 教祖は人助けに献身しても、ひとたび組織化され、組織が肥大すれば、センスのわるい取り巻きなどが金集めに狂奔することになりがちである。

 そのようなリスクが宗教には常にあって、だからこそ昔から日本人は、触らぬ神に祟りなしと言いならわして、宗教に本能的に警戒してきたともいえるのである。

 宗教は常に個の魂の救済であって、世なおしなどと口ではいうけれども、大きく社会を動かすような政治的機能などは、宗教が持つべきではないのだ。
 日本の宗教が種々雑多で、あらゆる宗教に節度なく接する人間が多いのは、庶民の健全さの現われであって、のめり込むような宗教への接し方をすることのほうが、いささか異常なのである。

 現代の日本人が宗教的な感情をそれほど深く生活の土台に据えていないのは、宗教を上から与えられ、ものの見方を律しられて、魂を他から支配されることを好まない民族性を強く持っているからであるということもできる。

 戦前、五十年以前の日本人は、無能力な政治家によって、ファシズム徹底の手段として皇国史観に基ずく国家神道を強制され、現人神の崇拝をさせられて、無辜(何の罪もない)の民は、勝ち目の全くない無謀な戦に引き込まれて悲劇を舐めさされてきたのである。

 政教分離の考え方はその反省から生まれたものだろうし、政治が宗教を組み込んで、国民に何事かを強制するような時代は、二度ときてほしくはない。

 もし宗教が強大は影響力をもって、政治を抱き込んだりしたら、この世は暗黒であろう。
 歴史の長い既成教団が、お布施を強要したりせず、檀家制度の枠のなかで仏教の精神を抱卵しつづけて、もし門をたたくものがあればそれに充分応えられたら多としてよい、というのが、私の考え方である。     




麺麭の思想 その15

 諸悪の根源というふうにもちいる根源という言葉はたぶんよく使われると思うが、
どんな問題を考えるにしても、根源にさかのぼって思索することは重要であると思う
が、日本人はあまり根源的な思考をする習慣がないようである。
 「源に遡るものはきわめて少数である」とロマン・ローランはラーマクリシュナの
生涯という著作の序文に書いているが、人間は常に充分にものを考えながら生きてき
たわけではないようだ。思想というものは時代の支配を強く受けていて、時代の雰囲
気が一見新しいかと思うような思想を生みはするが、新しい思想が新しい時代を支配
してきたとはいいがたい。人間の歴史は思想の挫折の歴史だったといっても過言では
ない。唯物論のチャンピオンたる共産主義社会も、不平等窮まった社会を変革するこ
とで、人間に幸福をもたらそうとして形成してきた思想であったはずだが、現実の社
会は理想し思想しするようには動かず、センスの悪い権力志向の野望家の餌食にされ
て、無辜の民の(罪もない民)苦しみをいや増しただけの結果をもたらした。建て前
が真の自由主義平等社会だというだけで、実態は体制を維持するため批判勢力を弾圧
したり粛正したりして個人崇拝を強制させ、権力を握った一部の人間が、国民を抑圧
し欲しいままに支配するような社会が実態だったのである。人為的なあるいは人工的
な社会や組織のシステムというものは、自然に成長し発展してきた社会にくらべると、
均衡が保ちにくいということだ。均衡というのは陰と陽の調和であって、合理と不合
理、善と悪、正義と不正義が混在しているということであろう。矛盾を含まない社会
を理想とするのは幻想にしか過ぎない。
 宗教も教義を具現化することに性急になると、良識からはほど遠いものになる。
 経験を踏まえてこない理論というものは現実をひっぱり動かしていくには、不備が
おおいということだろう。ある理論や理想のもとに集まったコミュニティーというも
のは、崩壊しやすいのだ。トルストイに触発されて生まれた新しい村なども、成功し
た例はすくないということである。ひとつの思想や意思で統一するということは、人
間の本性を無視しないでは成り立たないのである。理論が明解で緻密になるほど、そ
れに従わねばならない人間は束縛感を強く抱く。日本の憲法を政治家がどのように拡
大解釈してこの50年を過ごしてきたかを考えると、法律も法則も欲求のまえでは空文
化させてしまうのが、現実の人間のやりかたで、ああいえばじょうゆうなどと笑う資
格など何人が持っているだろうかと思う。
 長い歴史を持つインド世界の各派の思想の中で日本に伝わっておおきな影響を与え
てきたのは仏教だが、仏教では人間の際限のない欲望こそが諸悪の根源であると考え、
欲望の制御や放棄を教え、他人に施すことや神にささげものをすることを尊い行為と
してきた。
 そういう無欲寂静の境地へ至る階梯として座禅、すなわち瞑想などを教えてきたの
である。人間の真の平和はこころのなかに確立することで、恣意のままに欲望を満た
しても本当の安心は得られないばかりか、自己中心主義の餓鬼道に落ちるばかりで世
の中のバランスが保てない。
 世の中の均衡を保つためには、より多くもつものはもたざるものへ施すことであり、
他人に施すことは損をすることではなくて、むしろ自己の徳を増大させる喜ばしい積
極的な行為だと考えてきたのである。布施をするとは自己のたましいを向上させるこ
とで、いまなにがしかの布施をすれば将来何千倍にもなって返ってくるなどという功
利を期待してするものではない。無償の行為が布施である。
 もし布施に対する期待を持つとしても、来世に生まれ変わったとき畜生や虫に転生
することのないようにという願望ぐらいである。
 人間がはたして本当に欲望を放棄できるだろうか、とたいていの日本人は疑問を抱
くことだろう。インドのひとたちには、このような疑問をだれかになげかけられると、
ためらわずにその通りだと応えて、とうとうと解説をしてくれるに違いない。ほんね
とたてまえとの使い分けなどと日本人はすぐに思うが、欲望を断ち他人に施すことこ
そ人間の理想の在り方だという原則(法・ダルマ)がなににも増して優先し、大多数
の人間がそれを認識している社会というものは、なにひとつ規範を持たない社会にく
らべると、はるかに優しい社会とはいえまいか。
 現在の日本で無党派層などといわれるひとたちが増えつづけているのは、規範なき
政治や社会現象に対して民衆が本能的に抱く不信感の現われである。
 だから規範をもてといいたいのではない。
 無秩序な社会は、均衡が保てなくなる時が、必然的にやってくるだろう。やがて壊
れ、そして混沌がつづき、均衡の保ちかたを模索するながい時代がやってくる。そう
いう変化が政治にも文化にも精神界に起こってこなくては、人類は進化しないのでは
ないか。
 人間が生存して行くために必要な、理想の理念はとっくの昔からいいつくされている。
 もう聞き飽きたよといいたくなるくらいである。人間の歩はまことに区々たるもの
なのであろう。人間をとりまいているのは、無数の真理であって、真理はひとつなど
という幻想に振り回されて、立場の違うひとを敵視してはならない。私の好きな仏教
のことばのひとつ。共生浄土。武器をすてよ!   


麺麭の思想  その16

 ことし終戦五十一年目を迎えた。もはや戦後ではないなどといいだしたのは、戦後十年目ぐらいだったのだろうか。そんなことをいいだしてからまもなく日本は高度成長期に突入していった。

 一九五○年に勃発した朝鮮戦争は日本の復興への景気刺激となって、高度成長への基礎固めの役割を果たしたことはたしかだ。
 不就学児童だった私は、そのころバケツを下げて大阪の町をうろつき、鉄屑や真鍮屑を拾い集めては、朝鮮人の経営するヨセヤにもっていき、鉄屑は一貫目十円、真鍮は三十円で売って、失業してアル中のはじまっていた父に変わって九人家族の家計を支えていた。

 そのようにして拾っていた鉄屑が弾丸にばけて、隣国朝鮮で戦争に使われていて、買ってくれていたヨセヤの人のいい朝鮮人が、じつは故国の同胞を殺戮するために手を貸していて、やがてパチンコ屋などを経営したりしてのしあがっていったのだ、などということを知ったのは、ずっと後のことことである。

 日本が加害者となって、戦争の惨禍をなめたアジアの諸国は、日本が終戦を迎えて再建に立ち上がっているさなか、ふたたび執拗に戦争に巻き込まれたりして、いまだに揺れて定まっていない国もあるといえる。

 薄氷を踏むというが、地雷を警戒しながら、おそるおそる大地をはだしで歩きながら生活をしているひとたちを見るにつけ、五十年も昔に戦争にさっさとけりをつけてしまって、驚異の繁栄を実現してきた日本人を、なにか許し難い思いで見ているだろうと思う。

 日本の政治家や大企業の経営者はあまり過去に拘泥しないのか、都合の悪いことにだけ拘泥しないのか、戦争責任にかぎらず、自己の責任による正邪善悪の判断にたいして、歯切れ悪く、遺憾に思う、とはいっても、悪かった、反省しています、償います、と明確にはけっして言わない。

 従軍慰安婦の問題にたいする対応も、責任は国民に帰するような安配だし、敗戦五十年の国会決議も、世界の目を気にしながら、誰かがいいだすから惰性でしぶしぶやってるという感じで、出てきたものは、日本の政治家の本音を絵に描いたようなもので、一種のだまし絵である。

 このような日本人の鵺(ぬえ)的な無責任体質に対して、アジア諸国の民衆は、許し難いような怒りと怨念をむけているようだ。責任を回避しているとしか受け取れないあいまいウはわが国会議員の十八番である。

 国家としては十分に戦争責任にたいして責務を果たしてきた、という理屈が成立するだけ、国家間では賠償金を使ってきたのかもしれないが、臭いものには出来るだけ蓋をしておこうという逃げ腰が、日本の為政者たちの変わらぬ姿勢である。のみならず、過去の戦争責任を自覚するよりは、これを正当化しようと努めるような発言が、内閣が変わるたびに、かならず一、二の新大臣によってなされ、批判されてはすぐあやまってひっこめるという茶番劇がくりかえされる。

 これは歴史にたいする意識の低さや失言というよりは、なにかねらいがあって、意図的にやっているのではないかとすら思える。
 そのとおり!とそれに喚起呼応する国民の多数になることを期待しての犠牲的発言だろうか。

 敗戦によって挫折した軍国主義の野望、日本による他国への侵略支配への夢を捨ててはいないのではないかという気がするほどである。

 常に怨念を日本に向けている外国の民衆にとっては、このような失言のニュースがながれるたびに、歯ぎしりを噛む思いがするにちがいあるまい。怨念をもつことを知らない日本人には他国民の怨念の深さが想像も出来ないのである。

 原爆で虐殺された怨念補償をアメリカに主張した日本人がいたろうか。
 だがこれらの怨念をかきたてるような政治家の態度は、自国民にたいしてもなんらかわらないので、たとえば水俣などの公害と戦ってきた被害者に対する政治の冷淡さは一貫している。非を公式に絶対に認めないのが、政治家たる責務とでも認識しているようだ。

 弱者にたいする冷淡は、世の東西を問わず支配者層の先天的資質かもしれない。
 今世紀(20世紀)末までのこの数百年間、科学文明をおしすすめてきた先進文明を持った国家は、発見とか開拓精神とかいいつつ、武力で弱者のいのちも、もちものも、当然の権利でも持つように奪ってきた。

 奪われ続けてきた弱者が、奪った強者と対等に交渉の机についたことなど、ほとんどなかったのではないか。
 ドイツのワイツゼッカーのいうように、戦争責任にたいする謝罪は誠心誠意をこめてのものでなくては、絶対に怨念を溶解することが出来ないという良識の声を、謙虚に聞かなくてはなるまい。

 政治家の一挙手一投足がつねに瞬時に世界へ報じられる時代になっては、日本人の戦争責任を問われる問題に関しての政治家のレスポンスの鈍さは、日本人全体の不誠実さとしてうけとられても当然である。二十世紀の人類の戦争経験は、戦争の不毛であることを証明してあまりあるが、いまだに侵略目的というよりも、不信と憎悪を動機に殺しあう民族のいかに多いことかを見るにつけ、怨念の種に水をかけるような日本の政治のありかたを反省しなくてはならない。

法句経にいう。

 【実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。】

 この法句経のことばを、日本人に怨念を抱くひとびとに聞かせる資格を日本人はもちようがないではないか。          





麺麭の思想  その17

 フランスが原爆実験をおこなった。二十一世紀に向かって、世界の趨勢は、原爆実験も原爆そのものも廃止しなくてはならぬという平和指向のように見えるが、原爆の先進国は、原爆のノウハウも保有量ももう十分にあって、それは横に置いといての実験はもうしないという話で、保有している原爆は五十年前からいつだって使える条件はととのっているのである。

 ハンディキャップをつけようのない奇妙な世界の現実ではないか。
 核後進国は強大な核の脅威に対抗できるだけの力をもたなくては、枕を高くして寝られない気分で、開発に邁進してきたのであろう。
 私はフランスの実験にはもちろん大反対だが、核兵器はアメリカやロシアが率先して廃棄してしまうという良識が前提とならなくては、核後進国の開発は歯止めが効かないのである。

 核兵器の問題だけでなく、原子力発電にしても、自国で建設する技術をもっていることは、核兵器の製造能力に限りなく近いことを意味しており、単に電力の確保という枠をこえて、軍備の底力を暗示させているのではないだろうか。日本の政策が原子力発電にこだわる底辺には、核兵器こそもっていなくとも、核を開発し使いこなせる能力を持っていることを世界に誇示しているのである。

 被爆国だから核アレルギーをもっているなどというのは単なる感傷的な一面にすぎない。
 核アレルギーがほんとうならば、万が一のリスクを常にもっている原子力発電に安易に力をいれず、安全な代替エネルギーの開発にもっと真剣になって取り組むはずである。

 政治の論理は庶民の論理とは常に一線を画していることを庶民は自覚していなくてはなるまい。

 第二次世界大戦までの歴史で、各国が軍備の劣る後進国に戦争を仕掛けてきた動機は、他国を侵略して領土を広げ、被侵略民をこきつかい、資源を安価に手にいれて、世界にその威を誇り楽々と肥え太ろうということであった。

 国威を誇るとは、戦争に強くなることであり、そのために軍備を十分に備え、他国が食指をのばせば、逆に叩きのめすだけの力があるということであり、弱くて腕力を振るえそうな国には、なんだかんだと口実をもうけて侵略してきたのである。

 日本がながい鎖国の眠りからさめて、世界を見渡したとき、手本とすべき西洋諸国は、それぞれ植民地をもち、甘い密をなめていたわけで、これを見習わない法はないと当然のように考えたはずである。

 追い付き追い越すというのは、基礎科学から軍備までを、自衛のためだけでなく、他国の植民地化もふくめての目標だったのである。
 現在の日本がそんな野望をいまだにいだいているなどと日本人は思いもしないが、かっての日本による被侵略国は、警戒心を放棄したわけでは決してない。
 疑心暗鬼の種は、侵略戦争を体験させられた国ではいつでも発芽するし、大国といえども後進国が核兵器などを常備すれば、いつ発火するかもしれない火種だと思えば、安心してはいられないのである。

 総じていえば、人間は良識に従って行動しないものだということを、過去の歴史は教えているのである。
 良識は一部の人間のもつもので、権力を手にした政治家などはもちあわせてはいないものである。
 人間には、善悪を問わず、なにごとにおいても行動する能力を神と悪魔から与えられている。

 善を行うについては悪魔から。

 悪を行うについては神からである。

 なぜなら人間は、神の意思にも悪魔の意思にも逆らってばかりいる天の邪鬼だからだ。
 ひとがどんな行動をしようとしているかはそのひとの意思が決定するものにはちがいないが、だれかがどんな悪事をしようと意思していても神はこれにいっさい干渉はしない。
 どんな善を行おうとしてそのために困難していようと、神はいっさいこれに手助けなどしてはくれない。

 またどんな悪事をたくらんでいても、悪魔はそれに手を貸したりはしない。
 神も悪魔も善悪を問わずに人間の行為を高いところから見ているだけである。
 主体性をもって自分の意思で責任をもって行動するということが、神と人間との契約ではないか。

 神は人間がどの道を選ぼうが、そのもたらされた結果によって、自ら学ぶだろうとかんがえているに違いない。
 だから人間は善も行えば悪をも行う。

 なにが善で何が悪であるかということも人間が自ら判断すべきことで、神も悪魔も教えるところではないのである。

 核実験をやるか否か、あるいは保有をやめるか否か。ここまで究極の兵器を作り上げた人間が、神に逆らうか悪魔に逆らうかは、人間が自主的に選択すべき課題である。
 神の御心や悪魔の意思に人間をゆだねてはならない。

 人間は自分で道を選択する。
 平和か戦争か。
 創造か破壊か。
 選択を誤れば、痛い目にあうのは人間であり、悲しむのは、神でも悪魔でもなく人間である。

 人間に与えられている能力と権利と、そして生存の目的について、鍵をにぎるひとたちが謙虚に考えるべき究極の時、それがいまではないだろうか。
                      


麺麭の思想  その18  共生浄土

 この秋に三冊目の詩集・共生浄土(ぐしょうじょうど)を出すことになった。
 この文章が活字になるころには森で拾ったどんぐりの実のような印象のちいさな詩集ができあがっているだろう。
 二十代のおわりに雨季という処女詩集をだした。
友人の画家がふたりがかりでユニークな装画を何枚も描いてくれて、二十編足らずの詩ながらなんとか詩集の体裁をととのえられた。
 いまから思えばこわいもの知らずの、猪突猛進の結晶ではあった。

 二冊目は四十代にはいってすぐ、出版社をはじめたばかりの友人が、新規購入した写植機に慣れるための練習をかねてといいながら徹夜までして版下を作って出版してくれた。モノローグドラマ二本と詩編とを組んで一冊とした、がらんどうは歌うという詩集である。

 題名になったのははじめて書いた戯曲で一人芝居の脚本である。

 浜崎満さんという俳優のために書いたレパートリーのひとつで、のちにインド学の学者やら僧侶、写真家な十人ほどに参加してもらい、劇団・阿修羅というのをこしらえて、わたしは裏方を担当したりしながら各地のお寺などを上演してまわった。
 この詩集は、がらんどうは歌うの舞台を見てくれたひとが競うように買ってくれてたちまち売りきれてしまった。

 上製本もこしらえてくれて何冊か大切にしまっていたが、いつの間にかだれに貸し出したかわからないまま無くなって、手元には普及本が一冊、それもだれかがぼくが持っていないことを知って同情して、そのときぼくが贈呈したものを返してくれたのである。
 それから二十年ちかくが経過して、その間に健康食品関係の雑誌に依頼されて書いたり、同人誌に書いたり、詩展を開くために書き下ろしたりしたものが百数十編余たまったなかから一二〇編ほどを選んだ。

 すこし欲張って詰め込みすぎかなと思わないでもないが、来年は還暦とやらを迎える年になったので、いわば死亡実年の真っ最中の危険な年齢なのでこれが最後の詩集になるかもしれず、つぎつぎと詩集を出したりすることはあり得ないので、あらかたまとめてしまおうという魂胆である。

 日本中に詩を書いているひとはすくなくないが、ほとんどは同人誌よって書いている。三号雑誌ということばがあるように、うすっぺらであっても、同人誌の継続はなかなか困難である。

 私も風葬という名の三号で挫折した同人雑誌を経験したが、風前の詩人にとっては、発表の媒体がなくては書きつづけることは容易ではないが、持続している同人詩誌に席をおいてあまり根気もないのに詩だけはよく書きつづけてこられたのである。

 こんどの詩集はまだ装幀も決めていないが、出版社にはひとつ注文をつけて考えてもらっている。それは現在日本で出版されている本はすべてカバーをかけており、さらに帯をつけてここに推薦文などをいれたりする。

 本屋の棚に並んでおおくのひとが触っているうちに、帯が取れたり、カバーが破れたりすると、出版社は返本された本のカバーと帯をつけかえて、また流通に乗せてゆくし、値上げするときもカバーを取り替えたらそれで済むわけで、現在の出版物は奥付けには定価を印刷しなくなっているのである。

 そしてカバーをつけるせいか、カバーの無くなった本の表紙は、シュミーズ姿の女やステテコをはいたおっさんのような感じで、下着姿か裸のような感じでしかないのである。

 昭和の一〇年代から二〇年代にかけては紙質の悪い出版物ではあるが、いまの本に比べると、きちんと表紙のデザインが工夫されていて、簡素であっても愛着を覚える上着をつ けていて捨てがたいものが多い。

 最近は古書店でも戦中や戦後のそうした本にはめったに出会わなくなってきたが、だれ も目を通さないまま時代を経て古書店に姿を現したりする黄変色したページの本に出会っ たりすると、ひどくなつかしい時代の文化の香りを感じて、少々固い哲学書であってもた らわず買ってしまったりするのである。

 こんどの詩集・共生浄土はカバーなしで上着を着ている本を作ってみたいのである。
 カバーをつけかえることで値上げもリフレッシュも思いのままという商習慣は、出版社 にとっては便利この上ないだろうが、外国のペーパーバックにしても上製本にしても表紙一枚それだけで本の上着になっているではないかと、文庫本も新書判もカバーでカバーしている日本の本には釈然としないのである。

 しかもカバーが失われた本は古書店でも買い取ってくれないというのは、表紙が顔になっていなくて、下半身であるからにほかならない。
 時代がひずむとあらゆる部門にそれが反映される。大地の荒廃はそこに生きるすべての いのちあるもの、そこで人間が生産するあらゆる品物にまで変貌を余儀なくさせる。

 書物もこの時代のなかでは、書架に大切に蔵されるものではなくなってきて、新聞や雑誌なみに扱われる時代になってきた。
 書物が人間の精神、魂の躍動の結晶であった時代は過去のものになりつつあるのか。

 詩人の直感も哲学者の深い思索も、宗教者の敬虔な祈りも、いまでは書物のカバーのごごく片々たるものと変じて、増えつづけるごみの山のなかに埋没してしまおうとしているのではないか。書物が価値なき精神の象徴のように扱われ、ときの為政者から危険思想の対象ともされなくなってしまうのが、書物の未来の運命ででもあろうか。
                       



麺麭の思想 その19

 この連載のタイトルは麺麭(パン)の思想というあまり普段使わない文字を使ったために、なんと読むのですか、と何人かのひとに質問された。なかには(ラーメンの思想)と思いこんでいたひともいたりして、あまり難しい漢字を使ったりするのは考えものだと反省したりもした。  

 麺麭という漢字にした理由は、パンと書けば、ごく普通のケミカルイーストでつくられている、インスタントパンのイメージが強いの
で、天然酵母パンを、それらのパンの文明批評として位置づけて、普及につとめてきた私の立場を鮮明にしたかったわけである。

 パンを麺麭と書けばなにかが鮮明になるというようなものではもちろんないけれども難かしげな漢字を前にして、すこし考えてみてくれる程度の効果があるかも知れぬという計算であった。  

 厳密な意味での醗酵食品としての麺麭は、ほとんど市場から姿を消してしまっていて、インスタント醗酵させたパンがまかり通っているのに、なにひとつ問題も疑問も抱かないような表層的な文化のあり方というものが、あらゆるジャンルで似たり寄ったりであるということは、文化が熟成しないし、根づいてもいないということで、日本人の思考力というものの限界が露呈されているように思えるのである。  

 言葉に関しても同じく、矛盾や曖昧さをかかえたまま規制されて、たいして疑念も抱かずに使ってきたわけである。
 最近、ら抜きことばを認めないという報道がされて、国語問題を改めて思い返してみたわけだが、ら抜きが国語を乱脈にさせるとでも考えているらしい審議会は、自らがスポイルしてきた国語にたいしての悪影響などには、なにひとつ気づいていないようである。  

 ら抜きを云々する連中が、「ら致」などという奇妙な書き方には平気でいられるというのがなんとも不思議ではないか。
 日本では敗戦後になって、国語にたいして政治的にさまざまの規制やら規則が、国語審議会というものによって設けられてきた。  教育漢字とか当用漢字とかをきめて、新聞などの記事はこれに従って書かれていて、熟語によってはかなと漢字の合成語などがよく使われていて、しばらく考えないと意味のわからないことばがたくさんある。ら致、とか、補てん、とか。

 漢字の規制もそうだが、歴史的かなづかいをやめて現代かなづかいを採用したりしたのは、国民の学習能力を見下した愚民政策のひとつだといえるだろう。

 学習しやすいように簡便にしようというのは親心のつもりかも知れないが、おかげで明治の文学も満足に読めない程度の国語力しかないようなひとがおおくなって、古文を読もうとすれば改めて歴史的かなづかいになじんでいかなくてはならない。

 古文を読もうとしたらいやでも旧かなづかいを避けては通れないわけで、簡便にしたために自国の伝統文化から遠ざけ、かえって煩雑さを生むことになるということなど考えもしないらしい。

 千数百年の伝統を、官僚的な発想で簡単にきりすてるようなことは、生きていた文化をそこから先は化石化させることで、いってみれば奈良の大仏を毎年原色のペンキで塗りかえるよりもセンスのわるいことではあった。

 福田恒存などは歴史的かなづかい論者の先鋒で、国語問題を論じ歴史的かなづかいの教科書でもあった(私の国語教室)という本は新潮文庫でながくつづいていたが、これも最近では見かけなくなってしまった。

 いまでも旧仮名づかいで小説を書いているひとは何人かいるけれども、きわめて少数派であって、いずれ駆逐されてしまうのは明白である。

 文庫本にはいると、漱石も鴎外も新かなづかいにあらためられてしまうのである。
 私もこうした問題にかんしては、無神経に伝統の文化を破壊したくない立場で、極端な保守派でありたいのだが、いかんせん旧かなづかいは完璧には身についておらず、書きこなせるとはいえない。新かなづかいもあやふやで、いい加減なところでものを書いているのである。

 ついでにいえば、ローマ字も日本式というのは、海外旅行でサインひとつするにしても理にあってなくて、ヘボン式というのが、外人もともにもちいる書き方で、世界共通のやり方ではないのか。  古い町名の変更などもそうだが、政治や行政側がどうしてこんなことをさかんにやりたがるのか、庶民の良識の立場からは理解できないが、お上のやることだから、と納得のいかないことにもしたがってしまうのであろう。

 伝統や古くからのしきたりを、あっさりと放棄して、新しいものにとびついていくというのは、日本人の融通無碍な性質を現していて、日本の脅威的な敗戦後の発展は、この特質あってなしとげられたものだろう。

 しかし改革すべきものと、保守すべきものとの、判断の基準をどこにおいているのかが、ジャパニーズスマイルのようにきわめて曖昧模糊としていて、日本人の特質だろうか、およそ思想性は欠如している。おおくのことが、あまりにも官僚的に軽薄に決定されていたのではないか。お上と下々というヒエラルキーの意識が、政治とか官僚の立場を獲得するとあらわになって、下々を愚民のように見立て、あれこれと規制して枠にはめたがるのである。

 敗戦後五〇年たって、一時あれほど日本人の意識にあった主権在民というデモクラシーの意識は姿をひそめ、支配しやすい国民性に育てあげられてしまったのではないか。

 無党派層などという政治離れは、政治の危機ではなく、国民の危機であることを認識す必要があるが、妙薬はどこにもないというのが現実であろう。      

              *********** 終わり ***********




2018-05-01(Tue)

インド思想とヨーガ 前田専学先生 アーユルヴェーダ研究31号掲載



                                   平成12年10月8日
    インド思想とヨーガ
                   前田専学  

 皆様おはようございます。ただ今過分のご紹介を受けました、東方研究会の前田専学でございます。本日はこの様な格式の高い学会にお招きをいただきまして、大変に光栄に存知ております。
 私をこの講演会にお招きいただいきました、幡井勉先生また仲介の労をお取りになりました、濱川量子先生始めご関係の方々には心から厚く、この場を借りましてお礼を申し上げる次第であります。

 また本日はインド哲学、仏教学の最高権威の一人で、しかもヨーガの実践者であります、山口恵照先生を座長とする所でお話をする事が出来ますことを、これは誠に光栄な事でありますけども、一方では大変緊張を致しております。
 先程、前田専学と言うフルネームで申しましたけども、それには訳がございまして、私の名前は大変ユニークで仲々他にはない。日本中どこにも無いんじゃないかと思っておるわけなのでございます。ところが私と名前が大変良く似た名前、と申しますのは前田恵学(えがく)と申しまして、恵む学と書く人がいます。
 恵学(えがく)と専学(せんがく)は発音が似てるわけではございませんからよろしいんですけども、字に書きますと、これが大変良く似ているわけです。
 前田はまったく同じでございますが、最後の学なんか同じでして専(せん)と恵(めぐむ)と言う字なんですね。これも上半分が全く同じで下半分がちょっと違うんですね。一方が寸(すん)で一方が心(こころ)である。
 そういうことでありまして、それは実の兄でございます(笑)。
 これもちょっとのことなんですが。今年もおそらく年賀状なんかでもですけども、2〜3通は字が恵学(えがく)、そういうように成っております。

 さて、本日お招き頂きましたのは、こんな話をする為ではございませんで、「インド思想とヨーガ」と言う大変立派な演題を頂いております。
 実はインドの事は一般の日本人に取りましてはあまり知られていないのが、普通でございまして。何を話していいのか、良く分からないのですが、皆様方はすでに専門家でございまして、ますますどう話していいか困惑していた訳ですが、たまたま私は昨年NHKのラジオで第二放送で放送した時、用意しました「インド哲学への誘い」ーベンガル・ウパニシャッドーという副題がついています。
 そのテキストを作りましたもんですから、そのテキストを以てアーユルヴェーダではなくてバラモン教のヴェーダとウパニシャッドというのが主題になっておりますけども、それを下敷きにしながらお話をしてみたいと思っております。

 皆様方のお手元には資料が行っているでしょうか。
 バラモン教の聖典であるヴェーダという言葉、これ皆様方の「1」の所に書いておりますけども。これは皆様ご存知の様に知識という意味でございます。
 知識と申しましても「1たす1は2」とかそういうような科学的な知識ではなくて、宗教的な知識でございます。あたかも呪文のようなもので書いているのでございます。
 それが転じまして、そのような知識を集めた聖典の総称となっているのでございます。
 私が扱っておりますのは、バラモン教の方で最も重要な、人間が作った物ではなくて、天啓聖典です。人間の作った物でない、神が作った物でもない、天啓によって与えられた物、というように言われている物でございます。

 このヴェーダ聖典というものは四つのヴェーダから成っておりまして、最も重要で最も古いのがリグ・ヴェーダという聖典でございます。
 これは紀元前1,200年前頃中心に致しまして編纂された物でございますが、神々に対する讃歌だけではなくて、薬草や病気に関する讃歌も含まれているのでございます。
 また、第四番目に最も新しいアタルダ・ヴェーダという聖典の場合、これは紀元前1,000年ぐらいを、おそらく中心に編纂されたと考えられますけども、この場合やはり大部分は先程申しましたように呪文ではなく、何れも幸福を願うものとか、あるいは相手を呪うような、そういうような呪文も両方が入っているのでございます。
 中には恋敵を呪うものとか、病気治療の為の呪文が入っております。

 しかし薬草の知識とか病気、その治療に関する経験とか知識が蓄積されてくるにつれて、医学がいわゆるその呪術といいますか、魔術から独立致しまして、専門的な学問の体系に発展することになります。この様にして体系化されましたのは、最近の研究では祭式様式のバラモン、正統バラモン辺りからはみ出て、森の中で生活しておりました苦行者の集団が、大きな役割を果たしたのではないかというように推定されております。

 そういうような人達によって体系化された医学が皆様方が勉強しておられます、アーユルヴェーダである。
 アーユ=死というサンスクリットの言葉ですけども、寿命あるいは生命、命と言ったような意味を持っている言葉でございます。
 従ってアーユルヴェーダっていうのは、生命に関する知識という意味を持っている訳でございます。このように体系化されたアーユルヴェーダは、権威づける為にバラモン教の天啓聖典の一つだと言われているのであります。
 先程申しましたアーユルヴェーダはですね、クベラである。アーユルヴェーダに対してクベラであると位置づけることによって、アーユルヴェーダが権威づけさせられている。まあそういう事にこの成っております。以上のことからヴェーダ聖典がインド思想の源泉であるとしますと、アーユルヴェーダとインド思想あるいはインド哲学というものは同じルーツから発展しているものであるということがお分かり頂けたかと思います。

 インドの大古典医学書の一つと考えられております「チャラカ・サンヒーター」、有名なので皆様ご存知と思いますけれども、「チャラカ・サンヒーター」というのは徹底して内科的な治療法を問うているものでございます。
 この「チャラカ・サンヒーター」はインド哲学史的に於きましても重要な位置を占めている文献でございます。
 そこで本題の「インド思想とヨーガ」という問題に入って行きたいと思いますけども、まして「ヨーガ」という言葉の語彙と申しますか、それは皆様ご存知と思いますが、サンスクリットの「ルック」と言うグループが動詞のルーツですけども、それから派生した名詞でございます。

 結びつけるというような意味でございます。英語の「ロー」という言葉がございますが。牛などを繋ぐ軛(くびき)とか申しますが、その軛を「ロー」という言葉と同じ根本で使うものでございます。すなわち精神統一の為に心と体を結びつける「彼岸」ということを意味するわけで、さらには絶対者との統一。あるいは人生の最高の所の言葉である解脱へと到る手段、方法というものへと発展していった訳でございます。

 実は「ヨーガ」の起源というのは残念ながら、よくわかっていないのでして、紀元前1,300年ぐらいから1,800年ぐらいを中心時代として、最大のインダス文明を最近NHKで色々放送していますが…インダス文明の「ハラッパ」で発掘された印章があります。
 「ハラッパ」は現代はインドではなくてパキスタンの方から出てきたんですけども、その後遺跡から発掘した印章の中にはヒンドゥー教のヨーガ神の一つであります「シバ神」の表したものと思われる像が出て来ております。

 そのシバ神はどうもあぐらをかいているような形をしておりましてね、ヨーガをしているのではないかとそのような指摘がされておりますけども、これはまあ、インダス文字が読めておりませんし、どんなかわかりませんがそのような推定が成されている言うだけでございます。
 確実なことがわかりませんけども。古くはインダス文明からの名称の方法であったというようなこともあるかもしれません。
 このヨーガという言葉。これはヴェーダ聖典の古い章からは出て参りません。先程申しましたリグ・ヴェーダとアタルヴァ・ヴェーダというものの中から出て来ないのです。

 最も古いこのヨーガが伝わっておりますのは仏教の開祖であります、ゴーダマ・ブッタ、起源に編纂されたと推定されております「カイフ・ピーヤ・ウパニシャッド」と言う文献がございます。これもヴェーダ聖典の一つでございますが。「カイフ・ピーヤ・ウパニシャッド」の中にみられるのが一番古いヨーガでございます。

 まあ、しかしその意味する所ですね。はっきりヨーガという意味合いで使われて本来の意味で使われているのはゴーダマ・ブッタ以後の事でございまして、およそ紀元前350年から300年頃に編纂されたと推定されております。「ハタ・パタンジャリ」というのがございますけども、その中について出てくるのであります。それともう一つはっきりとヨーガを使っておりますのは紀元前300年から200年頃に編纂されたと推定されたと思われます、「シェーヴェダ・シュヴェタラ・パタンジャリ」という文献に用いられています。
 後ほど「シェーヴェーダ・シュヴェタラ・パタンジャリ」問題は引用のことが検討されて載っておりますけども、まずそのウパニシャッドについて若干の説明をさせて頂きたいと思います。 先程四つのヴェーダ聖典について言及いたしましたけども、そのヴェーダ聖典、全体は大変大きな文献群を成しているものでございますが、文献群の一番終わりの群を占めているのでございますが、それと同時に文献群の主旨と申しますか、一番のさわりと申しますか、それをその述べているのが「ウパニシャッド」であります。そういうように言われております。

 成立の年代は幅広いのでございまして、古くて重要なウパニシャッドでは紀元前500年を中心と致しまして、前後合わせまして数百年の幅の間に編纂された。こういうように推測されております。皆様ご存知のように、インドの物に年代を決定する色んな物が無いのでございまして、インドの方の時間意識というのは西洋の時間意識とかなり違っておりまして循環的なんですね。 輪廻的でございますから。西洋の色んな時間に対して無関心でいうように言われておりますけども。そういう性質の為にですね、時間的にあまり詳しい事が決定出来ない。

 そのような状況に置かれております。推測するしか方法がないともいえますので、大体のおおまかな時代をいうしかないのです。
 従ってこの「ウパニシャッド」という文献ですね。ゴーダマ・ブッダ、仏教の開祖であるゴーダマ・ブッダ以前に成立したものがございます。仏教の影響を受けたウパニシャッドもございます。思想史の上から見ますとウパニシャッドは、それ以前の思想では総括であるとと同時にそれ以後、今日に到るまでインド思想の厳選である、いうふうに言われております。

 それ程にインド思想にとりまして重要な位置に置かれているのでございます。このヒンドゥー教の聖典であります。ウパニシャッドはインドのムガール王朝の第五代のサージャ=ハーンの長男でありました、イスラム教徒のラーラシポーと言う人。1615年から1659年まで生きた人ですけども、ラーラシポーによりまして、サンスクリットからペルシャ語に翻訳されたんですね。イスラム教徒でありながら、バラモン教の聖典をペルシャ語に翻訳すると言う大事業を成したのでございます。

 この頃大変イスラム教とヒンドゥー教と申しますかバラモン教とも申しますが、これは融合するような非常に蜜月の時代でございます。
 この後の時代に変わりまして、今では大変イスラム教とバラモン教、ヒンドゥー教との間は仲の悪い時代でございます。このラーラシポーに於きましてペルシャ語に翻訳されたウパニシャッドはさらに、フランス人でルベロンという、アンテンデュ=ルベロンというフランス人の学者でございますけども、1801年と1802年にラテン語に訳される。重訳でございます。

 一度サンスクリットからペルシャ語に、ペルシャ語からラテン語にというように訳されたものがイスメファットというものです。
 このペルシャ語からの翻訳であるラテン語をxxxxxxxxx的な読み方で熱狂的に感激して大きな影響を受けたのが、近代西洋のドイツの哲学者でありますショーペンハウアーでございます。
 彼はその「余録と声」の中にウパニシャッドについて、次のように申しております。

 皆様方引用文を載せておきましたが、
 「この一行一行が実に何と確固とした明確な徹頭徹尾調和の取れた意気に満ち満ちていることだろう。どのページからも深い根源的な崇高な理想が我々に語って来るが、全体の上に隔たり神聖な厳粛さが漂っている。ここにはインドのふっきと根源的な自然に順応した精魂が息づいている。ここでは精神が古くからそれに接ぎ木されたユダヤ的迷信やそれを有り難がっている、素敵な哲学等をきれいに洗い去っている。これは世の中に最も蘇りであり、最も人生を高める読み物である。それは我が生の慰みと成るだろう。」
 とこういうような絶賛をしているのでございますが、彼の意志の哲学の基礎にウパニシャッドの哲学を受けまして、自己の哲学を構成する上でカントの著作からの影響と並んでウパニシャッドの理想とプラトンの影響を受けたと自ら告白しております。このようなバラモン教の聖典の中にヨーガが確固とした地位を確保するに到りましたのは、おそらく「シュヴェーダ・シュヴェタラ・ウパニシャッド」8番に書いてありますが。そこにおいてではないかと思います。

 どの様なことを言っているのかと申しますと。検討してみたいと思いますが。
 
 「すなわち目と首と頭とにおいて身体を直立不動させ、思考によって感覚器官を心臓の中に入らせる。ブラフマンという舟に乗って賢者は必見をもたらす。ひけんをもたらす全ての川を渡るであろう。」

 「ここにおいて彼の諸々の息を圧縮し、彼の運動を抑制し、彼の息が尽きた時に人は鼻孔によって息を吸い込むべきである。」
 「平らで清潔な所、おいしい木、砂の無い所、音のない流れなどがある所、思考に取っては快適で目に痛みを与えない所、動物あるいは風の無い隠れ場でxxxxxxxすいである。」

 「霧、煙、太陽、風、ほたく、げんこう、水晶及び月、これらはヨーガにおいてブラフーマンの謹言を生じさせ、変幻先行する形態である。」

 「地、水、火、風及び空が共に生じ、これらの理屈からなる身体がヨーガの性質を覆うようになる時にヨーガの身体を獲得した人、ヨーガ行者には病も老いも死も存在しない。」

 「軽さ、健康、欲求のない状態、晴れやかなる顔色、心良い声の響き、心より香り、少ない大小便の排泄、それらがヨーガの最初の段階であると人々は言う。」

 「粘土によって汚された円板が良く磨かれれば明るく輝くように身体を有する自己は、自己の本質を認識して目的を達し、悲しみから解放されて、唯一のものになる。」

 「だんぷに例えられる自己の真の本質を通じてヨーガを実践し得る人がブラフーマンの真の本質を見る時に、まず生まれていない、変化しないサーンキャの末の原理によって汚されていない神を見る。人は一切の束縛から解放される。」

 まあこういうように「シュヴェーダ・シュヴァタラ・ウパニシャッド」の中にヨーガについて述べられております。これよりますとヨーガの胸と首と頭を真っ直ぐに直立不動の姿勢を帯びて外に成っている。感覚器官を心臓の中に入らせれる。
 感覚器官は外に向かう訳ですけども。
 心臓に向かって入らせる。外界からの刺激をなくして呼吸を整える。
 調息と言われるもので呼吸を整える。

 そしてヨーガを行う場所が書かれておりますけども、「平らで清潔な場所。洞窟や壁のない隠れ場所など」が勧められています。ヨーガの力で均整が取れたヨーガ行者には病も老いも死も存在せず、身が軽くなり、健康で晴れやかな顔色になったり、大小便の排泄が少なくなったりする、これがヨーガの最初の段階であるというように述べております。
 そして最終的には粘土によって汚された円板が良く磨かれれば明るく輝くように、身体を有する、自己の本質を認識して目的を達して悲しみから解放されて唯一のものになる。

 すなわちこの段階で真一の自己になる、アートマンを実現する、いうことになるものと思います。この「シュヴェーダー・シュヴァタラ・ウパニシャッド」におきましてはヨーガという瞑想法とが真一のアートマンの認識の手段として考えられております。

 次に「仏教とヨーガ」ということで話を進めさせて頂きたいと思います。
 先程から仏教の事を研究しておりましたのもゴーダマ・ブッダですけども、ゴーダマ・ブッタが現在のネパールの領内にありますルンビニー園で紀元前5世紀頃ですね。この年代に関しましても諸説が幾つかございますけども。中村先生の学説では紀元前463年から383年というのが中村説でございます。このルンビニー園で紀元前5世紀前にですね、家族を捨てて出家して、まず弟子入りしたのはアーララという仙人。そして仙人でありますウッダラパーラという仙人でございました。この二人の仙人に対しては良くわかっておりません。けれども、おそらくは一種のヨーガの達人であったろうというように思われます。

 ゴーダマ・ブッダは二人の仙人の達成していた境地を短期間でマスターしてしまいまして、結局はその修行法では悟りに導かないというので、両仙人の元を去りまして、当時修行者の間で良く行われておりました、苦行を六年間に渡って山腹に籠もって行うことになりました。

 しかし、その苦行もやはりこれも悟りに導くものではないというので捨てまして。
 ブッダガヤで現在のボードダヤと言っていますが。そこで菩提樹の元で瞑想に入り、そして悟りを開いたと言われております。これは禅定、ディアーナあるいはデーアナと言われるようにいるものでございます。あるいは、その中国語で浄土。静かな思んばかる浄土おいうように訳されておりますけども。ご存知のように後で説明することになりますけども、ディーアナ、いわゆるヨーガの修行の中の一環でございまして、それが仏教の開祖によってなされていたらしいのです。大乗仏教になりますとイマビヨウ派という派が生まれます。ヨーガチャーラーと言っておりますけども、ヨーガを行とする学派という意味ですが、そいう一派が出来る訳でございます。

 仏教がこのように最初からヨーガの根幹である禅定を吟味することを基礎づけられた背景でございます。で仏教とヨーガとが関わったと思いますけども、次にヒンドゥー教の方になりますが「バカヴァット・ギーター」というものの中にあるヨーガについてお話したいと思います。

 アーユルヴェーダを通じまして、インドにご関心のある皆様方でございますから、インドの二大国民的な叙事詩の一つである「マハー・バーラタ」は良くご存知であると思います。これは大変膨大な叙事詩でありまして、古代ギリシャのホメロスの二つ「イリアス」と「オデッセイア」の合わせたものの八倍もあるという大作であります。

 古今東西を置きまして、これ程の叙情詩はないのではないかと思います。およそ十万のxxxxxxxの印字で書かれたものですから。インドの伝説によりますとピニアーサという仙人が作ったんだというように言われておりますけども、これは一人の作者が作ったというのは考えがたいものでございまして、おそらく多くの吟遊詩人の力があって、今日の形に成っているのではないかと思います。しかしこの中枢となっている物語、これはおそらく歴史的事実であったろうと推測されておりますけども、それは西北インド、現在のデリーのさらに北側にあたりますけども、西北インドに領土を持っておりましたバラタ族の親族の間で起こりました。

 領土を巡る争い、骨肉相争う大戦争になってしまったんですけども、それがマハー・バーラタの中枢になっている物語でございます。
 インドの人々は嘗て有名を馳せたバラタという王様、英語でありますが、このバラタを王とするバラタ族の子孫であるということを大変誇りにしておりまして、ヒンディー語でインドという時はインデァという英語を使うのではなくてマハー・バーラタ、サンスクリットから来ているのだと思いますが、バラタ族の末裔のという意味でございます。
 正式のサンスクリットの名前はバーラタマルシェと言っておりますが。バラタ族の末裔の住む場所というような意味を表す、インド人の血となり肉と成っている物語でございます。

 その「マハー・バーラタ」という大きな叙情詩の第六巻の二十三から四十章を占めておりますのが、先程申しました「バカヴァット・ギーター」というのでございますが、訳せば「バカヴァット」と言うのは神の歌、神曲、ダンテの「神曲」ってのがありましたが…。
 それに訳せば神曲ということになりますが、略してギーター、ギーターと言っておりますが、これは今申しました親族同士が相争う大戦争が始まろうという所から、この物語が始まってまいります。最も強い戦士である、アルジュナという戦士が敵方にいる自分の親族だとか、先生方とか、朋友とか、そういうものを見まして戦意を喪失してしまうんですね。

 戦車の中でうずくまる、その時御者を努めておりました、クリシュナ神の権化でありますが、それとかビシュヌ神の権化、アルジュナなんですね。御者をしているわけなんですが、御者であるクリシュナ神とそれからアルジュナとの対話、それが「バカヴァット・ギーター」を形作っております。

 このクリシュナ神がですね意気喪失したアルジュナに向かいまして、何事も顧みない、後顧の憂いがない、自分自身に課せられた本分を全うすべきであるということを順々と説き明かして来まして、アルジュナに戦闘を決意させる言葉として、この「バカヴァット・ギーター」が語られています。
 ヒンドゥー教の聖典は数多くございます。膨大な数量が残されておりますけども、キリスト教のバイブルは二冊あります。旧約、新約とありますから。

 またイスラム教はコーランあるいはグムアンという一冊の聖典があるわけですが、それに相当する聖典がヒンドゥー教にありますかということを時々聞かれる事がありますけども、返答に困るんですが、沢山ありましてどれを取っていいかわからない、というくらい量、数が数多くありますが、しかし、その中で代表として上げなさいとなると、おそらく誰しも「バカヴァット・ギーター」を上げるということになるでしょう。

 まあヒンドゥー教のバイブルと言ってよろしいかと思います。

 その中にもやはりヨーガが勧められております。どのようなヨーガかと申しますと、
 「第一に行為ヨーガ、考えるヨーガ。第二に知識のヨーガ。第三に親愛のヨーガ」そういう三つのヨーガが言及されております。
 このヨーガは解脱への手段でありまして解脱を達成する為の手段、実践とか修練というような意味を持っている言葉でありますが。最初のこの行為ヨーガというのは法典によって、各自が課せられている義務というものを、結果とか、そういうものはまったく孝慮することなく、無心に実践すること、それが「カルマ・ヨーガ」でございます。

 インドの独立の際にはガンディーなどの独立に邁進した人達がですね、ガンディー達はギーターの勧める「カルマ・ヨーガ」の大きな感動を得て独立の運動に邁進して行ったと言われております。

 それから第二の知識のヨーガと申しますのは、自分自身の真実の本体、我々の中にはアートマンという本来の自己があるんだと、バラモン教の正統派の人達は考えているわけですけども、その自己の本体であるアートマンがこの宇宙の根本原理、宇宙の唯一の根本原理であるからアートマンというものと同一であるという真理を明らかにすることによって解脱を達成するというのが、第二の知識のヨーガでございます。

 第三の親愛のヨーガはこれは絶対的な愛と申しますか、親愛というバクティと言うサンスクリットでバクティと申しますけども、信仰、熱烈な信仰とでも考えて頂ければよろしいと思いますが、この信仰によって神の信仰によって神の本質を知ることが出来る。そしてバラモンのみならず、万人が解脱を達成することが出来るというのが、親愛のヨーガでございます。
 これは日本の仏教で申しますと阿弥陀仏の信仰を基本とする浄土教の流れにxxxxxxxで行くものでありますが。その事を考えるギーターの一節を引用いたします。

 「私は万物に対して平等である。私は憎む者、好きな者はない。しかし親愛をもって私を愛する人々は私の内にあり。私もまた彼らの内にある。私に心を向け私を親愛する者、私を供養し私を礼拝せよ。このように私に専念し私に専念すればあなたは正に私に見られるだろう」と言うような問言がございます。

 だいぶ時間も迫ってまいりましたけども。ヨーガがこのようだと言うお話を致したいと思いますが、以上述べてまいりましたヨーガは長い歴史を持ってまいりましたけども、そういう歴史の上にいわゆるインド哲学派の一つですね。ヨーガ学派が成立することになります。

 この学派の現在する文献の中で最も古い文献は「ヨーガ・スートラ」と言っているものでございます。皆様良くご存知と思いますが。この文献は元々、サンスクリット語で書かれておりまして、この学派の根本教典ということで尊重されております。
 この教典は、当時どういうふうな形で伝承されていたヨーガ、さらに仏教の影響の元にサーンキャ学派のこれはインド哲学学派の一つ、有力な学派でありますが、サーンキャ学派の学説を借用いたしまして、体系化したものと考えれております。
 この教典がパタンジャリという人に帰せられておりますけども、おそらくパタンジャリという人が書いたのでは無いだろう、言うように推定されておりますが、伝承ではパタンジャリに帰せられまして、その学派のヨーガ学派の開祖がパタンジャリということに成っております。

 インド思想史を紐解きますと。私が古代大xxxxxxxと時代がございますけども。
 インドには多数の体系が、哲学学派が発展致しました。それはどれくらいかと申しますと、紀元前120年から600年、紀元後120年から600年に到る、480年の間でございます。 歴史的に見ますと、クシャラー王朝からグプタ王朝にかけてでございまして、特に古典文明の黄金時代でグプタ王朝の時代に大きな発展を見ております。

 パタンジャリのヨーガが出来たのも、この時期なんですね。この時代に成立致しました、色んなインド哲学学派の中で唯物論とか、ジャイナ教とか仏教いうもの体系化致しますし。バラモン達によって正統派と目されました体系に先程少し述べました、サーンキャ学派という学派、それに我々のヨーガ学派、それからニヤーヤ、ヴァイシェーシカ学派、ニーマンザカ、ヴェーダンダ学派というような六つの学派、これを六派哲学と通称呼んでおりますけども、この学派がこの時代に栄えていた。

 そしてヨーガ学派も六つの哲学体系の一つとして栄えていたわけでございます。
 ヨーガ学派は仏教とは異なりましてインドの正統派の、先程申しました六つの学派は全て正統派の一角を占める誠に重要な哲学学派でございます。
 さらにヨーガ学派は先程申しました精神と物質を説くサーンキャ学派と密接な関係にありまして、ヨーガ学派の哲学者とほぼサーンキャ哲学と同じでございます。

 しかしながら一つ大きな違いはサーンキャ哲学は無神論ですが、神を認めなくても成立する体系を持っておりますけども、ヨーガ学派の場合は神、最高神という存在を認めております。
 非常にこの微々たる問題でありますけども、一応最高神という存在が残されているわけでございます。このサーンキャ説というのは皆様関心持っておられるアーユルヴェーダの理論的なものがサーンキャ学派に負う所が多いのでがざいます。
 ヨーガ学派の根本教典であります「ヨーガ・スートラ」によりますと、ヨーガというのは心の作用の抑制である。まあそういうように定義されております。

 その動いて止まない我々の心、心の作用を抑制すること。
 精神統一して三味の境地に入る。
 三昧というのは日本語に成っておりますけども、元はサーマディというサンスクリットの言葉ですね。そのサマーディの境地に達する。それが解脱への通じるわけでございます。

 ヨーガの体系はこの心を修行が問題としつつ、その理論と実践を説いているのでございます。 今、物質文明の急速な発展でNHKなどは、こころの時代という心のセルフケアという事で「こころの時代」という番組が出来たりしておりますけども、日本人は一般の常識ではですね「心」というものは物質とは反対のものであると理解されているのが多いかと思いますけれども、ヨーガのみならず

インドでは一般に心とは物質的なものと考えられております。
 ヨーガ学派によりますと心というのは、一切の真理認識の牙を司る感知である。

 しかし技術を持ちますと宇宙の究極的な形の原理の物質なものの原理であるプラクティと呼んでいますが、そこから展開したものいうように考えられております。
 従って心は物質的なもので、これは古くからのものであります。もう一つの根本原理は純粋精神プルシャと言っておりますけども、これは本来の自己でございますね。

 煩悩などのために両者が結合している状態がある訳ですから、輪廻をする、そして苦しんでいる、そういうのは我々の日常の生活でございます。
 この心の作用を抑制して、そして輪廻の根本原因である煩悩をその中の最も根本的な煩悩は何かと申しますと無明であります。
 明らかな知識の無いこと、無明でございます。
 根本物質と性質が結合している。

 これが輪廻の状況でありますけども、根本物質と純粋精神が、これを解除されるその必要がある。結合させる原因が無明でありますから、無明をなくす。そうすれば輪廻が消滅して肉体の解脱というものが達成されるいうようにヨーガの方では考えている訳でございます。

 その解脱はいったいどのようにしたら良いかいうことを「ヨーガ・スートラ」では、今八つの段階の名称だけをここに言及するに留めますけども、
 第一は正戒というのでございます。不殺生、不しんじゅう、盗まない不淫、不所有という五つの項目を実践すること。
 正戒、内省、内外とのしょうじょう。そんな事がありますが。座法、アーサナと言いますが。 それから調息、息を整えることですね。制感、感覚器官をきれいにする。凝念、それから七番目は悟りの境地の禅定。八番目が先程述べましたが三昧であります。
 この八実習法は「ヨーガ・スートラ」に書かれている最も代表的な実践の方法として説かれております。この「ヨーガ・スートラ」の特徴と言いますのは理論の面に集中しておりまして、実践というにはあまり詳しくは述べられていないのでございます。
 例えば座法アーサナの事などは殆ど述べられておりませんで、後代の注釈家の助けを借りてどんなものであったかとわかるだけでございます。

 ヨーガによって触発される神秘的な境地というのは色んな学派で研究されております。
 解脱というものと近い境地でございますので、各哲学学派によりましてヨーガの修行というものが、その実践手段として採用されております。
 今日良く知られておりますのはヨーガ行法の肉体的生理的面を強調するハタ・ヨーガであります。
 日本でよく行われているのも、この流れを組むものではないかと思います。
 ヨーガの時に用いる「オーム」と言う正音、ダカラと言いますが、そのお話をする時間がなくなりましたので、この場で締めさせて頂きたいと思いますが。アーユルヴェーダという、このバラモン教の聖典でありますが、ヴェーダ聖典とはどのような関係があるかといえば、非常に密接な関係があるというような事を申しました。

 インドで育った色んな思想と学派がヨーガと非常に密接な関係がある。そしてこのインドの「ギーター」というヒンドゥー教のバイブルの中にもヨーガが書かれている。
 そのようなお話も致しましました。よくヨーガをされる方はアーサナを中心に書かれまたそれを美容体操にと理解され、一般にされている方。あるいは体操。

 実はそうではなくて体操面とが技術的なものではなくて、非常に深い思想の層があると。
 色んな長い伝統を持ったインド思想の中にヨーガがあるんだとお分かり頂ければ幸いだと思います。
 皆様方、ヨーガをやる場合は幡井先生を始め会員の方々が望んでおられる様に、このアーユルヴェーダが二十一世紀の医療の変革をもたらすものになるようにと切望致しまして、拙い今日のお話を終わらせて頂きたいと思います。
 ご静聴有り難うございました。



IMG_0284-medium-init-.jpg

前田專學先生プロフィール

1931年(昭和6年)、名古屋市に生まれる。東京大学文学部印度哲学梵文学科卒業、米国ペンシルヴァニア大学大学院博士課程修了。
Ph.D.、文学博士、日本学士院賞受賞。東京大学教授、武蔵野大学教授、日本印度学仏教学会理事長などを歴任。専門はインド哲学仏教学。
現在は財団法人東方研究会理事長兼東方学院長、東京大学名誉教授、仏教伝道協会英訳大蔵経編集委員会委員長、史跡足利学校庠主、日本学術会議連携会員。
主要な著書は『ブッダを語る』(NHK出版)、『ウパデーシャ・サーハスリー―真実の自己の探求』(岩波文庫)、『ヴェーダーンタの哲学』(平楽寺書店)、『インド的思考』(春秋社)、『インド思想史』共著(東大出版会)など。







 












 




2018-04-28(Sat)

アーユルヴェーダ研究 総目次 0号〜37号

  総目次

『アーユルヴェ一ダ研究』(第0号~第37号)

第0号(1970年度版)

 新しい医学・衛生学の開拓                 丸山  博       01
 ききかじりのアーユルヴェーダ -仏教研究者へのお願い- 大橋 隆憲       02
 チャラカ・サムヒターについて              板倉 裕之       05


第1号(1971年度版)

人間存在の医学 -アーユル・ヴェーダの意味するもの-   善波  周       01
インド医学研究の方法論                  矢野 道雄       04
チャラカ・サンヒターの目次とその日本語訳について     板倉 裕之       07
文学士・理学士・大地原誠玄完訳のスシュルタ・本集について 丸山  博       10
インドにおけるアーユルヴェーダの研究と教育の現状     西田 輝夫       14
日本におけるアーユルヴェーダ関係文献目録(その2)                17
アーユルヴェーダ研究準備会の歩み(その2)                    23
スシュルタ・サンヒターの翻訳本の予約申し込みの募集                24
アーユルヴェーダ研究会結成へのよびかけ                      24
会員通信/アーユルヴェーダ研究準備会員名簿(その2)


第2号(1972年度版)

インド医学の起源                     常磐井 堯猷      01
ヘルンレ文庫(大谷大学所蔵)について           板倉 裕之       08
ゴーカレ教授の講演によせて                丸山  博       16
東洋比較医学史 私の中国医学史研究           ジョーセフ・ニーダム    17
「インド医学史に関するシンポジウム」についての報告     板倉 裕之       25
大地原誠玄完訳『スシュルタ本集』の刊行について      丸山  博       28


第3号(1973年度版)

インドの伝統医学アーユルヴェーダとその背景        V. V. ゴーカレ     01
実践としてのアーユルヴェーダ医学          パンディット・シヴ・シャルマ 16
Pandit Shiv Sharma 氏との4日間              大塚 恭男      38
パンディット・シヴ・シャルマ博士との対話          矢野 道雄      41
インド医学への期待                     山口 卓三      45
会のあゆみ/会員ならびに賛助会員名簿(その4)

別冊付録
インド医学序説 -第三の医学アーユルヴェーダ-       岩本  裕
インド医学における生体概念について             太田 妙子


第4号(1974年度版)

天台止観に基づく現代医学の問題点の考察           奈倉 道隆      01
摩詞止観観病患境の医学的考察                奈倉 道隆      21
スシュルタにみえる鉗・●とダンタシャンクの解釈について   杉本 茂春      28
名医ジーヴァカ -その生い立ちと人間医学-         善波  周      36
古典医学『難経』の生命観                  橋本 正博      40
古代印度医学とのであい                   杉田 暉道      42
伊東教授訳『ススルタ大医典』について            鈴木 正夫      46
スシュルタのこと                      中野 義照      48
会員通信/アーユルヴェーダ研究会々員ならびに賛助会員名簿(その5)
/書評/アーユルヴェーダ国際セミナー参加の旅


第5号(1975年度版)

特集:アーユルヴェーダ国際セミナー
日本におけるAyurveda研究の傾向               丸山  博      10
アーユルヴェーダ国際セミナーヘの旅             山口 卓三      15
パティアラヘの旅をおえて
      丸山 博、幡井 勉、奈倉 道隆、小寺 敏子、本村 康一、石田 英湾
      吉田 典彦、中西美代子、稲村 晃江、松尾 禮子、杉田 暉道      45
 インドの薬草によせて                   木村 千賀子     55
インド旅行に加わって                    大塚 睦子      63
アーユルヴェーダ医学国際会議に参加して           小松 寿子      73
インドの伝統医学                      矢野 道雄      76
アーユルヴェーダ国際セミナー、インド紀行、45首       鈴木 正夫      79
質問に答えて               パンディット・シヴ・シャルマ      83
日本の医学生への期待と反応                 丸山  博      87

特集:アーユルヴェーダ研究会第1回総会
インドの現象学的人間学に照らした二つの臨床心理療法の方法論的比較論
                              小俣 和一郎     95
インド古典医学書の表現形式について             矢野 道雄      99
摩詞止観とインド医学                    奈倉 道隆      103
アーユルヴェーダ研究・学生グループ紹介/総会感想/会員通信

特集:アーユルヴェーダ入門・十章             丸山  博 (巻末)

特集:印方薬マルゴサ物語               白沢  謙 (別冊付録)
インド薬物の科学的研究                 難波 恒雄 (別冊付録)



第6号(1976年度版)

特集:アーユルヴェーダの体系       シヴ・シャルマ著、鈴木 正夫訳    08
インド伝承医学への私の遍歴                 丸山  博      125
インド伝統医学についての一管見               丸山  博      130
特集:アーユルヴェーダ概論・十五章            丸山  博(巻末)


第7号(1977年度版)

特集:インド伝承医学・アーユルヴェーダと現代医学・科学思想

第1部 インド伝承医学・アーユルヴェーダ
日本におけるアーユルヴェーダ研究の過去と現在と将来について  丸山  博     08
アジア民族医学におけるアーユルヴェーダの位置づけ       久保 全雄     15
スシュルタにみえる歯科学                   杉本 茂春     25

第2部 インド科学・哲学思想
古代インドの肉体論管見                    岩本  裕     31
初期仏教と医学                        宮坂 宥勝     37
吉代インド唯物論「ローカーヤタ」               佐藤  任     46
アーユルヴェーダとヨーガの接点(抄録)            佐保田 鶴治    51
N-ag-arjuna の心の健康について-大智度論の仏教医学管見-   奈倉 道降     52
第3部 アーユルヴェーダ・現代医学・科学

アーユルヴェーダから学ぶもの                 甲田 光雄     57
現代における食物観批判                    山口 卓三     63
ニームヘの軌跡(抄録)                    白沢  謙     66
現代医学とインド伝承医学                   中川 米造     68
現代医学より見たTridhatus,Tridoshas(抄録)         鈴木 正夫     76
トリドーシャ理論の現代的意義                 千島 喜久男    77
『チャラカ・サンヒター』第1巻、第30章           矢野 道雄訳     88
『チャラカ・サンヒター』の訳業によせ、読者に訴える       丸山  博     95
アーユルヴェーダ研究会の進路への希望             井上 テル子    96
シルクロードの途中にて                    池上 正治     98
翻訳出版文化賞の影に-斉藤英一氏を偲ぶ-           大橋 隆憲     102
研究総会感想/会員通信/新入会員名簿(その8)/会員論文・著書紹介


第8号(1978年度版)

インド特集

AIHORE H. S. Sharma/Hiroe Inamura                        02
Ayurveda:The Fountain Source of the Medical Science of the World. C. R. Karnick 06
Medicinal Use of Mercury on the Human Body H. S. Sharma              28
Development of Indian Medicine During 1400 to 1800 A. D.
with Special Reference toMineral Therapy P. Vasanth                41
 
科学・哲学および社会       D. チャット・パーディヤーヤ/佐藤 任 訳    66
 
会員論文・著書紹介/会員通信/新人会員名簿(その9)


第9号(1979年度版)

白内障手術の起源                      鈴木 宜民      02
Some newer Aspects of Research in Nasal Therapy or“Nasya Karma”
of the Ayurvedic System of Medicine C. R. Karnick, P. D. Jopat          10

今日的良医論                        小口 悌示      27
インド思想への一つのアプローチ               佐藤  任      40
P. Kutumbiah著『古代インド医学』の全訳刊行に寄せて     幡井  勉      55
夢・即ち1つの世界か、世界・即ち1つの夢か?
―古代インド哲学における夢の意味によせて     Erna Hoch /小保和一郎・訳   57
タントラ仏教の可能性                    佐藤  任      86
インド村民の健康および罹病の実態と生活習慣         杉田 暉道      91

国内・国際交流報告
          大阪、東京、岐阜・愛知                    93
“Journal of Ayurveda, Vol. 1 No. 1”発刊(INDIA)                 95

<緊急特報>
“National Convention on Ayurvedic Research Methodology”案内(INDIA)      96
資料A. Krisna氏によるAyurvedaセミナー概要 (99)
資料B. ユナニ・アーユルヴェーダ医学展覧会(1975)出品図書目録(インド)     110
会員通信/会員論文・著書紹介/新入会員名簿(その10)



第10号(1980年度版)

アーユルヴェーダ研究会第3回研究総会にむけて        丸山  博      02
現代科学と人間性                      管野 礼司      04
現代医療の形成とアーユルヴェーダ              奈倉 道降      18
第三の医学への模索 ―心身症に症んであることを
インドの人間学的医学に照らしてみて―            小俣和一郎      29
古代インドの科学の方法                   佐藤  任      41
Ayurvedaの生埋学-Doshaの巻(章)             Hiroe Inamura     54
インド医学における生体概念について             太田 妙子      71
ある印中医学交流 -Dr. B. K. Bashのこと-         池上 正治      80
スシュルタの紙背を訓む                   杉本 茂春      85
ビルマにおけるアーユルヴェーダ               坂本 守正      90
私とアーユルヴェーダ                    田辺 正忠      92
クトムビア著『古代インド医学』の訳出その後         幡井  勉      93
ニームの展開その後                     白沢  謙      94
外科部門雑感                        朝比奈 靖司     95

参考資料:
丸山 博著『食品公害論』等に対する見田石介氏の書評(手紙)と丸山 博のコメント  13

国内・国際交流
アーユルヴェーダ研究会・東京地区会の歩み                     97
アーユルヴェーダ研究会・定例研究会(大阪)の一年                 98
インド国立ジャイプール・アーユルヴェーダ研究所 見学     小寺 敏子     100

会員著書紹介/新入会員名簿(その11)/事務局通信/第3回研究総会案内


第11号(1981年度版)

特集:第3回研究総会をふまえて

第3回研究総会挨拶「『いのち』の認識を深めるために」      丸山  博     02

東西自然観と科学方法論をめぐって

報告:奈倉道隆「人間の医学と社会福祉」-討論のまとめ-   藤森  弘     04
報告:佐藤 任「古代インドの科学の方法」-討論のまとめ-  山内 宥厳     07
報告:菅野礼司「現代科学と人間性」-討論のまとめ-     中川 米造     09
最近のインドにおけるアーユルヴェーダ事情           西野 美知子    12
.クシャラスートラについて
.パンチャ・カルマについて
.アーユルヴェーダの医学文献
科学実証主義の誤りと形而上学の復権              小口 悌示     43
アーユルヴェーダとヨーガの接点                佐保田 鶴治    56
アーユルヴェーダ研究会・第4回研究総会にむけて        幡井  勉     72
A COMPARATIVE STUDY OF THE S_UTRA-STH_ANAS Michio YANO             74
「アーユルヴェーダ文献目録」紹介                佐藤  任     101

物故会員にこたえて                               125
シヴ・シャルマ先生の思い出                            127
シヴ・シャルマ完生を野辺におくる               西野 美知子    128
シヴ・シャルマ先生を訪ねて                  白沢  謙     131
シヴ・シャルマ先生を想う                   大槻  彰     131
アーユルヴェーダ研究会・大阪の一年のあゆみ                    134

『第10号』正誤表/新入会員名簿(その12)

第3回総会決定事項/第4回研究総会案内/事務局通信



第12号(1982年度版)

特集:第4回総会をふまえて
開会あいさつ                         丸山  博     03
アーユルヴェーダの概念                  H. S. シャルマ     05
アーユルヴェーダによる薬物学の概念            H. S. シャルマ     10
アーユルヴェーダにおけるドーシャの病理学           稲村 晃江     17
私の日本見聞記                      H. S. シャルマ     28
第4回研究総会印象記                     稲村 晃江     36
Profile of SHARMA  三十三間堂にて              山内 宥厳     38
シャルマ氏寄贈書籍一覧                              39
アーユルヴェーダの哲学的背景                 中村  元     42
サイバネーション療法の理論と実際 ―心と身体の健康への新しい試み― 石川  一   46
“こころ”の病因学                       西野 美知子    47
宗教的救済と健康                       中田 直道     50
アーユルヴェーダ医学と中国医学の薬物             難波 恒雄     53
心と体の健康 -食生活-                    岩尾 裕之     56
アーユルヴェーダと医学討論の方法               佐藤  任     60
心身相関よりみたメニエール病の学習              朝比奈 靖司    63
心・身・環境相関の老化対策とアーユルヴェーダ         奈倉 道隆     64
食養法とアーユルヴェーダ                   山口 卓三     66
アーユルヴェーダにおける“味”について            藤森  弘     69
仏典とスシュルタ本集にみられる飲食物について         杉田 暉道     71
アーユルヴェーダにみえる歯の病理と歯の衛生          杉本 茂春     73
らい療養所に於けるニ一ムの使用結果他             白沢  謙     75
医学におけるアーユルヴェーダ・システム         D. M. R. B. ディサナヤケ 77
マーダヴァニダーナ及びその注、マドコーシャにおける癆病
(ラージャヤクシマン)の四種の原因           竹村 一三、中田 直道  80
シンポジウム司会者感想             杉田 暉道、川瀬 清、白沢 謙  82
第4回研究総会後記                      幡井  勉     84



第13号(1983年度版)

特集:第5回研究会研究総会

記念講演:20世紀の医学と人間                飯島 宗一      02
記念講演:印度哲学における生命観              宮坂 宥勝      10
挨拶:二つの記念講演をうけて

―日本のアーユルヴェーダ研究会の役割を思う―        丸山  博      19
東洋の修行法にみられる心身観                湯浅 泰雄      21
文化史的にみた医学 ―照葉樹林文化との関連―         中尾 佐助      34
西ドイツにおけるアーユルヴェーダ研究の実情と医学的人間学  小保 和一郎     41
第5回研究総会参加者感想文                            46
釈尊の歯について                      杉本 茂春      50

「アーユルヴェーダ研究」第0号~第13号総目次/新人会員名簿/会員著書紹介

/事務局通信/アーユルヴェーダ研究会会則



第14号(1984年度版)

アーユルヴェーダとサーンキヤ思想              山口 恵照      02
インドネシアのジャムウ大系とアーユル・ヴェーダ       高橋 澄子      44
中国伝統・印度伝承医療理論の由来              林  三夫      54
アーユルヴェーダの薬物学について              坂本 守正      70
「ホログラフィック・パラダイム」と五つのマヤコシャ      小口 悌示      74
第5回研究総会・印象記                   小口 悌示      81
事務局通信・第6回研究総会報告               山内 宥厳      90
新人会員名簿(その15)/会員著書紹介



第15号(1985年度版)

特集:第6回研究総会をふまえて

総会開会挨拶                        丸山  博      02
アーユルヴェーダ医学の方向性を探る -民族医学から学ぶもの-(対談)
アーユルヴェーダの思想から学ぶことが出来るもの     山口 恵照+丸山 博   04
アーユルヴェーダとインドネシアの民族医学        幡井 勉+高橋 澄子   10
PRACTISへの展望                    白沢  謙+田辺 正忠   19
彷徨のなかでの方向性                 中川 米造+山内 宥厳   24
第6回研究総会後記                     山内 宥厳      35
アーユルヴェーダに学ぶ私の人生観              H. S. シャルマ    36
アーユルヴェーダの味覚学                  稲村 晃江      58
インドにおけるアーユルヴェーダ事情             稲村 晃江      66
アーユルヴェーダの生態学的ヴィジョン            佐藤  任      74
私のアーユルヴェーダ研究・「四十歯」推理抄         杉本 茂春      78
小口氏の「アーユルヴェーダ研究会第5回総会・印象記」
       ヘの若干の批判と補足と            小俣 和一郎     79

新人会員名簿(その16)
会員通信/第7回研究総会案内/事務局通信



第16号(1986年度版)

特集:第7回研究総会をふまえて

総会開会挨拶                        丸山  博      02
公開講演:日本におけるアーユルヴェーダの現状と将来     丸山  博      04
特別講演:インド思想と医療の問題
   ―「アーユルヴェーダ」医学の特質―          山口 恵照      13
特別講演:パンチャカルマ療法について          Upali Pilapitiya     22
ヤントラとやっとこ                     杉本 茂春      31
丸山博士の「アーユルヴェーダとは何か -そのひとつの答え-」を読んで
                              山口 卓三      36
アーユルヴェーダヘの体験的接近(2)            山崎 万里      43
スリランカ国際学会に参加して
   ―アーユルヴェーダ医学見聞記―            小寺 敏子      47
Guggulu (Commiphora mukul)の使用経験            幡井  勉      52
クシャラ・スートラ -その試みと成績について-        田澤 賢次 他    57
その後のニーム                       白沢  謙      64
チベット薬物における周辺伝統医療の影響
   ―女性の健康増進薬の処方概念の検討―         難波 恒雄 他    66
インドネシアの伝統的治療薬ジャムゥ             高橋 澄子      71
Chewing Stick とウ蝕予防について              服部 征雄 他    78
インドにおける動植物の分類                 佐藤  任      84
Rheumatoid Arthsitis(リウマチ性関節炎)について      KRISHNA. U. K.    92
第7回研究総会印象記                    山内 宥厳      97
第1回アーユルヴェーダ入門講座報告             岡部 米子      99
佐保田鶴治博士の訃                     山口 恵照      l06
故 岩淵亮順会員を悼む                   白沢  謙      l07
 
第8回研究総会案内/アーユルヴェーダ国際大会案内/事務局蔵書目録/事務局通信



第17号(1987年度版)

特集:第8回研究総会
開会の挨拶                         幡井  勉      03
特別講演:アーユルヴェーダの具現化について         丸山  博      05
特別講演:仏教と健康                    玉城 康四郎     10
アーユルヴェーダの医学教育の今昔              国井  修      15
仏教経典にみられる医療                   杉田 暉道      18
人間学                           是成 太一      20
チベット医学の史的哲学的背景                佐藤 道郎      22
日本におけるアーユルヴェーダ医学              菅波  茂      24
AMDAとアーユルヴェーダ医学                 Krishna U. K.     25
アーユルヴェーダ=全体医学                Subhash Ranada      26
関節炎に対する熱灼効果の評価               Upali Pilapitiya     29
ウサダ=インドネシア・バリ島に残された治療学        高橋 澄子      31
アーユルヴェーダにおける小児科学についての考察       足立 卓郎      34
ポテンシャルの医学                     山内 宥厳      37
アーユルヴェーダにおける虚血性心疾患とその管理       S. N. Tripathi     40
シンポジウム=クシャラ・スートラ
M. B. Kothia/クシャラ・スートラによる痔瘻治療の検討               46
田澤賢次他/クシャラ・スートラ=その試みと臨床成績について            54
高橋澄子/クシャラ・スートラの薬学的考察                     57
シンポジウム=中国伝統医学とアーユルヴェーダ:糠尿病をめぐって
         H. S. ,Sarm_a/ジャムナガールにおける糖尿病研究の概要     63
木下繁太朗/糖尿病の漢方治療                           73
稲村晃江/アーユルヴェーダにおける糖尿病治療と中国伝統医学            75
中嶋重行/『スシュルタ本集』に記載された糖尿病の西洋医学的考察          78
中国「経絡学説」とインド「ナディー学説」との相関      小口 悌示      81
尿療法について                  森田 富也、小栗 史朗     91
インド科学史について                    佐藤  任      96
 
第9回研究総会の案内/新入会員名簿/会員住所変更/正誤表/会員著訳書紹介/事務局通信



第18号(1988年度版)

特集:第9回研究総会
開会の挨拶                     丸山 博、幡井 勉、菅波 茂  04
鉱物薬シンポジウムに参加して                堤  定蔵      06
生体内微量元素の撹乱                    野見山 一生     08

ヨーガ・シンポジウム
総括とヨーガ行法デモンストレーション            木村 慧心      14
ヨーガは来たる高齢化社会に対して、何ができるか       角川 武由      16
ヨーガと聖なる日常                     崔  東       18
佐保田鶴治先生のヨーガ禅について              石田 祐雄      19
ヨーガ健康法                        朝比奈 靖司     22
YOGAと人間学                        珠敷 泰夫      24
 
Medicating Process of Mentals According to RASA SHASTRA
     Prof. H. S. Sharma                           27
Scientihc Study of RASA SAMSKARA with Special Reference to First eight SAMSKARAS 
     Dr. D. Joshi                              30
The lntegrated Approach of YOGA Therapy in Stress Related Ailments
     Dr. D. R. Nagaratna                           32
Concept of ABHYNGA and PINDA with Special Reference to Longivity and
Health Promotion Programme Vaidya H. S. Kasture                  36
Use of Herbal Alkaloid and Alkali Compound in KSHARASUTRA Preparation
     Dr. T. Doshi                              39
Clinical Study of a Herbal Compound(Nosulin)in Masturity onset Diabetes(NIDD)
     A. K. Jain & D. Chakraborty                       41
Ayurveda KSHARASUTRA Therapy for Treatment of Piles and Fistulain Ano
     Dr. D. H. Nikam                             44
伝統治療薬ジャムゥとボログドゥル寺院            高橋 澄子      46
仏教医学の変遷                       杉田 暉道      50
健康と病気治療のための医学情報データベースシステム     森  宏治      52
クシャラ・スートラによる痔瘻の治療             山本 克弥等     54
唐僧・義浄のみたアーユルヴェーダ              池上 正治      58
アーユルヴェーダ研究会 第9回研究総会プログラム                 60
「ヨーガシンボジウム」印象記                小口 悌示      62
石野信安先生の想い出                    木下 繁太朗     69
連続講読会『アーユルヴェーダの日常』の記録         岡部 米子      70
『アーユルヴェーダの日常』を読みやすくするために      高橋 澄子      88
「アムリタの会」報告                    田辺 正忠      92

第10回研究総会の案内/新入会員名簿/住所変更/事務局通信/会員著訳書紹介



第19号(1989年度版)

特集:チベット医学へのアプローチ                         04
チベットの歴史と文化                    ペマ・ギャルポ    05
チベットの医療と死生観                   池上 正治      16
『四部医典』「根本タントラ」第1章試訳           中川 和也      25
チベット・カイラス紀行                   木村 慧心      33
民族医学講演会の意義                    丸山  博      44
民族医学講演会の記録(1966~88年)                     46
第10回研究総会の報告                               48
第二セッションの感想                    中野 勝輝      50
『四部医典』に見る断食の記載                中野 勝輝      51
宇宙は生きる場であり死ぬ場である              田辺 正忠      53
インドネシア伝統治療薬ジャムウの実験的考察         高橋 澄子      55
障害児教育の現場から                    大塚 睦子      56
インド生薬の臨床薬理学的研究                幡井 勉他      57
PROSTATE ENLARGEMENT                   Krishna U. K.     61
ラサシンドゥーラと植物混合薬の糖尿病治療への臨床応用    稲村 晃江他     64
A Study of RASA SIND_URAM in Combination with Herbo-minteral Compound
in Special Reference to Diabetes Mellitus Inamura H. & others           70
アーユルヴェーダにおける早死の概念について        S. S. Bahulkar     84
Concept of Premature Death in Ayurveda          S. S. Bahulkar     89
大先達、久保全雄先生を偲ぶ                 幡井  勉      42

第11回研究総会案内/「アムリタの会」報告その二/会員著訳書紹介



第20号(1990年度版)

特集:チベット医学                                04
チベット医学における薬物について             Dr. T. ギャンツォ    05
チベット医学とその薬物資源                 難波 恒雄他     08
アーユルヴェーダ+仏教=チベット医学            中川 和也      17
アトピー性皮膚炎と蔵医学                  中野 勝輝      21
『四部医典タンカ全集』の翻訳を終えて            池上 正治      24
特別インタビュー:Dr. T. ギャンツォ氏に聞く   インタビュアー・中川 和也    28

第11回研究総会の報告                              35
アーユルヴェーダと人間学的精神医学             切替 辰哉      36
アーユルヴェーダの健康観、病理観              幡井  勉      41
ジャムウとパラ(ナツメグ)の不思議             高橋 澄子      45
錬金術と医学                        佐藤  任      49
アメリカで体験したパンチャカルマ              児玉 和夫他     52

総括報告=アムリタの会より                            59
無 題                           朝比奈 靖司     60
私の遺言状                         幡井  勉      61
私の死はヤットコドッコイ                  田辺 正忠      63
“死”その三章                       白沢  謙      65
私の死生観:いのち尽きるとき                高橋 澄子      66
私の体験的死生観                      川田 勝代      69
私の死生観                         竹村  繁      70
私の「死生観」概論                     中川 敏郎      73
未決の生死観                        中川 和也      75
私の「死生観」                       橋本 初枝      77
我がアムリタ                        池上 正治      78
私とアムリタ                        岡部 米子      79
ヴァーグバタの『ラサ=ラトナ=サムッチャヤ』(第1回)
                              佐藤 任訳      81
TRIPARTITE TREATMENT FOR DIABETES MELLITUS         J. K. Ojha      87
 
第12回研究総会の案内/ヨーガセラピー(Y. T.)研究部会の案内/会員著訳書紹介



第21号(1991年度版)

特集:第12回研究総会                              04
特別講演と招待講演
アーユルヴェーダと漢方                   大塚 恭男      05
アーユルヴェーダとインド料埋                レヌ・アロラ     08
APPLICATION OF YOGA TO HOllSTIC HEALTH           K. N. UDUPA      11
シンポジウム=アーユルヴェーダの具現化
     内的ヨーガ行法と発病因抑制について        木村 慧心      20
アーユルヴェーダの脈珍                   児玉 和夫他     22
アーユルヴェーダの和讃化                  藤森  弘      26
第12回研究総会の発表
黒茶(六堡茶、普茶)の製法・特徴             提  定蔵      28
USE OF TERMINALIA ARJUNA IN CORONARY HEART DISEASE     K. N. UDUPA      35
癌治療におけるグッグル(没薬)の使用            稲村 晃江他     40
仏典とスシュルタ本集にみられる風病の治療の比較       杉田 暉道      46
ヴァーグバタ『ラサ=ラトナ=サムッチャヤ』(第2回)    佐藤  任      49
TRIPARTITE TREATMENT FOR DIABETES MELLITUS()      J. K. Ojha      67
伝統医学は現代生命科学に何を寄与し得るか          佐藤 道郎      78
伝統医学としてみたギリシャ医学の再評価           石渡 隆司      81

第13回研究総会(松江)の案内/ジーヴァカ・シャーラ‘91夏/
アムリタの会(第2部)加齢について/ヨーガセラピー研究会報告/会員著訳書紹介
総目次集「アーユルヴェーダ研究」(第0号~第20号)                90




第22号(1992年度版)

特集:第13回研究総会

特別講演三題                                    04
高齢者の食生活の変化                    多田  学      05
空を流れるもの 体を流れるもの                徳永  進      09
生きがい療法の思想                     伊丹 仁郎      13

シンポジウム:ヨーガと健康増進
シンポ「ヨーガと健康増進」を司会して            土江 正司      17
ヤーマ瞑想行法たる内観法と心理療法としての動的瞑想行法   木村 慧心      18
ヨーガにおける不老長生法について              山崎  正      22
パブロフの条件反射理論からみた瞑想の考察          朝比奈 靖司     25
シンポジウム:老人医学とアーユルヴェーダ
シンポ「老人医学とアーユルヴェーダ」を司会して       田辺 正忠      31
ラサーヤナ(若返り療法)と現代               佐藤  任      32
アビャンガ                         クリシュナ U. K. 他  35
ラサーヤナに用いられる薬物                 高野 昭人      37
インド医学にみられるラサーヤナ治療             稲村 晃江      48
老人医学とアーユルヴェーダ                 国井  修      60

第13回研究総会の発表
産婦人科におけるヨーガ体操の効果              森田 俊一      68
古代医学へのお誘い                     尾田 敏博      72
バンガロールの第4回アーユルヴェーダ国際学会に参加して   幡井  勉      80
日常に便われるアーユルヴェーダ薬の紹介           高橋 澄子      82
シッダ医学と錬金術                     佐藤  任      87
仏教とスシュルタの伝統                   中川 和也      89

第13回研究総会(京都)の案内/ジーヴァカ・シャーラ‘92九十九里/
アムリタの会(第2部)その後/「食の会」からの報告/ヨーガ・セラピー研究会
報告/会員著訳書紹介



第23・24合併号(1994年度版)

長寿科学としてのアーユルヴェーダ        上馬場 和夫・クリシュナ U. K.  04
Visualization and Quantitative Analysis of the Pulse Diagnosis in Ayurveda
              Kazuo UEBABA, Hitoshi lSHIYAMA, Hiroshi KASAHARA  11
Tripartite Treatment for Diabetes Melltus(Part)     J. K. OHJA      31
アーユルヴェーダ(古代インド医学)             上野 霄里      37
謎の麻酔薬-中国薬学史上の奇跡-              加納 喜光      43
シルクロードを通った外科医術-印中医学交流史瞥見-     加納 喜光      55
三ドーシャ不調和疾患へのタイプ別ヨーガ療法に関する一考察  木村 慧心      62
Naikan Meditation Technique as a Psychotherapy       木村 慧心      79

東洋医学の重要史料『スシュルタ本集』を古代インドのサンスクリット原典
から初めて日本語に漢訳した大地原誠玄先生          多留 淳文      83
インド周辺の薬物-比較民族薬物学の提唱-          難波 恒雄      89
インド伝統医学・アーユルヴェーダ現地調査報告1       落合正浩・落合広子  98
平成3年度インド伝統医学現地調査事業         竹村 真一・上馬場 和夫  109
総目次『アーユルヴェーダ研究』( 第0号~第22号)               157
第17回研究総会(福岡)の案内 (予定)                     169
各地 例会案内                                  171
近刊紹介                                     172
編集後記



第25号(1995年度版)

特集:第16回研究総会

-インドの生命科学“アーユルヴェーダ”と医療-
シンポジウム-アーユルヴェ一ダの伝播と民族の融和-
インドのアーユルヴェーダ                  クリシュナ・U. K.   04
チベットのアーユルヴェーダ                 中川 和也      07
ミャンマーのアーユルヴェーダ                幡井  勉      16
ジャワの伝統治療薬・ジャムウ                高橋 澄子      18
欧米のアーユルヴェーダ                   上馬場 和夫     20

特別講演

Role of Ayurvedic Panchakarma Therapy in the Clinical Practice
                              Bheema Bhatta     24
パンチャカルマの臨床                    長沢 宏 翻訳    32
ヨーガ・セラピーの理論と実技                長沢 宏       38
一般発表
アーユルヴェーダを現代医療に生かす試み
     -体質判定問診表と生活処方箋の利用-       上馬場 和夫他    42
現代人の不調不快と体質判定プログラムの意義         橋本 健弘他     46
アーユルヴェーダで使用している薬草入りゴマ油の機能性に関する研究
(1)油の抗酸化性および生体調節能を持つリグナンの含量について
                         副田 靖子・上馬場 和夫    52
エイズウイルスに有効なアーユルヴェーダ薬物の探索      服部 征雄他     54
シッダ医学について                     佐藤  任      57
古代インド仏教における悪性腫瘍(乳癌)のケアについて    伊藤 道哉      62
薬用フノリで介護と実際に即した限界用法の効果        北村 慧光      64
アーユルヴェーダから学ぶこと                山内 宥厳      73
Tripartite Treatment for Diabetes Mellitus(Part IV)    J. K. Ojha      75

地方例会案内等
編集後記



第26号(1996年度版)

特集 第17回研究総会

-現代に活かすインド医学・アーユルヴェーダ-

特別講演
いのちをふまえた健康学                   池見 酉次郎     04
アーユルヴェーダとヨーガの心理療法 -インド智慧に学ぶ心の養生-
                              本村 慧心      14
シンポジウム:「東西医学の融合」
           “東西医学の融合”の方法論      小口 悌示      42
会員研究発表
≪複雑系の科学≫カオスから描かれる興味あるコンピュータ画像 松岡 伯菁      52
アーユルヴェーダを現代医療に生かす試み
-パンチャカルマの中心処置としての瀉血療法-    上馬場 和夫、幡井 勉他   55
医術・錬金術・密教の相関性                 佐藤  任      65
アーユルヴェーダと西式健康法                石井 文理      75
ゴマ油熱処理法の考察および、その臨床応用の報告   浜田 和郎、浜田 三保子   79
うつ病患者に対する統合的ヨーガ療法の試み          河崎 幾恵      82
患者の心性と権利についての歴史的考察            杉田 暉道      88
モンゴル伝統医薬 -その変遷と現状-          難波 恒雄、土田 貴志   95
高橋澄子さんを偲ぶ                     幡井  勉      105
第18回研究総会(富山)の案内(予定)                      107
各地例会案内                                   110
第5回国際伝続医薬シンポジウム・富山(1996)プログラム
広告
編集後記



第27号(1997年度版)

特集:第18回研究総会

  -アーユルヴェーダと仏教医学-
シンポジウム
仏教の中のアーユルヴェーダ           イナムラ・ヒロエ・シャルマ    04
仏教の理論的基礎としてのアーユルヴェーダ          佐藤  任      22
中国における仏教医学の調査研究         小松 かつ子、難波 恒雄     28
仏教医学の歴史的展望と現代における役割           杉田 暉道      45

会員研究発表
ヨーガ行の効果評定の簡易化(1)-分泌性IgA 指標の検討-  山崎  正      52
マニバドラ・チュールナーの治験と効果について、それに関する事柄   
福田 博子   58
ヒマラヤ地域の天然薬物資源調査
-Shilajitの産地Dolpaを訪ねて-              高野 昭人      65
アーユルヴェーダの現況と展望                H. S. SHARMA      69
アーユルヴェーダによる心の診察への接近        翻訳:中川 和也      78
An overview of the common medicinal plants of Uzbekistan
                   Olimjion KOJIMATOV、 難波 恒雄      96
会員新刊紹介等



第28号(1998年度版)

特集:第19回研究総会
 -アーユルヴェーダの現代における課題-
特別講演
 アーユルヴェーダとプラセボ                津谷 喜一郎     04
 アーユルヴェーダと共に -25年の歩み-          幡井  勉      29
 聖雪域の医学 -チベット医学をヒマラヤの南北から見る-  池上 正治      32

シンポジウム:-アーユルヴェーダの現代における課題-
アーユルヴェーダを実地医療に組み入れるために -医師の立場から-  蔵方 宏昌  35
 アーユルヴェーダ実践の立場から              中川 和也      37
 これからのアーユルヴェーダ                上馬場 和夫     39
 電脳ネットワークへのお誘い-一般会員の立場から-     板倉 敬則      42
会員研究発表
 皮膚科外来患者に対するアーマ除去法施行の試み       山本 百合子     44
 アーユルヴェーダ体質論(プラクリティ)への一考察 イナムラ・ヒロエ・シャルマ  47
 自律神経機能評価と体質自己判定における生理機能の比較検討  坂木 佳寿美    52
 ホリスティク医学と癒し                  平野 永和      55
 医療の場への仏教的癒し導入の試み             藤原 寿則      59
 アーユルヴェーダ、仏教医学とターミナル・ケア       杉田 暉道      61
 仏教の起源は西アジア? -インド医学の源流は?-     佐藤  任      67
 ショウガ科クルクマ(ウコン)属の薬用植物について     豊田 祥広      70

 「介護」に生かすアーユルヴェーダの知恵
              高橋 佳璃奈、幡井 勉、三澤 久美子、高橋 紀子   78
 ヨーガ・センティナリアン(百寿者)の道          山崎  正      80
 母と子のヨーガ -子どもの様子と指導のポイント-     野坂 見智代     83
寄 稿
 インド医学の伝統と構造                  大塚 恭男      89
第20回研究総会(福井)の案内(予告)
東京月例会のお知らせ
1997年活動報告等
1997年度決算報告等
編集後記



第29号(1999年版)

日本アーユルヴェーダ学会へ                 難波 恒雄      05
ヨーガ・センティナリアンの道                山崎  正      06
長寿科学アーユルヴェーダ                 クリシュナ・U・K   08
アーユルヴェーダとヨーガの接点               青山 圭秀      10
アーユルヴェーダとヨーガの接点               木村 慧心      12
YOGA(ヨガ)による、人類を救済する可能性の探求       珠数 泰夫      14
日本のヨーガの方向性                    木村 慧心      16

    第20回アーユルヴェーダ研究会福井総会 会員研究発表
アーユルヴェーダによるヘアートリートメント      パティル・シーマ・長沢   18
世界伝統医学の基本理論比較
A Comparison on the Principles of the world Traditional Medisines  池上 正治  21
                               
アーユルヴェーダとヨーガ             イナムラ・ヒロエ・シャルマ   23
アーユルヴェーダ基本文献翻訳への電脳利用          山内 宥厳      26
 精神的教えに関する一考察
 ~エンカウンター・グループ形式の購読会において~
      (中国新聞情報文化センター)          野坂 見智代     28
 
             第20回総会 特別講演
不妊症に対する効果的なアーユルヴェーダ療法
  Dr.Sunanda M. Pai, G.C.I.M
  Principal / C.M.O.
 S.D.M. Ayurvedic College of Ayurvedic, UDUPI ? 574 118             30
 
現代社会とヨーガセラピー
 (ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ研究財団)         Dr.H.R.ナゲンドラ    34
 
インド伝承医学と沖縄長寿の栄養学 
  (琉球大学医学部沖縄アジア医学研究センター)      秋坂 真史      43
 
「ヨーガ」教師に求められる知識と教養についての考察と提言
 (ヨーガ教育教師・カイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所客員講師)  相方 宏    47
日本ヨーガの方向性                     山口 恵照      51
「ヨーガ(YOGA)」とは何であり、その目的は何であるのか
     スワミ・マヘッシャナンダ(Swami Maheshananda)
                           訳・構成:相方 宏     55
アーユルヴェーダ研究会の歩み                難波 恒雄      59
アーユルヴェーダ(英文)文献目録  「貸し出し可能」               62
編集後記                                     64



第30号 (2000年版)

精神的教えに関する一考察(3)
   -聖句をテーマとした瞑想において-          野坂 見智代     04
「聖師シャンカラに見る統括的未来医療」
  <ヨーガ・スートラ註解書解明
  (Yogasutrabhashyavivarana)より>           木村 慧心      10
健診成績にみられる加齢とホメオスターシス
 -血清総コレステロール値における10年間の個人内変動-
                   静岡健康管理センター 加瀬澤 信彦     13
RESEARCH STUDY ON PUNSAVANA SANSKAR IN AYURVEDA
   (The Treatment of Getting a Mele Child)
(Dirctor; MAHARSI CARAKA AYURVEDA CENTR)
34,Central Market Ashok Vihar Phase-1, 110052, Dehli INDIA
                          Dr.N.A.SHARMA.M.D (AYU.)   19
アーユルヴェーダにおける男児出産のための治療(上記載翻訳)
                         イナムラ・ヒロエ・シャルマ   22
アーユルヴェーダに見る21世紀医療への提案
         (大阪アーユルヴェーダ研究所) イナムラ・ヒロエ・シャルマ   24
浄化療法とナシヤ療法を組み合わせたアーユルヴェーダ・ノーズケア
   (インディアン・ヘルスケアー・センター ムクティ)
                           パティル・シーマ・長澤   28

密教と医学/安膳那眼薬を中心に               佐藤  任      30
ブッダの薬箱 (1) ―薬用ジュース―           中村 知見      38
第21回日本アーユルヴェーダ学会奈良研究総会
  特別講演  現代医療から未来医療へ
           “予防と未病の違いについて”     
                春光苑漢方研修会      粟島 行春      42

第21回日本アーユルヴェーダ学会奈良研究総会 2日目     
特別講演 現代医学からの脱皮  山形謙二医師(神戸アドベンチスト病院副院長)   60 
         フィシュボール討論
       ― 医療と私たちの暮らし ―                    73
           司  会  山内 宥厳
           パネラー  クリシュナ・U・K
                 藤森  弘(兼総会総合司会)
                 幡井  勉
                 中川 和也
                 池上 正司
                 山形 謙二
                 土居  成
                 井上 マサ子
           発言参加  佐藤  任
                 飛田 洋子
                 難波 恒雄

アーユルヴェーダ研究の今後            甲田医院 甲田 光雄      86
MANAGEMENT OF VICHARCHlKA(DERMATITIS)lN AYURVEDA
                         DR.K.KRISHNARAJA BHAT    88 
アーユルヴェーダを取り入れた3 in 1リフレクソロジーの提唱
      ○上馬場 和夫、 許 鳳浩 (富山県国際伝統医学センター)
       柴田  稔  (特別養護老人ホーム 光風苑)
       笠島  学  (光が丘病院、富山県高岡市)             94
   
                 編集後記                    97
 


第31号(2001年度版) 

★巻頭言                                     4
★第22回アーユルヴェーダ研究総会特集1
 特別講演
 インド思想とヨーガ                       前田 専学   6

★公開シンポジュウム
 21世紀の医療にアーユルヴェーダの知恵を生かそう
                    司会  柴田 高志 ・ 谷田 伸治    13
 食と健康                        クリシュナ・U・K    14
 予防介護とアーユルヴェーダ                 高橋 佳璃奈    18
 ストレスに効果的なアーユルヴェーダ治療の数々    Dr.Palitha Serasinghe    25
 子供の健康のしつけ                      藤森  弘    29
★会員投稿
 環境汚染について                       佐藤  任    32
 インド医学における医療化学と錬金術              佐藤  任    34
 古代インドの医学と密教:石の薬と錬金術            佐藤  任    36
 アーユルヴェーダハーブは多目的!
 『ドラビヤグナヴィドニャナ(薬草学)』            シーマ長沢    39
 日本におけるアーユルヴェーダの現状と将来           上馬場和夫    42
 古代中国医療とアーユルヴェーダ医学              和久田哲司    50
 
★第22回アーユルヴェーダ研究総会特集2
 会員発表
 アーユルヴェーダに鍼治療はあるか                 工藤 晴美    57
 《アーユルヴェーダのラサーヤーナ効果(強壮法)》
                          イナムラ・ヒロエ・シャルマ    73
 アーユルヴェーダと歯科臨床 ゴマ油及びターメリック油のうがい
    及びマッサージの臨床的効果について            舟久保せいこ    78
 介護とアーユルヴェーダ                      上田 裕美    79
 シロダーラーニによる生理的変化
              上馬場和夫 許鳳浩 田川美貴 吉岡りか子 廣田侑耶    81
 脊椎側湾症に対する姿勢矯正法を使ったヨーガセラピー        河崎 幾恵    89
 主に20世紀における「ヨーガに関する心理学研究」の概観      野坂見智代    92
      
★国際シンポジュウム

 スリランカにおけるアーユルヴェーダとその将来       Dr.Upali Pilapitia    110
 イギリスにおけるヨーガ・セラピー    ロビンモンロー、マリオン・オコノール    119
 YOGA THERAPY IN THE UK        Robin Monro and Marion O'Conner    124
 ドイツのアーユルヴェーダ医学事情              Dr. Karin Kraft    136
 アメリカにおけるアーユルヴェーダの現状と
  理想的なコンセプトをもつインダスバリー・アーユルヴェーディックセンター
                             Dr. Talavani Krishna    139
 ラテンアメリカにおけるアーユルヴェーダ
    その現状と将来の展望とゴール         Dr. Sergio Lais - Suarez    143
 チベット医学体系
 その歴史と亡命チベット政府における現状             Jampa Samten    145
 オーストラリアのアーユルヴェーダの現状          Dr. Krishna Kumar    150
 ドイツのアーユルヴェーダ医学情報              Dr. Karin Kraft    153
 ヨーガの病気治療への応用                 Dr. R Nagarathna    156
 THERAPEUTICAPPLICATION OF YOGA             Dr. R Nagarathna    167
 「アーユルヴェーダの現在と未来
   特に21世紀におけるアーユルヴェーダの役割について」   Dr. P.N.V.Kurap    181
 内モンゴル衛生庁
 社会福祉に対するアーユルヴェーダの役割      Dr. A.R.V.Murthy(インド)    183
 現代医学におけるアーユルヴェーダの役割       Dr. Camillus Kevin Power    189
 「アグニチクツァー」片麻痺脳卒中治療の新しい概念     Dr. Shreekanth U     193
 第3ミレニアムにおけるヨーガの役割             Sushmma Udupa     196
 ヨーガとストレス・マネージメント
   心理・生理学的視点                Dr. W.Selvamurthy,Ph.D    198
 YOGA AND STRESS MANAGEMENT PSICHO-PHYSIOLOGICAL CORRELATES
                           Dr. W.Selvamurthy, Ph.D    216
 モンゴル伝承医学について              蘇和畢力格(ソワビリク)    229
      
新入会員名簿-------------------------------------------------------------------------233
編集後記-----------------------------------------------------------------------------234




第32号(2002年度版) 

  日本アーユルヴェーダ学会 第23回研究総会・福島総会

 インド大使からのメッセージ
日本の青年及び世界が直面している問題についての構想
    ヒューマニズムとユニパーサリズム 日印の協力の必要性
                    アフターブ・セット(駐日インド大使)      3

癌告知後のターミナルケアと生命医学    (福島県立医大名誉教授)熊代 永       9
ガン患者の統合医療的治療の実践     (国立福島病院 外科医長)若林 武雄     14

ターミナルケアにおける
 スピリチュアル・ペインとスピリチュアルケアについて 医療法人柴田病院  柴田 高志  18

西洋医学とアーユルヴェーダとの統合医療の試み(症例)
                 秋田アーユルヴェーダ研究所   松浦 麗子   22

高山病予防のために実施したヨーガの呼吸法と血中酸素濃度の変化
 ---- チベット旅行者を対象とした測定 ----  日大工学部 総合教育   星 一以   28

主に20世紀における「ヨーガに関する心理学的研究」の概観  
  --- 特にスピリチュアリティについて ---             野坂 見智代    40

魂を育てる暮らし              宮崎 幸子   64

糖尿病に対するヨーガセラピー                      河崎 幾恵   75

ヨーガからみたQOLとスピリッチュアリティー     木村 慧心   78

アーユルヴェーダにおける真我      クリシュナU・K  82

共同研究
ヘナトリートメントと電子顕微鏡による髪の損傷の観察
     アーユルヴェーダ・パンチャカルマセラピスト   パティル・シーマ・長澤
     日本大学工学部 総合教育                   星  一以   86
Spirituality through the Bhagavad Gita    N.V.Raghu Ram                
Swami Vivekananda Yoga Research Foundation. Bangalore, INDIA     93
バガヴァッド・ギーターにおけるスピリチュアリティー
バンガロール、インド スワミ・ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ研究財団   N.V.ラグラム    
                                 (訳:木村慧心)   100
インド医学八科心髄集・日本語訳について  
          (大阪アーユルヴェーダ研究所) イナムラ・ヒロエ・シャルマ     108
アーユルヴェーダのとストレスの管理 
ホリスティック・ヘルスセンター(アテネ)所長 Dr. NikolaosG.Kostopoulos(ギリシャ)
  {この論文は前号に掲載する予定だったもの}         (訳:石井 美奈子)  116

編集後記------------------------------------------------------------------------------119



第33号(2003年度版)

◆第24回日本アーユルヴェーダ学会 大阪総会特集(1)
 丸山博先生七回忌追悼式録    H・S・シャルマ                  3
 私の遺言書    丸山 博                             6
 丸山博年譜                                     9
 丸山先生の思い出 医学の源流をたずねて    大塚 睦子              12
 感謝のことば      奈倉 道隆                         16

◆研究論文
 シローダーラーによる生理・心理的変化とアーユルヴェーダ研究の
 新たなアプローチヒーリングロボットの活用
  上馬場 和夫1)、許 鳳浩1)、田川 美貴1)、浅蔵りか子1)、伊藤智丈1)
  立瀬 剛志1)、田口 祐紀子1)、小川 弘子1)、島林 美寿穂1)、久島達也2)
  1) 富山県国際伝統医学センター、2)横浜市立大学医学部解剖学第二          18

 ヨーガの呼吸法による生理的変化の違い
  上馬場 和夫1)、許 鳳浩1)、田川 美貴1)、浅蔵りか子1) 下野 博明 2)
  佐竹 昭治3) 河崎 幾恵4) 西川 美智子5)
  1) 富山県国際伝統医学センター 2)富山ヨーガ教室 3)社団法人ヨーガ研究所
  4)北陸ヨーガテラピー研究所 5)日本ナチュラルヒーリングセンター         31
 健康とスピリチュアリティ ・Spiritual Biotechnologyの提唱
  Health and Spirituality-Proposal of Spiritual biotechnology
  富山県国際伝統医学センター    上馬場 和夫                  40

 産婦人科におけるアーユルヴェーダの実践
  ベビーマッサージ(タッチ.コミュニケーション)の母体への有効性
  宇治木 敏子1) 中原 恭子2) 上馬場 和夫3)                 60

 主に20世紀における「ヨーガに関する心理学研究の」概観
  -- 引用文献の記載 --                野坂 見智代         77

 教育のパラダイムシフト ~呼吸法とアロマの相乗効果について~
                  山形県 高等学校教諭 原田 麻美子        90

◆第24回日本アーユルヴェーダ学会 大阪総会特集(2)

 パタンジャリ哲学におけるヨーガの概念
  Choon-Hac 大学ヨーガ学科教授   リー・ヒョング・ロック             95

 韓国の伝統医学    公立菊池養生園     吉富 誠               97

 ヨーガ・スートラと大乗起信論の流転、還滅過程についての比較考察  
   Wonkwang大学韓国文化学科学部長       キム・スン・クム          99

 アーユルヴェーダと陰陽五行の体質分離法の比較
      ヨーガ断食研究所長      リー・イン・セング            102

 ヨーガが文化促進に果たす役割
    AomA.ヨーガ・センター所長       キム・ジェ・チョング        105

 アーユルヴェーダの健康                  幡井 勉        107

 EDUCATION and RECOGNITION of Ayurveda in Japan                  109

◇第25回日本アーユルヴェーダ学会研究総会を終えて
  第25回総会会長 倉敷光クリニック  柴田 高志                 116

■事務局通信------------------------------------------------------------------------118




第34号(2004年度版)

第25回倉敷研究総会特集

★教育記念講演

 アーユルヴェーダにおける診断           クリシュナ・U.K.      3

 アーユルヴェーダにおける治療 
  -- ピンダスヴェーダ 発汗療法の臨床的活用法--   シュリカント・U      15

★ 特 別 講 演
  世界の統合医療の現状と問題点   東京大学名誉教授  渥美 和彦        68

★ 記 念 講 演
  日本におけるアーユルヴェーダの研究と実践  
東洋伝承医学研究所所長 幡井 勉   150

☆ 研 究 発 表

 がん治療(特に免疫療法)におけるアーユルヴエーダの役割
      札幌平田口腔顎顔面外科がんヴィレッジ   平田 章二          28

  ラサーヤナ・アーユルヴェーダ薬用植物と
      疾病管理での抗酸化薬としての働き     パリタ・セラシンハ      35

  幼児期のヨーガ -幼稚園でのヨーガ指導についての考察―  のま まりこ     38

  トリ・ドーシャによる体質区分と健康管理システム
               (財)静岡健康管理センター   加瀬澤 信彦     44

  断食療法と水療法中の尿のpHと導電率の変化
      -私の体の中での実験―    日本大学工学部    星  一以     50

  ドーシャの座についての一考察
      研究:竹下 雅敏   発表:(ユニティ・デザイン) 村岡 宏治     58

  アーユルヴェーダにおけるストレス管理
               アーユルヴェーダスクール講師   加藤 幸雄     77

  アーユルヴェーダにおける肥満 --古代~中世サンスクリット原典による検討--
                日赤医療センター 第1内科   吉次 通泰     85

  アーユルヴェーディック・アロマテラピー
             (有)ビューティーライフ研究所   高橋 佳璃奈     91

  アーユルヴェーダとヨーガ        ムクティ代表   長澤  宏      95

  シンポジウム   自然治癒力を増進させる         上馬場 和夫     99

  ===== シンポジウム 討論 質疑応答 =====                  109

  ベビーマッサージを介したアーユルヴェーダの普及
                 宇治木 敏子  中原 恭子  上馬場 和夫     122

  アーユルヴェーダのハーブミネラルの抗糖尿病作用
    上馬場 和夫・ 許 鳳志・ 立瀬 剛志・ 小川 浩子・ 西村 光弘    128

  シロダーラで使う滴下オイルの意義 ---- 癒しロボットを使った研究 ----
   上馬場 和夫・ 許 鳳志・ 田口 裕紀子・ 立瀬 剛志・ 小川 浩子    135

  日本におけるクシャラ・スートラの治療成績と国産クシャラ・スートラの成績
        富山医科薬科大学医学部成人看護学・外科系  田澤 賢次      143

  武術における基層概念
     カラリパヤットと中国の拳法の密教的側面   マシュー・ヴァルギース   155

  アーユルヴェーダの三大医書         イナムラ・ヒロエ・シャルマ    168

■編集後記------------------------------------------------------------------------180



第35号(2005年度版)

がんと精神衛生  加藤 幸雄(かとう ゆきお)                  03
古代アーユルヴェーダ原典における終末期医療      吉次 通泰         05

背骨の歪み計測とヨーガ体操による整体効果
                  星 一以, 和田 勝, 今村 幸子      09

ヨーガ療法の2つの試み
 精神障害者と難病指定患者へのヨーガ療法指導報告  北上ヨーガ療法研究所
       小沢 アヤ子(ヨーガ・セラピスト) 小関 喜久江(ヨーガ教師)
         高橋 五百子(ヨーガ教師)    伊藤 尚子(ヨーガ教師)   1
ヨーガ療法体験記「身体と心の感覚を取り戻した私」
            土岐 美由樹   札幌YICC受講生
            木村 慧心 日本ヨーガ・ニケタン          25
ヨーガ療法体験記
   「切れなくなった私」     半田 幸三    札幌YICC受講生
                  木村 慧心 日本ヨーガ・ニケタン       27

シンポジウム 座長総括         座長(青山 圭秀、佐藤 美峰)      29
がん統合医療 ~がん予防・治療としてのアーユルヴェーダ~
                    座長:熊代 永、田沢 賢次        30

アーユルヴェーダにおけるがんの予防と治療     クリシュナ U.K.       33

ヨーガ・セラピーの精神神経免疫役割   日本ヨーガ・ニケタン  木村 慧心    37
がん治療におけるアーユルヴェーダの可能性
          大阪アーユルヴェーダ研究所 イナムラ・ヒロエ・シャルマ    44

第26回アーユルヴェーダ学会一般研究発表 セッションA   質 疑 応 答    54

アーユルヴェーダの鉱物薬 古典にみる金灰(Gold Bhasma)の製法
       (東洋伝承医学研究所)青山 圭秀、クリシュナU.K.、幡井 勉    57

西蔵のなかの印度
   ――この十回、蔵印交流を中心に ――       池上  正治       64

タッチ・コミュニケーション指導者養成の必要性
  -タッチ・コミュニケーションの乳幼児虐待予防効果を高めるために- 
                  宇治木 敏子、中原 恭子、上馬場 和夫    69

アーユルヴェーダの科学的研究 Up to date   上馬場 和夫,  許 鳳浩      76

教育講演 「薬草の効果」      北海道医療大学・薬学部  堀田 清      93

「金沢糸1号」完成の経緯         御影 雅幸、 吉光 見稚代
                金沢大学大学院自然科学研究科           96

金沢糸1号」の改良研究   *吉光 見稚代、 **青山 友紀、 *御影 雅幸
             *金沢大学大学院自然科学研究科、**金沢大学薬学部    102

Ksharaの応用研究 ―原料植物とその構成元素―
        *奥津 果優、*吉光 見稚代、**小此木 明、*御影 雅幸
       *金沢大学大学院自然科学研究科、**カネボウ漢方ヘルスケア研究所   105

クローン病患者の痔瘻へのクシャラ・スートラを用いた治療
       西口 幸雄(にしぐち ゆきお)、*1 前田 清、*2 田澤 賢次
       大阪市立総合医療センター外科、*1 大阪市立大学大学院
        腫瘍外科、*2 富山医科薬科大学医学部成人看護学部         110

第一回国際Kshara sutra セミナーに参加して
         関西医科大学外科              畑  嘉高
         富山医科薬科大学医学部成人看護学・外科系  田澤 賢次     112

基調講演・がん統合医療 ~がんはいつの時期も治る可能性がある~
           札幌平田口腔顎顔面外科がんヴィレッジ  平田 章二     118

がん治療における補完代替医療の役割
   金沢大学大学院医学系研究科 補完代替医療学講座  教授  鈴木 信孝    120


癌の生きがい療法          倉敷クリニック  顧問  柴田 高志     122

ガンとアーユルヴェーディック・アロマテラピー〈免疫と自律神経の観点から〉
            (有)ビューティーライフ研究所   高橋 佳璃奈     125

がん患者とタッチ・コミニケーション
           日本タッチ・コミニケーション協会   宇治木 敏子     129

がんと統合医療
                     東京大学名誉教授  渥美 和彦     135

一般研究発表セッション2について
                    日本大学工学部教授  星  一以     140


事務局通信---------------------------------------------------------------------- 142


アーユルヴェーダ研究 第36号 2006年度版

          目  次
=================================================

THE ESSENCE OF AYURVEDA Swami Medhasananda                   02

日本人の清潔がアブナイ                             05
  ―きれい好きの功罪検証―    人間総合科学大学教授
                 東京医科歯科大学名誉教授   藤田 絃一郎

アーユルヴェーダと飲酒                             11
    日赤医療センター第一内科、東京大学大学院インド文学修士課程2年
                                 吉次 通泰

モンゴル医学の脈診とマッサージ      徳力格爾(デレゲル)         23

ヘナとハーブのトリートメント 脱毛症回復の一例 美容室Arrt経営  上里 貴子  28

身体と心を若返らせるアーユルヴェーダ ~ラサーヤナ~              31
                              クリシュナ・U・K
SIRODHARA,SHIROABHYANGA,KATIBASTI 時における生理反応              32
    (大阪アーユルヴェーダ研究所)イナムラ・ヒロエ・シャルマ、日下部康子
    (ビューティライフ研究所)高橋佳璃奈、 (日本大学工学部)星  一以

ヘッドマッサージ時における 香りとマルマ・タッチングの効果           40
          (有)ビューティライフ研究所  高橋佳璃奈  工藤 友絵
          (大阪アーユルヴェーダ研究所)イナムラ・ヒロエ・シャルマ
                 (日本大学工学部物理学教室)  星  一以

食とヨーガ療法                          木村 慧心  45

アメリカのガンはなぜ減ったのか?                        50
  「ガン医療神話」の崩壊と「補完代替医療」の台頭   医事評論家・松本英聖

アレルギー性鼻炎や足の冷えに対する ゴマ油療法ならびに灸の効用とその理論    55
                     日本アーユルヴェーダ学会 池上正治

スポーツと食物                Dr,サダナンダ,P,サラデシュムク  57

アーユルヴェーダにおける難治疾患対策とHuman Edibles の可能性          60
    富山国際伝統医学センター 参与 IP生命医学研究所 所長 門馬 登喜大

裂肛に対するクシャーラ・スートラの経験    畑肛門病院 畑 嘉高、畑 嘉也  67

アーユルヴェーダ研究 1970年0号~2005年35号 総目次             70
【重要】事務局からお知らせ 本部移転の件ほか                  89





アーユルヴェーダ研究 第37号 2007年度版

          目  次
===============================================

【第28回日本アーユルヴェーダ学会 富山研究総会】

Nardostachys属植物由来生薬の精油成分の分析 
   田中 謙,小松かつ子 富山大学和漢医薬学総合研究所 
   富山大学21世紀COEプログラム                      01

アーユルヴェーダ生薬HARITAKIのタンニン含量について
   金沢大学大学院自然科学研究科生命薬学専攻 博士前期課程2年 渡辺明日香 04

Ayurveda薬酒「asava」,「arishta」の理化学的特性
   奥津果優,吉光見稚代,御影雅幸(金沢大学大学院自然科学研究科)     09

民族薬物データベースの構築とその応用-ウコン類生薬について
   小松かつ子(富山大学 和漢医薬学総合研究所)              11

慢性関節リウマチ患者へのヨーガ療法とオイルマッサージの効果
   クシュ・ヨーガ・カムラー 高平美智子 コスモイン 仙台 渡辺幸子    20

ガン患者に果たせるヨーガ療法の役割
   インテグラル・ヘルス研究所 代表 博士(工学) 星 一以        26

ヨーガ療法とは何か
   日本ヨーガ療法学会 山岡 久志                     33

アーユルヴェーダ薬理のEBM:ギムネマ、グッグル、ショウガ
   木村郁子(富山短期大学 専攻科 食物栄養学科)             41

アシュバガンダ成分による神経変性疾患の改善作用
   東田千尋
    (富山大学・和漢医薬学総合研究所・民族薬物研究センター・薬効解析部) 42

パンチャカルマのEBMに迫る
   富山県国際伝統医学センター 上馬塲和夫、許 鳳浩、小川 弘子      48


ヨーガによる脳波と免疫の変化
     亀井 勉 Tsutomu KAMEI 財団法人島根難病研究所          59

日本におけるヨーガ療法士養成について
   日本ヨーガ療法学会 山岡 久志                     66

東洋伝承医学研究所におけるアーユルヴェーダ教育の歴史と
 アーユルヴェーダ学会資格制度について
   日本アーユルヴェーダ・スクール 講師 加藤 幸雄            69

肥満治療における古代・現代アーユルヴェーダと西洋医学の比較
   日本赤十字社医療センター 第一内科(糖尿病内分泌科) 吉次 通泰    72

重金属を主成分とする3種のチベット薬物の基源鉱物について
   伏見裕利、伏谷眞二(日薬大・薬)、小松かつ子(富山大・和漢研)、
   D. Dawa(Tibetan Med. and Astro. Inst.)、伏見 直子(㈱ウチダ和漢薬) 76

不二一元の楽健法 -有効で安全なタッチ・コミュニケーション法-
   上馬塲和夫1)、許鳳浩1)、小川弘子1)、尾間由美子2)、長谷川由美3)、
   安達葉子4)、佐藤亜紀4)、西川眞知子5)、山内宥厳6)
   1)富山県国際伝統医学センター、2)ローズドメイ、3)アバンダンス、
   4)富山ヨーガ療法研究会、5)日本ナチュラルヒーリングセンター、6)東光寺        78

Ayurveda and Antistress and Adaptogenic Concepts
  アーユルヴェーダ、アンチストレス、強壮効果の概念
   大平悦子(オーストラリア・アーユルヴェーダカレッジ)、ジェイソン・
   チャンダラー教授(CEO・Vaidyacharya)の代理として。          85

クシャーラ・スートラ治療の合併症について 
   不二越病院 外科 山本 克弥、杉木 実、田澤 賢次            90

スリランカにおけるKsharaの製造方法
   金沢大学・院・自然科学研究科  吉光見稚代・奥津果優・御影雅幸     92

漢方医学の歴史と現在:そしてエビデンスへの取組み
   富山大学大学院医学薬学研究部(医学)和漢診療学講座
   富山大学21世紀COEプログラム 嶋田 豊                 95

Management of kuSTha アーユルヴェーダ治療による症例報告 アトピー性皮膚炎
   イナムラ・ヒロエ・シャルマ(大阪アーユルヴェーダ研究所)
Prof. H.S.Sharma (Vice-chanceller Intl. Vaidic Fndth)         99

アーユルヴェーダと中国の体質、現代医学のQOLとの関係-問診票による比較の試み-
   上馬塲和夫1)、許 鳳浩1)、小川弘子1)、朱 燕波2,3)、折笠英樹2)
1)富山県国際伝統医学センター、2)富山大学情報統計学科、3)北京中医薬大学   103

アムラ外用による肌と髪への効果
   (有)ビューティーライフ研究所 高橋佳璃奈 工藤友絵 
   竹内美利 小見山知美                         112

インド薬草及びオイルの驚くべき効果
   渡邉保子(アーユルヴェーダ ヘアーサロン・スタジオ美枝)       115

アーユルヴェーダの皮膚科学 Ayurvedic Dermatology
   クリシュナU.K. 日本アーユルヴェーダ・スクール校長          116

環境医学におけるアーユルヴェーダ的概念
   I P生命医学研究所 所長  富山県国際伝統医学センター 参与
   Ayurvedic Practitioner 門馬登喜大                  119

アーユルヴェーダの実践
   御影雅幸(金沢大学大学院自然科学研究科薬学系)            125

アーユルヴェーダの科学的基礎 
   Dr. Shrinivasa                            128


        (アーユルヴェーダ研究0号~37号までの目次】おわり





2018-04-25(Wed)

楽健法の各地教室案内 順不同

楽健法 各地の教室案内 
     最新情報 ●順次追加訂正あり 
  ※下段に宥厳先生の「楽健法の言葉」記載あり


石巻楽健法研究会 代表 阿部裕美子
宮城県石巻市垂水町2−2−2 JR石巻線 万石浦駅から徒歩3分
📲 090-5233-3033
楽健法施療します。楽健法の個人レッスンもあり。
楽健法教室も開催します。(不定期)


神戸楽健法研究会 代表 中野 隆生
個人の健康相談 楽健法施療 講座の出張講師 神戸本部での講習会を開催します。
651-1301 神戸市北区藤原台北町4-11-11
080-5712-7946
電話でお問い合わせください。


三重楽健法研究会
●金剛座寺  住職;染川智勇(そめかわちゆう)
〒519-2177
三重県多気郡多気町神坂169
電話FAX;0598-37-2873
Email;kongozaji@renge.net
住職直通;090-6041-0193(緊急以外はSNSでご連絡ください)
★楽健法★

 今日は、奈良桜井市にある真言宗東光寺住職で、簡単に習得できるヨガを「楽健法」を開発し広められている山内住職にお伺いし、初めて「楽健法」の弟子となって、楽健法の講義と実技を受けて参りました。

 山内住職とは、坊さんによるネットの悩み相談「ハスノハ」でご縁を頂きましたが、82歳とは思えないバイタリティと信仰心、そして慈悲心あふれる方で、現実的な救いとしてのアユールベーダのヨガから楽健法という健康法を編み出しました。
 
 しかも多くの人の心身の病いを救いたいとの立場から、すべて公開して、普及をはかっています。何しろ簡単に健康になれる、しかもお金もかからないということで、今や日本よりも、インド・東南アジアから教えを請いに来られているほどです。

 私もハスノハ活動で心の悩み・病いの一原因に、体の病気もあることから、整体や指圧マッサージがヨガ、レイキが必要と思っていましたが、どれもプロになるには時間と労力、そしてお金が必要になり現実的ではありませんでした。そこに山内ご住職は「誰でもできることが大切」、「プロだけの人数では多くの人が救えない。一般人、家族みんなができる健康法を」との信念ではじめたそうです。

 私もこれなら私のような素人でも学べばでき、そしてお寺の活動と合わせて多くの人の心身の健康を得させることができると考え、山内住職の門を叩いたのでした。

 特に他の健康だけの楽健法研究会とは違い、本部東光寺では、朝9時から護摩供法要の参加があり、仏教救済活動としての本来の意味を持っています。金剛座寺もお寺の利点を活かして他の楽健法とは違う仏教としての側面も出していければと考えています。合掌

★楽健法②★彡
 
護摩供養では、太鼓のお役を頂き、久しぶりに東密護摩を間近で見ることできました。

 午前中は、山内住職による講義でした。自身の半生を振り返って、楽健法の効果を教えてもらいました。

 特に自身の現在の生活を重ねていわれたことは、「老人になったからといって、バリアフリーにしたら、余計、体が老化する。本来は、バリアハードルをあげなくてはいけない。だから山寺や3階の家に住んでいる。」と笑ってお話を頂いたことが印象深い話でした。人間は負荷をなくすと生命力が弱くなることはわかっていますが、なかなか自分ではできないものです。楽健法は本来の人間の持つ生命力を回復するためのものだと教わりました。

 その恢復の原理は簡単。血液の循環、リンパの循環を良くするとだそうです。そこが原因で発症する病気はたくさんあります。特に肉体的な疲労だけでなく、心の病にもたくさん効いた実績を教えて頂きました。逆にいえば、血のめぐりが悪いだけでどれだけ心身の病気が発症しているかということです。

 実際にしてもらうと、体が柔らかくなって血の巡りが良くなっていることが実感しました。そして異常に体がリラックスし、気持ちよくなり、眠ってしまいます(笑)。素人の施術なのに、終わった時には本当に一般の整体にいっているのと同じく体が軽くなりました。

 しかも楽健法の凄いところは、二人でお互いがいたわり合いながら交代でするということ。素人が体を揉むなんて本来は難しいことなのですが、この楽健法のヨガの特徴は足の体重移動で揉むということ。その足ふみのコツがわかると施術者に肉体的な負担がほとんどありません。二人仲間が、あるいは夫婦同士がしていれば、毎日でもできる。お互いが揉みあう「二人ヨーガ」。それが楽健法の素晴らしいところだそうです。

 まずは100人という目標を頂きましたので、楽健法の施術をしながら、楽健法を学んでいきたいと思います。合掌

★楽健法③★彡

 ところで、私は楽健法は初めてだと思っていたのですが、実は今朝26年前の25歳の時に楽健法を受けていたことを思い出したのです。

 大学卒業して入った職場の会長をマッサージしていた、おばさんがいたのですが、私もしてもらったのです。するとそのおばさんは、手を使わずに足もみだけでマッサージをしてくれていて「不思議なマッサージだなー」っと思ったことを思い出しました。今考えると楽健法でした。実に不思議なご縁の楽健法でした。合掌


ロータスエイト 阿部珠実の楽健法WS
http://www.lotus8.co.jp/workshop/information/rakkennhou/




宇都宮市横川市民センター 2階和室  講師 藤澤あこ
13時30分から16時30分位まで
不定期で月に2回 問い合わせ先 藤澤 あこ 090-4248-4684
お一人でも参加できます


大分豊後高田楽健法教室 遠藤愛子 080-1798-4189
◆楽健寺の天然酵母パンも製造販売しています◆
教室も施術もあります。
電話でお問い合わせください。


【楽健法学びの会 すぎなみ】 講師 伊禮敦子
毎月最終土曜日13時~16時(定員12名まで)
 Studio Haru (個人のお宅なのでHPとかには出ていません、住所未公表)
 JR中央線西荻窪下車、西友の中を通って徒歩5分
(連絡先)090-4595-4372(昼間電話に出られないことが多いです)
     atsu-i53780127@doomo.ne.jp
  ※参加ご希望多数の場合、会場のスペースの関係で人数制限があります。
   また都合により日程が変更されることもありますのでお問合せ下さい。 


楽健法本部 〒633-0053 奈良県桜井市谷381-1 東光寺 毎月第4日曜日
問合せ 山内宥厳 0744-44-2388  090-4301-0228


楽健寺大阪教室 JR桜宮駅下車5分 毎月第3土曜日
問合せ 06-7173-3878 090-1899-9227 山内幸子


奈良楽健法研究会 毎月第1土曜 第4木曜 講師 山内宥厳
奈良町 松前旅館
問合せ 髙橋トーマス流美 090-6549-3577


東京楽健法研究会 水道橋教室 毎月第3土曜日
問合せ 西澤 080-6610-3787


東京品川教室 薬日本堂文化教室 第3金曜日 18:00~21:00
問合せ 03-3280-2005


広島楽健法研究会 福山教室
月3回教室開催 工藤和子先生 問合せ 084-955-4859
毎月第3土曜日の週の(木曜日) 講師 山内宥厳


松江 教室 周藤久美枝 085-221-0243


米子 教室 西山三千子 090-9464-1149


出雲 教室 岸本節子  090-8608-9316


松江上乃木 大谷怜美  090-7171-7546


仙台 教室 井上かずえ 090-2270-3603


福岡県 柳川 教室 森 眞理  080-3945-3152


千葉 教室 近藤琴美  090-3406-3469


神奈川教室 小菅一江  090-3430-1400


名古屋教室 斎木圭子  080-6946-3788


東京三田 教室 西澤真由美 080-6610-3787


町田市忠生 村澤昭子   070-5595-0094


京都 教室 吉本 史   070-6540-2300


新居浜教室 野口千恵美 090-7783-6035




楽健法について、コメントした宥厳先生のお言葉
「踏むのではなく、全身の波動が足を通じて伝わるという感じです。手先足先、つまり小手先でする技などいうものではない、と指導しています。一番楽なのがリラックスした全身のダンスですね。鉋で削るというような仕事を子供の頃からやって来ましたが、手仕事でなく全身のリラックスした動きであることが労働の基本ですね。武術もそうだと思います。楽健法をする姿が楽しげに美しく見えるようになればいいのだと何時も指導しています。」




楽健法本部ホームページ
2018-03-10(Sat)

第17期楽健法セラピスト講座 アンケートまとめ 【第11回目 2月】

第17期楽健法セラピスト講座
アンケートまとめ

【第11回目 2月】


■今回の学び・感想など

・9月の高野山の合宿にはぜひ参加したいと思います。(HU)

・二回目の余裕に酔いしれず、相手の踏み方、良いところを盗むことも大切だと再確認できました。(NT)

・久々の東光寺で、しかも半分以上知った顔の皆様と共にできて安心して楽しく過ごさせていただきました。(はじめましての皆様、自己紹介できていないままで失礼いたしました。)
改めてセラピスト養成講座での学びは技術だけに及ばず、生き方だなぁと実感しました。(KNさんのピンチヒッター FY)

・以前、参加させていただいたときよりも、みな仲良しそうで、きずなが深まっているなぁと感じた。(1月も思いましたが)
 皆さんの踏んでる姿がスッとしてかっこよかったです。
 照明器具や発酵機など、先生の手作り道具がすごすぎて感動しました。(ST)

・*君たちは育ち盛りで3食を我ら2食も多くなりけり
 *もふもふのカーディガン着た幼子のリップロールで大喝采に 
 *イマジンをなぜかハモって和尚聞くお堂のキセキ御仏の意図?
 *此処へ来て楽健の脚パンの手とやっと揃いて堂々と生きん
 *遅刻した恐縮モード3秒でワープ完了中世ヨーロッパ  (KN)

・今回の講座は内容の濃いものでした。私が足を捻挫して今回は参加できないかと思っていましたが、来た方がよいとアドバイス頂き参加させてもらったお陰で先生や他の皆様に親切にして頂き、早々に回復しました。今までの常識が目からうろこで、温めたりマッサージして良いことも分かりました。そして、夜のライブも時のたつのも忘れる時間でアコースティックの自然な音域もとても心洗われるものでした。(YM)

・松本公博さん一家の演奏会は家族愛があふれるとてもステキな演奏会で、本当に感動しました。
セラピスト講座もあと残り一回となってしまいましたが、この1年を通して、私にとって家族の愛を学ぶ、感じる、がテーマの1年になったと思います。(MYfm)

・今回、宥嚴先生を踏ませていただきましたが、とても柔軟な筋肉に毎回驚かされます。自分もこれからも継続して楽健法を続けていけば80代になったとき先生みたいになれたら良いなと改めて思いました。(MYm)

・ヨーロッパの文化と言うと日本人には絶対王政あたりのきらびやかな宮廷文化の印象が強いので、中世ってどうしても影が薄い感じがありますが、今回の音楽はそんな一面的で浅はかな見方を覆してくれました。そこには人々のたくましい暮らしがあり、豊かな東西交流があり……。歴史の年表には決して載ることのない奥深い世界がありました。“風”を感じた、という感想を持たれた方がおられましたが、私は“土”をイメージしました。いずれにせよ、それくらいイメージ喚起力の強い音楽だったということですね。
 素敵な出会いをありがとうございました。

 セラピスト講座もあと一回になってしまいましたが、気が付くのは足の位置だったり、歩幅だったり、基本的な事ばかりで……。気ばかり急く感じです。

 一筆箋も頂いたので調子に乗って短歌を作ってみました。

お題「卒業式」

*手のひらで温めた想い寄せ書きにそっと忍ばせ振り向かずゆく
*教師(せんせい)と呼ばれるほどの馬鹿となりしどろもどろに巣立ち言祝(ことほ)ぐ  (NO)

・一年間、ありがとうございました。17期のメンバーと楽しく過ごせたことに感謝です。

 マントラを学ぶきっかけを望んでいたところ、2月の講座で“マントラ呼吸法”を教えていただき、今後、マントラに対する関心がさらに高まると思います。
 マントラには不思議な力を感じます。

 週一で楽健の施術に来られる方に異変。静脈瘤で常に足に痛みを感じておられたのですが、今、痛みは無く、本人曰く、そう言えば最近痛みがなくなっているとの事で、楽健法の効果絶大です。今年に入り、月二回から週一回にされた成果だと思います。(TN)

・宥嚴先生から学んでいる事
「器(がらんどう)」として生涯変化し続ける姿勢
未知の世界に常に開かれた柔軟な感性
楽健法の生み出す柔らかい体・心・頭と余裕(遊び)
「王様は裸だ!」と本質を見抜く少年の眼力と声をあげる勇気
有言即実行の淀みない行動力と試行錯誤を厭わず失敗を恐れない好奇心
尽きぬ泉の詩情と母の菩薩心と飄々とした忌憚のなさ

幸子先生から学んでいる事
そんな和尚を掌に乗せて物事に動じず鎮座する度胸と達観
変化し続ける和尚を支えて金箔を貼り、パンを焼き、楽健法をする、柔軟で強力なサポート力
容赦ない突っ込みを愛ある言葉で、絶妙につぶやく切れ味と慈悲
突っ込むたびににこりと笑顔で溶かす、チャーミングさお茶目さ

あっぱれ、この女神ゆえに和尚あり
惚れ惚れするのは、この二人の拮抗しつつも均衡を取るこのバランス力
互いに一目を置き、自由を尊重し合い、協力し合う「いい加減な」距離感

愛してやまない幸子先生、宥嚴先生、末永くお達者でいてください!(RTT)


■先生への質問など

・卒業してからの身の振り方をどうすればよいか。(NT)

・インド、アメリカ、インドネシア以外で、他に楽健法を広めたい国はありますか?(FY)

・どのようにそれ(=照明器具や発酵機などの手作り道具)を作ろう!というひらめきが出てくるのでしょうか?完成形が宥嚴先生の頭の中にあって、それに向って組み立てていくのですか?(ST)

・前に質問していました悪霊についてですが、それとは少しちがうかもしれませんが、例えば人から恨まれたり悪く思われている時に、その思いで自分自身の身にいろいろな良くない現象がおきたりしますか?(YM)

・東光寺での「カテリーナ」松本公博さんご家族の演奏会。ヨーロッパ中世の楽器を再現した手作りの楽器。竹一本から始まる音色から、旅が始まりいつのまにか異国へと旅をしているような心地よさのなかにいるわたしが居ました。
 自然と一体のハーモニー!
 例えるなら、正しく楽健ミュージック♪ご家族みなさんの生き方そのものが音色に表現されていて、心も身体もワクワク!
 アンコール! みんなで踊ったあの感動は忘れません♪
 先生との出会いで世界観、縁が大きく広がりました!(EK)


■心に残った宥嚴語録

・以前の言葉で、見返りを求めず相手に接する。(NT)

・ほら貝の雄の方が良い音がする、というのは初耳でした。(笑)(FY)

・「人生は一生現役である事」
 
「自然体で楽健法をして生きていく」(YM)

・「愛情とは何か?―手続きのこと」(MYfm)

・「生涯現役」

「自然体で楽しんで生きていくこと」 (EK)

・生きていく具体的手続きのなかに“祈り”はある。
 
 ルーティンがあることは大切。 (NO)

・「『愛情とは手続きである』と三島由紀夫は言ったが、楽健法は愛情のすばらしい手続き・足続き。愛とは観念的なものではなく、具体的な行為をしてこそ愛が見えてくる。」

「ルーティンをもって、ルーティンに追われることが大切。ルーティンを切ったらだめ。」「生涯現役でいること」
「医者に行かない。心配の種を増やすだけ。調子が悪い時は楽健法をする」

観自在動自在とはなにか?という質問に応えて。
「観自在だけでは、なんでも知ってなにもしない馬鹿になる。観自在と動自在が合わさって、評論家でなく“具体的な実践者になれ”ということ」(YH)
 
・「楽健法とは楽に、楽しく、健康になる方法。これ以上に楽な方法がみつかったら、教えて下さい。それを楽健法と名づけましょう」

 初めて東京で宥嚴先生にお会いしたときも、開口一番おっしゃった言葉。
「みなさん、はじめまして。今日はどんな新しい踏み方に出会えるだろうかと楽しみにしてきました。」

 ガンディの言葉「人間の最大の欲望は『私が私であることへの欲望』。単なる『器』に過ぎずどんどん変容していくはずの『私』を『自分はこうである』と決めつけてしまうことこそが、一番欲深い行為である」
 この最大の欲望から、軽やかに自由であるように見える和尚 (RTT)


■本講座へのリクエストやアイデアなど。その他、なんでも。

・セラピスト講座が終わってもまたみなさんと会えたらいいナー……と思います。
17期の冊子、作成できたらうれしい!(HU)

・3月に終わっても、また17期と会えないかなー?
17期の冊子、良いと思います。(NT)

・日曜日は朝食と昼食をブランチに代えて、少しでも最後踏み合いと先生のお話をたくさんにしてほしい。(KN)

・今回は楽健法以外に先生の講座も聞かせて頂きました。毎回でなくて良いですが、たまにそんな機会もあれば嬉しいです。(YM)

・ご飯を炊くときに酵母を入れるとおいしく炊けると教えていただき、実践したところ、本当にふっくらおいしくできてハマっています。
 他にも酵母レシピを教えてほしいです。(MYfm)

・セラピスト講座を17期の同窓会を開催したいです!セラピスト講座での出会いに感謝し、今後もみなさんと定期的に会いたいなーと思っていますーー♪
 今後、みなさん個人で楽健法セラピストとして、楽健法指導者として活動されることと思います。すでに活動されている先輩方々もいらっしゃるので、個人での悩みや相談など、様々なことをシェアしていきたいです!(EK)


・17期記録をまとめた冊子を作りたいと思います。
 紹介したいレシピはEKさんに、載せたい写真はRTT先生に、その他ご意見等ありましたら記録係にお寄せください。3月中によろしくお願いします。(YH)


■みなさんに聞いてみたいこと

・セラピスト研修が終わったら、みなさん学んだことをどのように活かすのか聞きたいです。(HU)

・初めて楽健法を知ったのはいつどんな形でしたか?
実際に楽健法を体験してみて、ご自身にどんな変化がありましたか?(FY)

・この一年で楽健法セラピスト合宿を通して、変わった事はなんですか?
何を学びましたか?
新しい発見はありましたか?(ST)

・MAさんの大道芸、少しだけでも見てみたい。(KN)

・この講座が終了した後、この楽健法をどのように広げていこううと思われますか?
 先生、皆様に今回は大変お世話になり心より感謝しております。今後とも宜しくお願い致します。(YM)

・このセラピスト講座を終えて、今後どのような活動をされていきますか?(MYfm)

・セラピスト講座を終了したら、これから楽健法とどういうふうに関わっていきたいですか?(MYm)

・楽健法を通して、セラピスト講座を終えて振り返り自分自身の変化について教えて下さい。身体、ココロ、なんでも!
 セラピスト講座を終えてから、皆さんの今後の活動を教えて下さい。(EK)

・2カ月たちましたが、みなさんの2018年の抱負・計画など。(NO)

・住所変更がある人は連絡先を教えて下さい。(YH)




pict1_3.jpg
   スケッチ バリ島にて 宥厳画


2018-02-27(Tue)

Rakkenho Intensive Training Retreat in Koya-san 高野山西室院 楽健法集中合宿8/10〜16

      高野山西室院楽健法集中合宿
         日本語案内は下段をごらんください

Rakkenho Intensive Training Retreat in Koya-san


Rabbit-pose_3.jpg


Date: Friday August 10th to Thursday August 16th, 2018, 6 days

Place: Mount Koya, Nishimuro-in Temple (Koyasan 697, Koya-cho, Ito-gun, Wakayama-ken)

Facebook: https://www.facebook.com/koyasan.nishimuroin/?ref=page_internal

Qualifications: Beginners are given certification of Shoden (Level 1)
Intermediate level are given certification of Chuden (Level 2) at the end of the retreat.

Indian & Japanese participants and other nationalities who would like to master and practice Rakkenho

Fee: JPY 177,000(tbc)

Programme: 12 Rakkenho sessions(twice per day) , workshop for making Rakken-ji natural yeast bread, lectures on health & well-being
and a music concert etc.

Lead Teacher: Yugen Yamanouchi, with qualified Rakkenho teachers and other lectures

Contact for India: JAPANDIA, Tsukase Ise http://japandia.jp/about

Japan contact:
Tokoji, Yugen Yamanouchi 090-4301-0228 yugenytokoji@gmail.com

Nara Rakkenho Asscociation
Rumi Takahashi-Thomas 090-6549-3577 narayogaretreat@gmail.com

Frog-pose_2.jpg

cf.Rakkenho Sutra




 高野山西室院楽健法集中合宿
     参加申込は 8月3日 に締め切ります

2018年8月10日(金)〜 8月16日(木)

会場 高野山 西室院
内容 楽健法の集中学習 楽健寺の天然酵母パンワークショップ 
    楽健法は連日午前中と午後に全12回実施します。

    
対象 初心者 中級者 全参加された方は初心者は初伝授与 初伝の方は中伝授与 允許料金は不要です。

経費 宿泊費6泊 と 受講料 楽健法実技 12回共 合計177000円  交通費は各自負担のこと     
  短期参加・一回午前中だけ、一日だけ、二日間、などの短期参加もできますので、お問い合わせください。
   一回だけの楽健法体験受講料 7000円。

参加申し込みは 郵便番号・住所・氏名・電話番号 を記載して以下のメールからお送りください。
受付しました、とう返事を確認しましたら参加費をお振り込みください。

振込先 郵便振替 (01020-8-71142 東光寺) まで。

振込が確認されて、正式の受理受付完了となります。
領収書は原則として発行しませんので、振込領収書を保存してください。


西室院で前泊希望の方は(0736−66−1234)西室院へ直接お問い合わせください。

               
講師 楽健法研究会代表・山内宥厳 他・楽健法師範
 
夜間は講義と音楽などのパフォーマンスを企画しています。

2017年8月にインド、バンガロール、アーユルヴェーダ病院での楽健法の受講者から要請があって企画しましたが、広く一般募集もいたします。

講座内容 楽健法
       楽健寺の天然酵母パンワークショップ
       健康についてのレクチュア

日程表 以下の予定表は変更する可能性があります。

日程表2

 

申し込み先 メール

          〒633-0053 奈良県桜井市谷381−1 楽健法研究会 代表 山内宥厳
                  携帯 090-4301-0228  電話と電紙 0744-46-2410





楽健法の高野山西室院での合宿は9月にも行います。二泊三日、受付中です。

以下の写真はインドでの允許状授与のショット
IMG_7016.jpg

IMG_7439.jpg




2018-02-10(Sat)

第17期楽健法セラピスト講座 アンケートまとめ 【第10回目 1月】

第17期楽健法セラピスト講座  アンケートまとめ

【第10回目 1月】


■今回の学び・感想など

・サービスを受けるより、サービスをするほうが快適という先生の言葉のように、見返りを求めない生き方をしたい。(HU)

・サプライズバースデーが上手くいって良かったです。
感動しました。
笑いあり、涙ありで、一緒にお祝いできたことが嬉しかったです。
 皆さんの踏み方がどんどん上達しているなぁと感じています。いろんな人を踏む経験の回数と気心知れた人に踏んでもらえる安心感で、どんどん気持ち良く感じられていくんだなぁと思いました。(MYfm)

・普段している楽健法が、だんだん我流になってきて、きちんと出来てなかったことを、Oさんの助言で気づくことが出来ました。ありがとうございます。
 これからも一つ一つ考えながら踏んでいかなくてはと思いました。(MYm)

・2018年年明け最初のセラピスト講座。
 2日目の1/14日曜日、宥嚴先生お誕生日のサプライズのお祝いを幸子先生、楽健同期の仲間とできたこと。卒業式のようになんだか感動してしまい、涙。
 嬉しかったです。
 ジョン・レノンこと、Mちゃんのピアノ。
 オノ・ヨーコこと、Nちゃんのウクレレ。
 そして、みんなの歌声が一体となり素敵なハーモニーとなりました。
 色々とサプライズ準備をしてくださった皆様ありがとうございました!
 大切な思い出の1ページが増えました。^^

踏み合いでは助っ人に来られた内山さとみさんと前回、そして今回もペアを組ませていただきました。
前回、色々と細かなアドバイスをいただき、今回は前回よりも上手く踏めてるね!と嬉しい一言。
セラピストの先輩からのアドバイスは貴重な意見です。ありがとうございます!
 今年はひとりでも多くの人と踏み合える機会を積極的に作りたいと思いました。
(EK)

・宥嚴先生のカレー、とてもおいしかったです。パンも入れるととろみが出ていいですね。今度、作るのでやってみます。
 昨年春からパン作りを再開して、パン種をおろし金ですり下ろして作っていましたが、12月からミキサーを作って種を作ったら、発酵器なしでよく発酵し、ホームベーカリーのフタにまでくっつくくらいふくらみます。毎日パン作りを楽しんでいます。(MN)

・先生に人生の中で一番大切にされていることを質問したら、特別にないがあえて言うなら、骨身を惜しまずに人に頼まれた事をやる事かな?私は人にサービスする方が快適であるとさらりと言われたが、私も60年以上の人生を生きてきたが、見返りを考えずに人のためにやる事は非常に難しい事だと思う。そんな先生を尊敬します。(YM)

・今回は先生へのプレゼントにイマジンをみんなと合唱するということができました。
 一つの事をやろうとする時も、あたり前ですが、それぞれみんな考えは違います。一つにまとまるのは難しいんだなぁと思いました。熱意をもってリードしてくれる人がいたら、いろんな人が協力してくれてだんだんとひとつになって、最後には今までで一番いい合唱になって感動しました。
 わたしのピアノがヘタクソになったらウクレレや合唱が大きくなってくれてとってもうれしかったです。そして先生やみんなとハグできて最高に幸せでした。ありがとうございました。
 イマジンの世界はみんな一緒のきもちでいるというよりは、それぞれの違いを認めて共存するという感じになるのかもなぁと感じました。(MY)

・*東光寺ここに集いしもろびとの 根っこは同じふるさとにあり

 *バースディ イマジン合唱なんでやねんジョンレノンならぬスティーヴィーワンダー

 *凍る夜ヨットちゃん発ヒーリング 我満たされてあふれて寝息

 *いとはんを支えんかなとエスコート 逆に石段引っ張られたり

 *磐余山ここが和尚の落ちたガケ いつかいわれの名所となるや (KN)

・宥嚴先生のお誕生日セレモニー、お祝いする側のこちらも何とも温かくほっこりとした気持ちにさせてもらいました。ジョン&ヨーコも良かったです。いろいろ段取りをしていただいた方々、ありがとうございました。
 ジョン・レノンの“イマジン”。今まで何百回(?)と聴いたであろう曲ですが、ちゃんと歌ったのはこれが初めてでした。歌詞も十分理解していたつもりだったのですが、自分が歌うことで改めてその意味が染み渡って入ってくる気がしました。
 空を見上げれば、そこには天国も地獄も国境も所有もないんですよね。(NO)

・吉永真弓ちゃんが「“イマジン”って“共生浄土”のイメージだ」と話してくれたとき、感動しました。 (YH)

・イエスや仏陀など聖人の言葉を綴った読み物を難解にしている原因のひとつに、説く相手の性格によって、言葉上は矛盾するほど異なった説法やアドバイスをする、ということがあります。「対機説法」というのだそうです。

 「弟子を教条主義に陥らせ、堕落させる『経典』」など、残したくもない宥嚴和尚ですが、セラピスト講座と奈良楽健法研究会の一年を通して、宥嚴和尚のNさんへのすばらしい「対機説法」と大きな成長を目撃しましたのでご報告いたします。

 Nさんは、旦那さまの転勤までの残された一年ということで、誰よりも大きな意欲と意気込みを持ってセラピスト講座に参加され、それならば、と記録係を引き受けてもらいました。

 が、参加を決めるまでに一番悩んでおられたのは、楽健法の「摩訶不思議さ」との折り合いでした。唯物論者(無神論者)を自称される理論派のNさんにとって、理屈では説明のつかない楽健法の効力や、やみくもな信念や祈りを強要されかねないスピリチュアリティの世界に飛び込むのは、戸惑いがあったようです。

 ご自分の「立場」にこだわり戸惑いつつも、好奇心に負けたNさんが見つけてきた参加理由は、
「『超越したもの(未知なるもの)に関する、開かれた感性』を持ちたいと思います」。
わからないからといって、否定すべきではないと。

 春から、初伝コースとセラピスト講座を掛け持ちしたNさんは、宥嚴和尚から密にたくさんのことを教わり、おすすめの本を次々と熱心に読みました。

 そして秋ごろになると、宥嚴和尚の極めてシニカルな「宗教論」が展開されました。
仏教は無神論であり、衛生学である。宗教は、すがる人間の思考力を奪う。あらゆる宗教は迷妄にすぎず、人を堕落させる。特定の宗教を超えたメタ認識をもたなければダメ。真に成長した人間は、宗教の枠に留まらず、自分の考えと在り方で生きるものだ、など。

それを聞いた、Nさんは、とうとうこう意見されました。
「おっしゃることは分かりますが、先生のご意見は到達が高すぎます。宗教や信仰があるからこそ、それを拠り所にして、よりよく生きていける弱い人間のほうが圧倒的に多いのでは?私は、そのような生き方を支持したいし、応援したい」と。
 宗教の限界をボロクソに言う宗教者の和尚を相手に、「信仰者」を擁護した無神論者の
Nさん。
 
そして先週ついに、Nさんから、納得できる「祈り」の定義を発見したとのご報告がありました。
「『祈り』は、生きる姿勢を光の方に向けて歩むために必要なもの」
クリスチャンの渡辺和子さんの著作の中にみつけた言葉だそうです。

 宥嚴和尚の徹底的な宗教批判のおかげか、和尚が口にはされなかった「祈り」の意義と定義をNさんご自身が見つけだされた瞬間でした。
 求めよ、さらば与えられん。(RTT)


■先生への質問など

・1/14に82歳になられた宥嚴先生と、その5歳上の幸子先生へ楽健法やパン以外で絶対にこれだけは欠かせない習慣はありますか?(MN)

・先生はいろいろな事を器用にこなされますが、それは持って生まれたものと思われますか?(YM)

・「観自在」「動自在」について、詳しく教えて下さい。
「観自在」「動自在」とは何ですか?
どう修行すればそれができるようになりますか?(YH)


■心に残った宥嚴語録

・骨身を惜しまず、見返りを求めず、相手に接すること。(MYfm)

・人生の中で一番大切にしている事は何ですか?の質問の答え。
「人にサービスされるより、人にサービスすることが心地よい」
まさに楽健法そのものだなぁ~と思いました。

 「踏めば踏むほど味が出る楽健法」(EK)

・心を成長させる為に病がある。(YM)

・「Oさんはだんなさんに毎日、楽健法をしてますか?」と問われ
「いいえ。一番踏んであげなあかん人を踏めていません」と答えたときの、
宥嚴先生の一言。
「反省してください」 
御意。
反省して、毎晩踏むことにいたしました。
山内夫妻、H夫妻、Y夫妻の“LoveLove夫婦”に続きます!

「考え方が整理されていて、これがいいと思えばしっかり信念をもってやっていける人だと病気は治せる。馬鹿には病気は治せない。でも同時に、一つの考えに固執しないことも大切。考え方を変えてみることが必要な時もある。
観自在・動自在を併せ持って、多くの人を救済していただきたい」(YH)


■幸子語録

・宥嚴先生はよく「貧乏暮らし」の話をされますが、幸子先生としてはその「貧乏暮らし」はどうでしたか?と質問したときの幸子先生のお言葉。
幸子先生「“愛”さえあればなんとかなる」
わたし 「やっぱり、“愛”ですか」
幸子先生「でも、あんた、“愛”も“努力”が要るんやで」(YH)
           

■本講座へのリクエストやアイデアなど。その他、なんでも。

・2日目の朝、又は昼食が無かってもいいので、その分楽健法をゆっくり学びたいです。
(MYm)

・セラピスト講座も残り2回です。2月か3月のどちらかでパコーラ作りをリクエストです!また食べたいでーす♪

 楽健パン、楽健酵母クッキー、ケーキなどみなさんのオリジナル楽健酵母レシピを改めて教えていただきたいです。(EK)

・楽健法を上達させる為のアイデアなどを思いあたる事を各々が言える人に話してもらう。(YM)

・17期の記録や思い出を、冊子にまとめませんか?(YH)
アンケートのまとめ、幸子先生の合宿料理の記録やレシピ、スナップ写真、集合写真など。             


■人生の中で一番大切にしていることは何ですか?

・楽健法で学んだことですが、もし病気になっても楽健法で治すという強い信念を持ってこれからの人生をすごしたい。(HU)

・自分のまわりにいる自分が大切にしたい人を大切にすること。(MYfm)

・家族が笑顔でいること。(YMm)

・どんな時もどこに居ても誰と居ても「感謝の心」を忘れずにいること。
 「ありがとう」と言葉にして伝えること。(EK)

・私は家族の和です。そして愛かな?(YM)

・やりたいと思ったことをやってみる。(MY)

・まずは自分を満たす。そして、いつもご機嫌でいるよう心掛ける事。(KN)

・さて……。何事にも執着しない(しすぎない)ことでしょうか。(NO)

・具体的に考えて、具体的に行動する(YH)

2018-01-13(Sat)

第17期楽健法セラピスト講座 アンケートまとめ 【第9回目12月】

第17期楽健法セラピスト講座
アンケートまとめ

【第9回目12月】

今回の学び・感想など

・胃下垂と先生に言われ、そのとおりです。胃下垂には全身を踏む事が一番とのことなので、楽健法をがんばりたいです。(HU)

・お話の中で、白血病になって先生がすぐに退院するようにすすめたけれど周りの人の事など考えて入院したまま悪くなって亡くなられた話を聞いて、主人の事を思い出しました。彼は2日間入院しましたが、自ら退院して自然療法を望み自宅で過ごしました。入院していたら2~3か月のところ約一年生活して亡くなりましたが、わたしも家族も本人も、納得できたことを改めて思いました。(YM)

・「つぼなど覚える必要なし。大切にふんでわかるように。」
 マニュアルだけでなく、本当に必要なことに気づけるようにすることが、私も大切だと感じています。(NT)

・看板を書くことの中にもいろいろなコツがあると学びました。

 先生にこの部分を踏んでよいか尋ねました。
 大きなけがになってしまった例を教えていただいて、場所によっては危ないこともあるんだなと知り、戒めとなりました。
 
 勤行のときピアノを自由にひかせて頂く事が最初は緊張して苦しかったです。けれど、回数を重ねるごとに少しずつ自由になってきました。(MY)

・生徒さんの体験談
 楽健法を習い始めて10回ほどですが、東京にいる妹さんがHSP(感受性が強い)で一度楽健法をしてやりたいが良いかと…問合せがあり、承諾した。帰ってこられて報告があり、妹さんを踏んでいた時、突然泣き出したそうで、痛かった??と尋ねたら、「違う、こんなに気持ちが緩んだことはない」と言われたそうです。
 楽健法が精神面にも効果を発揮することが証明された。(TN)

・*阿闍梨より藪から棒にお題でて短歌うらめし舞う粉雪よ

 *ギャル好きと言わぬが花の楽健棒マジな活用可笑しさこらえ

 *これ正に本家本元お墨付き励む心は鬼に金棒

 *初めての和尚のセーター姿から辛棒重ねし青年みたり

 *編み棒の数だけ恋をしてきたり未完のセーター師走断捨離

 *もういいかと短歌作りを投げ出した我の内鈴鳴らす相棒

 *将来の考古学者はオカッパで傘棒顎に握手に応え

 *手裏剣のレプリカ持つ児傍らに用心棒のデューク東郷

 *別れ際ハグ泥棒の暖かさ胸に纏いて寒風に向く

 *これまでの過ち全て棒引きにして余りある穏やかな暮れ

以上10首、すべてが人生よありがとう!(KN)

・宿題(?)の短歌、作ってみました。俳句とは違って、自分の内面を暴き出さないと三十一文字は埋まらないことに気づき、戦慄しました。

 *“ありがとう”会えぬ人ほど捧げたく願い消え果つ淡雪のごと

 *君にはね感謝が無いよと言ふ人に頭垂れつつ明日はどっちだ

 *徒労だと分かっちゃいるけどいいんだよ棒の哀しみ棒の愉しみ

 *師走空謝罪も愚痴も反省も寒椿にだけ打ち明けといたよ (NO)


■先生への質問など

・先生は人生の中で一番大切にされていることは何ですか?(YM)

・腰が痛い人への良い手当法などあれば教えて下さい。(NO)


■心に残った宥嚴語録

・幾度か聞いていますが“点滴は天敵”これは心しておくべきですね。
“糖類は人をだめにする”(TN)

・「アマゾンだけが僕の味方だ」(NO)

・「楽健法は、庶民の間で燎原の火の如く広がっていくべきもので、医学なんてものが入って、なんやかんやいうべきものではない」

なぜ楽健法はいつも左側から踏むのか?の質問に応えて
「ボクがそう決めたの」(YH) 

・「セラピスト講座は、ちゃんとまともに歩くすべを学ぶところ。体の使い方のコツをつかむところ。ヒトから人間になる為の大人の幼稚園。」

宥嚴先生「夫婦喧嘩のたえない家庭では、酵母は膨らまない」
私   「え?我が家はしょっちょう夫婦喧嘩していますが、酵母はいつもご機嫌で
膨らまなかったことがないんですが?」
宥嚴先生「それは……、夫婦喧嘩じゃなく、痴話喧嘩だ」
なるほど、それで宥嚴・幸子先生の楽健寺パンもよく膨らんでいるのかと。
(RTT)

■幸子語録

・酵母はいつも私たちの顔色をうかがっている。(私たちが酵母のご機嫌をうかがっているんじゃない!) (RTT)          


■本講座へのリクエストやアイデアなど。その他、なんでも。

・本講座に来られている方々のことをもっと知れるような機会があれば嬉しいです。
(YM)

・いろいろ突然だけどあること(今回は楽健法の家)があって楽しいです。(NT)

・早いもので17期も残すところあと3回……。気ばかり焦っても仕方ないですが、今まで以上に1回1回の経験を大切にしたいと思います。
またカレーが食べたいです。[←山野夫妻のアシスト] (NO)

・またカレーが食べたいです。[←カレー研究家として](YH)


■これは効く!と思うあなたのストレス解消法はなんですか?(11月アンケートへの回答)

・以前はゴルフやカラオケなどでしたが、月に一度の東光寺での楽健法セラピスト合宿は最高のストレス解消の場と言えます。(TN)


■一年後にどんな自分になっていたいですか?

・一人でも多くの人に、楽健法を伝えたいです。(HU)

・楽健法の施術だけでなく、すこしずつでいいから人に教えられるような自分になっていたいです。(MY)

・楽健法を通して色々な方と出会いましたが、今後もこの活動を続けながら自然のある所で食生活や家(くらし方)を変えていきたいです。家族で色々なものをクリエイトできれば幸せです。(YM)

・私の足をあてると、相手の不調和がわかる足になりたい。(NT)

・ユーモアのセンスが花開き、周りの皆を笑顔に出来る人。
 今の自分より落ち着きのある魅力的な人。
 楽健法と楽健パンを正しく、安全に、かつ楽しく伝えられる達人。(KN)

・人の期待に60%くらいは応えられる人になりたいです。(NO)

・この春、奈良から離れることになりそうです。
宥嚴先生やルミ先生が身近にいなくても、「迷子」のようになることなく、自分なりの地図と羅針盤をもって歩む人になりたいです。
そのために、この一年間学んできた事をよく咀嚼して、反芻して、楽健法(と楽健パン)やヨガを実践する自分になっていたいです。(YH)
 
2017-12-28(Thu)

楽健法の効用

 楽健法の効用
             山内宥厳

 健康なひとほど健康については無関心なものです。ひとは病気になってはじめて病気ではない状態のほうが良いのだと気づく。
 つまり健康な時にはそれが普通の状態だと思っていて不足や不満を感じないのでそれ以上に何か日常気をつけようなどとは思わないのです。
 家族の健康をそれとなく気遣って健康を維持するために努力してるのがお母さんの役割です。
 子育てをする母は子供や家族の健康管理人の役割を担ってることがおおいです。
 でも母親がどのような考え方をしているかといえば誰もが同じような健康観を持ってるわけではありません。
 私は時々スーパーへ買い物に出かけますが、レジに並んでいる女性の籠の中身を観察すると、肉がどさっと入ってたり、ジャンクフードとしか思えないインスタント食品などを詰め込んでいる人たちが圧倒的で、健康食を心がけている菜食中心の私などの目からみるとあれでは健康はいずれ破れることになるだろうと言わざるを得ない食材だと思います。
 健康であるためにはまず食のあり方からと思いますが、ほとんどひとは余り食に意識を持たず、高栄養高タンパクなものなどを好んで食べて暮らしているようです。
 病気になったら病院へ行く。病気は病院が医師が薬が治してくれるもので、毎日食べている食事に原因がある、などということに思い至るひとはまれです。
 好きなものを食べて、病気になれば医師が治すのだという考えで生活する日本人の一般的な常識が生活の基盤になっています。
 病気を治す近道は、なにがいけなかったかに気づきそれを止めることだ、などということを教育してくれる医師も政府もいない。
 ひとがそういうことに気づくためには、何年も医師にかかっているのに、ますます病気がひどくなる。これはやばいことになった、他になにか手立てがないだろうか、ということに気づいていろいろ探し始める。そういう経験を経てきて、ヨーガや楽健法やアーユルヴェーダなどの存在に気づくことになるのです。
 健康とは、病気とは何かと言うような、大きな問題について日本人は学校や家庭で教育を受けることがないまま大人になってしまいます。
 賢明なお母さんに育てられて子供の時から食のあり方などを聞かされて育ってきた子供は幸せですね。ましておかあさんが楽健法をマスターしていて日常的に家族で行い、天然酵母パンなどを自宅で焼いて常食にしていたら、病気などとは無縁の人生が送れます。
 楽健法を実行していると、自分の回りの病気で困ってるひとにも、無償の行為として楽健法を喜んでやってあげる優しいひとになってきます。
 楽健法のような簡単で効果的な健康法を身につけた人は、ものを見る力がついてきて、判断力や観察力も強くなってきますので、心が広く開放的になって、人生の困難に出会っても、どう対処すればいいか、なにが必要であるかを考える力がついてきます。楽健法は人間の意識を進化させてくれるのだと、多くの方の生き方が楽健法に出会って変わっていくのを見て思います。
 私が半生をかけて楽健法を世界に広めようと発心したのは、頑なな人間が楽健法で変わることで、世界中にどんなことが起きるだろうか、この目で観察してみたいからです。   

●楽健法を続けていますと足腰が弱らないので、老人ホームなどで楽健法に取り組めば理想的です。
 介護する、されるという関係から、介護なしで自立できるひとが増えてきます。

●子供の頃から楽健法を覚えておくと生涯を通じて、他人の苦難を助けられる人に育ちます。

●他人から何かを貰うこと、してもらうことは嬉しいものですが、楽健法を覚えると、他人のためにやってあげたいという気持ちを持つ人になってきます。
         


IMG_7016.jpg
2017年8月 インドのバンガロールのシュリシュリ・ラビシャンカールアーユルヴェーダ病院で講習会

IMG_3614.jpg
シュリシュリ・ラビシャンカール師と
2017-12-09(Sat)

第17期楽健法セラピスト講座 アンケートまとめ 【第8回目11月】

第17期楽健法セラピスト講座  【第8回目11月】

アンケートまとめ

■今回の学び・感想など

・妊婦さんに楽健法がとても良いという事がわかり、勉強になりました。姪が妊娠7カ月なので楽なお産になるように楽健法を教えたいと思います。(HU)

・今月、私のまわりで楽健できるタイミングが多く、相手を見て内容を変えたりすることにとまどっています。毎月セラピスト講座に来ることで質問したりすることができて助かります。(NT)

・先生に、死ぬ前になるとお腹が硬くなる、それをほぐすと元気を取り戻す事を教えていただき、毎日300回お腹をなでる様言われた意味が納得できた。
 又、頭と腸がつながっているんだと思った。何故なら、浣腸をしたら応急処置出来ることも学んだ。(MY)

・いいお産の日の楽健法でお産をした方のお話を聞いて、自分の出産のときを思い出しました。妊婦さんにこそ、楽健法は最適な健康法だと思うので、奈良楽健法研究会を見習って、岐阜でも広めたいと思います!
 トマト入りのお吸い物、美味しかったです。(MS)

・17期生の皆様と踏み合いが出来たことで、1年前の自分を振り返り、学年によって特徴があると感じました。
 このようなアンケートをされていて、ともて熱心に取り組まれていることに感心しています。(SU)

・カレー、とてもおいしかったです。また食べたいです。
 いつも楽健をしながら、皆さんが、いろんな話をされていてとても知識が豊富なことに驚かされます。帰りの車で主人と2人で「自分たちは何もないねー」なんて話しながら帰ります。でもいい刺激をもらえていることはとてもありがたいです。(MYf)

・伝説のカレーを食べることができて、ともて満足しました!!
 楽健法では軸足の位置が変わるだけで踏むポイントが変わってしまうので、軸足の位置にも気をつけて行うことを学びました。(MYm)

・*ご主人は臭いのですかと問われたり周り見渡し我が亭主だけ?

 *いらっしゃいカマドのおこげ食べたけりゃ噛めば噛むほど強くなるから

 *楽健は妊婦の味方心身をゆるゆるにして産前産後

 *発したる言葉と真意違う事山羊飼う人に教えられたり

 *真実は一つなれども万通り受け取り方は自由自在で (KN)

・「健康の条件に大切なことは世が平和であること、自由であること、人々が自立していることが欠かせない条件」「この条件を破壊しようとしている安倍独裁政権の有様、実態を楽健法をやっている仲間の皆さんに気づいて頂きたい」(宥嚴先生のツイッターより)
 楽健法セラピストをめざす私ですが、どういうセラピストをめざすべきかについての新たな指針を示されたように受け取りました。
 “健康の条件として平和と自由を希求し、批判精神をもって自立して生きる”(YH)
 
・11月の奈良楽健法研究会の講座でのこと。
 この日は、常連やセラピストのほかに、京都の循環器内科の先生、三重の公衆衛生学の先生、元精神科の看護師が参加して、現代の医学のありかたについて、話に花が咲きました。
アーユルヴェーダが、未分化時代の宗教と哲学と科学とが一体化した医学であること。 公衆衛生学は、医学のマイナーな分野ではなく、医学を包括して余りある「医学の木」の幹であるのに、現代では、幹と枝葉が逆転して枝葉が幅を利かせすぎ、本末転倒な結果を生み出していること。アーユルヴェーダを学ぶことは、医学と宗教の関係を、医学の側から発見しうるのではないか、宥嚴先生がアーユルヴェーダの真骨頂といわれる「楽健法」とはなんぞや、ということに、みなさん興味津津でした。
 最後に三重の落合先生が「楽健法医学研究会はまだないのですか?作りましょうか?」と言われたのが、この日を象徴しています。
 宥嚴先生、幸子先生が40年間、草の根で広め続けてこられた健康法が、医学の側からも引っ張り上げる動きがでてくるのではないかと予感させる刺激的な一日でした。
(RTT)



■先生への質問など

・私はあまり嫌いな人はいませんが、縁を切りたいと思う人はいます。縁を切りたい時の呪文などはあるでしょうか?(YM)

・頑固な肩・首こりを治す踏み方を教えて下さい。(SU)


・現代の医学分野や、欧米社会を始め、文化の違う別の国に楽健法を広めるうえで容易に想像されることは、楽健法のテクニックや指導を、細部にわたって論理的に説明することが、求められるであろうということです。楽健法を指導する上で、言葉で詳細な理論として説明するよりも、数を踏んで経験を積んでもらうことが何よりも大切と心得てきましたが、今後、異なったコンテクスト(共通の価値観をもっていない、異なった文化/コミュニケーション環境)で楽健法を広めるのに何が必要だと宥嚴先生はお考えですか?(RTT)


■心に残った宥嚴語録

・バリアフリーでなく、バリアハイで生きたい。(HU)

・屋久島の恵命我神散の話があったが、私はかなり前からガジュツウコンを飲んでいてそれがそんなに健康に良い物という自覚がなく、そんな良い物なら主人が死ぬ前に飲ませれば良かったと後悔した。(YM)

・健康な生活を送るためには、まず世界が平和でなければならない。(MS)

・平和な社会がなければ健康な生活は維持できない。(SU)

・核心をつく。 離さない(50年) (MYf)

・ 宥「“ここっ!”と思ったところをつかんだら、足を離さず踏む!
こころ憎いくらい離さず踏むの!
そうじゃないと治療にならない。」
宥「ボクはね、つかんででつかんで離さないよ!」
幸「え?私のこと?40年ね。あ、45年か。」 (YH)


■本講座へのリクエストやアイデアなど。その他、なんでも。

・いろいろな健康法を教えて頂いておりますが、なにかプリント等があれば大変有難いです。(YM)

・宥嚴先生が幸子先生のおせちが美味しいと言われていたので、次回おせち料理を1品でもいいので学びたいです。(MS)

・欠員の時はお声かけ下さい。馳せ参じます。(SU)

・またカレーが食べたいです。(MYf)

・またカレーが食べたいです。(MYm)


■これは効く!と思うあなたのストレス解消法はなんですか?

・デパ地下の食料品の買い物です。(HU)

・食べる!!(NT)

・やはり楽健法でしょう。自然の中で過ごす。(YM)

・子どもと本気で遊ぶ。宇宙語のようなめちゃくちゃな歌を一緒に大声で歌ったりお姫様ごっこをしたり。ちょっとした悩みなんてどうでもよくなります。(MS)

・楽健法とおいしい楽健パンを、楽健仲間と楽しく過ごすこと。(SU)

・歩きお遍路。しんどすぎて無になれます。(MYf)

・一日の終わりに妻(麻湖さん)にしてもらう楽健法です。(MYm)

・命に関わる事態でない限り、朝夕2回の瞑想を優先して行う。
 テレビを切る。
 湯船で大声で懐メロを歌う。
 うちの事務員さんになんでも喋りたおす。
 許せない奴は妄想の中で小っちゃい小っちゃい弱っちい奴にして、捕えて目の前でスミマセンと誤らせて『まあそれ程言うなら気前よく許してやる!!』と解放してやる。
 まだまだあるけど、これくらいで……。 (KN)

・①ストレスの原因になる事柄の根本解決を図る。
 ②ストレスの原因になる事柄に命名する。   
(ex.「家族が靴下を脱ぎっぱなしで放置する問題」
「子ども会の会計と家計簿の記帳がたまっていてかなり気になっている問題」)
③受け入れられないことは変える。(ex.記帳問題)
変えられないことは受け入れる。(ex.靴下問題) 
 ④「にもかかわらず笑う」ユーモアを心がける。
 ⑤ヨガ                              (YH)

2017-11-11(Sat)

第17期楽健法セラピスト講座  第6回9月 記録 2017年10月14日アップロード

第17期楽健法セラピスト講座  

アンケートまとめ


【第7回目10月】
■今回の学び・感想など(バンスリ演奏会の感想も)

・お寺の本堂のロウソクに囲まれて聞いた笛の音はとても厳粛で心に響きました。
 貴重な体験をさせていただきました。(H・U)

・キャンドルの演出がバンスリ演奏としっくりきました。本堂の周辺の虫の音もふんいきがありました。 (S・I)

・2回目の踏み合いになり、前回に比べて分かるようになりました。
 踏まれている時、背面の時間になると気持ち良く寝てしまい、いざ自分が踏む時これで良いのか迷ってしまう。みなさんどうですか?(N・T)

・深い音の響きがとても心地よかったです。自分の心臓の動きや脈がビックリするほど強く聞こえてきて、生きている命の喜びのようなものを強く感じました。朝のピアノも素敵でした。読経の途中、朝日がさしてきてだんだんと明るくなっていくのも幻想的でした。
 宥嚴先生との踏み合いが2回目でしたが、意識の向け方・氣の付け方を集中的に教えて頂き、とても勉強になりました。やっぱり楽健法はすごい!この氣意持ちを持ち続けて、来月はもっとうまく踏めるようになりたいです。(M・S)

・バンスリの演奏は最初から最後までぐぅ~っと引きつけられっぱなしで、いつまでもきいていられる感じでした。
 大変貴重な体験をさせてもらい、嬉しかったです。(M・Ym)

・すばらしい演奏に感動しました。どれくらい練習するかと質問したら、1日14時間と言われ、驚きました。ロウソクの明かりが美しかったです。(M・M)

・*特製の枝豆ごはん頬張りて機嫌麗し師の神無月
 
 *太古よりDNAに刻まれし音に誘われくねくねダンス

 *蜘蛛の巣に囚わる虫と言われしが我に写るは修行僧なり

 *本堂の完璧なるやセッティング最上級のこれオモテナシ

 *きらきらと夕暮れ時の傘の中そこだけ光るまんまるお目々 (K・N)

・今回で聴くのは4回目ですが、毎回睡魔が現れます。
 自宅での楽健法教室ではバンスリのCDをかけて踏み合っています。
 聴きながら踏まれている時は(踏まれながら聴いている時??)最高です。(T・N)

・キャンドルの灯りと演奏がすごくマッチしていて素晴らしかったです。
 包み込んでくれているような音色がとても心を落ち着かせてくれました。
 また最後の曲は音色が変わり、背中を押してくれているような前向きになれる気持ちにさせてくれました。
 父の病気のことで先生や皆さんに聞いてもらい、気持ちが楽になりました。まだまだケア出来ることがたくさんあることを教えてもらい、本当に良かったです。またがんばろうと思います。(M・Yf)

・幸子先生の健康料理
【サラダのキューリの小さめの乱切り】歯ごたえがあって美味しい切り方です。
【黒豆の枝豆ごはん】うちで作ったら家族に大好評。定番にします。 (Y・H)       

・シャイアン氏のバンスリ演奏は聴いていて本当に心地よく後半は居眠りをして今いました。柔らかな音で万人が聴いても心に響くであろうと思われました。(K・N)

・バンスリの演奏会の舞台は美しかった。
 2曲目の途中から緊張していたおなかの中がふわっとゆるまるのを感じた。
 Liveの音の波動はCDとは全く違うと体感した。(M・Y)

・インド古典音楽バンスリ。竹の横笛の音色を初めて聞きました。シャイアンさんの世界観に東光寺がしっとりと包まれた夜。まさに天と地が一体となり音の瞑想ですねー。
 ヨーガの瞑想のような眠気を誘う音色でした♪ (E・K)

≪幸子先生からの学び≫
 毎回踏み合い時間中、絶妙なタイミングで幸子先生がご飯の炊き加減や汁物などの火加減を確認しながら踏み合いをされている姿に改めて惚れ惚れしましたー!
 今回も材料を無駄なく二日間の講座。
 夜ごはん、朝ごはん、昼ご飯の合計3回の献立をこなされて、さすがの幸子先生です!
 今回は団子汁にアボガドがはいっていて驚きでしたが、美味しかったですー(^^)
 先生の型にハマらない自由な発想のお料理は楽しくなり、とっても参考になります。
 毎回「ケッタイな料理やな~」と笑顔の幸子節を聞けるとなんだか嬉しくなるわたしです。
 先生とのお料理の時間は、幼い頃、祖母と台所に立っていた懐かしい温かい気持ちになります。いつもありがとうございます! (E・K)

・今月の学び
 宥嚴先生はよく「教義」など説くと弟子は大抵、教条主義に陥ってろくなことはない、と言われます。
 よって楽健法には、堅苦しい教義や基本的な生き方を説くヤマ・ニヤマなどもありません。 そのことによって、より多くの人に楽健法が開かれいるのは確かだと思います。
 一方では、楽健法に長年携わっていても、なかなか人間として成長が進まず「人を踏むことで自分がより元気になる」「踏んでもらえなくても、踏むことで恩恵を受ける」という境地に達しないまま終わるということもあるかと思います。
 また、奈良楽健法研究会で「『宗教』に依存しているようではダメ、そこからまた自由にならなければ」というお話もありました。
 Nさんから、先生のそのご意見に対して「先生のおっしゃるのは極めてめざすところの高いご意見で、実際には宗教を支えにすることで弱い自分を強くしながら、よりよく生きている人もいるのでは」というご指摘がありました。
 宥嚴先生が厳しい幼少期の環境の中で、人生に匙を投げずに今素敵に歳を重ねられた背景には何があるのか。そこに興味があって奈良楽健法研究会の朝の2時間のお話を毎回興味深く聞いています。
 やはり、先生の人生経験があってこそ「教義はいらない」と言えるのではないか。
 一時、真言宗(もしくはそれ以前の「生活」)という添え木があったからこそ、自分の軸を形成し、そこから自由に羽ばたくことができたのではないか。
 ヨーガには、基本的な生き方を説く教えがありますが、私はそれは「若い苗木を守る柵」
のようなものではないかと感じています。苗木が鹿に食べられてしまっては元も子もないので、初めはそれによって守られる効用があり、揺るがない軸を形成した後には、そこから自由になっていくべきもの。どこか日本の古典芸能や武道の「型」にも通じるような気がします。 (R・TT)



■先生への質問など

・80(年)才の人を踏むようになりました。筋肉もほとんどなく、足を軽く当てるしかしてない。ローリング(本人は気持ちいいと言っている)とそれでいつかもう少し踏めるようになりますか?(N・T)

・とっておきのフットケアの「秘伝」を公開してください。(Y・H)

・セラピストコースではありませんが、毎月第四土曜の教室で宥嚴先生がおっしゃられたことですが、脳梗塞で倒れた男性が倒れた直後に浣腸。それをもう少し詳しくお聞きしたいと思います。(K・N)



■心に残った宥嚴語録

・崖から落ちたのは、それで厄が落ちたということだと思う。前向きな考え方。(S・I)

・Mさんの蜘蛛の巣のはなし。(N・T)

・クモの糸にかかった昆虫みたいだ。笑いました!(M・Ym)

・「Mくん!もっとリラックスして!蜘蛛の巣に捕まった昆虫みたいにしない!」(Y・H)

・足の一点に意識をもってふむ (M・Y)      

・「地球の真ん中を踏む」
「何事も笑顔でいることが大切」  (E・K)



■本講座へのリクエストやアイデアなど。その他、なんでも。

・講座も半分が過ぎ、踏んでいただいた分より、もっとお返ししたいという気持ちになる楽健法が大好きです。この気持ちを大切にしたいと思います。(H・U)

・カレーが食べたいです。(N・T)

・リクエストはありません。
 皆さんの話を聴いて、いろんなことを学ばせて頂いています。(M・Ym)

・ご飯がおいしかったです。(M・M)

・一日目の夜に二日目の朝食と昼食の下ごしらえを、出来る範囲でしましょ。(Y・H)
 
・外に洗面台が3つあります。お湯も出ます。
 その洗面台を食後の食器洗いに利用するというのが如何でしょう。
 台所の流しだけでなく作業が捗ると思われます。 (K・N)



■小さい頃(若い頃)の夢は○○でした。

・夢というより踊りが大好きでした。日本舞踊、バレエもかじりました。今はフォークダンスが好きです。(H・U)

・考古学者。
インテリアコーディネーター。
 経営者。  (S・I)

・そういえば小さい頃パン屋さんになたかった。
 今、自分と家族だけにパンを焼いています。
 今後もう少し進歩できるのか楽しみです。(N・T)

・書道家(M・S)

・若い頃、税理士になりたかったです。
 勉強したんですが、頭がついていきませんでした。(M・Ym)

・団塊の世代です。残念ながら大きな夢を抱くどころではありませんでした。
 インフレが進むなか、給与は上がるが物価も上がり、可処分所得は下がる時代に夢は持てませんでした。強いて言えば安定した家庭を持つことが小さい夢だったように思います。
 無事に勤め上げて退職をした後、種々学んだ最後に楽健法に巡り合え、最大の夢がかなったように思います。 (何時も、何事も、遅い、爺さん T・N)

・ツアーコンダクターになることでした。(M・Yf)

・小学校低学年…時代劇『大江戸捜査網』の隠密同心、梶芽衣子演じる「小波姐(ねえ)さん」
 小学校高学年…弁護士。
弁護士に失礼な話ですが、祖母に「あんたは屁理屈ばっかり言うから弁
護士になり!」と言われて。誉められたと勘違いして「弁護士になれる!」
と思ってしまいました。(Y・H)
 
・小学校の頃は警察官になることが夢(希望)でした。
 高校3年の就活で奈良県警を受験し合格しましたが、最後の最後で行くのを辞めました。
 それも亦人生ですねぇ。  (K・N)                    

・若い頃の夢は、庭を作ることでした。
 木があって、花がたくさん咲いて、動物も、野菜も、共生しているカラフルな自然な庭。 (M・Y)

・幼稚園の頃…お花屋さん
 小学校の頃…大好きなかこさとしさんの絵本「からすのパンやさん」を読んで、単純な
私はパン屋になりたかった!
その後、高校生になりアルバイト先はもちろん憧れのパン屋へ!
成人してからも、変わらずパン屋さん好きで2度パン屋さんでアルバイト
経験しましたー笑 (E・K)


IMG_7876.jpg
「2017/11/11の教室 いまから交替して始まります」


2017-11-10(Fri)

農文協の別冊うかたま 伝え継ぐ日本の家庭料理 全十六巻

 農文協の別冊うかたま 伝え継ぐ日本の家庭料理 全十六巻の刊行がはじまりました。
 農文協関係の著者に購読の勧めがあったので予約した第一回配本 巻3 が本日届きました。

 日本の伝統的な食文化は、どこの家庭でも当たり前に引き継がれているわけではなく、日本には伝統的な日本食を摂取している家庭は皆無に等しいのではないかと日頃思っています。

 農文協には 日本の食生活全集 などという全50巻もの本も出版されています。日本の各地域にある特有の食事など、豊かな食文化がありますが、スーパーやコンビニが日本中にできて、均一な食材や食事を販売し、これに依存する家庭も多いので、こうした食文化の本を手にして、伝統的な食事を若い世代が作って味わう、ということになればいいですね。

 写真に、レシピも詳細に記載されているので、伝え継がれてきた日本の料理を試みてみたいものです。


農文協のページ http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54017140/

amazonで購入できます




2017-11-08(Wed)

バンガロールで楽健法を受講したOksana Akulovaさんから

インドのバンガロールで楽健法を受講したOksana Akulovaさんから、楽健法を実践し、教えてたくさんの人に喜ばれているというメールを頂きました。

IMG_7016.jpg

          右端がAklovaさん

Oksana AkulovaさんのFaceBookはhttps://www.facebook.com/oksana.akulovaです。

 メールの本文
Respected Sensei ji, Namaste! It is Oksana. I learned Rakkenho from you at Sri Sri Ayurveda Hospital in August.
I would like to express my infinite gratitude to You from me personally and from 65 people who have benefited from the massage. I have already done 130 sessions and taught Rakkenho to 4 talented people.
Every one has wonderful experience. I have asked your blessings before the training and I saw you in my dream, which I considered that you blessed me.

40人が既読
12 宮川真紀さん、Oksana Akulovaさん、他10人
コメント

平松 英子
素晴らしい事がインドで起こっています。

木口 貴代子
How nice you have done with
your people.Rakkenhou surelly makes you healther and happier, just keep going.

Oksana Akulova
Thank you! Rakkenho is a gift! People are happy and shining!




2017-10-14(Sat)

第17期楽健法セラピスト講座  第6回9月 記録 2017年10月14日アップロード

第17期楽健法セラピスト講座
アンケートまとめ

【第6回目9月】

※本アンケートは、学び・親睦・記録のための、受講生による自発的な取り組みです。
 必要に応じて、趣旨を変えずに編集いたします。
17期メンバー内では記名のうえ公表しますが、個人情報を含むため取り扱いにご配慮ください。

■今回の学び・感想など

・インドの楽健法の講習会の話を色々聞く事ができ、楽しかったです。もっと広く楽健法が浸透すると良いと思いました。身近の人から踏んで少しでも身体が楽になってくれれば自分も嬉しい。(H.U)

・難聴なのもあり、大きな声で「補聴器を付けた方が良いくらいの難聴で、西洋医学では治る。食い止めることは出来ない」とDr.に言われたことを踏み合いながら話していたら、後からいろんな方からあれがいいよ、これがいいよとアドバイスを頂きました。
 同期の皆様の優しさ、温かさに感動しました。
 また、片付けが苦手な私にいろいろアドバイス頂き、インド行きをキャンセルした私の体調にもとっても心に染みるお言葉を頂きました。涙が出るほど感謝の想いでいっぱいです。
 それから、インドのお話をお聞きして、日本人に生まれたこと、そして日本に暮らせる幸せを感じました。急なキャンセルでご迷惑をおかけしましたが、自分の心の声にもっと耳を傾けることの大切さを感じました。無理をして行っていたら、皆様に多大なご迷惑をおかけしたかと思います。勝手をして申し訳ありませんでした。(A.N)

・4月から講座が始まり半分が過ぎました。
 あと半年で自分にどれだけの理論に裏付けられたスキルが身につき、他の人に楽健法を施せるか、まだちょっと自信のないところがあります。
 初回の講座で、サマディタッチトリートメントを学びましたが、今回再度学び理解が深まったように思われます。
 大腿部の裏側(ハムストリング)に施すローリングですが「自分がこういうようにしてもらえば気持ちいいだろうな」という考え、謂わば我流ですが、それが良いのか良くないのか分からないまま今回の相手にやってみました。
 そのために、相手の人が不調になったりしていないだろうか?という心配が残ります。
 基本から逸脱したものだということは分かっており、行き過ぎたものであったと反省するところです。(K.N)
 
・先月から今月にかけて(たぶん来月も)普段以上に仕事中心の日々を送らざるを得ない状況です。楽健法の実践も儘ならぬ毎日のなか、この毎月第2土曜・日曜に日常から完全に離れて楽健法を学ばせて頂き、皆さんと交流することが(単に4回踏み踏まれるということ以上に)自分のなかでとても貴重な時間になっているのだなぁと感じています。多謝です。
・姿勢、肚(はら)の力、足首の柔軟性。(N.O)

・人に何かをしてもらうより、ひとに何かをしてあげるほうが心地よい。
まさに楽健法そのものだなーって!人を癒すコトを感じます。
 
 2日目に幸子先生とペア。
 幸子先生から、上手に踏めるようになったわね!
 きちんと楽健法の基本を忘れずに踏めている。これからも基本を忘れずにね。
 とっても嬉しいお言葉をいただき、楽健法を続けてきて良かった!これからもがんばろうと素直に思いました。

 セラピスト講座、ちょうど6回目折り返し地点。
 初心を忘れずに、これからも楽健法の学びですね。(E.K)

・*早すぎず遅すぎもせず東光寺坂を登りつ意識高まり

 *いとはんも人の子でした疲れたと大の字になりされるがままに

 *楽健を踏む目の先に地蔵様蜘蛛の巣オーブふたつ揺らめき

 *思索する術を持たざる我なれど内なる叡智に迷うことなし (K.N)



・Nさんの太ももローリング(圧をかけ続けながら少しずつジグザグに膝へ移動しながらローリングする)がすこぶる気持ち良かったです。
「自分がこういうようにしてもらえば気持ちいいだろうな」ということをやってみて、コミュニケーションをとりながら効果などを検証するのだとおっしゃっていて、勉強になりました。
 Uさんには「リズムや」「数ふむことや」「れんしゅうれんしゅう」と、明るく励まされて、がんばろう!と思いました。(Y.H)


■心に残った宥嚴語録

・自分の考えは人にはおしつけないが、頼って来る人は拒まなく助ける。(H.U)

・講話の最中に居眠りしてしまい、申し訳ありませんでした。(K.N)

・(これはセラピスト講座ではなく前回の奈良楽健法講座でおっしゃったことです)
 今年の一月から腰の激痛で椅子に座れない方が来られて、
「痛みには、ON OFFのできるスイッチがある。スイッチの場所が分かれば、切ればいいだけなんだけれども、今の医者は、スイッチの場所が分からないので、スイッチを切るかわりに、電球を外したりしている。
 楽健法でスイッチを見つければ、じきに痛みは消えます。」
 この方の場合、仰向けに寝るのもうつ伏せになるのも、体が硬くひしゃげていて、辛そうでしたが、楽健法でほぐしていったらだいぶん平らに寝られるようになりました。左側の腎臓と肩甲骨の間あたりが、最後まで硬く固まって盛り上がっていて、そこがスイッチのようでした。全身をほぐしたあと、だいぶん左右差やお体の力が抜けて、中休みには痛みなく椅子に座れるようになられました。
 (が、帰宅後、だるくもみかえして、現在は鍼灸をして様子をみられているとのこと。隆生さんのご自宅の近くにお住まいでおつなぎしたので、痛くても続けて楽健法をされればいいのに、と私個人は思いますが、そこで楽健法に出会うか出会わないかが、人生の分かれ道ですね~)(R.TT)

・テーマのない何気ない会話(特に女性と)をするのが苦手、との意外な一言に、そうなんだよなーと強く共感してしまう、桑(そう)年(ねん)の秋。(N.O)

・何事も根本に立ち返ることが大切。(E.K)

・「根本に立ち戻りながら何事もやっていきたい」
ほんまやなぁ、と思いました。

「ボクは一体なにものか、正体がわからない」
宥嚴先生は「山内宥嚴という存在である」以外の何者でもないと思いますが、ご本人は「正体がわからない」とは。
そういうものなのかぁ、と思いました。

幸子先生「日本はありがたい国ですよ」
幸子先生に言われると、わたしはまだまだ日本という国にいることのありがたさを、わかっちゃいないんだろうなぁ、と思います。(Y.H)


■本講座へのリクエストやアイデアなど。その他、なんでも。

・踏み合いの時間をやりくりして、2日目のうち一回はサマディタッチトリートメントをする時間を設けては?1日目の夕食後の踏み合いの後でなら、先生ご夫妻がいらっしゃらなくても私達だけで出来るのでは……?
 サマディ……をしっかり身につけたいです。(A.N)
 
・前回も書きましたが、昼食を簡単なものにして午後からの時間の確保が図れたら充実すると思われます。
午後からの時間を宥嚴師の講和にするなども良いと思われます。(K.N)

・皆さんにお尋ねしたい事ですが、大事な足のケアはどのようにしているのでしょうか。
 よく言っているのですが、顔のケアをする様に足のケアもすべき。
 お風呂に入った時、顔は勿論足の甲・足底共に手で洗う様にしています。あがってからはゴマ油かティートリー入りのワセリンを塗る様にすれば足のケアは十分だと思います。
 皆さんはどの様にされていますか??(T.N)

・インターネットで過去のセラピスト講座の様子をのぞいて見つけたのですが、東光寺山で四国八十八ヶ所巡りができるそうで……ちょっと気になります。

・10/2幸子先生のお誕生日。みんなでお祝いしたいです!…(E.K)

 ●上記に返答します。以下の写真のような仏像群、来月見てくださいね。
東光寺のミニ四国八十八ヶ所



■最近見た映画やテレビ、本で感動したものがあれば教えて下さい。

・『想像して創造する』尾崎里美著 (A.N)

・感動とまでいきませんが、8月にファースティングしたときに講座や勧められた本などで宥嚴師が以前から仰られている甲田Dr.や西Dr.の名前が出て、その理論が引用されているのに驚いています。(K.N)

・昨年のものですが『この世界の片隅に』。
こうの史代さんの作品はどれも良いです。(N.O)

・映画 『人生フルーツ』
 できることをコツコツ、コツコツ。
 自然の中に答えはある。 人を通じて人生が豊かになる。
 登場する津端夫妻おふたりの生き方は穏やかで、その言葉は美しく豊かになる魔法を持っています。
 宥嚴先生・幸子先生ご夫妻も映画になるくらい面白いって、素敵って、ふと感じちゃいました! (E.K)                            

本 『ブッダがせんせい』
先日お寺に御墓参りに行ったら、ご住職さんにいただいた本。 
子どもにも分かりやすく書かれてる本です。 

『持ち帰りたいインド』松岡宏大・野瀬奈津子
  
『氣の呼吸法 ―全身に酸素を送り治癒力を高める―』藤平光一  (E.K) 


・映画 『弁護人』
    韓国で観客動員数1100万人。
故ノ・ムヒョン元大統領が弁護士時代に担当した冤罪事件を基にしたドラマ。
    民主主義が揺らぐ今、勇気と温かい気持ちがじわっと湧くような感動作です。

    『人生フルーツ』
    「枯葉が落ちれば土が肥える 土が肥えれば果実が実る 
     コツコツゆっくり 人生フルーツ」
    豊かさとは何か、生き方・暮らし方をみなおしたくなります。 (Y.H) 

    
  本 『丸山博著作集 食生活の基本を問う』丸山博
    丸山先生の情熱ほとばしる名著。震えます。
    


2017-10-03(Tue)

鳥獣戯画風のイラスト 楽健法Tシャツ 頒布します。

高野山合宿に向けて、楽健法のTシャツを作りました。
この夏、インド研修用英語版冊子の挿絵にも使われた、動物達が互いに踏み合う鳥獣戯画風のイラストを
あしらったオリジナルTシャツです。


mae

ushiro

size

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


サイズは2つ(女性用160、男性用M)、色は4色で、1枚3000円です。

写真左から、デイジー(160)、オリーブ(M)、ネイビー(160)、シルバーグレー(M)

それ以外のサイズでもご希望があれば、注文をお受けしますので、以下を明記の上、
下記までご連絡ください。(締め切り10月15日)

①お名前
②電話番号
③住所
④色、サイズ、枚数
⑤希望の受け渡し方法(郵送は別途郵送料がかかります)

narayogaretreat@gmail.com / 090-6549-3577 (奈良楽健法研究会:髙橋トーマス)






2017-09-09(Sat)

第17期楽健法セラピスト講座 記録 2017年9月9日アップロード

第17期楽健法セラピスト講座
アンケートまとめ

【第5回目8月】

■今回の学び・感想など

・Art Of Rakkenho の中で楽健法は「ライバルが居ても敵はいない」という先生の子お言葉が心に残りました。

・楽健法を実践しているとライバルはいるが敵はいない、という人生の考え方に気づくとありますが、その通りだと思いました。

・体つきの違いでのふみやすい・ふみにくいもあるけれど、体をあずけてくれた時(心をあずけてくれた時)は本当にふみやすいし、ふんでいて心地が良い。心も体もゆだねてもらえるようなふみ方が、早くできるようになりたいと思う。

・先月の奉納公演の感想
 戦時中のシーンは鬼気迫る感じで、当時を思うと胸が詰まる思いでした。私のひいおじいちゃんは酔っぱらうといつも軍歌を歌います。今94歳
 四国にお遍路に行ったり、最近はずっと写経をしています。宥嚴先生の芝居をみて、おじいちゃんの胸の内がほんの少しだけど分かったような気がしました。
 ものも情報もあふれている今の時代、その状況が当たり前になってしまっているので、心も頭も、がらんどうでいることは自分にとってまだまだむずかしいことです。人の目や評判を気にしたり、比べてしまう心だったり、恐れの心だったり。
 でも宥嚴先生の公演を見て、がらんどうは「何もない」わけではなく、「何でもある」ということを教えてもらいました。
 そう感じることができたら、レールの上でもがいている私の日頃の悩み、苦しみなんか、ちっぽけなものだと思えて来ました。
 ぜひ来年見たいです。
次回は家族も連れて来ようと思います!

・夜、楽健法をやるときと同じように布団を敷いていて、入らないな~と言っていたら、幸子先生に「布団の向き、横向きにすればいいやん」といわれました。いままでなんで氣がつかなかったんだろうと目から鱗でした。と同時に私、なんて頭固いんだろうと……。
 些細なことですが、幸子先生の柔軟なあたまに感動でした。

・毎回、毎回、鼠けい部を踏む時に遠慮してしまう。
 ときに調子よく踏んでいて受け手の痛みを忘れてしまうことがある。今回も「痛い」「もっと優しく」とお叱りをいただいた。

・自分の見ているとおりに相手も見ていると思うことにまちがいがある。自分の知っていることを世界が知っていると思うこともまちがいのもと。
物事を肯定的に考えて行動すること。人々に対して寛容になることが大事。人生において裏方に回ることにも意味がある。
 先生のお話は全て心に残る言葉ばかりで勉強になります。

・腕まわりのふみかたがよくわからなかったのですが、今回教えていただき勉強になりました。
・今回一日目の踏み合いは男性おふたりでした。
 男性と女性は筋肉のつき方、特に腕回り、背中、上半身が違うので、踏む時に圧のかけ方、軸足の位置を見直すことができました。足で圧をかけるのではなく、体重移動でしっかりと圧をのせていくことの大切さを学びました。
 二日目はNさんとのペア。小さい身体、小さい足で、しっかり筋肉をとらえて身体の芯までききました!足裏の使い方、細かなアドバイスをいただき刺激になり、ますます楽健法の学びの深さにはまりますね。

・*碧と蒼東洋の知恵阿闍梨への畏敬の念を描く青の目

 *男前惚れてまうやろ合気道弱きを助け唯前を行く

 *待ち遠し大麻飾りイヤリング祓いたまえて清めたまえて

 *月一が癖になりそうな東光寺わがまま気まま矯正施設

 *教養も知識も無くてとりあえず阿闍梨の話頷いておく  


・同じラインを3回踏むのも、立ち位置をそれぞれ変えればまた違う刺激になるのが勉強になりました。今までは自分の踏みやすい立ち位置が決まれば変えることなく踏んでいましたが、相手の身体の状態を見て、感じて、少し位置を変えることは、相手への細やかな気配り、優しさだなと思いました。

・今回、宥嚴先生に初めて全身を踏んでいただきました。そして、先生に踏んでもらっている時に、私の妻に踏んでもらっているような感覚になりました。なぜだろうと考えると、そこに楽健法を夫婦・家族でする意義があるのかなぁと。先生は、これまでの知識と経験や感性で、誰にでも、その人に最適な踏み方ができると思います。妻は、先生より経験値が少なかっても、ほぼ毎日私を踏むことによって、わたしにとって最適な踏み方をしてくれていると感じました。先生がよく仰っている「腕のいい治療家になっても、楽にしてあげる人数はごく僅か。楽健法をできる人を増やしていくのが人の為になること」まさにその通り。
 わが家のように一家に一人、宥嚴先生が居るような、そんな楽健法の広め方をしていきたいです。

・だんだんまごつくことも少なくなり、それらしい動きはできるようになってきたものの……自分のスタイルが見つかるにはまだ前途遼遠といった感じです。
もう5回経ったのかー。

・Nさんに踏んでいただいた時、衝撃でした。
宥嚴先生は「魔法の足」(足そのものが魔法)だけど、Nさんは「魔女の足」だと思いました。
フーレで鍛えた体幹と、リンパマッサージで体得された身体知識が、楽健法に有効に活かされているのではないでしょうか。
「やっぱり姿勢が大事」ということを改めて思いました。 

・行為について(ダルマに従った生き方と、カルマに引きずられた生き方)
 宥嚴先生や幸子先生の行動や言動をみていると、必要なことを必要な時に淡々と、タイムリーに進められており、なおかつそこに人を笑わせたりほっこりさせたりする遊び心と余裕もあって、心地よく惚れ惚れします。
 実質的に頼りになるのに、けっして「おせっかい」じゃない。
 ゲーテの言葉に、うる覚えですが「芸術とは、何かを表現するかではなく、何を表現しないかだ」というような言葉があったと思います。
 先生たちも若い頃にはやはり、ご自分の身につけたことを人に伝えようと、必死でたくさんの言葉や行動を費やした結果「おせっかい」だった時期を経て、今のように洗練された、無駄のない、でも余裕のあるコミュニケーションがとれるようになったのだろうかと考えながら、どうやったら人はこの引き算という芸術を学び「おせっかい」でなくなっていけるのかなぁと考えました。
 「おせっかい」という言葉には思い出があります。
 十数年前に、私が整体の寺門先生の治療院でまだ働き始めたばかりの頃、いい年をして現場で発揮できる実力のない自分に耐えきれず、自己流によかれと思うことを勝手に忙しく行っていたところ、先生からぴしゃりと「お前の行動はおせっかいの匂いがする」とお叱りを受けました。
 他のアシスタントよりも年上で、いくら他の社会的経験を積んでいようとも、その現場ではただのぺーぺーの新米に過ぎず、ただただ周りの人に迷惑をかけ、助けられながら学ばせてもらうのみ、という事実に耐え、謙虚に必要なことを淡々とタイムリーに行えるように努めること。必要のないときには、実質的なよゆうのある人々と対等に軽口をたたいたり、しゃしゃりでたりせずに、沈黙にたえ、周囲をよく観察すること。
 自分の存在や価値を認めてもらおうと行動するのか、その場に必要なことを満たすために行動するのか。
 ヨーガの修行の中の「モウナ(沈黙の業)」は、自分の行動の動機を静かに見つめて、おせっかいを少しずつ削ぎ落すのにとても役にたつと感じます。

■先生への質問など

・先生の好きな幸子先生の手料理を教えてくださーい!

・小林健さんとの出会いのことを教えて下さい。                          

・「おせっかい」の削ぎ落とし方。もしご自身の体験談などあれば、聞かせて頂きたいです。

■心に残った宥嚴語録

・「ライバルは居ても敵はいない」

・否定的な考え方より、肯定的な考え方で生活したいと思います。
その方が楽しいはずです。

・車のたとえが分かりやすかった。敵はいない、いるのはライバルだけ。
 人の足をひっぱるのではなくてひっぱりあげる。

・17期はおとなしい。16期は奈良の人が多かったので柄が悪かった。^_^

・動自在
 何をやるにも謙虚さがないとダメ。
 想像力の中でイメージすること。

・想像力の中で到達することが大事。

・楽健法をしていると人間が進化していく。人間の心が開いていく。
 人の足をひっぱらない。人の足をひっぱりあげることが大切!

・“一見何の益にもならないと思えることでも、続けているといつしか辻褄が合ってくるもの”

・楽健法をやっていくと人間が進化・進歩する。
 人間性が啓いていく。
 人間は迷妄が深ーいものだから、気づきが大事。
 楽健法は他者と接することで、気づいていく。

・二日目、先生同士がペアになり、宥嚴先生が幸子先生を二回連続踏まれる時。
羨ましがる受講生をしり目に幸子先生、重々しく一言。
「愛や」                            

■本講座へのリクエストやアイデアなど。その他、なんでも。

・食事にカレーが出たらうれしい♡
 次回はインドの報告会をお願いします。

・奉納公演の感想をシェアする時間で、みなさんの発言からたくさん氣付きをもらいました。時間がある時でいいので、何か一つのテーマに対して、みんなで輪になって、思いや考えをシェアする時間があったらいいなと思います。
サマディタッチトリートメントをもう一度やってほしいです。

・第2日の昼食を簡単にして午後からの実践時間を十分取って欲しいですね。

・サマディタッチの方法を教えてほしいです。

・次回、先生・同期のインド旅行帰国後。10月のセラピストコースにてインド料理、カレー、おかずなど。
チャイもつくりたいなーと、食べたいなーと思っております。

・今のままでいいです。いろんな出会いも出来てますし、学びも得ています。

・インド旅行土産話が楽しみです。

■「わたし、じつは○○です」

・車の運転が好きです。この前、高知まで一人で運転してきました。

・わたしの特技・趣味は、穀物採食のレストランで働いていたので、雑穀を使った料理やマクロビ、ビーガン食の調理が多少できるかなと思います。

・空がとべます。
パラグライダーのパイロットライセンスもってます。 

・意外な一面は無いですね。皆さんの第一印象のとおりだと思います。

・ネタが思いつきません。

・わたし……じつは双子なんです!
 しかも、めずらしい男&女の双子です。

・10年以上前はバーテンダーで、シェーカーを振っていました。

・わたし、じつは最高血圧が85しかありません。
 検診ではいつも看護師さんor保健師さんから「大丈夫ですよね……?」と念押しされます。(笑)  

・わたし、じつは……“宿題ため子”でした。
 夏休みの宿題は、8月31日の夕方からやっていました。
とうぜん徹夜しても終わらず。東の空が白々と明けるころに、母や妹たちをたたき起こして、一言日記もドリルも漢字の書き取りも、手伝ってもらっていました。
わたし、じつは……いまだに“ため子”です。
家計簿はレシート1~3ヶ月分をためて記帳しています。
“ため子”というより“だめ子”です。

・私は見る人のレベルや位置によって姿が見えたり見えなかったりする 透明人間 です。
 私の妻は私に認識させるためのとりどりの衣装を発明していますが、私に見えるのは白無垢の人、やはり 透明人間 です。
 がらんどうは歌う を生きる私は、複眼の 透明人間 とも言えます。
 私と接する人が思索するすべを覚え、人間に成長されたとき、私の透明度が観えるようになってきます。






2017-09-08(Fri)

**** 東光寺だより ****      2017年9月8日発信

**** 東光寺だより ****
     2017年9月8日発信


 ●インドのバンガロールという所にあるNGOのART OF LIVINGの本部に楽健法を教える為に8月9日から出かけていました。このNGOの代表はシュリシュリ・ラビシャンカール師という有名な方で、この組織に入るひとはスダルシャンクリヤという呼吸法を学んで会員となり、NGOの多様な活動に参加して、学校に通えない貧しい子ども達のために小学校を建てて、経費はすべてNGOで保証する、というような活動をしている組織です。

https://www.artofliving.org/jp-ja (日本語のホームページ)

 バンガロールの本部には、師の拠点であるアシュラムを中心に広大な敷地にアーユルヴェーダ大学、アーユルヴェーダ病院などが建設されています。

 今回楽健法の講習会を開催したのは、アーユルヴェーダ病院のホールでしたが、毎日3回の講座を十日間開いて、7回受講すると受講証明書を授与することにしました。
 受講されたのはアーユルヴェーダ病院の勤務医、アビヤンガやシロダーラなどを施療している病院スタッフが中心でした。総勢100人を超えるひとが受講され、認定書を授与された人は70人ほどになりました。

 受講された皆さんの多くは、アーユルヴェーダ大学を卒業した医師や病院で働いているセラピストの方々でしたが、楽健法の受講にはとても熱心で、しかも理解力が優れているひとが多く、受講二回目には完璧に覚えている人が多く、やり方を注意すると即座に理解してそのことが出来る、高い能力のひとが多くてビックリしました。

 かなりハードスケジュールだったので疲れましたが、楽健法を学んだ皆さんが、実に素晴らしい健康法だと受け取ってくれて、アーユルヴェーダ病院で、楽健法のセクションを設置して続けていきますということも言っていましたので、このアーユルヴェーダ病院を基点にして、インドで楽健法がアーユルヴェーダの有用な方法として広がっていくことになろうかと思います。

●9月30日㈯に大阪の應典院のホールで、「がらんどうは歌う」山内宥厳作・出演を公演します。
今回は山本公成さんとほしこさんご夫妻のコンサートとジョイントするという楽しい一晩を企画しています。
http://www.yamamoto-kosei.com

一人芝居「がらんどうは歌う」は宥厳和尚の書き下ろしのドラマですが、ぜひごらんいただいて、和尚が少年時代の戦争体験を踏まえて語る戦争について一緒に体験し考えてみてください。

http://rakkenho.blog.fc2.com/blog-entry-50.html (公演案内)

● いままで使っていたメールアドレス ytokoji@begin.or.jp は以下のアドレスに変更します。

 新メールアドレス ytokoji(@)begin-net.jp アットマークのかっこ()をを外して@にしてください。スパンメールが毎日1500通を超えて入ってくるので変更します。


●山本公成さんの演奏 youtube から
https://youtu.be/ilIelCiglIM


image1.jpg





2017-08-08(Tue)

東光寺の演奏会 シャイアン・キショールさんのインド音楽

東光寺の演奏会 シャイアン・キショールさんのインド音楽

日 時 2017年10月14日18:00 開演
会 場 東光寺 駐車場あります。
入場料 2000円 定員25名 
予約申込は下記のメールまで。先着順で予定人数まで。

申込メール narayogaretreat@gmail.com




インドの古典楽器「バンスリ」は、「神の笛」とも呼ばれ、
素朴な音色が人の心を清らかにする瞑想的な楽器です。

世界各地を演奏しながら旅を続けるシャイアンは、
ヨガと瞑想の先生でもあり、バンスリを21年弾き続けている音楽家であり、
今は、音を通して深い癒しの波動を届けることを目指しています。

バンスリのゆるやかで神聖な癒しの音色を浴びながら、
瞑想したり、リラックスしたり、各自が自由に内面と向き合ったあとは、
その場に居合わせた人と、心地よくつながるあたたかい一時を過ごしたいと思います。



アーティスト紹介

シャイアン・キショール / Shyan Kishore

バンスリ奏者

ロンドン生まれ、イギリス人。
幼少期は植物、動物や昆虫の美しさに魅了され、
多くの時間を自然の中で過ごす。

1996年にバンスリに接し、
バンスリの第一人者ハリプラサッド・チャウラシアに師事。

ロンドンの Royal Festival Hall、Nehru Centre などに出演し、
古典の分野に留まらず、
フュージョン音楽の舞台や世界各地の音楽フェスティバル、
スピリチュアル・イベントでも演奏。

カタック・ダンサーの Anurekha Gosh、
キールタン・アーティスト Deva Premal & Miten、
グラミー賞受賞チベット人シンガー、ヤンチェン・ラモとも共演。

ヨガ講師としても活動し、
音楽をそのプラクティスの一環と捉えて、
聞き手を「音のヨガ」の旅 へといざなう。

インド、オーストラリア、タイ、日本などを舞台に
メディテーションと演奏の旅を続けている。

Facebook: https://www.facebook.com/ShyanBansuriFlute
音源: http://www.cdbaby.com/Artist/ShyanKishore1
youtube: https://www.youtube.com/watch?v=klVlCR9qfXQ


 シャイアン・キショールさんの演奏






2017-08-05(Sat)

第17期楽健法セラピスト講座

第17期楽健法セラピスト講座

【第3回目(6)月】


■今回の学び・感想など

・話をするのが苦手なのですが、今日初めて何人かの人と会話をすることができました。
 皆さんいろいろなことを考えていらっしゃって、勉強にもなり、励みにもなりました。
 みんなでご飯を食べたり、コミュニケーションをはかることができる楽健法はふつうのお金儲けのためのリラクゼーションとは違うなぁと思います。

・楽健法を学ぶに、講習会でふみ会を見たり、色々な方にふまれたり、意見を聞くことはあらためて大事だと思いました。

・いろんな人を踏むことで、力の加減とか勉強になります。
 夫婦でふんでいると強さやポイントに変化がなくなってくるので、他の人に踏んでもらうと違う気持ちよさがうまれるのでさらにほぐれたと思います。

・今回、幸子先生に指導してもらい、普段自分がしているやり方が間違っていることに気づき、大変勉強になりました。

・踏み方が自己流ということがよく分かったので、講座が終了するまでには何とかなおしたいと思います。4回踏むことはとても勉強になります。

・肩などの踏み方でかかとで踏んだり、お尻を身体の上に乗りひざ下をバタバタ動かしてたたく様にしていただくなど、新しい技法を学びました。
とてもほぐれました。

・妊婦さんが出産直前までされていたと聞いて、どんな状況でもできる楽健法をもっと楽しみたいと思いました。
 毎回ペアが変わり、皆とやり方をシェアできるのが嬉しいです。

・そけい部と臀部の踏み方がはっきりわからなかったけど、なんとなく分かった気がしてきました。

・踏む人によって新しい踏み方・踏む場所の発見があるのが面白くて勉強になります。

・その人に合った踏み方を身につけることが大切だと感じます。とおり一辺な踏み方ではんく、一人ひとりに合わせ、ちょうどいいと思われるような感じに踏めたらいいなと思って学んでいます。
 皆さんとの話もそれを通してますます和やかな雰囲気になっていくので、この1年間とても楽しく過ごせそうです。

・楽健法を学ぶことが楽しいです。前回よりは上達したと思います。
 料理がどれもおいしいので、作れるように覚えて帰ろうと思います。
 色々な料理を教えてもらうのが楽しいです。

・歌唱指導がうれしかったです。もっと教えてください。
 踏んでいる時にかかっている音楽によって踏むテンポ、リズムに変化が出ます。(わたしだけかしら?)これをうまく生かしたい。

・16期受講の妊婦さんの楽健法実践と効果も助産師さんたちに伝えていきたい。
 踏み合いの中で、疑問に思うことがある。踏み合えば良いという感覚で実践してきたが、もう一度基本に戻り、ふむ場所、踏み方の指導を受けたい。
 体解するには、1000人踏めということであるが、自転車の運転と異なり間違った踏み方が固定化しても問題ないのだろうか?

・2日目2回目の実習のあと、宥嚴先生に「相手と呼吸を合わせて踏むこと、それが楽健法を『二人ヨーガ』というゆえんです」と教えていただきました。

・毎回講座1日で2人踏み合いできる時間は、お互いの踏み方の意見交換ができる有意義な時間です。1日目で意見交換して学んだ踏み方を、2日目で即実践できることで、頭でなく身体で覚えることができることで色々な踏み方を習得でき少しずつ進歩していることを実感します。

・初めて宥嚴先生とペアを組ませていただき、特に踏んでもらっている時の、その足の動き…。指の先までうねっていくような、繊細で、それでいてしっかり筋まで入っている力加減…を実体験し、改めて楽健法の奥の深さを感じた次第です。毎回様々な方とペアを組み、踏ませていただくと、当たり前のことながらお一人お一人骨格や筋肉の付き方が異なることを実感し、各々に応じた踏み方を臨機応変に判断・実行するスキルが必要だなぁと思います。まだまだ前途は険しいですが、毎回貴重な経験をさせていただいていることに改めて感謝します。

・毎回、いっぱい学びがあります。四回続けてまったく違う体の方を踏ませてもらえて、まったく違う踏み方の方に踏んでもらうということが、なにより勉強になります。踏み方でお相手の性格や癖などもだんだん見えてきますね。同時に、どう踏んで差し上げたら良いのかの相手に合わせた変化のつけ方も工夫できます。
 幸子先生の漫才のようなすかさずのツッコミが、毎回真意をついていて、気付かされる事が満載で楽しすぎます。「あんた、急所攻めすぎ!」「首がちょんぎれる~」など、歯に衣着せぬ物言いですが、突き放すような意地悪さや非難の要素はなく、率直な指導です。
その言葉を聞いたとき、率直に相手に伝えられず、「ちょっと自分が辛抱すればもう終るから…」という思いやりのない、甘い心が(自分に)あったと気付きました。
 第三回目の合宿では、宥嚴先生の「組合せの妙」を勉強させていただきました。わたしが子どもたちを連れていかざるを得ない回に、三保さんが参加してくださっていることが、神の采配としか思えません。楽健法の講習会を長いことやっていると、毎回、組み合わせがうまい具合に見えない力で采配されていることに気づきます。誰と誰を組ませるか、どの順番で組ませるか、など、これも楽健法の智恵の一部だなぁと感じるこの頃です。

・幸子先生と初めて組ませて頂きました。細かいところまでアドバイスして頂き、普段何気なくしている事にもっと気を配ってしなければと気付きました。良かったです。


■先生への質問など

・今、リラクゼーション業界でセラピストをしているのですが、やはり会社組織の中にいると、人を癒すということ、健康であるということ、に不信や疑問が生まれてきます。楽健を学び、その後、どういった活動につなげることができるのか。目的にはしたくないですが、現実的にお金や広告の方法など、なにか活動されている方にお話し伺いたいです。

・他の健康法などがあれば知りたいです。

・水虫になった知人がいます。なにか良い手当はありますか?
 7カ月の孫が乳児湿疹になったので、西山さんにゴマ油の会社から出しておられるオイルを注文しましたが、他になにか良いものはありますか?

・『がらんどうは歌う』を作ったきっかけはなんですか?

・セラピストコースの途中で、家族や近しい友人など以外に、踏んでいるのは良いと思うが、指導というのはしても良いのか?

・まだ踏み方に自信がないので、各回に1か所ずつでもかまわないので細かなレクチャーがあると嬉しいです。特にお尻がむずかしいです。

・9月に出産する人があるので、出産まで楽健するときにうつ伏せでできるのでしょうか?踏む時の注意等を教えてください。

・先生はどうしてお坊さんになったのかを知りたいです。どういう縁で東光寺にいらしたのですか?
 不思議な体験のお話も聞きたいです。

・五観のげの意味を知りたいです。

・毎回ですが、二日間の食事で普段の量とは比べ物にならないほどの量を食べています。しかし、帰宅して体重測定しても体重が増えていないのは何故か?

・今回の講座用の教材、アーユルヴェーダの本より、毎回なにかひとつテーマをピックアップ項目を決めてお話しいただきたいです。そのテーマについてみんなで話して、シェアしていきたいです。
楽健工房の見学とお手伝いをしたいです。
パン作りで残ってしまった楽健酵母の使い方いろいろ。

・今回の、詩や演劇につてのお話、また「吟遊詩人の歌」にまつわるエピソードなど、大変興味深く聞かせていただきました。また機会があれば、当時の関西の演劇界や文芸界の状況や詩作に向われたきっかけ、また普段どんな思いを持って詩を詠んでおられるのかなど、お話を伺えると喜びます。

・施術としての踏み方の違いはありますか?

■本講座へのリクエストやアイデアなど。その他、なんでも。

・先生の体験談とかいろいろの話をもっと聞きたいです。

・いつも色々な楽しいお話し聞かせていただいております。わたしの希望ですがアーユルヴェーダの本に出てくる、こんなときはこのような対処をすれば良い、とかの対処の仕方などを教えていただきたいです。
前回のビワの葉で大変たすけて貰いました。ありがとうございました。
・パンの手捏ねの作り方をもう一度知りたい、見たいです。
 パコーラをもう一度食べたいです。とっても美味しかったです!!
 ビワの葉の酒漬け、とうがらしエキス、のような手当法をもっとしりたいです。面白か
った。

・先生の生活の知恵がとてもためになるので、もっと知りたいです。(ビワの葉チンキのような)
 楽健寺酵母のパン以外の使い方教えてほしいです。(パコーラも美味しかったので、焼く以外のパン生地の調理法も気になります。)

・般若心経に合わせ、毎回違う方がピアノや笛などの演奏をすると楽しいし良い経験になると思います。

・みなさんの得意技(たとえば楽器の演奏など得意なことや職業とされていること、趣味、etc.)をご披露くださると楽しいと思いますし、新たな気付きもあるかも…?
 1日目、昼の踏み合いのあと、少し休憩してもう一度踏み合いをしてから夕食というのはいかがですか?(それならお子様連れの方もそこでご帰宅されても良いでしょうし、子どもさんも家でゆっくりできるのでは?)
 2日目のお昼ごはんもさらっと軽めにして、踏み合いの時間を充実させては?いつもばたばたなので。宥嚴ご夫妻はパン工房での激務の前日ですし…。 
お土産をもってきてくださっている物がどなたからのものなのか?お礼を言いたいのでご紹介くださると良いと思います。
合宿での調理も慣れてきたので、幸子先生にゆっくりしていただいて、私たちで食事を作らせてもらったらどうかな?と思います。

・仏教用語と言えるのか、『施無畏』は初めて知った。畏怖の心を取り除き安心させ救済すること。この様な用語に関して知識を増やしたい。
 ホームベーカリーを持っていない人にもできる楽健天然酵母パンの手捏ね実習をお願いします。マスターしたい。
 楽健天然酵母パンは体重を増やさないのではないでしょうか?

・就寝時間が特に決まっていないのですが…。
 先に寝たい方も数人いらっしゃるようなので、だいたいの時間を決めたらどうかなぁ~と。キッチンでの話声もきになる方もいるかしら?
 共有で使っている場所、お風呂掃除など、なるべくみんなでできるといいなと。
 たとえば、朝の外掃除班がトイレも掃除とか?何か良い案があればー!

・瞑想とかどうでしょう。

・先生の講話の時間を増やして欲しい。
楽健の体験談があれば聞きたいです。
2017-08-02(Wed)

広島東区民センター講演会 8月26日㈯9:30〜12:30

広島のタッチサポートクラブ (宇治木敏子理事長)からハートフル・通信 第17号が届きました。
宥厳和尚は理事の端っこに加わっていますが、毎年8月に、広島で講演・楽健法の指導を行っています。
今年はインドの二週間の旅を終えての帰国早々東区民センターで 8月26日㈯9:30〜12:30開催されます。
楽健法の効用 という記事を掲載しました。

お問い合わせ、参加申込は記事に記載の電話番号まで。

広島でお目に掛かりましょう。

touch2.jpg


touchcomunication.jpg




2017-07-30(Sun)

楽健法が生まれるまで

楽健法が生まれるまで
山内宥厳

楽健法を広めようと私が活動をはじめたのは昭和四十七年、三十六歳の時でした。二五歳の冬に風邪がなかなかなおりにくい状熊になって近所の開業医に診てもらいました。医者に行くのはたまに風邪をひいた時ぐらいで、これといって持病などはなかったのですが、顔なじみの医者は、私の胸に聴診器をあてて、「ご家族にだれか喘息の人がいますか」と質問して、「これはどうも喘息の症状ですね」といわれました。
父親が長年の喘息でしたから、家に帰って母親に医者にそう言われたと話すと「お父さんも二五歳の年に喘息になったからね」と慨嘆しました。医師に薬を処方してもらって服用していましたが、夜中になると呼吸が苦しくなって、胸でぜ一ぜ一と音がして苦しく時には座り込んで夜明けを待つこともありました。
数年そういうことが続きましたが、父親の喘息も薬の服用などでは治ることはなくて、慢性化しているのを見ていましたので、なんとか治そうともがいたりはしないで、発作が起きると自分でエフェドリンという注射を打ったりしてしのいでいました。
発作がおきれば病気なんでしょうが、喘息というのは、発作の起きていないときは健康体となんら変わらないので、普通に元気に仕事をしていました。
二十三歳のときに額縁を製造する木工業を起業して経営していましたので、木材の埃もずいぶん吸い込みながら自分で製材して額縁を作っていました。
木工には十歳からたずさわって家具職人として仕事をしてきましたので、ずっと木材の埃は吸い続けてきたわけですが、喘息の引き金になったのは、北米のインセンスシーダーという木を大量に仕入れてこれを製材しはじめてからだっと思います。
この木材は鉛筆に使われている材料で、鉛筆をけずったときに、かすかに良い香りがしますがこれがインセンスと名付けられている香りの杉と呼はれる木です。
毎日のようにこの木を製材して微粉を吸い込んでいたために喘息が起きるようになったのでした。二十九歳で結婚して、翌年に母が他界するという悲しいこともありましたが、家内も喘息をなんとか治そうと協力してくれ、情報ももらってきてくれました。
 そのひとつに中心会という団体が、京都の中心山荘というところで新日本延命学という会の家庭健康法の講習会を定期的に開いているというのがありました。
この健康法はほとんどの病気に短期間で効果があるということだったので、私も二泊三日の講習会に一年間の参加を申し込みました。それが組み立てた鉄棒につかまりながら、寝ている相手の足や背中に両足で乗ったりして踏みあう健康法だったのです。踏まれることで、自分の身体の思いがけない硬さに気がつき、ほぐれて循環が良くなってくると、疲れも病気も一気に抜けてしまうような大きな変化に気がつきます。私は足の付け根や、腕の付け根を丹念に踏んで柔らかくすることは、健康維持の墓本であり、この簡便な健康法は病気の治療法としても最良のものだと確信を持つにいたったのでした。
一年ほど学んだのですが、ほどなくこの講習会は開かれなくなってしまいました。参加回数が十回を超えると、主宰者の大先生が直接施療してくれるということになっていましたが、多くの参加者はその施療を受けたいという目的で来ているひとが多くて、健康法の普及運動として開いている主旨に反するというのが、この講習会を企画して会場を提供していた中心会の考え方だったようです。
私はこの健康法を、自分なりに循環療法として根源的なものだと感じていましたので、どこにも教える人がいなくなったのは人類の損失であるといささか大げさなぐらいに感じて、自分で普及して行こうと思いたったのでした。しかし鉄棒を使って行う健康法は、鉄棒がないと出来ない健康法であるし、やりたい人は鉄棒を購入しないと出来ないというのでは普及の妨げになる。
いつでも、どこでも、だれでも、楽にやれる健康法でなくてはならない、という考えから、素手で素足でやれるやり方を工夫して、楽健法と名付けて普及に努めるようになったのです。 鉄棒なしの楽健法ができるようになってから、私の喘息も起きなくなってきました。東大阪の自宅から近いところに、酵素風呂を開いている会社があると紹介してくれた友人がいて、大鋸屑を醗酵させるこの会社の太陽酵素風呂にも頻繁に通いました。なんどか酵素風呂に通っているうちに、馴染みになった経営者が、この風呂を温かくしている酵母菌を使って、食べているうちにどんな病気も良くなってくる美味しいバンが作れますということを聞いて、作り始めたのが楽健寺の天然酵母パンです。
試行錯誤しながらパンの研究をしているうちに、市販されているパンと自分が作っているパンとの違いを比較研究をするようになり、自然に即したパン作りの考え方に反した、科学的なイーストパンとの差がはっきり見えてくるようになったのです。
これは楽健法を研究することで、"現代医学が発達するにつれて、人間の全体を見ようとしないで、部分とそのデータをもとに対象療法をすることの過ちや危険にも気づいてきたのです。 なんと人間は大きくなったつもりで、じつは倭小化してきたことだろうか。大きくものをつかむということができない専門化した狭い見方や考え方、これを払拭出来る見方や方法を、文明批評として世に広めること、そういう思いが楽健法と楽健寺の天然酵母バンをいままで持続させてきたのです。
昭和四十九 (1974)年の春に、額縁の工場を半分廃止して楽健寺パン工房を開き、定期的に楽健法の講習会も各地の会場を借りて開催してきました。
昭和五十一 (1976)年から、丸山博先生との出会いがあって、ア一ユルヴェーダ研究会と有害食品研究会の事務局長を引き受けることになり、ア一ユルヴェーダを学ぶことで、自分が選んでやってきた、楽健法普及と天然酵母パンの普及は、今後の健康と食の文化の大事な柱として人々が認識してくれる時代がくることをますまず確信しました。
私は今年八十一歳を迎えましたが、自分の歩んできた道を振り返ってみますと、人生は短
いという感慨もあり、また実に長かったという感じもあります。ア一ユルヴェーダ研究会と有害食品研究会の事務局長を九年間務めて後、事務局を東京に引き渡しましたが、十五年後に再び日本ア一ユルヴェーダ学会の事務局長と本部を引き受け、七十歳になるまで多忙な仕事に忙殺されてきました。この仕事を引き受けてやって来られたのは、ア一ユルヴェーダの研究活動を日本に根付かすことが、短絡的な科学思想を唯一のものと考えて生きている日本人に、ゆとりある自然思考に気づいてもらい、人間とはもっともっと大きな存 在であることを見いだしてもらいたいからに他なりません。いままでに多くのことを経験してきましたが、振り返ってみれば、無駄なことはひとつもして来なかったように思います。どれかひとつでも抜けていたら、人生はまったく別の方向に進んでしまったのかも知れません。
言い換えれば、いろんなことを軽験してきたことが、思いもかけない方向に導かれてきて、いまの姿になったのだということもできるでしょぅ。
楽健法を学ぴに来ている方は、私が楽健法を教える先生だと思って接しているかも知れませんし、楽健寺のパン工房ヘパンを買いにこられる方は、私をパン屋のおじいさんだと思っでいるひともいられることでしょう。東光寺の本堂で護摩を焚いている私を見るひとは真言密教のお坊さんの私を見ているわけですし、同じ本堂をすっかり片付けて、一人芝居を演じている私を見れば前衛劇団の俳優なんだと私を見ていることになります。
私は少年のころから指物師であり、つたない詩を書く詩人であり、下手な芝居をする一人の俳 優であり、天然酵母パンを焼くパン職人でありますが、楽健法を極め、広めたいと願う一介の僧侶として、毎日目覚めるごとに、私の新しい人生の一日が始まるのです。

IMG_3614.jpg

2017年8月9〜22日 The Art of Living Foundationに行きます。
招いてくれているシュリシュリ・ラビシャンカール師と 東京にて

2017-07-30(Sun)

楽健法インドに渡る

 来週2017年8月9日から22日まで、インドのバンガロールにある、The Art of Living Foundationへ楽健法を伝えに23人の楽健法のメンバーが出かけます。
 The Art of Living Foundationはシュリシュリ・ラビシャンカール師が率いるNGOですが、2009年にこの会の世話人のNeela Slinidhiさんと下り新幹線で偶然隣り合わせに座って話をしたのが奇縁で、楽健法を世界中に広めることが急務ではありませんか、というニーラさんの熱意から、シュリシュリ・ラビシャンカール師が来日する度に、楽健法を体験してもらいました。
 今回の本部での二週間にわたる楽健法workshopでは、インドの一般人対象のセミナーと、本部のアーユルヴェーダ病院の医師や施療師対象のセミナーを開催し、7回以上受講されたひとには、認定書を授与することになっています。
 また病院で治療を受けている患者や、通院患者にも楽健法を施療して、どのような効果が現れるか、検証することにも取り組みます。
 シュリシュリ・ラビシャンカール師も積極的で、このworkshopのために英文による図解入りのガイダンスを本部で印刷出版してくれることとなって、髙橋トーマス流美さんが英文原稿を書き、山内宥厳が編集を担当して仕上げ、現在本部で出版に向けて進めている最中です。ニーラさんはすでに現地入りして我々の受け入れ準備にもっぱらです。
 楽健法はだれにでも親しみやすい健康法です。むずかしい理論を学習しなくても、覚えることができます。簡便で効果があり、だれでもどこでもいつでもできます。これにまさるものはありません。
 人間の老化は足からやってくるといわれます。視力がおちて老眼鏡をかけるようになり、記憶力がおとろえ物忘れがひどくなる。そんな症状があらわれると、足も弱っていることに気がつきます。
 いつからか、歩かなくなっていて、ふだんのくらしをふり返ってみますと、車や、エスカレーター、エレベーターに足の働きのほとんどをあずけてしまっていることに気がつきます。
 足は常に全身の重量をささえていて、その負担の大きさは大変なものです。人間のからだは、ふしぎなもので、負担がかかるからといって、使わないようにかばっていますと、かえってだめにします。
 足に限らず、これは全身にいえることですが、人間がすこやかに生活するためには、からだもこころも、不断に使っていなくてはなりません。
 人間のいのちは循環によって成り立ち、支えられています。循環するもの−−血液、体液、空気、食物−−すべて人間の生存の根源となるものは管によって運ばれています。いわば、人間のからだは管の集積であり、頭から手足の先まで無数の管がはりめぐらされています。
 病気をすると、患部は冷たく感じます。幹部の血液の流れが不足している証拠です。管がすべて順調に働いていれば、決して病気などおこりません。「管理する」という言葉がありますが「管」とは、くだ、「理」とは正すとか、おさめるという意味です。管を正しくおさめておけば順調だというわけです。
 時代は前に進んでいき、先端医療も進歩しつづけていますが、二十一世紀に暮らす私たちは大自然の恩恵を受けて健康に暮らしているとはいえません。老齢化が進むいまの日本人の前途に待ち受けているのは、先端医療の恩恵を受けて元気に暮らしている姿ではなく、介護を受ける人が増え、介護を受ける老人よりも多くの若い人たちが、介護に関わって働くという構図になってきています。
 介護など受けないで健康な人生を全うすることを目標にした、生き方の指針を示す政治家も、思想家も、医師もいないで、目の前の現実に振り回されて過大な医療費を互いに奪い合い、食いつぶしているのが現実です。この現実から、人々が希望をもって暮らしていくには、なにをしなくてはいけないのか? 
 そういう問題について、これからの時代の生き方を共に考えていきましょう。


certificate6.jpg

2017-07-19(Wed)

宥厳和尚の一人芝居と山本公成・ほしこのコンサート ジョイントの夕べ


ビラ決定稿


画・岩堀 純子


宥厳和尚の一人芝居と 月ゆめ〜山本公成・ほしこ〜 
ジョイントの夕べ

應 典 院 ホール

9月30日(土)18:00開場 18:30開演

第一部 山本公成とほしこ のコンサート
第二部 宥厳和尚の法話と一人芝居「がらんどうは歌う」
 

第二部
劇  団 阿修羅公演 「がらんどうは歌う」 山内宥厳 自作自演 
音  楽 中村裕子 山本公成 伊勢司
照  明 中野 隆生

山内宥厳の一人芝居 「がらんどうは歌う」 
いつまでこの舞台を努められることだろうなどと思いながら、年1回か2回の公演を続けています。
長丁場の一人芝居ですが、一人の老舞台俳優として渾身の演技を繰り広げます。

第一部 プロフィール

月ゆめ ~山本公成・ほしこ~コンサート
image1.jpg

2003年、はじめてバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を旅して、
エストニア「うたの原」に立ち感動で涙しました。
1991年ソ連邦が崩壊しそうなころ、エストニアのタリン郊外のバルト海を見渡す,巨大な野外劇場に30万人の市民があつまり三日三晩、ソ連の軍隊が囲む中、民族のうたをうたいつづけ、その平和なエネルギーで三国の何百万人の人々が手を繋ぎほとんど血を流す事無く独立したという、うたの魂に感動。
リトアニアで奇跡的に出会ったフレーテ(木の笛)カンクレス(撥弦楽器)に「ふるさと」のメロディーがおりてきてこの活動ははじまりました。月ゆめ発表以後、野外フエスティバル、お寺、町家、カフェ、結婚式、法要、NHK,等様々な所で演奏。

月ゆめプロフィール

山本公成(やまもと こうせい)
作曲、ソプラノサックス、フルート、磐笛 ネイティブアメリカンフルート、
リトアニアンフレーテ、民俗笛、創作倍音笛
独自の世界を持ち続けるアーティスト1968年の東京即興音楽シーンでデビュー
以来、様々なシーンで活躍。ドイツIC社より[EAST WARD]等4タイトル世界リリース。 自ら主催するPulsejet Labelより[Earth Breeze][月ゆめ]など、7タイトルのCDを発表。 映画音楽、舞踏音楽、NHK音楽番組出演、など活動は多彩である。

ほしこ(カンクレス)
2003年リトアニア(バルト三国)への旅で、民衆の平和の魂に触れ感動。
そこで奇跡的に巡り会ったカンクレス(弦楽器)の演奏活動を帰国直後から始める。
現在、山本公成と共に日本各地で演奏活動中。
NHKアーカイブス7周年記念コンサート、NHKFM番組出演など活動は多岐に渡る。

http://www.yamamoto-kosei.com
www.pulsejet.jp



入場料 2500円 予約制 
申込先 東光寺 ytokoji@begin.or.jp
      電話 090-4301-0228 東光寺まで 電話かメールで予約してください。
      公演当日に受付で精算してご入場ください。
     予約のない場合は当日券扱い 3000円

会場 應典院 〒543-0076 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-27
TEL 06-6771-7641
FAX 06-6770-3147

2017年9月30日(土)18時開場 18:30開演 上演時間 約2時間余
應典院 http://www.outenin.com/outenin/facilities/


2017-06-01(Thu)

インド舞踊(里見まこ)・天麻那舞奉納(清水未緒)・一人芝居「がらんどうは歌う」(山内宥厳)公演 

東光寺の奉納公演 天麻那舞とインド舞踊 と一人芝居

 山本公成さんが「がらんどうは歌う」の音楽で友情出演してくれることとなりました。


天麻那舞奉納  清水未緒

18901271_1263932650372093_538038254_o.jpg

女神舞
コノハナサクヤヒメの舞
古代舞
大地への祈り



インド舞踊奉納  里見まこ


R0015290.jpg

【曲目】
1.ナタラージャアンジャリ~ウラゲラン~アラリップ
2..ミーナクシ ターエ
3.ナゲンドラハラヤ


一人芝居「がらんどうは歌う」作・演出・出演 山内宥厳
音楽 ピアノ 中村裕子 友情出演 山本公成
照明 中野隆生

充実した生き方をしたいとのぞむことは
芸術にたずさわろうとする者にとっては
熱病の一種なのである
しかしながら創造するということは
醒めた眼を持たずしてはあり得ない
このきびしいジレンマなくしては
すぐれた作品は生まれないのである。

このドラマは
そうしたカオスの状態を
定着しようとした試みである。

終ったあたりから始まる
 
もし充実を望むなら
もう一度始めねばならない。

これはそうした人間の原点を見つめようとした
少年のひとみの捉えた ひとつの風景なのだ


R0015318.jpg

R0015307.jpg


がらんどうは歌う について  




日時 2017年7月8日18:00 開場 18:30開演〜20:30
会場 東光寺本堂 入場料 2000円
〒633-0053 奈良県桜井市谷381−1 電話 0744-46-2410 
駐車場あり 無料 電話で予約のこと 当日受け付けにお越しください。

○終演後道場で簡単ですが、軽食、楽健寺の天然酵母パンなど接待させていただきます。


参加ご希望のかたは電話 090-4301-0228 fax 0744-46-2410 東光寺まで
メールで問合せ ytokoji@begin.or.jp






應 典 院 
宥厳和尚の法話と一人芝居「がらんどうは歌う」公演予告
 
9月30日(土)


劇  団 阿修羅公演 「がらんどうは歌う」 山内宥厳 自作自演 
音  楽 ピアノ 即興演奏 中村裕子 友情出演 笛 山本公成
照  明 中野隆生
入場料 2500円 予約制 
申込先 東光寺 ytokoji@begin.or.jp
      電話 090-4301-0228 東光寺まで 予約申し込み頂きますと入場券の葉書をお送りします。

会場 應典院 〒543-0076 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-27
TEL 06-6771-7641
FAX 06-6770-3147

2017年9月30日(土)6時開演 上演時間 1時間20分
應典院 http://www.outenin.com/outenin/facilities/

2017-05-13(Sat)

高野山二人ヨーガ楽健法+瑜伽リトリート 合宿案内

    高野山二人ヨーガ楽健法+瑜伽リトリート 合宿案内


日程:2017年9 月22日(金)・23日(土)・24日(日) 
場所:高野山 無量光院

講師 楽健法 山内宥厳 山内幸子
    ヨーガ 髙橋トーマス流美


募集人数:各講座50名程度
受講料:40000円+消費税(43200円)

下記メールへ申込してください。
折り返し返事を送りますので、振り込んでください。
受講料振込確認をもって正式予約といたします。
申込は8月末で締め切ります。残席2〜3です。 
恐縮ですが、振込手数料は、各自ご負担ください。

・郵便振替:(00950-6-311038 奈良ヨーガリトリート)




<スケジュール>(内容変更の可能性あり)
9 月 22 日金曜日
13:00 高野山・無量光院へ集合 (参拝バス・ガイド料、拝観料 1000 円を別途集金) 13:30 先生の挨拶とお話
14:00〜17:00 簡単な楽健法の注意点など解説 楽健法実習
17:00〜18:00 休憩と入浴 (前半組)
18:00〜19:00 夕食
20:00〜21:30 宥厳和尚の法話と「バンスリ瞑想コンサート」*1
21:40〜23:00 入浴(後半組)・就寝

9 月 23 日土曜日
05:00 起床
06:00 朝の勤行(本堂)もしくは朝のヨーガ行法(講堂)*2
07:30 朝食
08:30 玄関前集合:奥の院参拝(ガイドとバス付き)奥の院(集印可)・金剛峯寺 壇上伽藍 13:00 昼食 無量光院にて
14:00〜17:00 先生のお話 楽健法実習
17:00 入浴(前半組)
18:00 夕食
20:00 楽健法実習 40分で交替する実習
21:40〜23:00 入浴(後半組)

9 月 24 日日曜日
05:00 起床
06:00 朝の勤行(本堂)もしくは朝のヨーガ行法(講堂) 07:30 朝食
08:30 部屋から荷物を引き上げて講堂に集合
09:00 先生のお話と楽健法実習
12:00 昼食
12:40 講堂に集合 閉会式
13:00 現地解散 以上

* 1:シャイアン・キショール:ロンドン生まれのバンスリ奏者。バンスリはインドの古 典楽器で「神の笛」とも呼ばれ、素朴な音色が人を癒す瞑想的な楽器。ハリプラサッ ド・チャウラシアに師事、バンスリを 21 年間弾き続けながら、世界各地を旅している。

* 2:髙橋トーマス流美:10代後半でシヴァナンダヨーガと楽健法に出会う。友永淳子氏 に師事し、友永ヨーガ学院にて講師を務めながら、毎年リシケシの本山を訪れヨーガ修 行を続ける。2012 年秋より、拠点を奈良に移し、ヨーガと楽健法を指導する教室を主宰




申込メール narayogaretreat@gmail.com


スタッフ 
問合せは 髙橋トーマス流美まで  090-6549-3577

吉本 070-6540-2300
瀧澤 080-5478-3475
内山 090-5905-7987
宥厳 090-4301-0228



〒633-0053 奈良県桜井市谷381−1 
楽健法研究会本部 磐余山 東光寺
fax 0744-46-2410 tel 0744-44-2388
yugenytokoji@gmail.com

2017-04-11(Tue)

楽健法 × アート・オブ・リビング アシュラム ツアー14日間 ※ 仏教聖地巡礼 オプショナルツアー4泊5日

楽健法 × アート・オブ・リビング アシュラム ツアー14日間
※ 仏教聖地巡礼 オプショナルツアー4泊5日


旅行日程 2017年8月9日出発 8月22日帰国 
オプションツアーも予定しています。下図参照

行き先 バンガロールのアートオブリビング
目的 アーユルヴェーダ病院主催で現地の人対象に楽健法の講習会を開催します。
    病院のスタッフに楽健法特訓 
    インドの一般人に講習会 
    病院の患者に楽健法施術をしてエビデンスをします。

●申込締め切り 2017年4月末日まで。
それ以降の受付の場合は料金がアップする可能性があります。

2017年8月9日出発 バンコク経由 バンガロールへ向かいます。
関西の人は関空から、関東の人は成田からフライトし、バンコクで合流します。帰路はこの逆順です。

●現地で楽健法講習に指導者または受講者として参加する人
●一部講習会参加でオプションツアーに出かける人(参加申し込みの際にお伝えください)
●楽健法講習会に参加するが、それ以外は自由行動したい人

 など、行動に自由枠を設けております。
 またアシュラムでの滞在中は併設のトリートメントセンターでアーユルヴェーダの施術を受けることも可能です。
 
 今回は滞在中それぞれの行動が異なりますので、アシュラムでの宿泊費用は現地にて各自にて精算していただく方法になっております。
 (参考:1泊 6000円程度、アシュラムでの宿泊3食付き、3人1部屋で(10000ルピー)
宿泊費はアシュラムの正規の値段(一泊約9000円)を特別割引してもらっている値段です。



研修参加費:165,000円(航空券、研修費、現地での交通費 等、詳細は「代金に含むもの・含まないもの」の図をご参照ください)

オプショナルツアー:88,000円(8月16日からの4泊5日北インド聖地巡礼の旅)
料金にはツアー中の日本人によるアテンド、国内線航空券代、宿泊費、食事、交通費、施設入場料を含みます。
また、オプショナルツアーには全行程に山内幸子先生も同行いたします。

申込時に 「オプショナルツアー」 4泊5日参加希望の方は「オプション希望」とお伝えください。

参加希望のかたは東光寺へメール、または今回の研修の担当旅行会社である、株式会社JAPANDIAまでお願いします。

:株式会社JAPANDIA」

「企画:楽健法本部 催行:株式会社JAPANDIA」

india1.jpg

india2.jpg

続きを読む

2017-04-05(Wed)

四月は始まりの月

今週は東光寺の楽健法本部で第17期楽健法セラピスト養成講座が始まります。
丁度桜が美しく咲きそろいそうです。

 ●宥厳和尚 今月の予定

毎週月曜日は楽健寺の天然酵母パン工房営業日
楽健寺の天然酵母パン ご注文はメール
電話の注文先 06-7173-3878 楽健寺まで

4月5〜6日(水・木) 上京 シュリシュリ・ラビシャンカール師とセッション
4月8〜9日(土・日曜) 楽健法セラピスト養成講座
4月13日(木)福山楽健法教室
4月14日(金)品川薬日本堂 楽健法教室
4月15日(土)東京楽健法研究会 水道橋東京学院 10時〜17時 参加可

4月20日(木)きたにし耳鼻咽喉科 楽健法講習会 
担当講師 岩堀純子・ナニさん 
初回 山内宥厳先生
お問い合わせ電話 06-6902-4133
 http://www.kitanishi-ent.jp

4月27日(木)松江市宍道公民館 松江市宍道町885-3 
時間 10:00〜16:30問合せ 
岸本節子先生 090-8608-9316

4月28日(金)米子楽健法講習会 鳥取県立武道館和室 
〒683-0853 鳥取県米子市両三柳3192−14  電話: 0859-24-9300
10:00〜12:00 午前中講義のみ参加 4000円
12:30〜16:00 午後実技のみ参加 7000円
10:00〜16:00 全日参加 10000円 (昼食は参加費に含む)
申込締め切り 4月20日
申込先 楽健法の里 070-4301-8823 まで t&f 0859-57-3403


4月29日(土) 乃木公民館
  (島根県松江市浜乃木5丁目1−5 電話: 0852-21-4931)
    10:00~12:00(講義) 13:00~16:00(実技指導)
講師 山内宥厳先生
参加費/午前のみ参加 4000円
    午後のみ参加 7000円
    終日参加  10000円 
昼 食/500円(マクロビ弁当:蓮歩さん)
    お弁当が必要な方は注文しますので、4月26日までに大谷までご連絡ください。
持参するもの/フェイスタオル、ジャージまたはズボン、ヨガマット(お持ちの方は)、バスタオル
主 催/楽健法 ふみてあて屋  
     大谷怜美 070-5672-0390


DSCF4903.jpg





2017-03-31(Fri)

広島楽健法研究会 福山教室 短歌投稿

  福山楽健法教室 短歌投稿ページ

 楽健法教室で私が詠んだ短歌や詩を時々紹介しています。
 東光寺の講習会や東京楽健法研究会でも、短歌を書いてみませんかと呼び掛けていますが、なかなか投稿して下さる方がいないですが東光寺の講習会のメンバーが投稿してくれたものは以下にアップしています。

    http://rakkenho.blog.fc2.com/blog-entry-43.html

 

 
 福山の教室に毎月参加される、中尾佳那惠さんから短歌が次々と送られて来ました。
 彼女は今まで短歌を詠んだことはまったくなかったそうですが、3月16日に福山教室を受講して私の短歌を紹介しましたら、触発され書いてみたいと言われたので、出来たら送ってくださいとメッセージアドレスを交換しましたら、弾けたように次々と送って来ました。気持ちの弾み、七五調の韻律が身に備わってる短歌です。FaceBookにアップすると見つけるのが困難なのでこのブログにとりあげてみました。我もと思わん方は投稿してくださいね。




 ●中尾佳那惠

投稿追加アップ

2017/05/27
紫陽花の枝を短く切ったので小振りの花がポンポン咲いた

宥の字と厳の字の意味調べたりなるほどそうかイマサラデスガ

この私50になれば落ち着くと言われた50はとうに過ぎたり

スーパーで買わぬ野菜を投げたひと浄玻璃鏡に後悔遅し

あぁ誰か別れる術を教えてよさよならだけが人生でしょう


2017/05/23
戸惑いは脱ぎ捨てちゃったものたちを拾い集めて短歌詠むこと

もう何も捨てる物など見当たらぬそろそろ探そう愛すべきもの

お休みに今日もご予約入れたりて明日も出稼ぎ8時間踏む

マニスをね矯めつ眇めつ眺むれば師の好みなど判る気がして

待ちうけを40代に替えました見透かした目のニヒルがいいね


2017/05/20
朝ルーティン阿闍梨のツィートチェックする三日坊主が飽きずに続き

大丈夫何を成そうと成すまいと生きてるだけで丸儲けなり

陽の様あなたに付いて行けません唯ただ陰に向かう私は

面倒な聖が旅行に出たとたん楽しんでるかとメールしたりて

急停止母の形見の呼鈴がコンソールの中祈って鳴るよ


2017/05/16
流れ来し日見の大佛仰ぎみて佛の意思に圧倒されん

に弱い亭主の尻ぬぐい何の因果か南無阿弥陀

何事もなかったように柚子の花今朝早々と咲きはじめたり

ユーチューバー金食い虫の捨て猫が今じゃツレより稼ぎ頭に

顔色の悪さにギョッと嫌な予感言わぬが花よ優しく笑おう


2017/05/08
頂いたそら豆トマト新玉にパプリカの黄を添えてハッピー

黄砂ふる屋根にたなびく鯉のぼり大口開けて咳きこまぬかと

朝バナナ脚つらぬかと昼バナナ締めもバナナで出稼ぎの日は

さつき丸女房の名前付けた人たった2年で黄泉国人

黄昏に口説かれたなら何処までも付いて行きそな寂しさ消えず


2017/05/08
赤ワイン今夜も歌が詠めなくて飲めない酒の手を借りてみる

エレベーター母に抱かれし赤ちゃんとにらめっこして変顔三昧

なんだかな五月生まれのプレゼント母の日込みの赤い花束

足の爪真っ赤に染めて湯に浸かりゃあの夏の恋よみがえる

腹くだし白がゆの中赤い梅たまにはいいね日本人なら

2017/05/02
ご近所で八重のドクダミくれた人今はホームで達者でいるか

作業服衿と袖口グシュグシュとこの瞬間(とき)だけは妻らしくあり

広告の紙でゴミ箱つくる君世界でたった一人のハグ友

大好きな自分になるが夢でしたはしゃぎ過ぎなきゃいい線いくかも

人は人妙に納得する言葉今日は貴方が諭してくれる


2017/04/30
出稼ぎで22時過ぎ帰る道睡魔待ち伏せする2号線

汗だくで倒れるように寝た朝も晴れやかな顔眠るが大事

わしゃほんまほんまほんまの2語だけで愛を与える凄い人みつけ

尺差しを手にした途端鮮やかにシュルシュルシュルッと昔の杵柄

ほっといて決して美人じゃないけれど声がいいねと上から目線

2017/04/27
我も又あの世とやらに逝く時はやっぱり父に迎えて欲しい

この世での心残りがないように苺に練乳たっぷりつける

紫陽花の蕾の群れを庭にみてほったらかしで許してと言う

聖と居てたわいもなきを可笑しがりツボにはまりて涙ちょちょぎれ

不謹慎新月の夜の願い事素直でいいじゃないのと思う

2017/04/19

姉さまと街でワッフル食べながら母が亡くなり寂しいかと訊く

オランダでひと抱えものチューリップ100円也と聞きて羨み

魚屋でオコゼの顔を視る度に父の好物だったと想う

カラカラと弁当箱を持ち帰る貴方を待つ日々夢にみていた

お隣でスナップエンドウ頂けば急いで湯がき聖に電話す


2017/04/18

明日には生きるか死ぬか5分5分の絶滅危惧種ホモサピエンス

月光が今夜はやけに眩しくてあれこれ想い寝返りをうつ

始めるに遅しはないを間に受けてパーカッションをついに習いし

さようなら忘れなけりゃと想うほど執着心がべっとりべとり

嘘でしょう甘えたかった本当は星空眺めふと気が付いた


2017/04/13
弾けたいズンバのリズムノリノリで前の人生ラテンの人か

今日も又13人でおしまいかもっと踏みたや楽観法で

眼鏡かけメガネを探す阿呆らしさ小さ過ぎるぜ約款の文字

確信す歳をとるのも悪かない明日の5時起き朝メシ前じゃ

直系で10代前は千余ひとり位は聖子を護って


2017/04/12
笑えます結婚写真はちんどん屋お貸ししましょか死にたい夜に

帰途につきご先祖様の骨壺が泥に塗れたままが気になり

あの人の話を聞くと胸悪く慇懃無礼にギアチェンジする

貴方から期待されても困るけど希望と言われ励むしかなし

朝メシは僕が作ると言った人マンション買ってで顔色変えた

2017/04/
五分咲きの桜並木が雨の中ただ粛々と悲喜交々で

レンギョウとユキヤナギがね乱れ咲きどちらも負けず嫌いなのかな

難病の権利を放棄いたします選ばれし者の特権ならば

嫁に出た娘の残したダンボール開けて恨めしキムタク笑顔

八幡川大吟醸の酒かすが仕事終わりの心身満たす

2017/04/04
いちご狩り勇んで友と沖見町5分も経たずもう腹一杯

雨上がり極楽寺山碧々と心の内を見透かすように

ラベンダーベルガモットのブレンドが険しきを行く旅の相棒

大事です九紫火星の私には自信しかないこのフレーズが

なんたって軽く明るく温かくそこが良いねとあの人も言う

2017/04/03
ぎりセーフ人生ゲームリアル版そればっかりでどうにかこうにか

人は皆最期に想うただ一つもっと素直に生きれば良かった

厳島石垣碧く苔むして見上げる桜まだ三分咲き

老人よ大志を抱け堂々とくれない病の処方箋なり

縺れ行く己が心の訝しさ頼りたいのか頼られたいか

2017/03/31
門前の川辺に植えたさくらんぼ今年もヒヨの腹満たすのか

開店の祝いは何も要らないと言うひとり子に我が墓買おう

切り花の銀を塗られし柳の枝今や川辺の大木となり

谷君がいつもご機嫌その訳はぐっとハードル下げればいいのと


2017/03/30
印度にはもう何回も行きました妄想の中弟子を気取って

いつのまに我が身3人夢叶い我が儘気まま自由自在に

好きな人必要な人邪魔な人色々あってかけがえのない人

桜待つワクワク感を押しつぶす杉と檜の生命力が

狂いそう人が私を視るように自分の顔は一生視れぬ

灯り消し湯舟で両耳を塞ぐとね確かに生命の音が聞こえる

これまでは反面教師これからは目指す背中に唯前を行く

誰にでも埋もれる才能あるならばパーカッションを習ってみようか


2017/03/31
我が姉は芸術家なの今も尚妹ふびんと絵で応援す

IMG_6234.jpg


未来より苦しき今を眺むれば短歌のネタに今はもう過去

楽健を習いて来たぁースカウトが新天地での出逢い嬉しや

毎週の年間予約のお客様寝姿まさに布袋様なり


2017/03/31
門前の川辺に植えたさくらんぼ今年もヒヨの腹満たすのか

開店の祝いは何も要らないと言うひとり子に我が墓買おう

切り花の銀を塗られし柳の枝今や川辺の大木となり

谷君がいつもご機嫌その訳はぐっとハードル下げればいいのと

2017/03/30
印度にはもう何回も行きました妄想の中弟子を気取って

いつのまに我が身3人夢叶い我が儘気まま自由自在に

好きな人必要な人邪魔な人色々あってかけがえのない人

桜待つワクワク感を押しつぶす杉と檜の生命力が

狂いそう人が私を視るように自分の顔は一生視れぬ

灯り消し湯舟で両耳を塞ぐとね確かに生命の音が聞こえる

これまでは反面教師これからは目指す背中に唯前を行く

誰にでも埋もれる才能あるならばパーカッションを習ってみようか

2017/03/23
ロンドンの下町あたりに住もうかとエアプランツにうそぶいてみた

何処にいて何をしている人なのか逢うべき人に逢ってない気が

断捨離で出てきた古い日記帳貴方に貰った花びらハラリ

風呂場まで追い掛けてまで叱ったら黙れクソババ怒鳴られて泣く

まだ抜けぬハリーが向こうにいるようで扉をそっと押し開ける癖

病室の夕暮れ時の寂しさはネットサーフィンしていてもなお

結局は別れ話をしていてもその眼差しが好きだったから

摘みたてのオリーブオイル食べさすと島の日焼けた同級生が

あぁわたし夢の中でも探していたよ私の中の鈴の在り処を

ひらめけーと待ち受けの僧の顳顬に人差し指と中指をおく

ルルルルル ルルルルルルル鳴り止まぬ許してあげよかあげまいかな

碧の海 阿多田島から大竹市まで舟で通学していたと聞く

愚痴ポロン嫌いな人が多いよね娘に言われ言葉失う

我が父は貧しかったの

墨汁も絵の具の白も買い与えずに

ぐぢゃぐぢゃになっているのか腹の中久方ぶりの難病の我

おとうちゃん修学旅行も行かないままに大人になったよ紫陽花好きの

還暦で名前を佳那惠に変えました名付けた人はもういないのだし

友も又季節変われば必然と似合わぬコート脱ぎ捨てるよに

帰還した最後の少年飛行兵を母の心で楽健法ふむ

母の町街路樹の道右側にプラモデルのよな潜水艦


2017年3月20日
あの日から 何も変わらぬ 君なのに ごめんなさい ね 跡形も無く

くそくらえ 母の日なんか大嫌い幼き我を抱きしめてやる

私には何も残さず逝く母が孫に遺した 光明真言


2017/03/18
ちょろいものお願い事をする時は大好物の皿ならべつつ

通夜が明け 記憶の中にない母に ありがとうねと 呟いてみる

なけなしのヘソクリはたきリノベーションおれおれ詐欺に振る袖も無し

ありがたや和尚のどアップ待ち受けにどんどん浮かぶ三十一文字が

飲尿と短歌始めし我が妻にとうとう来たか腹くくりたる

褒められて瞑想中も文字かぞえ悟りの道よさらに遠のき

春待てど長患いの母が逝きたまの休みに行くあてもなし

不機嫌な主人の小言聴き取れず異星人かと疑ってみる

お茶花を矯めつ眇めつ見たならばなんともゆかし 襟足あたり

詠むほどに不安深まる春の夜未知なる叡智さあ目覚めなさい

以 上





佛の座
2017-03-24(Fri)

遠吠え

はるか昔に
日本から消えた
狼の遠吠えのような声が
闇のなかから立ち上がってくる

暗がりに置かれて
歩んでいる人たちの
俯いた顔に
更なる闇が覆い被さってくる

二十一世紀初葉
海と地の揺らぎで壊れて生まれた
故郷を覆う見えないもの
列島を覆って減ることのない
見えないものが
じわっと我らの体内を蝕む
時の流れで変容してゆくもの
ゆがみを作り続けるもの
再稼働はんたいなどと叫んでも
繰り返される愚行

血が騒ぐこともなくなったかのように
むしり取られ
むき出しになった表土に
不信を抱きながら
また暮らし始める人たち

放たれた牛が野生化し
猪がコンクリートの街路を歩き
荒れ野になった田圃に
奇形になった昆虫や蛙が跋扈する
あの地に
人が心が戻っていくことはない

木々は繁茂し
草は背丈を超え
電柱が
車が
原野に呑み込まれていくあの地に
心が住むことはもうない

辺野古が
オリンピックが
豊洲が
森友学園が
総理夫人が
なんどということがあったっけ

絶滅した
日本人のいた列島に
狼の遠吠えのような声が木霊している


IMG_6148.jpg





2017-03-08(Wed)

 第十六期楽健法セラピスト講座 短歌

 第16期楽健法セラピスト養成講座は2016年3月から2017年3月までの12ヶ月で、今週末の合宿で修了します。
 いろんな行事なども行いましたが、天然酵母パン作りと楽健法の習得に皆さんよく努力されました。
 私がときどき「どうだん」短歌誌に発表した短歌をテキストにいろいろな話もさせて頂きましたが、受講の皆さんにも短歌を書くようににお勧めしたところ、以下のように投稿してくれました。
 順不同で掲載していますが、受講されたときのいい思い出にもなることでしょう。
 2017/03/14 内山智美さん追加 下段 山内宥厳 追加あり




内山智美
まほろばの 楽健梅もにっこりと 巣立つわれらは 十六期生

下山礼子
仕事の手 休めて見上げ 山々が 真白になりつつ ここは天国
梅一輪 薫らなけども 鶯の 声を聞いたか この暖かさ
節分夜 もう食べられぬ 豆の数 健康維持は 少食で良し


滝澤里見
ろうばい香 吸い寄せられて 散歩道 寒さ構わぬ 美しき花よ
黄が透ける ろうばい花から 美を学ぶ ふわりと香り 心和ます
気がつけば枯れ枯れ枝にかわいい芽荷物なくなりいい風吹いたか


斎藤久恵 
楽健は恩師のすすめで始めた道険しくて見えずたどり着くかな
ののしられ踏みなじられて楽健法淡々と踏んでセラビスト手にす
楽健を学ぶ合宿阿弥陀様そっと守ってくださり感謝


武藤和代
痛み得て分かる心の温かさ踏みふまれつ楽健法す


遠藤愛子

時は金なり進化し便利と言うけれど財産奪うiPhoneなりけり
iPhoneに身包み剥がれていることに気づかぬ庶民時は金なり
身体より柔らかいのは頭じゃないのキラリと光る頭に脱帽

風呂借りて未使用シャワーに洗髪は、と眺めて悟る和尚宅なり

幾ばくを寄り添いきたか八十路の夫妻憎まれ口すら阿吽の呼吸

グルグルの耳飾りしたハイカラさん引く手あまたのミラクル乙女

三十も四十も五十も七十もまだまだひよっこ楽健道場

年齢も気力体力根性もライバル関係超人夫婦

足跡を残し続けた八十年楽健夫婦の世間は狭い

蒸して食う食う姿勢すら試される現代批評の楽健寺パン


上杉陽子
朝四時にようやく就寝する夫楽健すればほどなく寝息
静寂の中に聞こえる寝息達今日の平和を神様ありがとう
君のため僕は生きたい守りたいひたすら愛しき子の眠り顔
二万年半減期でも二万年その時までの責を持てるの
トランプに核のボタンを預けたり民主主義の限界を知る
鍋焦がし自動消火のコンロ買う今日がわが家の防災記念日


山中美代子
初心忘れた金満政治家誰が選んだ一億総白痴化
秋来たり秋晴れなくお日様隠れていつしか晩秋にいそがしやいそがしや
先人の杖付きたる姿見つ楽健を伝えたく楽健に激む


藤原さち子
夏野菜ようやく抜いた庭先で行き場失い戸惑うカマキリ
転勤の下見に上海パパママの無事を祈りて手合わす四歳
新聞歌壇感じ入ったり笑ったりわが宿題ははてはかどらず
     

小菅靖子
やわらかい身体になれば心まで心地よい気で満たされてゆく
なにひとつ見えないけれどそこにいる菌もおばけもみんなともだち
必要のないものばかり詰め込んで膨れた鞄背負いこむ私


小菅一江
浮かばないたかが短歌の難しさ頭の中は溢れる単語
オーブンをフル活用し実る秋香りかぐわしいも落花生
はじめてと二人寝転ぶ妊婦さん身体スッキリベジフェスタ


徳上孝美
セラピスト炊事洗濯庭掃除踏んで踏まれて一歩近づく
セラピスト炊く食べる踏むメンバーの明るい笑顔に今日も癒され
早朝の夜も明けきらず本堂のろうそく灯りて般若心経 
    

中野隆生
空っ風揺り動かせる紅葉は春に向けての準備かな
春に向け元気に芽吹け庭先で気持ちを込めて球根植える


松井恵美子
月一の踏んで踏まれて四セット溶けおちていく鎧と兜
足うらに愛情こめてときほぐす春夏秋冬宇宙に通ず
一人ではかたまる体足で踏み踏まれてめぐるエネルギーの輪
バリアハイ掲げて暮らす八十路ペア日本の未来大和から喝
新年の祝もちつきうすときね八十路師夫妻心意気
目をつむりほぐされていく東光寺集いたる縁パン足笑顔


阿部珠実
足裏で ほどよく体に圧をかけ 心にひびく 思いやりヨガ
冷蔵庫 開けるたびに目と気で確認 今日も元気だ!天然酵母
ありがとう 足でつながる出逢いに感謝 笑ってさよなら また会う日まで


山内宥厳
地に頭垂れたる花にレンズ向け空をバックに紅梅も撮る
東光寺第十六期の修了を明日に迎え護摩壇香華す
八十路なる軀に起きるこもごもの変化抱えつ明日へと生きる
生きるとは意味を問いつつ過ごしたる二十歳の頃の冬寒かりし
掌を眺めつ過ごせし若き日に今日に死なんか明日にするかと
悲観して楽観をして交々に行住坐臥と開きなおりぬ
楽健法普及の心むち打ちて十六年目予定終んぬ

今朝の短歌 2017/03/14
去年にも今年も訊いた花の名を思い出せずに写真見ている
俯いて土の匂いを嗅いでいる花を撮ろうと自撮りで写す
人の名も花の名前も忘れたりどうでもいいとき思い出したり
国会の椅子にふんぞりかえりたる不敵な冷笑悪ガキ麻生
江戸時代ならば切腹命じたし殿になりたや安倍戯画答弁

昼飯時の短歌 2017/03/14 
観自在だけでは駄目よ行動も善きこと目指し動自在なれ
昼食にスンドゥプチゲ体験すスープの赤き色にたじろぐ
予約した旅程の切符購入の窓口の人むっつり男
どの面を下げて威張っていられるかテレビに向けて拳を振るう
見え見えの嘘だと言うか証拠出せ声荒げたる総理の悲哀

夕方の短歌
ど忘れか完璧忘れか決めかねる電話して訊くあの花の名を
食したる朝鮮料理赤々と粉唐辛子腹温かし
夕食の時刻となれど食材を思い浮かべて矢っ張りパンにす
なにもないいつもないとは信じられぬわが台所見て友は嘆けど
食いなさい食わねばダメよと言われてもああ手続きの煩瑣ならんか




Shyan Kishoreさんのバンスリの演奏会なども開催しましたので、東光寺の演奏のものではありませんが、youtubeから貼り付けておきます。
2017-01-12(Thu)

第3回シャーラーキャ・タントラム研究会 開催のご案内

  第3回シャーラーキャ・タントラム研究会 開催のご案内

謹啓・時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
各位のご協力のもと、早いものでシヤーラーキヤ・タントラム研究会も第3回開催を迎えることになりました。
今回は、昨今みなさまの関心が高い"食"の話題を申心に、各領域の先生方にご講演をいただきます。
ご参加のほどよろしくお願いします。
                         代表世話人 北西 剛



                     記

第3回 シャーラーキャ・タントラム研究会 テ一マ 「食・楽・健康」

日時 平成29年3月5日(日)
会場 : CIVI新大阪研修センター (06-6160-5888大阪市淀川区西中島3-9-13)
    NLC新大阪8号館 7・8・9F
   アクセス http://www.civi-c.co.jp/access.html#shin
(JR新大阪駅歩5分 地下鉄御堂筋線西申島南方駅から徒歩4分 阪急京都線南方駅徒歩5分)
map02.gif



○研究会開催挨拶 北西剛(日本アーユルヴェーダ学会理事、研究会代表世話人)


○講演
1・ 13:05〜14:05
テーマ・ アーユルヴェーダ・健康な人生への道標 (ジーバーナンダ)
講 師・山内 宥厳 (奈良)
真言宗 磐余山東光寺 住職 (二人ヨーガ 楽健法) 研究会主宰
アーユルウェーダ学会評議員


2・14:10-14:50
テーマ 「酵素からはじまるアンチエイジンク」
講師・福山 明子 (京都)
OrganicRaw8Cafe主宰

 
3・14:50〜15:30
テーマ・目の健康と食について
講 師・深森 史子 (兵庫)
深森眼科 院長



4・15:30〜16:00
テーマ・ツボとは? 〜胃に及ぼす反応について〜
大慈堂鍼灸院 院長 熊野利明 (京都)



○閉会挨拶 イナムラ・ヒロエ・シャルマ
アーユルヴェーダ学会副理事長
大阪アーユルヴェーダ研究所所長、研究会世話人

以下に、注意事項を追記させていただきます。
●申込み方法について
ご参加には事前予約が必要です。
下の申し込み先まで、メ一ルもしくぼFAXでご連絡ください。その際に、各出席者ごとに ・お名前
・ご住所(郵便番号在含む)
・連絡がつく電話番号
・今後連絡に使用させていただくことガできるメールアドレスを明記してください。
申し込み先:サロン・ド・ミラナ(担当 伊勢・京嶋) 問い合わせも 電話とfax 075-811-3393
mailto:shalakya.tntrn@gmail.com

●参加費について
人会金1000円、参加費3000円となっています。

第2回研究会にて人会金1000円をいただいている方 今回の参加費3000円

はじめてご参加の方・これまでに入会金をいただいていない方 参加費と入会金合計4000円
を下記口座に事前振込いただきます。

ゆうちょ銀行 四一八支店(ヨンイチハチ支店) 晋通3706389 口座名義 キタニシツヨシ
申し訳ありませんが、振込手数料は各自ご負担ください。
ご人金の確認がとれた時点で、申し込みとさせていただきます。

●プロヴラムの講演者ならびに講演順は、諸事情により予告なく変更される場合がございますがご了解ください。
●定員(約40名を予定)に達しました時点で、受付は終了させていただきます。
当日、直接会場にお越しいただいても、お入りいただけない場合もございますので、ご了解ください。

くお振込み後のキヤンセルについて>
お振込み後に申込者様のご都合にてキヤンセルをされた場合、返金はいたしかねます。


2017-01-05(Thu)

楽健法や楽健寺の天然酵母パンが取り上げられた番組の紹介

40年にわたって普及運動をしている楽健法と楽健寺の天然酵母パンはいろんなメディアで取り上げられています。

NHKぐるっと関西おひるまえ 原田伸郎さんが取材にこられました



https://www.youtube.com/watch?v=vcK-NTkxVu8&feature=youtu.be


2015年5月26日放映の「ごぶごぶ」



奈良TVの「校区を歩こーく」



がっちりマンデーにも取り上げられて出演しています。

gacchirimanday.jpg

https://www.facebook.com/yugen.yamanouchi/posts/828091767270701?pnref=story










プロフィール

楽健法和尚

Author:楽健法和尚
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ